第十話 -離別-
「…………!」
壁から体が離れ、地面へうつ伏せに倒れる。気付けば、フィアレスのHPは0。それは当然、死を意味していた。意識ははっきりとしながら、体がどこも動かせなくなる。声も発することができない。これがゲーム中での初めての死だ。
うつ伏せに倒れたために戦況が確認できないが、ゴブリンの雄叫びが止んでいることには気付いた。となれば、少なくともあの暴れている状態は終わったようだ。
そこまで考えたところで、体が一気に軽くなる感覚を感じた。体が動く。セシウスが蘇生してくれたと気付くのに時間はかからなかった。
急いで体を起こす。やや遠くの方でセシウスを狙い、棍棒を振り回しているゴブリンが見えた。すぐに走り出す。
ギリギリなところで、セシウスは強烈な振り下ろしを避けた。前のめりに倒れてしまったが、代わりにゴブリンは先ほどと同じく、またも動きを止めた。
「ありがとな!」
その横を通り過ぎがてらフィアレスは礼を言い、ゴブリンめがけジャンプ、その背中に飛び乗った。
それに気付いたゴブリンが振り落とそうと体を揺するが、払われてしまう前に、剣の切っ先をその肩口へ突き刺した。これを握っていれば落ちる心配はない。
そして、振り落とそうとする動きが止まった一瞬、剣を抜いて、今度は頭部へ剣を突き立てた。クリティカルヒットでゴブリンが悶える。その動きで地面へ落下してしまったが、ゴブリンは隙だらけだ。HPは残り1000を切った。
「セシウス!」
「はい!」
セシウスが火球を撃つ。それに合わせ、フィアレスも撃光剣から裂衝斬へ繋げた。撃光剣の効果で纏ったエネルギーが、裂衝斬と共に空を斬っていく。威力が増すコンボ技だ。
二人の技が同時、ビッグゴブリンの弱点へクリティカル。HPの尽きたゴブリンは、その巨体を力なく地面へ沈めたのだった。
「……ッ、勝った!」
フィアレスは思わず、拳を握ってガッツポーズを取った。初ボス戦闘、二人は初勝利を飾ったのだ。
「やりましたね!」
「ああ!」
セシウスが駆け寄ってくる。その表情は一つやり遂げたように笑顔を浮かべていた。
倒したボスの体は、他の魔物同様、煙となって消え去っていく。代わりに、その場に二つ、光る球体が残された。一つずつそれを手に取る。これが、ボスのアイテムドロップだ。中身はレアリティの高いアイテムがほとんどだ。
「……お、盾だ」
フィアレスが入手したのはゴブリン・シールドという盾。装備してみたが、今倒したビッグゴブリンの顔面を模したデザインで、正直微妙だ。すぐに元の盾に戻す。
「そっちは?」
「『ゴブリンミート』って……ペットに上げられる食べ物みたいですね」
「効果は?」
メニュー画面からアイテムの説明を見られる。
「えっと……『支援獣がゴブリンに近付く』。……なんだか、外れみたいですね」
「……そうだな。あれをゴブリンに近づかせたくはないな」
セシウスはちょっと残念そうに肩を落とす。
「ま、その分クリア報酬がいいって。戻って室の中から回収しよう」
エリア中央に、先ほどはなかった魔法陣が出現している。そこから元のエリアへ戻ることができた。
戻ると、室の入り口に仕掛けられていた魔法が解けている。中に入ると、ゴブリンたちが守っていた宝箱が一つ、置かれていた。
「さ、どうぞ」
宝箱は譲ることにした。フィアレス自身は、デザインはともかくとして、そこそこの性能の防具を手に入れられた。しかしセシウスは微妙なアイテム一個だけだ。このエリアについて教えてくれたトールソン曰く武器が手に入るという事なので、どうせならセシウスに拾ってもらうことにした。
「でも……」
「いいからさ。蘇生してくれたお礼もかねて、な」
「……じゃあ、ありがたく」
宝箱へ近づき、その蓋を開ける。中身を取り出したセシウスが嬉しそうにこちらへ振り向いた、その瞬間。セシウスの表情が驚きに染まっていくのが見えた。
「うしろ!」
「え――」
セシウスの叫び。何か、と振り向いたその瞬間。顔面を何かが横線に通り過ぎていく感覚がした。
