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序章&一章

百合的要素を多分に含みます。苦手な方はご注意を。

「華麗なる騎士劇団~エーヴとアダン~」

           結川さや



 近頃、メリエール王国で流行りのもの。

 それは、『華麗なる騎士劇団ル・グラン・シュヴァリエ』の舞台観劇である。老いも若きも――と言っても、うら若き乙女からご婦人方まで、女性を主に熱狂させているこの劇団。その名の通りここに所属する団員は、聖教会による叙任を受けた本物の『騎士』たちだ。それだけでも珍しいが、人気の理由はもう一つ。彼ら――いや、彼女らが皆、女性騎士ばかりだという希少さにあった。

 つまり、女性による、女性のための、華麗なる集団というわけだ。美しく、麗しい夢の世界へいざなう側に厳しい条件が課せられるのは当然で、この騎士集団への入団は非常に難しい。だが、全国から希望者が集まり蹴落とされていく枠の中に、今日入ることを許された者がいた。

 はてさて、彼女の運命が華麗に展開していくのか、否か。物語の結末は、まだ誰も知らない。


 一、エーヴと麗しの君


 王都ヴィヨンから馬車で小一時間ほど走ると、豊かな森が広がっている。静かな郊外の土地、エルワール地方に入った印だ。森のなかほどにゆったり流れる川があり、その広い中州には、木々に囲まれた優美な古城が建っている。

 マ・ベル・コリーヌ。そのものずばり、『我が美しきコリーヌ』と名付けられたこの城は、今から既に百年前、国王エール五世が愛する妻コリーヌ妃に別荘として贈ったものだ。歴代の妃にも親しまれてきた城だが、現在は王室の手を離れ、全く別の目的で使用されている。

 そんな古城の、蔦の絡まる城門前に、少し背の高い一人の少女が立った。身元を確認した門番が、仰々しくお辞儀をする。

「ようこそ、『華麗なる騎士劇団』事務所へ」

 そして門は開かれ、少女はまさに新たなる一歩を踏み出したのだった。



「エーヴ・スペリエ、十八歳です! よろしくお願いします!」

 事務室、兼、応接間だという広く立派な部屋で、少女――エーヴは頭を下げた。高い位置で束ねた、まっすぐな茶褐色の髪が勢いで揺れる。

 迎えてくれたのは、ふくよかな老婦人だ。にこにこと優しい笑顔で、『マダム・ソレイユ(太陽夫人)』と皆に呼ばれているご婦人であるらしい。

「へえ、わざわざサン・ロワン州から。遠方から珍しいもんだねえ。受験にこっちまで出てくるのも大変だったろうに」

 入団書類を見ながらの労いに、エーヴは元気よく首を振った。髪と同色の大きな瞳で、マダムを明るく見つめて答える。

「平気です! 受験を考えてから、王都の叔父の家でお世話になっていましたから」

 歯切れのいい話し方も仕草も、身にまとう上品な赤のドレス――ちなみに王都で最先端の、ローブ・ア・トゥルニュールだった――にはあまり似つかわしくない。が、特に気にならないのか、マダムはほっとしたように笑顔に戻った。

「ああ、こっちに親戚がいるのかい。じゃあ寮生活でも休暇には帰れるねえ。さて、早速部屋に案内しようか。今空いている大部屋の寝台は、と……」

「あの、実は一人部屋を希望してるんです。書類にも書いてあると思いますが」

「本当だ。けどねえ、新規団員は大部屋を共同で使うことと決まっているんだよ」

「そ、そうみたいですね。でもちょっと事情が――」

 マダムの困惑顔が訝しげなものに変わったところで、エーヴは急いで笑顔を見せる。右頬にだけできるえくぼと困ったような笑い方が、逆に愛嬌を感じさせる表情だ。

「お、いや、あたし、イビキが尋常でなくうるさいんですよ。しかも寝相は最悪だしものすごい歯軋りと寝言も言うから、あたしと相部屋になった人は絶対に不眠に悩まされることになると思うんです。だからどうしても一人部屋じゃないとダメなんです。そこに叔父から、正式な後見人としての嘆願書も付けてあるんですが」

