3.会社を辞めることにした
神様が来てから1ヶ月。
異世界召喚されるまで、あと11ヶ月。
自分改造は順調で、この1ヶ月で出た成果はこんな感じだ。
・4kgのダイエットに成功して、顎が少しシャープになった
・早寝早起きを心掛け、顔色が良くなった
・基礎化粧品もちゃんと付けているおかげで、肌のガサガサも解消された
・メイクが上達し、自分でもびっくりするくらい化けられるようになった
流川さんからはお褒めの言葉を頂き、今度ウォーキング教室と、表情レッスンの教室に通うことになっている。彼女曰く、立ち振る舞いも美しさには必要らしい。
自分でも、ほんの少しだけだけど、マシになってきたなと思う。
以前のように、顔を隠すように俯いて歩くのも止めたし、体系が目立たないことばかり考えたような服を着るのも止めた。
こんなわたしでも、人の力を借りて努力すれば、ちゃんと変われるのかもしれないと思いはじめた。
しかし、そんなわたしだけど、会社では相変わらずひっ詰め髪のノーメイクで過ごしていた。
下手に変化すると、会社の女性達に嫌味を言われると思ったからだ。
この話を流川さんにしたところ、彼女は眉をひそめてこう言った。
「綺麗になった自分を出したら嫌味を言われるなんて、酷い会社ね」
そう言われて、わたしは改めて思った。
嫌味を言われて虐げられながら、押し付けられた仕事に明け暮れるなんて、やっぱり普通じゃない。
わたしは、神様のネックレスを服の上からギュッと押さえて、決心した。
「今度こそ、会社を辞めよう」
*
その日、業務時間後。
わたしは上司の佐々木さんに「お話したいことがあります」と会議室に来てもらった。
佐々木さんは40代後半の女性で、見るからに濃い化粧に、香水のにおいをプンプンさせている、とても派手な印象の人だ。
彼女は、会議室に入ってくると、馬鹿にしたような顔でわたしを見て、正面にドンと座った。
「で、話ってなによ? 私、忙しいんだから、手短にしてよ!」
以前なら、こうした高圧的な態度を取られるだけで、怯えて身がすくんでしまっていた。
誤魔化すような薄ら笑いを浮かべて「なんでもありません」と言っていたかもしれない。
でも、今日のわたしは違う。
わたしは、ネックレスをグッと握りしめると、顔を上げて言った。
「1か月後に、会社を辞めたいんです」
「は?」
佐々木さんは、呆れた蔑むような顔をしたあと、鬼のような形相になった。
「あのさあ、あんた頭悪いの? ついこの間も言ったわよね? 辞めさせないわよ。何言ってるの? この忙しい中で辞めるって、社会人として非常識なんじゃないの? 脳みそ大丈夫? 腐ってるんじゃないの?」
あまりに激しい怒りの感情を向けられて、手がガクガク震え始める。
「わかりました。ごめんなさい」と謝って逃げそうになるところを、わたしはネックレスを更に強く握りしめて必死に踏みとどまった。
ここで逃げたら、前と同じ。辞められない。
「前々から退職の意思は伝えていましたから、辞めさせてもらいます」
「っ! 何言ってるの! 馬鹿なんじゃないの? あんた顔だけじゃなくて頭まで悪くなったの?」
怒鳴り付けられ、わたしは、震える声で叫ぶように言った。
「忙しいのは、わたしだけじゃないですか。いつも皆さん定時に帰って、わたしだけ残って仕事して」
「あんたの要領が悪いだけじゃない! 自分の無能を人のせいにするなんて最低よ! 性格まで悪いのね、あんた!」
「皆さんは担当1つなのに、わたしだけ3つって、異常ですよね? しかも、大変なところ3つ。おまけに、雑用もほとんどわたしじゃないですか」
「当たり前でしょ! あんたは一番できないんだから! 雑用はダメなヤツがやるのよ!」
その後、わたしは罵詈雑言を5分ほど聞き、席を立った。
経験上、この罵詈雑言は30分は収まらない。
もう十分だろう。
「わたしの意思は変わらないんで、失礼します」
「ちょっと! 座りなさい! 話はまだ済んでないわよ!」
「今日は、定時で上がらせて頂くんで」
わたしはお辞儀をすると、怒り狂う彼女に何も言わせずにドアをバタンと閉めると、荷物を取りに席に戻り、その足で人事部に行った。
*
人事部で「退職の件でお話がしたいんです」と言うと、会議室に通された。
会議室で、わたしは息を大きく吸った。本番は、ここからだ。
