5-3
「……御飯食べようか」
どちらかというと場違いに聞こえる鉄治の言葉に、私はのろのろと立ち上がった。
そうでなければ私も後悔と反省で立ち直れなかっただろうから。
芽依が自室にひきこもってからしばらくは私達もここでただぼんやりとしていた。私はとにかく圭之進にしでかしてしまったことが悔やまれる。人を傷つけることはしかたないことでもあるけれど、でもあれは避けられた。
鉄治がそうめんでも茹でようかと言うから、私はのろのろとネギだけ切っていた。
「千代子さん」
鉄治がため息混じりに言う。
「暗くて気持ち悪いんだけど」
「あのね、仮にも反省している人間に、その態度はいかがなものかしら?」
「反省してないよねー」
歌うように鉄治は私に指摘した。
「千代子さんは、バニラを傷つけた自分が嫌なだけだろ?」
「……真実すぎる指摘は、身を滅ぼすわよ」
私は持っていた包丁を目の前の『人のことならなんとでも言える変態』に向かって突きつけた。
「かき揚げするから危ないのでやめてね」
けろっとしてんだもんな。
手際よく揚げ物している鉄治の横で私は、お湯加減を見ているくらいだ。お恥ずかしい。しかしあれだ、サポーター的な立場と思っていただければ問題ないかと。『はい、こちらが付け込んで一昼夜たった鶏肉です』をにっこり笑って出す人です。
「千代子さんのせいじゃないよ」
油はねが怖いので、遠隔で待機している我が軍(精鋭一名もちろん私)に向かって鉄治は言った。
「千代子さんは、芽依のしでかしたことまで自分のせいだと思う必要はない」
私が鉄治の一番好きなところで、一番不思議なところはここだ。
何かっていえば芽依が一番で、芽依のためなら命も捨てるどころか、うっかり罪のない人々の命も一緒にまとめてくくって差し出しかねないくらい芽依を大好きな鉄治だけど、芽依の良いところだけじゃなくて悪いところも冷静に見ているのは、謎だ。
さっき芽依を叱って、あれはまあポーズでと言った鉄治だけど、でもその冷静な視線は事実だ。間違いなく公平。
「芽依の味方じゃないのね」
「だって僕は、妹を好きな時点で外道だからね。他のところまで目を曇らせるのは自分としても不安だよ。目が曇ると不利になる」
そんな理由なのかな。
私のところもちょっとは好きだといいのにな。
鉄治の独特な公平さがあるから、私は鉄治と芽依の二人がいても、居心地の悪さを感じられないのかもしれない。
いいような、わるいような。
居心地がもっと悪ければ、離れられるのに。
そんな相反する感情を抱えながら、私は夕飯の準備をしていた。
皿が全て並んだ時点で、私は芽依を呼びに言った。
「芽依、御飯だよー」
呼ぶと、食べたくないよう、と芽依は言いはじめた。しつこく部屋をノックし続けるとようやく顔を出した。
「あの」
「今日はそうめん。枝豆と桜えびの掻き揚げつき。鉄治作成」
有無を言わせぬ言葉を放ち、私は芽依と一緒にリビングに戻った。カウンターでは鉄治が用意したものを並べている。
なぜ鉄治は、寮生活だったはずなのに、結構家事がすらすら出来るのだろうか、なぞだ。
ほんと謎ばっかりな男だ。
そして私達は普通に、わずかなぎこちなさのもと、夕食をとった。
いつもどおり。
「ねえ鉄治、あなた一日家にいて暇じゃないの、ていうか友達いないの?」
「いるよ、失礼だなあ」
「でも女の友達の方が昔から多い気がする、お兄ちゃんって」
「まあ昔はそれでよかったんだけど、今はなかなか男女の友情っていうのを継続するのが難しくてさ……」
「ねえ、なにげなく自慢したわよね、あなた今」
「ああ、千代子さんの女友達の数は負けるよ。そういえば、千代子さんといえば毎年バレンタインにはたくさんチョコをもらっていたしね、女子から」
「数じゃないわ、気持ちです」
「女子から、ていう事実に目を背けるのはやめたほうがいい。今の僕の言葉の要点はそこだよ」
「私も今年は千代子ちゃんにあげたねー」
「え、芽依。僕はもらってないよ」
「なんで実のお兄ちゃんにあげないといけないの?あ、私それならお返しはバッグがよかったな」
「あまりにもお互い義理丸出しで見ているこっちがきついのだけど」
たわいのない会話。
いっぱい大事な事が隠されていて、けれど誰もそれを表にださない。だからこその居心地よさだ。
でも私は胸に刺さった棘がいつまでも痛み続けた。私達が身動き取れない関係を築いているのは勝手だ。誰に非難されるようなことでもない。
けれど、圭之進を傷つけた。
それに対する申し訳なさのやり場を私は見つけられない。
夕食後、私達は、リビングでなんとなく時間を過ごしていた。テレビで流れていたのは、真夏に相応しい心霊関係の番組だ。
なぜか芽依はこの手の番組が大好きなのだ。あ、あの、病院暮らしが長かったけど、もしかしていろいろ馴染んじゃった……?