 再び書類を指し示すと、マダムはやっと気づいたように眼鏡を押し上げて感嘆した。

「あーら! あんたの叔父さんって、バレーヌ伯爵なの!? あの宮廷でも話題のロマンス小説家、ムッシュ・オノレ・ド・バレーヌ! いやだ、私も彼の小説大好きなのよお」

「は、はあ……それはどうも」

 突然若返ったように頬を染めて喜ばれ、エーヴの笑いは引きつりかける。が、意思の力で阻止することに成功した。

「大きな声では言いにくいのですが、叔父とうちの父親が異母兄弟にあたりまして」

 要するに、祖父は遊び人だったということだ。別にエーヴ自身は気にしていない事実を告げると、マダムは案の定申し訳なさそうに(その実、少し嬉しそうに)頷く。

「なるほど、わかったわ。じゃあその話は、公には伏せておくわね。まあ宮廷貴族にはこういう事情の一つや二つあるものよ。あんまり気にしなさんな」

「ありがとうございます」

「一人部屋の件は、バレーヌ伯直々の嘆願書があるんだからきっと騎士団長様もお許しになるでしょう。まあ部屋数だけは多いんだし、問題ないわきっと。じゃあ荷物はそこに運んでおくからね。入団、そんでもって晴れての入寮おめでとう、新人さん!」

 いそいそと握手をし、足元の荷物を抱え上げようとしたマダム・ソレイユの肩に、エーヴはあわてて手をかけた。振り向く彼女に、今までの元気な笑みとは異なる、とっておきの微笑を向ける。あくまでも優しく見つめたまま、口元だけでの微笑だ。

 そうするだけでぐっと大人っぽくなったエーヴは、やや伏せ気味の瞳でマダムをとらえる。

「ご婦人に重い物は持たせられませんから。どうぞ、私にお任せを――美しいマダム」

 そのまま手を取り、甲に口づけを落とす真似をした。エーヴの豹変にマダムは赤くなり、乙女のように身を引いたのだった。


(ほらね。才能があるんだって、『あたし』には!)

 事務室のある東館から、移動した南館。団員の寄宿舎として使われている城館内、案内された最上階の一人部屋で、エーヴはにんまりとほくそ笑む。少し本来の自分を思い出し、格好を付けただけであれだ。これならここでもっと鍛えれば有名になれるに違いない。

「って、有名になるために来たわけじゃないけどさ」

 ふっと自嘲気味に呟き、エーヴはまとめていた長髪を解いた。ぐしゃぐしゃ乱すと、窓際でうーん、と思いきり伸びをする。ちなみに、ほぼ一日頑張って着た例のドレス――お尻の部分だけを膨らませ、後は絞ったデザインのものから、ゆったりとした裾長のシュミーズ・ローブに着替え終わっている。

 窓の外にはもう夕焼けが広がり、森と川を赤く染めていた。

(やっと夕方か……長い一日だったな)

 いや、一日よりももっと長い間、自分は頑張ってきた。あとは明日の入団式を無事済ませれば、目標を一つ果たせる。それすらも大きな目標の第一歩でしかないとはいえ、気分は上々だった。

 見回した部屋は狭く、装飾もまるでない簡素なものだ。強いて言えば、寝台が古風な天蓋付きであることぐらいが珍しく、後は机と椅子、壁に鏡と作りつけの棚があるだけ。それでも希望通り一人で夜を過ごせるのだから、何も文句はなかった。

(そう、文句はない。『これ』以外は)

 やや膨らんだ胸元から目を離し、エーヴは深く嘆息した。窓辺に置かれていた聖母子像を手にとり、不満げに見つめながら。

「全ての人間に祝福を、か……それなら今すぐその祝福とやらを与えてほしいね、まったく」

 かなり本来の口調に戻って独りごちると、あくびを一つ。王都ヴィヨンは王国内でも北部寄りで、南部に位置するサン・ロワンとは気温も日差しもやはり異なる。夕風は既に涼しく、過ごしやすいのは何よりだった。

 落ち着いたら疲れが出た。後は明日に備えてさっさと寝てしまおうと、薄暗い部屋の奥、一人用の寝台へ歩み寄る。薄布をかき分け、半分目を閉じながら倒れこんだエーヴは、すぐに眠りの世界へ旅立つ。はずが――、

