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貧乏くじの姫と嘘つきな王子の寓話  作者: 蒼治
五幕 キスの時は目を閉じましょう、白雪姫
25/50

5-5

 おかげさまで、今日の補講はさっぱり身が入らないままだ。進路とか、まあ付属女子大でいいかなと日和っている私だけど、でももしかしたら外部受験するかもしれないし、だから補講は大事なんだけど。


 しかし、頭にキすぎてまったく冷静になれん。

 なにより恥ずかしくて穴があったら隠れたい。

 なんだよ、人が必死できどって隠している恋心を影で笑っていたのかよ、あの野郎。ほんと最低だ。畜生。そんなやつの前で、私は思い切り一人相撲だったわけだ。エア力士大賞受賞!まったくすごい熱演でしたね!場内大興奮!


 補講が終わっても、怒りはさっぱり冷めぬまま、私は学校を出た。

 ほんとムカつくわ!

 このまままっすぐに家に帰るのも気が乗らず、私は駅の前で立ち止まった。ていうか、そもそも鉄治なんてもうしらねーよ!


「実家に帰らせていただきます!」その言葉を叩き付けてこなかったことを心底後悔した。そうだよ、もううちに帰っちまえ。鉄治がいかような犯罪者になろうとも知ったことか、ばっきゃろー。

「千代子さん」

「はい?」

 いらいらしていた私は、その呼びかけで思い切り振り返る。今だったら私は視線で人を殺せるぞ、いい度胸だ!

 そこにいたのは、圭之進だった。

「け」

 なんでお前がここに、と私は唖然としたまま彼を上から下まで見た。そして圭之進も私を上から下まで見ている。圭之進は、今日はスーツではない。普通のTシャツにジーンズ。一方私は。


「高校生、だったんですね」

 私が今着用の、聖モニカ女子高等学校の制服は、都内随一の人気であります。豆知識。

「いいえ違います。ただの若作りです」

 こんな時まで言い張る自分が我ながら理解不可能だ。

「それはともかくよかったです。千代子さんが見つかって。今日、朝からこの辺りをうろついた甲斐がありました」

 警察はなにやっているんだ。このガタイと人相の男が三秒以上、モニカ周辺にいついたら、さくっと逮捕していいと思いますが。


「なんで私を探して」

「だって、SNSのアカウントだって抹消してしまったじゃないですか!」

 圭之進は私につめよる。

「そんな拒絶のされかたは俺は納得できません」

「どうしてここが」

「一度、千代子さんをうちのマンションの近くで見かけた気がしたんです。あの時は気のせいだと思ったけど、やはり千代子さんだと思いついた。あの時、近くにいたのは女子高校生だなって思い当たって。あの制服はモニカです」

「どうして制服にそんなに詳しい!?」

「女子高校生の制服は萌えどころですから」

「ちょっとまて」

「制服女子高校生が嫌いな男はいません!」

 なんという力説!


「とにかく、夏休みだから厳しいかなあと思いましたが、なんとか会えてよかったです」

 ハイ捕獲、とばかりに圭之進は私の腕をつかまえて、そのまま歩き始めた。

「圭之進」

「とにかく、こんな暑いところでもなんですから」

「私はもうあんたには会わないって言ったじゃない」

 まさか、圭之進がこんなアクティブな行動に出るとは思わなかったけど。


「俺は会いたいと思いました」

 地下鉄の入り口、その階段の上で私は立ち止まった。正確には圭之進が立ち止まったからだけど。

「俺は、あまり人付き合いは得意じゃなかったから、一人で居るほうが楽でした。マンガ読んで描いて、食べるに困らないし、ヒマをもてあましたりもしない。全然一人でも困らなかったけど、『サツキ』さんと知り合って、実際に千代子さんにあって」

 圭之進は真顔だ。

「一人は寂しいと思いました」


 アホか。

 いまどきこんなピュアなセリフ言える人間いるなんて笑っちゃう。大体貴様、中学時代はいじめられっ子だったんだろうが。それでなんでその無垢加減よ。


「一人は楽だと思うよ」

 私はそれだけ言葉を紡いだ。

 だってここで私が『そうだよね、誰かがいないと寂しいよね』なんて言って圭之進を肯定してしまったらどうなるよ。これ以上、圭之進に恩着せたって困るだけだ。突き放さないとマズイって。

