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夏休み直前、今日も蒸し暑い予感のする朝だった。
目が覚めたら、横に芽依が寝ていた。
クーラーが効いている部屋けれど、芽依は薄着だった。ひらひらレースがたっぷり付いた薄羽のような寝巻き。柔らかそうな、けれどほっそりした二の腕がむき出しだった。透き通るような肌に淡く珊瑚色がさしていて、女の私が見ても、文句付けたら罰が当たるくらいの愛らしさだ。
なんだか赤ちゃんみたいな甘い匂いまでするし。
朝から、可愛いなあ、綺麗だなあ、なんて私は見とれてしまった。
はたから見ても、もう間違いなく鉄治と血がつながっていること間違い無しな美しさだ。彼から隠しきれない隠し味である底意地の悪さとか、濃厚なドS属性を抜いたらきっとこんな感じ。
学園の寮は個室だ。けれど、昨日の夜話しこんでしまった芽依は、そのまま私の部屋で眠ってしまった。ベッドはダブルくらいのサイズがあるから問題はない。
鉄治が聞いたら内心悶絶しそうなうらやましい話だろう。そのうち機会をみてそれとなく話してやることにする。
「おーい、芽依、朝だよ」
私は声をかけたけど、芽依は眠そうにして眼を開けきれない。
昨日寝た時間は、そんなおそくなかったはずだけどなあ、と思いながらも、私はふと気になることを思い出した。
ここ数日、芽依はなんだか元気がない。
昨日も、私と話をしていながらなにかを気にしているようだった。自分の携帯電話をじっと見て、液晶に穴をあける勢いかと思うと、何かを思い切るように遠くに押しやったり。けれど、私がシャワーから出てきたら、携帯を握り締めてなにか考えこんでいた。
昨日、私の部屋から帰らなかったのも、なにか気を紛らわしていたかったからなのか。
すわ一大事。
私はのんびり二度寝を貪っている場合ではないと気が付いた。
今度はなんだろう、変質者だろうか。
昔から芽依は、その愛くるしさもあって、変質者遭遇率が格段に高かった。もちろん鉄治も尋常じゃない心配ぷりで、全面的にカバーしていたのだけど、それでも芽依にちょっかいだす下衆野郎は多かった。
芽依自身に何かされたことは幸いな事にないけれど、後をつけられたり、アレな感じの贈り物が届いたりということは枚挙にいとまがない。
そのたびに鉄治は、犯人見つけ出して、善良な一市民として通報するわけだから、ご苦労なことである。ある意味鉄治の家の周辺は、どこよりも変質者が駆逐されているのかもしれない。
鉄治にすべてかぶせるのは気の毒で、学園にいるあいだは、私も微力ながら芽依を守ることに力を貸している。
下着泥棒とかね。
そんなわけで、芽依のここしばらくの元気のなさは、またアレがでたかと思ったのだけど。
と、芽依が前触れもなくはっきりと目を開いた。
「おはよう、千代子ちゃん」
「あ、おはよう」
芽依が今まで目を閉じていたのは、何かを考えていたからなのだと気が付いた。その証拠に、芽依はおきぬけとは思えない強い目線を向けた。
「あのね」
唐突に彼女は身を起した。ぺたりとベッドの上にすわりこんで、私を見下ろす。
「ずっと考えていたことがあるの」
よっし、変態退治なら任せておけ。
まず話を聞いて私が対応できそうなことなら速攻解決、ちょっと頭と力を借りないとやばそうなら夏休みの鉄治をさっそく駆り出して……と考えていたときだ。
「千代子ちゃんにお願いがあります」
芽依の長い淡い色の髪が、私の頬をくすぐった。
「なに」
「ずっとお願いしたかっただけど、言えなかったの……」
夏の朝にはふさわしくない泣きそうな顔で、芽依は言う。今までどれほど気味悪い変質者に付きまとわれても「私は大丈夫。でもいつも迷惑かけてごめんね」なんて言ってけろりとしていた芽依が!