「うぐっ!」

「わああっ!!」

 二つ上がった声のうち、もちろん後者がエーヴだ。眠気はどこへやら、完全に覚醒し、あわてて飛び退いた。寝台に、なにやら妙な感触の物体があったせいだ。

「なっなっ、何だ! 今のやわらか硬い変なモノはっ!?」

 シュミーズの裾を翻し、床に尻餅をついた状態で叫んだエーヴの耳に、かすれた笑い声が聞こえた。まさに、寝台の中から。

 凝視しているエーヴの目の前で、掛け布がばさりと捲れ上がり、中からとんでもないモノが現れる。

「やわらか硬い、か。言い得て妙だね」

 そう言って、乱れた髪をかきあげ、ふっと微笑んだモノ――それは、白いブラウスに黒いズボンというくつろいだ部屋着姿の、とんでもなく美しい青年だった。

 背中まで緩やかに波打つ銀の髪、滑らかな白い肌、そして完璧な彫像を思わせる、整った容姿。薄紫の、切れ長の瞳がエーヴに向けられている。薄闇に舞い降りた天使か、と呆然としている間に、すぐ目の前に立たれていた。手を差し伸べ、青年は笑みを深める。

「こんばんは、愛らしいお嬢さん(マドモワゼル)」

 再び聞こえた声は、先ほどより更に甘さと優しさを増していた。まだ目を見開いているうちに手を取られ、なんとか立ち上がる。

(なな、なんで? まさか部屋を間違った? っていうか誰なんだこの天使、もとい人間離れした超絶美青年は! そもそも『女の園』になんで男が!?)

「驚かせてしまってすまない。少し疲れて、休んでいたんだ。まさかこんな素敵な姫君が訪ねてくるとは思わなかったものだから」

 エーヴの心の声が聞こえたかのように、青年は続けた。

「姫――」

 自分に似合わなさ過ぎる単語を聞いて、はっと我に返る。握られていた手を急いで離したが、青年は気にもせぬように微笑んだままだ。

「いやっ、えっと、その、あたしは」

「おっと、自己紹介はまだやめておこう。互いの愛を確かめあった後でも十分だ」

「あ、愛!?」

「そうだよ、お姫様」

 いつのまにかすぐ近くに迫っていた青年は、くすりと笑い、いきなりエーヴを抱き寄せる。

「わっ、ちょ、やめ……っ!」

「ほら、もうすぐ夜の帳が落ちる。恋人たちの時間だよ」

 混乱の極みであるのと、頭半分は違う身長と体格差のせいで、エーヴは難なく寝台に押し倒されてしまった。あれよあれよという間に、甘い笑みの青年が耳元で囁く。

「君から誘っておいて、今更焦らすなんて意地悪だね」

 誘ってなんかいないと叫ぼうとして、自分がシュミーズ姿であることを思い出す。

「大丈夫、大切にするから。可愛い、ショコラ色の子猫ちゃん(プティ・シャトン)」

 ちゅっと軽く耳たぶに口づけられ、全神経が麻痺した。それに、さっき彼は何と言った?

(夜の帳が落ちる、のはヤバイって!!)

「離せって……言ってんだろこの変態気障野郎っ!!」

 思いきり力を込めて青年の胸板を押しのけた。そう、びらびらと幾重にもなったレースの襟付きシルクブラウスの下の、やわらか硬い胸板を――って、

「えええええっ!!??」

 すごい勢いで寝台から落ちた『彼』は、「いてて……」とそれでもあまり痛そうに見えない優雅さで起き上がる。そして、麗しい微笑みをエーヴに向けた。

「『野郎』か。これはまた、斬新な歓迎だ」

「ややや、『野郎』じゃないっ! あ、あなたは……」

「そう、女だよ。正真正銘、君と同じ、ね」

 それにしては広い肩幅とすっきり細身の、完璧な体型で彼――いや、彼女は笑う。そうすると意外と幼くも見えた。確実に年上だと思ったが、もしかしたらそう変わらないのかもしれない。なんて、観察している場合ではなかった。

「あたしと、同じ……」

 繰り返してから、エーヴはハッと窓を振り返る。今まさに森の向こうに沈み行こうとする太陽。部屋はかなり暗くなり、さすがに明かりなしでは互いの姿も見えにくい。でも、この状態で日暮れを迎えるわけには絶対に行かなかった。