「一人でいたって誰も責めないし」

「千代子さんは、一人がいいですか?」

 変態に関わりあうくらいなら。


「私の話は関係ない」

 私は掴まれている手を強く上から下に振った。はずみで圭之進の手が外れる。

「もう会わない」

 ひやりとした影を落とす地下鉄入り口。私はそっちに向き直る。けれど外の強い日差しと暗がりの差に、一瞬視界が奪われる。暗転。けれど、焦っていた私は足を踏み出した。

「千代子さん」

 ふり払われた手をもう一度圭之進が差し出した。そのまま私の腰に手を回す、気安いぞ貴様と言いかけた私は、自分が階段を踏み外していたことに気がついた。


「うっわ」

 足首がぐきっとなって頭が下を向く。ヤバイと思った時には重心は移動が不可能で、私は階段を転げ落ちて始める。ほんの五段、でも転んだ向きが悪い。ざっと血の気が引いたときには、私の重心はかなり下方に向かっていた。

 みし。

 痛いことは痛い、何かが壊れる感覚もあった。

 けれど、重みに耐えかねたような音が。

「圭之進!」

 私は奇妙に宙ぶらりんになっている自分に気が付いた。圭之進が片手で私の胸の下に左手を回し、支えていたのだった。もう片方の手は、手すりをつかんで。胸が苦しいのは圭之進が渾身の力で抱えているから。


「圭之進……さんきゅ」

 私がとびとびな言葉で言うと、彼はそうっと手を離した。少しだけ段差でくるぶしを擂ったけど、私は無傷で階段に立つ。

「あ、あのさ」

 振り返った私が圭之進を見ると、彼は手すりを掴んでいた右手を左手で掴んでいた。一瞬で隠したけど、その苦痛は拭いきれていない。

「圭之進、その手」

「ええ、なんでもないです」

「だったら見せろ」

 ドスの聞いた声でかるく脅して、私は彼の手をつかんだ。


「ぎゃっ。千代子さん、もっと優しく」

「卵買うときくらいには優しいわよー」

 私がつかんだだけで圭之進は渋い顔をした。

「あのさ、これ、どう考えてもスジが違っていそうだけど」

「だ、大丈夫です」

 しかしだ、そう言っている間にもなんかみるみる色が変わってきていますが。

「た」

 私はとっさにそう言っていた。ああなんで圭之進はこうも手がかかる。

「タクシー!」




 医者は、手首の軽い捻挫だと診断した。

 骨に異常もないし、痛みがなくなれば問題ないと。

 問題は。

「どうすんのその手で」

 私は医者帰り、圭之進を送って道を歩いていた。まったくなんで医者と言うのはあんなに込んでいるのか。もう星がでそうじゃないか。

 夏の蒸し暑さが残る夕方の町を私と圭之進は並んで歩いていた。結局圭之進のマンションも間近だ。


「漫画とか描けるの?」

「まあマウスとかありますし」

 圭之進はぐるぐるに包帯が巻かれた右手を可愛らしく振っている。何その萌えキャラ。

「描けない事はないです。大体、さぼっていたら木崎が怒鳴り込んできます」

「あー、ちょっと怖そうだね、お姉さん」

「ちょっとどこの話じゃないですよ」

 もう会わないとか、そういう問題はすでに今更なことになってしまった。でも、私をかばって圭之進は怪我したわけだしなあ。置いて帰るのはなんか薄情っぽくて。


「でも左手一本で平気?」

「まあなんとか」

「心配だなあ」

 心配してもできることなんてないんだけどさ。ああ、医者でるときに、圭之進のマンションの前まで行ったら帰ろうと思っていたんだっけ。

「じゃあ、圭之進、私、そろそろ戻るから」

「お茶の一杯も飲んでいきませんか?」

「いや、いいから」

 私は軽く手を上げて背を向けようとした。と、圭之進が無言で包帯の手を上から押さえてうつむくのが目の端に映った。


「圭之進?」

 まったくもう、痛いなら痛いといえよ!

 私はせっかく踏み出した距離をあっというまに戻って彼の前まで歩み寄った。

「薬あるよね」

 と。

 私の言葉には答えずに、圭之進は唐突に開いている左の手で私の手をつかんだ。

 そのまま強引に、マンションの自動ドアをくぐり、エレベーターの前まで来た。外とはうらはらな空調の効いた中、妙に紅潮した顔で圭之進は私に言う。


「千代子さんが俺をなめてかかっているのは知ってます」

 ごめん、否定できぬ。

 でも圭之進のその真顔に少しどきっとした。

「でも左手一本だって、千代子さんをマンションの中に連れてくることくらいできるんです」



 たとえるまでもなく、私は鉄治が好きで、鉄治は芽依を好きで、芽依は会ったことのない圭之進に憧れていた。

 そして圭之進は私を好きらしい。

 誰かが動かさなければそのままの膠着だ。

 私は惰性で、鉄治が打算で、芽依は臆病さから動かさなかった。

 でも。

 一番、なにもしないであろうと思えた圭之進が何かを邪魔なものを蹴飛ばしたのを、私は気がついた。

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