いったいどれほどの相手なのだ!あんたの兄貴くらいのレベルだったら確かに私の手にはちと余るが。
「なに、芽依」
私も飛び上がるようにおきて、芽依と向かい合った。
「どんな奴なの、どれくらいボコればいいの」
「そ、そんなんじゃないよ……」
芽依はその大きな目を見開いた。
「あ、あのね、ただ千代子ちゃんに会ってほしい男の人がいるんだ」
「わかった。で、どれくらいボッコボコにすればいい?」
「そ、そうじゃなくて。ちゃんとデートみたいにして会って欲しくて」
「わかった。そのまま警察に突き出せばいいわけね。お安い御用だ」
「ちがうってば!」
まさか……東京湾に沈める……?そうか……それはちょっと鉄治にやらせないと、私には荷が重いかな……。
「あのね、違うの!変な人じゃないの!」
なんだ、つまらん。
「どんな人なの」
芽依はうつむいた。しばらくの沈黙の後、勇気をしぼったように話し出す。
「三年くらい前、私がちょっと入院していたときに知り合った人なの。今まであったことなかったんだけどその人に今度会いましょうって……言われて」
「三年前に知り合ったけど、会うのは初めて……?」
「あ、あのね、SNSで会った人なの」
芽依が言ったのは、私や鉄治も入っている例のSNSだった。
「あれ、本当は十八歳以下は入会禁止でしょう」
「あーまあそうだよね」
私も去年プラタナスとして入会したわけだから、その辺はしらばっくれているので、芽依を責めることはできなかった。そうか、芽依もやっていたのかあ。
「あのころは、私今よりずっと具合わるかったし、将来どうなるのかとか不安で。あのね、病院って夜がすごく長いの、ずっと自分のこと考える時間があるのよ」
「うん」
三年前、自分達がどれほど子どもだったかを思い、私は芽依が感じていたであろう心細さにすこし胸が痛んだ。
「時間をつぶすためにそのSNSに入会して知り合ったのがその人なの。名前はね、バニラ」
「バニラ」
えらく可愛い名前だな。
「その人にはね、いろんなことを打ち明けられたの。自分が怖いって思っていることとかいろんなこと。お兄ちゃんとか、家族は……みんな心配してくれているから、かえって言えないことがたくさんあったんだ」
「そっか……いい人なの?」
わりと人見知りして、友達も少ない芽依がそこまで思っていることをいえるのだから、いい人なんだろうなということは薄々感じとれた。
いい人ぶっている悪党だということだけが、心配の種だ。
「うん。今までもね、会いましょうって言われたことあったけど、私がいやだって言えば、そのままそれ以上無理には言わなかったの。でも私の話はたくさん聞いてくれた。ものすごく励ましてくれた」
「そうかあ」
私は姉のような気分で聞いていた。わかった、そう言うことなら私は助力を惜しまない。
「わかったよ、芽依。私は芽依と一緒にバニラと会って、バニラがやっぱり変質者だったら全力を持ってボコボコにすればいいということだね」
「だから、ボコボコは無しの方向で!」
そうなの?
「じゃあ私は一体なにをすれば」
「それに、バニラとは私抜きで会ってほしいの。千代子ちゃんが、一人でバニラと会って!」
さすがに意味わからなくなってきた。
「だって……芽依が会いたいんでしょう?」
「会いたいけど、私は会えないの」
芽依は困ったように言葉を続けた。
「あのSNSは十八歳未満登録禁止でしょう。だから私プロフィールで嘘をついていたの」
「あーそうかあ」
確かに私だって、プラタナスは十九歳男子浪人生だ。
「私……SNSの中では『サツキ』って言うんだけど、サツキは三年前が十八歳で今は二十一歳の大学生なのよ」
「う、うーん。それは確かにきつい」
芽依はかなりの童顔だ。今だってとても高校三年生には見えないのだから、確かに二十歳すぎの設定はかなり無理がある。
「でも、どうせ嘘はばれちゃうし、それならまだ年齢詐称ぐらいで済む今のうちに会ってごめんねって言った方がいいよ。芽依がそんなに信用している相手なら、きっと許してくれるって。芽依くらい可愛けりゃ、むしろその方が嬉しい男だっているよ、確率99パーセントくらいで」
あまり嘘を重ねるのはあとで面倒なことになると思うしね。
私なんて今更鉄治に好きともいえなくなってしまったのだ。
「……もうそれは手遅れなの……」
かすれる小さな声で芽依は言った。
「え?」
「前に、それでも写真を送って欲しいって言われたことがあって……それで送っちゃったんだ」
「別に大したことないじゃん。逆に、もしかして18歳以下?くらいに向こうも覚悟しているよ」
「私じゃとっても十八には見えなかったから!」
芽依は叫んだ。そして泣きそうな顔で私を見る。私への申し訳なさで満ちていることに気が付いた。
「だから送ったのは、千代子ちゃんの写真なの!」
なんだって?
「じゃあ、バニラは……」
「千代子ちゃんがサツキだって思っているの」