「ととと、とにかくっ! どこの誰か知りませんが、ここは今日からあたしの部屋なんですっ!」

「何だ、誘いに来てくれたんじゃなかったのか」

「違いますっ!!」

「そんな全力で否定しなくても」

「いいから早く出て行ってください! もう寝ますからっ!」

「ちょっと待って、君の名前は……」

 扉のほうにぐいぐいと背中を押して誘導しても、まだ彼、いや、彼女は振り向く。さっきは自己紹介なんて後でいいとか言っていたくせに、随分勝手なものだ。

(だめだ、もう日が落ちる!)

「教える必要なんてありませんっ! いいから出て……出てけって言ってんだろうが!!」

 最後はもう本性むき出しだった。それも仕方ないだろう。だって、ようやく扉を閉め、鍵をしっかりと掛けると同時にエーヴは床に崩れ落ちてしまったのだから。

「う……ああっ」

 全身が、まるで火を点けられたかのように熱い。違う、痛いのだ。何者かの大きな手で握りつぶされるかのような痛みが、エーヴの体を締め付け――何かを壊し、打ち砕き、また、完全に別のものへと組み立てなおしていく。

「ふ……ぐっ、あああああっ!」

 堪えきれずに上げた悲鳴。今日は疲れ切っているからか、いつもより最悪にひどかった。我ながら悲痛な響きだ、と思う頃には痛みは治まっていて、床からなんとか身を起こす。

 そのまま足を開いて座って、深く息を吐いた。その瞬間だった。

「君、大丈夫かい? 何があった?」

「うわっ!」

(まだいやがった、あいつ!)

 素の驚きは低い声で漏れて、扉の向こう側から怪訝そうな言葉が返ってきた。

「今、どこかで男の声がしたような……」

「ききき、気のせいですわっ! あの、何でもありませんから早くお帰りください!」

「でも」

 裏声で答えたのに、まだ去る様子はない。一体どうしたものか、と唇を噛み締めたところで、救いはやってきた。

「あらっ、なーにをやってるんですこんなとこで!」

(マダム・ソレイユ……!)

 かの老婦人に見咎められたらしい例の『彼女』は、あれやこれやと質問攻めにされて立ち去ることにしたらしい。

「麗しのジル様がここに隠れてるって、また大騒ぎになる前に逃げたほうがよろしいですよ! さあさ、お早く!」

「わかったよ……」

 渋々と答える声を聞いて、エーヴは胸を撫で下ろした。

「縁があればまた会おう。おやすみ、おてんばな子猫ちゃん」

 あきらかに自分に言い残したのであろう声音に、飲みかけた水をぶうっと吹きそうになる。なんとか堪えて飲み込んで、口の周りを手の甲でぐいと吹いた。

「……なーにが子猫ちゃんだ、変態女め」

 エーヴの低い呟きは、今度こそ誰の耳にも届かない。誰も知らない。今のエーヴの姿も、声も、日が暮れるまでの『彼女』のものとはまるで異なることを――。


(今のはやばかった……ひやりとしたぜ)

 まだ胸がどきどきしている。もちろん、緊張の意味で、だ。

 かなりゆったりしていたはずのシュミーズがきつくなって、エーヴはさっさとそれも脱ぎ捨てた。カーテンを閉めた部屋の中を、蝋燭の光がぼんやりと照らしている。

 上半身は裸、下半身は男物の下着、という状態で構わず歩き、壁掛けの鏡を覗き込んだ。エーヴが――いや、『彼女』とは異なる別人が映る。同じ十八の、男の姿だ。

 茶褐色だった髪は長さだけそのまま、完全な黒に。大きな同色の瞳は少し細く、凛とした印象へと変貌して、ただわずかに明かりに反射した時だけ、『エーヴ』だった時の名残を示すように茶色味を帯びる。可愛らしいとよく褒められる顔さえも、今は精悍な雰囲気に変わって。

「くそ、あいつ、楽々と押し倒しやがって」

 舌打ちしつつ思い浮かべるのは、先ほどの、常識外れにもほどがある超絶美青年。もとい、美女――と形容すべきなのかは怪しいものだが――だ。女にしては体格もいいし、長身だった。身長だけなら、今の自分とそう変わらないかもしれない。

 悔しげに顔をしかめ、自身の体を検分するように見回す。肩幅も筋肉も、胸板の厚さだってもちろん勝っている。今の自分なら絶対に押し倒されたりしないのに、とまで考えて、はたと気づいた。

(ってあいつ、女のくせに女が好きなのか?)