「千代子ちゃん見ないの?」
「あ、コーヒー入れたら行くから」
私はサーバーに氷を叩き込んで、アイスコーヒーを作っていた。コーヒーの落ちる間、オープンキッチンから二人の様子をぼんやりと見ていた。おどろどろしいバックミュージックが流れる中、鉄治は芽依に話しかける。
「なんで芽依はこの手の怖い話がこんなに好きなの?」
「だって怖くて面白いよ。心霊写真とか、胸がドキドキする」
ドキドキはもっと有用な使い道があるのではなかろうか。
「どこかで、作り話だってちゃんとわかっているから面白いのかも」
「ああ、作り話」
「人間、死んじゃったら何もないもの。だから作り話」
「芽依は、作り話だと思う?」
「うん。私も死んだら何も残らない」
「……芽依が死んじゃったら、僕は悲しいよ。せめて幽霊くらいなって来てよ」
死に対する芽依の不安の吐露。
鉄治の一瞬の切ない感情の露呈。
美形兄妹が話しているさまは、まるで昭和初期の少女マンガのようにリリカルで淡い風景だ。
「なんでお兄ちゃんのところになんて出なきゃいけないの、気持ち悪い。普通彼氏とかだよね」
そしてそれらを完膚なきまでに叩き潰す芽依の容赦ない一言。まさに一方的殺戮だ。いやあ、私もあれくらい鉄治に無神経に言えたら気持ちいいだろうな。無神経最強。
番組は都市伝説にうつり、芽依はうんざりしている鉄治の横で、嬉々として番組では語られない更なる情報を喋っている。ど こ で 調 べ た。
「芽依は、怖い話ほんと好きね」
私はあっという間に水滴をつけたグラスを二人の前に置いて自分もソファに座った。
「漠然としてたモニカの七不思議も、整理して六番目まで公式化したのは芽依だもんね」
芽依はぱあっと顔を明るくした。
確かに芽依のこの趣味は率直に申し上げて、あの、クラス内でも、理解されることは少ないというか。しかし、だからこそ、この美少女っぷりでも迫害されることがないというか。自分のモテモテ遍歴を語る美少女と、クトゥルー神話についてとくとくと語る美少女だったら、そもそもどちらが好感持てるかといえば、やっぱりク……いや、微妙、ちょっと考えさせて。一長一短。
それでも自分の趣味を聞かれて芽依はご満悦だ。
「そうなの。大変だったのよ。卒業生や先生に聞き取り調査して、類似している部分は系列化したり、どう考えても間違いなものは削除したり。二年かかって六番目までしか追求できなかったの。もう受験生だから、さすがにやっている暇ないし。私、在学中にモニカの七不思議をなんとか完成させたかったんだけど」
「七番目まで知ったら死んじゃうだろう芽依!お兄ちゃんは許さないよ!」
信じているのか、鉄治よ。
でも。
鉄治は芽依を本当に好きなんだろうな、と私はふと痛感させられた。芽依の横にいる鉄治は、肩の力がすこんと抜けていた。笑顔の一つ一つまで穏やかで、春先の凪の海を思い出させる。
私の前にいるときとはちょっと違う。
なんか、私も、いろいろ考え込んだりしないで、このままうっかり二人を応援した方が、恋愛的には正しいんじゃねーか?とか、道徳的には明らかに間違っていることを一瞬とはいえ思ってしまう。人の道と言うのはこうも簡単に踏み外せるものなのか。はやく人道拡張舗装整備を行ってもらわないと困りますよ、お役所様。年度末調整でなんとか。
私と鉄治と芽依は、なんだかいびつなりにまとまっていてちょっと悲しい。正しいことが全てではないけど、間違っていることを美しく見せるのも嫌いだ。
圭之進を傷つけたあたりで、私達はひどい人間なのは間違いない。
「千代子ちゃんの入れたコーヒーっておいしいよね」
芽依の表情に少し影があるのは、もちろんバニラのことがあるからだろう。芽依も私も、何かがおかしいということは気がついているのに、この場にすっぽりとはまり込んでいた。きっとこのままなにもなかったかのように、数年がすぎたっておかしくないくらい、いつもと差異のない夜更け。
ただ歯がゆい。
芽依がSNSの『サツキ』のアカウントを抹消したのはその日の話だった。