「――……ッ!?」
一瞬の後、顔に燃えるような激痛が走った。
「っぐ、ぅぅ、ぁ……!」
熱い、痛い、いたい。
地面へと倒れ、叫び声を挙げることすらできない痛みに苛まれた。傷を押さえるのに精一杯で、いったい何が起きているのか、考える余裕などない。
「ひひひ……」
誰かの声。セシウスではない。痛みをこらえ、視線をやると、幅広の剣を手にした謎の剣士の姿があった。この人物が何者かはわからない。だが、これがPKであることだけは、すぐに理解できた。
「大丈夫ですか、フィアレスさん! 一体何が……!」
このゲームには痛覚はない。ない、はずだ。だが、今フィアレスを襲う痛みは本物だ。何が、どうなっているのか。
「……に、逃げろ……!」
何かがおかしい。何かが、普通ではない何かが起こっている。この場は危険だ。
フィアレスの言葉に、セシウスは動揺している。自分が何をすればいいのかわからず、ただ混乱していた。
そうしている間に、PKは剣を振りかざした。このままではセシウスまで一緒に斬られてしまう。
「ぐぅおおおお!」
痛みに苦しみながら、フィアレスはそのPKに突進した。なんとか押し倒すことに成功し、その体を抑える。だが、そう長くは続きそうにない。
「逃げろ、早く!」
再びのフィアレスの言葉に、セシウスは苦い表情になりながらも従い、室の中にある帰還用の魔法陣でエリアから出ていった。
安堵すると、力が抜けたのか、押さえていたPKに蹴りとばされた。獲物を逃がされたことに苛ついているのか、表情に怒りが現れている。
そして視線は、PKが持つ剣に移った。
「お前……、なんだ、それ……」
PKが手にしている大剣。それが異常な形状をしていることは、一目でわかった。
剣の途中で、まるで別の剣に切り替わったようなグラフィック。その境目がぐちゃぐちゃに混ざりあい、ファンタジックなこの世界が、ゲームの中の、データ世界であることを思い出させる。いくらこのゲームがなんでもありな世界だとはいえ、こんな武器は存在しない。存在していいはずがない。
PKがその大剣を構える。殺される、と。フィアレスは思った。それはさっき、ビッグゴブリンと出会う前にも思った事だ。
だが、この二つの感覚は、同じようで全く違う。今、感じているのは、ゲームではなくリアルで殺されるかのような――死の、恐怖。
迫る剣。煌めく醜悪な刃。
抑えきれない恐怖に、フィアレスは、悲痛な声をあげ――そして、途絶えた。
城へと戻ってきたセシウスは、未だ動悸のやまない胸を抑え、床へへたりこんだ。フィアレスのあまりの気迫に、言うとおり一人で帰ってきてしまったが、本当に大丈夫だったのか。
あの様子は普通ではない。まるで本当に傷を負ったのかのように苦しんでいた。だが、それは有り得ない。これはゲームで、痛みを感じるわけがない。ならばあれは演技だったのか。
PKから自分を逃がすために、ああやって演技をすることで、相手が脅威であることを示すためにやったのか。だが、lそれにしては堂に入りすぎている。
演技でないのなら……あれは、なんなのか。
「戻ってきたら、詳しく聞かないと……」
もしPKされても、無事逃げ仰せたとしても、帰ってくるのはこの街、この城だ。ここで待っていれば必ず帰ってくる。戻ってくるまで、待つことにした。
だが、一時間経っても、二時間経っても、フィアレスは戻ってこなかった。何かがおかしい。胸に残る不安をかき消すことのできないまま、セシウスは待つのをやめた。代わりに、メールを一通、送信する。
『大丈夫でしたか? ごめんなさい、先にログアウトさせてもらいます。このメールを見たら、連絡ください。』
いずれは返信が来るだろう。そうしたら、次に一緒に遊ぶ日を決めよう。今度はひばりや慎太郎も。四人で、冒険しよう。
言葉にできない不安。しかし、それを飲み込むことは出来なかった。ただの勘違い。気の逸り――そう、セシウスは思い込んで。
――しかし、そのメールに返信が来ることは終ぞ、なかったのだった。