「やっぱ変態確定だな。今度この『アダン』様に妙な真似しやがったら、ただじゃおかねえ。突き飛ばすだけじゃなく次はぶっ飛ばして……」

 握り締めた手のひらに先ほどの感触が蘇り、勢いを削がれる。例の、『やわらか硬い』箇所のことだ。

 じっと手を見ていたエーヴ――本来の、男の姿であるアダンの頬が、ふと緩む。

「結構『ある』んだ」などと不届きなことを呟いてから、そういえば、と自身の耳に触れた。優しい唇の感触も記憶に新しい。

 本能的なものか女の姿では拒否感が強いが、こうして戻ってしまえば迫られるのは決して嫌いじゃない。

「……今ならむしろ歓迎なんだけど」

 正直な独り言を、アダンは慌てて打ち消した。

(ないないない! このくそ忌々しい奇病から解放されるまでは、俺にはそんなことに現抜かしてる暇はねえんだっ!)

 ――しかも、あんな妙な女と。

 ぶんぶん頭を振ると、アダンは寝台に腰を下ろした。

 いや、妙なのは自分のほうか。気づいた途端、乾いた笑いが漏れる。

「朝日と共に女になって、日暮れと同時に男に戻る、呪われた病……か。人のことどうこう言えた義理じゃねえよな」

 眉を寄せ、アダンは首元から銀のネックレスを引き出す。先端に揺れる卵型の装飾板メダイには、表に聖母子像が、裏に十字架のモチーフが彫りこまれている。神と聖母の守る国として、その聖母の名を掲げたメリエール王国では、ありふれたデザインの装飾品だ。けれどアダンにとっては、病との戦いの日々――この六年間の苦しみの象徴でもあった。古びたメダイをきつく握り、アダンは瞳を険しくする。

 治療法もわからない。薬なんて存在しない。それでもあきらめない。あきらめたくない。だから、アダンは決めたのだ。本来の自分と、少しでも近い姿ができる場所へ来る、と。

 本当の自分――アダン・スペリエを、必ず、完全に取り戻すために。

「まあ、実際男なんだから、楽勝だろ」

 鼻を鳴らし、今度こそ眠るべくアダンは大あくびをする。まさにこの翌日から彼に、そしてエーヴとしての『彼女』にも、決して楽勝ではない騎士団生活が待っているなどとは、夢にも思っていなかった。

 

        *


『マ・ベル・コリーヌ』城――通称コリーヌ城は、東西南北に建つ四つの城館を、ぐるりと城壁で取り囲んだ形になっている。

 そう聞くとわかりやすく思えるが、各城館は通路でつながっておらず、中庭を越えて行き来する必要がある。各種季節の花が植えられ、立派に整備されたそこは、庭というより庭園の名が似合う場所。更に、間には菜園や乗馬用の敷地まで存在し、中は意外と複雑だ。さすがは王の寵妃への贈り物。工夫を凝らし、美しく造り込んであるものだ。

 などと感心するわけもなく、アダンは――いや、朝の訪れと同時にまた少女の姿になったエーヴは、盛大に顔をしかめた。

「あーもう! 入団式やるっていう聖堂はどこだよまったく!」

 昨日、部屋に案内される道すがら、マダム・ソレイユにここの造りについて聞いてはいた。が、文字通り、聞くだけでちゃんと覚えていなかったのだ。無事入団を済ませたことで安心してしまい、そこまで頭が回らなかった。

 せっかく早朝から起きて(というか、いつも体の痛みで起きざるを得ないのだが)身だしなみも整え、張り切って出たのに。

 指定された服装、つまり制服は、灰色の裾の長いドレス――否、修道服だ。襟もきっちりと詰め、足首も見えない丈のもの。過去、騎士が本物の修道者も兼ねていた頃の名残で、今は象徴として選ばれているらしい。新規団員、俗に言う『見習い』の間、着用する決まりだ。髪にベールまでつけなくていいのは救いだが、極めて動きにくい。しかも、この状況下では。