しばらくすると、バーコード禿の課長がニヤニヤしながら現れた。
「ええっと。退職の件で来たんだって?」
「はい。こちらを」
わたしは、前日書いた退職届を机の上に置いて言った。
「退職したいんです。これが、退職届です。受け取ってください」
課長は、チラリとそれを見ると、わざとらしく困ったような顔をした。
「君。佐々木課長には話通したの?」
「はい。先ほど言いました」
「言いましたって、ここは会社だよ。言っただけじゃダメでしょ。説得しなくっちゃ」
「話しましたけど、怒って話にならないんで、ここに来ました」
「ああ。そう。でも、こっちじゃどうにも出来ないんで、君の方で説得してから来て。前にも言ったでしょ。子供じゃないんだから、理解してよ。退職届は説得出来たら受け取るからね」
課長は、「じゃあ」と言うと、馬鹿にしたように鼻を鳴らして、会議室を出て行った。
わたしは、溜息をついた。
また、これか。
実は、半年前にも同じようなことがあったのだ。
その時は、女上司のヒステリーが怖くて、直接人事部に辞表を持って来たのだけど、全く同じことを言われて返された挙句、女上司に告げ口され、1時間半散々怒鳴られる羽目になった。
わたしは、黙って会議室を出ると、会社を出て、とあるビルに向かった。
*
次の日、わたしは流川さんの旦那さんと一緒に会社の前に立っていた。
わたしが深呼吸すると、流川さんの旦那さんは、クスクスと笑った。
「大丈夫だよ。何の問題もなく終わるよ」
「はい」
流川さんとわたしが入って行くと、白髪のおじさんがわたし達を出迎えた。
よく見ると、副社長だ。
後ろには、人事部長とバーコード禿の課長、それに女上司の佐々木さんが顔面蒼白で立っている。
流川さんは、名刺を出して挨拶した。
「流川法律事務所の、流川敬と申します。この度は急にお邪魔してすみません」
「いえいえ。副社長の水野です。こちらにどうぞ」
わたし達は、来賓室に通された。
全員が座ると、副社長が話を切り出した。
「電話で大体聞いておりますが、一応ご用件を伺っても宜しいですか」
「はい。佐藤美月さんが、何回も退職を申し出たらしいのですが、全く聞き入れてもらえないそうで、その件でお邪魔しました」
副社長が、人事部長と課長、それに佐々木さんを見る。
「だそうだが、君達心当たりは?」
すると、佐々木さんが驚いたような顔で言った。
「いえ。相談はされましたが、退職したいと具体的には言われていません。ねえ、人事課長?」
「はい。確かに昨日人事部に来ましたが、退職したいという具体的な話はありませんでした」
流川さんは、「そうですか」と言うと、黙ってわたしに合図した。
わたしは、昨日録音した携帯のボイスレコーダーを再生する。
わたしの「退職したいんです」という意思表示と、その後の佐々木さんの罵詈雑言が会議室に響いた。
佐々木さんの顔が一気に青ざめる。
そして、続けて人事課長が辞表を受け取らなかった様子や無責任な言葉が会議室に流れ、課長も顔面蒼白になった。
ボイスレコーダーの再生が終わると、流川さんが穏やかに微笑んだ。
「これを聞く限り、彼女はちゃんと意思表示もしておりますし、辞表も提出しているようです。しかも、これは、聞く限り酷いパワハラですね」
その後、流川さんはわたしが3年前からつけている出社時間と退社時間のメモと、給与明細、有給休暇の取得状況の紙を出した。
「これを見ると、随分とひどいサービス残業ですね。しかも、有給休暇も3年で5回しか取れていない。御社は随分と人使いが荒いようですね」
「こ、これは……」
どうやら、ここまでとは知らなかったらしい副社長が絶句する。
その後、流川さんは副社長と相談し、
・1か月後にわたしの退職を受け入れること
・有給休暇の残り分をきっちり取らせること
・未払いのサービス残業のお金を払うこと
の3点を決めた。
1ヶ月後に退社で、有給休暇を使っていいと言うことは、わたしは明後日から会社に来なくていいということになる。
すると、突然、佐々木さんが掠れた声で、言った。
「引継ぎ。引継ぎはどうなるんですか? この子が持ってる案件は、重要で難しいものばかりです。引継ぎくらいしてもらわないと・・・・・」
すると、流川さんがわたしに尋ねた。
「君は、もう引き継ぎ書を作っているんだよね?」
「はい。半年前に退職したいと言ったら、全部の案件引き継ぎ書を作れば考えてやると言われて、3カ月前に完成させて、共有PCの中に入れてあります」
「それで、それを作った後、どうなったの?」
「いえ。出来たと言ったら、「馬鹿じゃないの、辞めさせる訳ないじゃない」と、言われました」
佐々木さんの顔が真っ赤になった。
副社長は、佐々木さんを睨みつけて「もうしゃべるな」と、言うと、わたしに向かって言った。
「色々と不愉快な思いをさせてしまって申し訳ない。手続きはこちらで済ませるから、君は今日は荷物の整理だけして最終日ということにしてくれて良い」
流川さんがにこやかに口を開いた。
「すみません。万が一がありますので、書類は、わたしの事務所の方を通して頂けますか。チェックして、彼女に渡しますので」
「……分かりました」
わたしと流川さんは、物凄い怒った顔をした副社長と人事部長、それに死にそうな顔の佐々木さんと禿課長を残して、会議室から出た。
廊下に出ると、流川さんがクルリと振り返ってわたしを見た。
「荷物の整理にどのくらいかかる?」
「ある程度持ち帰って、まとめてあるんで10分もかからないくらいかと」
「じゃあ、待たせてもらうから、行っておいで」
わたしが席に行くと、同僚たちが一斉にこちらを見た。
好奇心の目、蔑んだ目。
女の先輩が立ち上がった。
「ちょっと。随分遅い出社じゃない。お陰でわたし達大変だったのよ」
「そうよ。自分の仕事を人にやらせるんじゃないわよ」
わたしは黙って机に行くと、昨日作っておいたリストを黙って渡した。
先輩は、訝し気にそのリストを受け取ると、中身を見て言った。
「なにこれ? あんたの仕事リストじゃない」
「はい。明日からお願いします」
「は?」
「わたし、今日で会社辞めるんで」
リストの中身は、草木の水やり、朝の掃除、ゴミ出し、シュレッター片付け、郵便の配布など、本当だったら皆でローテーションするはずの雑務だ。いつの間にか押し付けられて、わたしの仕事になっていた。
先輩が呆気にとられた顔でわたしを見る。
「どういうこと? あんた、昨日散々佐々木課長に言われてたじゃない」
「だから、今日弁護士の先生と一緒に来たんです。副社長が辞めて良いって言ったんで、もう辞めます」
誰かの、「何言ってるの」と、いう声がする。
わたしは、ネックレスを握りしめると、思い切って顔を上げて笑って言った。
「仕事を押し付ける相手がいなくなって大変になるでしょうけど、がんばって下さいね」
「なっ!」
「それと、わたしの案件3つの引き継ぎ書。PCの中に入ってるんで、読んでください。いつもわたしのことを馬鹿だと言ってる皆さんなら、引き継ぎ書なんか無くても良いかもしれませんけど」
「・・・・・あんたね、黙って聞いてれば」
別の先輩がガタッと立ち上がる。
わたしは、ネックレスを更にきつく握りしめると、にっこり彼女の言葉を遮った。
「あ、嫌がらせをして、ストレス解消する相手もいなくなりますけど、皆さんならすぐに次のターゲットを見つけられますよね」
そして、わたしは、まとめてあった荷物を抱えると、「がんばって下さいね」と、言って部屋を出た。
緊張で手がブルブルと震えているけど、わたしの心は今までになくスッキリしていた。
・・・・・・最後に、やっと言いたいこと言えた。
*
会社の外に出ると、わたしは流川さんに頭を下げた。
「流川さんがいなかったら、辞められなかったと思います。本当にありがとうございます」
「妻の頼みだからね。気にしなくていいよ。それに、お礼を言うのはこちらの方だ」
流川さんの話だと、結婚を機に仕事を辞めたはいいものの、奥さんは少しうつ状態になっていたらしい。
「仕事を辞めて生き甲斐がなくなったと言って落ち込んでね。でも、君が来てくれて、妻が生き生きしてるんだよ。生徒があんなに頑張ってるんだから、わたしも頑張らなきゃってね。だから、君には感謝してるんだよ」
わたしは、涙が出そうになるのを必死で堪えた。
「今週末もお伺いすると、先生にお伝えください」
「分かった。君も何かあったら、わたしに相談するんだよ」
こうして、わたしはようやく会社を辞め、異世界での死亡回避に向けた取り組みに専念できる環境を作ることができた。