「はあ、はあ……くっそ! 完璧迷子じゃねえか!」

 周囲に誰もいないのを幸いに、口調も改めずにエーヴは毒づいた。見回した視界の先に、ようやく銀のきらめきを見つける。

 二本の腕木を持つのが特徴的な、聖メリエール十字クロワ・ド・メリエール。尖塔の頂にある印が、朝日に輝いていた。


「遅れてすみませんっ!」

 ぜいぜい言いながら、エーヴは勢いよく扉を開いた。とにかく潔い謝罪が一番、と下げた頭を持ち上げ、頬に刻みかけた笑顔は脆く消える。そのまま、中途半端に口を開けて固まるしかなかった。

 だって、予想外に大きく立派な聖堂内には、大勢の人々が待ち受けていたのだ。確か、騎士団長と司祭様がいて、彼らと入団の儀である『仮叙任式』を執り行う。それで『従騎士エスクワイエ』の身分となり、名実共に新規団員と認められる。つまり、未来の『騎士シュヴァリエ』見習いになれる、という流れのはずだ。

 しかし、その場にいたのは騎士団長たちだけではなかった。

「……エーヴ・スペリエ」

 苦々しげな声音で、名を呼ばれる。

 礼拝参加者用の席に並んだ、ざっと見ても三十人以上の人々。左右で白いマントと緋色のマントに分かれている彼女らのうち、エーヴを呼んだのは白マントのほう。最前列で、一人だけ銀の肩飾りを着けた人物だ。

「エーヴ・スペリエ! 聞いているのか!」

「ふ、ふぁいっ!」

 あまりの驚愕と困惑で声が裏返り、人々の列から笑いが漏れる。呼んだ人物――肩までの栗色の髪を後ろに束ねた、神経質そうな美人は額を押さえた。髪と同じ栗色の瞳は険しく、眉間には皺が寄っている。

「……彼女をもって、今期入団五名。全員揃いました!」

 それでも彼女は言い、渋い顔の司祭が頷く。そういえば、老齢の彼だけがこの場で唯一の男性だ。そして祭壇前には、エーヴと同じ灰色の制服の少女たちが四人整列していた。

「では、今期の入団式を……」

「いや、失礼しました。まだ、参列者があと一人、揃っておりませんで……!」

 例の神経質美人が慌てて訂正した。その瞬間に合わせたかのように、カツカツと硬い靴音がエーヴの背後から聞こえ、皆の間に押し殺した歓声が広がる。思わずエーヴが振り向くのと、最後の参列者が登場するのとは、全く同時だった。

 皆と同じ、黒を基調にした衣服――胸部に銀糸で聖十字が刺繍された、メリエール国公認の騎士の正装。男性と同じデザインのそれを男性以上に凛々しく美麗に着こなした長身の人物が、全員の注目を浴びて立っていた。

「遅れて申し訳ありません。ジルベルト・ド・ブラン、ただいま到着いたしました」

 白いマントをさばき、膝をついて優美に礼の姿勢を取ると、彼女は微笑んだ。

 銀の髪と、薄紫の双眸。忘れもしない美貌は、日の光の中で際立っている。

(夕べの、変態女……!)

 愕然とするエーヴを通り越し、出迎えたのは先ほどの美人だった。額に青筋を立て、怒りの声を発する。

「ジルベルト……っ! 新規団員の前で遅刻するなとあれほど!」

 変態女――もとい、立ち上がったジルベルトは、あくまでも優雅に叱責を流した。

「ごめんよ、セレスト。同期で親友の君の忠告には従うつもりだったのだけれど、どうしても誘惑には逆らえなくてね」

「誘惑、だと……? お前まさかまた!」

「ノンノン、昨夜はちゃんと一人で寝たよ? そのせいでか寂しくて、なかなか寝付けなかったから二度寝の誘惑に負けたのだ。やはり君の温もりが僕の安眠には欠かせないらしいよ、愛しいセレスト」

 切なげな微笑で片目を閉じて見せられ、彼女――どうやらセレストという名らしい――がぶっと吹き出す。青筋が増えたことで、怒りのためなのだろうと想像が付いた。セレストが何かを言う前に、黄色い声の数々がそれを遮った。

「きゃあ~出たわ、お二人のあやしい会話!」

「いやいや、ジル様! 私にも愛を囁いて!」

「違うわよ、私によ! 私のジル様ぁ!」

「麗しの君~!!」

 今まで整然と座っていた参列者たちの、主に緋色のマントの人物たちが騒ぎ出す。

(麗しの……そういやそんなこと言ってたっけ)

 もう一人の遅刻者エーヴのことなど、既に皆が忘れ去っていた。それはありがたいが、自然と『麗しの君』とやらを見るエーヴの目は冷たくなっていく。

「いいよクリステル、僕の愛は君のものだ。おはようオレリア、今日も可愛いね。君の笑顔は最高だよイザベル。ああジョセフィーヌ、君に抱きしめてもらえるなら僕は……」

 誰かれ構わず口説き文句をばらまくジルの姿に、エーヴは呆れ果てた。やはり少し、いや、かなり『変わった』女であることは確からしい。

 半眼で見物していたら、そんなジルに厳しい声が飛んだ。

「そこまでだ、ジルベルト・ド・ブラン! さっさと席に着け、この不埒な浮気者が!」

 皆に投げキッスを送りながら賛辞を繰り返していたジルは、硬派なセレストの声に動きを止める。セレストの隣の空席に腰掛けたかと思うと、なんとも言えぬ魅惑的な笑みを見せた。

「『浮気者』か……君が嫉妬してくれるとは思わなかったな。愛しているのは君だけだよ、僕の可愛いひと(マ・シェリ)」

 きっちりと結わえた髪を撫でられ、セレストの頬がひきつる。

「違う! 私は『浮ついた不埒者』と言うつもりで」

「ふふ、そんな言い訳をしても君の真意はわかるよ。僕の愛の深さが知りたければ今すぐにだってここでこうして証明を……」

「うわあっ、やめろこの馬鹿! 変態ジルベルトっ!!」

 すっかり怯えた表情でジルの抱擁から逃げ出すセレスト。そんな二人を笑う者あり、嘆く者あり、次は自分だとまた騒ぐ者あり。聖堂内の荘厳な空気は台無しだ。

 開いた口が塞がらない状態のエーヴの近くで、おずおずと、一人が勇気ある問いを発する。

「あ、あのう……わ、わたくしたちの入団式は……?」

 はた、とその言葉で静寂が戻ってきた。繰り出されたのは、小さな小さな咳払い。皆の視線が集中した祭壇前で微笑んだのは、黒いマントに金の肩飾りが付いた背の低い人物だった。

「はい、皆さん十分遊びましたか?」

(あれ? もしかしてあの人……)

 どう見ても、司祭を除いて一番偉い人の立ち位置なんだが。

 エーヴの推測は当たっていた。どちらかと言えば印象の薄い、薄すぎるほどの淡白なお顔の小さな人に、皆が全員で答えたのだ。

「はいっ、騎士団長様!」と。

「では、ただいまより今期の新規団員、入団式――『仮叙任式』を始めましょう」

 ほんわか笑顔で告げた団長の合図で、エーヴを含む新規団員五名が整列させられる。やっと戻ってきた厳粛な雰囲気に少し安堵し、エーヴも気を引き締めた。

 団長から司祭へと聖剣が手渡される。重々しく頷いた司祭が二言三言説教をした後、自ら聖剣を手にエーヴたちに歩み寄ってきた。

「汝らを、この聖剣の祝福をもって『従騎士』と認める。聖教会からの仮叙任を厳粛に受け止め、いついかなる時にも騎士道精神シュヴァルリィを忘れず、神の名に恥じぬメリエールの『騎士』になるべく修練に励むように」

 一人一人の肩にゆっくりと聖剣で触れ、司祭は告げる。示されるままにエーヴも右手を胸に当て、膝をついた。

 司祭が満足げに頷き、祭壇の奥へ退く。静かな聖堂内、五人の新規団員も、先輩である団員たちも沈黙を守っている。

(そうだよな、仮にも『騎士団』だ。さっきの混乱は何かの間違いだろう)

 エーヴが一人頷いて無事の入団を喜んだ、その時だった。いつのまにか壁際に控えていた楽団が突如として立ち上がり、明るく賑やかな音楽を奏で始めたのだ。同時に、団長が両腕を広げて叫ぶ。

「皆さん入団おめでとう! あなた方もこれで、由緒正しい『メリエール女性騎士劇団』――通称、『華麗なる騎士劇団』の一員となりました! 美しく麗しく、そして妖しく舞い、演じる。我々の仲間として歓迎いたします。共に、メリエールに輝くエトワールになろうではありませんかっ!!」

 最初の印象の薄さはどこへやら、聖堂内に響き渡るとてつもない声量、そして豹変ぶりの素晴らしさに、腰を抜かしそうになるエーヴ。

(何踊ってんだ、何を愛囁いてんだそこっ! やっぱりこいつらおかしいぞ!)

 在団員の先輩方による『歓迎の儀』、という名の単なるお祭り騒ぎが始まる中。どさくさに紛れてまたそこら中の女たちに微笑み続けていたのはもちろん、

「ジルベルト・ド・ブラン……」

 頬をひくつかせ、思わず呟いたエーヴは、まさにその張本人と目が合い、今度こそ本当に腰を抜かした。逃げようとするも既に遅く、こちらへ優雅に歩み寄ってくる。

「また会えたね、ショコラ色の子猫ちゃん」

「わわっ、よ、寄るな――じゃなくって、寄らないでくださいっ!」

「微妙に口調を変えたって断らざるを得ないなあ。それに、どちらかと言えば前者のほうが新鮮で素敵だよ」

 起き上がれないエーヴの前に膝を付き、彼女は笑みを深めた。

「昨夜の熱い記憶が忘れられなくてね。僕の十九年の人生でも、あんなに強烈な反応は初めてだったものだから」

 あまりに親しげに囁かれて固まってしまう。そんなエーヴの手を取り、支え起こしまでするジルを見た周囲の面々から、凄まじい叫びが湧き上がった。

「うっ、麗しの君が! 私たちのジル様があっ!」

「あんな、何の変哲もない新人に……っ!」

 その言葉も終わらないうちに、ジルは次の行動に出た。出て、しまった。

「君の入団、心より歓迎するよ。可憐で、少々おてんばで、気の強いお姫様――エーヴ・スペリエ」

 僕の子猫マ・プティ・シャトン、と手の甲に口づけを落とされ、エーヴは限界寸前まで目を見開く。そこまでならまだ耐えられたかもしれない。けれど続いて抱きしめようとされ、頭の奥でぷちりと何かが切れてしまった。

(だめだ。やっぱ女の姿でいる時だと、どうしても鳥肌が……)

「べたべたと……気安く触んなって言ってんだろうがっ、この、変態色魔――っ!!」

 真理だ、なんて感嘆したような声がどこかから聞こえた気がしたが、凄まじい驚愕と困惑と抗議の叫びが渦巻き、すぐに押し流した。

「きゃあああ、麗しの君……しっかり、しっかりなさって!」

 エーヴに腹を殴られ、床に倒れこんだジルを取り囲む女、女、女。彼女らの怒涛のような叫び声。

「何っ、何なのどういうことなのあの新人はっ!!? 一体、どうなってるのよ!」

「お待ちなさいっ、暴力新人! あんた……エーヴ! エーヴ・スペリエッ!!」

 無事入団、と安心した数分前が嘘だったかのように、悪魔のような形相の女子たちから追われることとなったエーヴは、息も絶え絶えに逃げ惑いながら叫んでいた。

「何なんだ、どういう場所なんだここは一体っ! どうなってんだよおおお!」

(俺、選択を間違えたのかもしれない)

 かなりの割合で後悔し始めている当の本人はさておき、大部分が出て行って静けさを取り戻した聖堂内。

 祭壇前で小さな騎士団長は笑っていた。また薄い、司祭の髪ほどに薄い印象の笑顔で、彼女は言う。

「面白い子が、入ってきましたねえ……」

 美しく、麗しく、妖しく――そして楽しく。がモットーの、騎士劇団トップの発言だった。


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