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貧乏くじの姫と嘘つきな王子の寓話  作者: 蒼治
五幕 キスの時は目を閉じましょう、白雪姫
21/50

5-1

「ちょ……!」

 私はその固く作った拳の甲を自分の唇にあてて、バランス崩した圭之進が、椅子を巻き込んで転倒するのを見ていた。ひっくりかえった圭之進は慌てて身を起す。

「すみません!」

 圭之進は相変わらず考えていることダダ漏れ状態で、私を見上げている。大変なことをしでかしてしまった、切腹、と考えていることが次の言葉を待つまでもなくわかる。


「謝ってすむか!人のファーストキスを……!」

「千代子さんもですか、俺も初めてです!」

「うるさい、問題はそういうことじゃない!」

「すみません、つい……」

 ついでキスされたらたまらんわボケ!


 いろいろと情け容赦のない罵倒を思いつきはしたものの、それを口にする訳にはいかなかった。だって、そもそもこっちの方が、ずっとひどい嘘をついている。SNSのサツキと今この場にいる……圭之進が好きだと思い込んでいる千代子は、別の存在なのだなんて。そんなこと言われたら混乱することは目に見えている。

 私は、自分と芽依の思惑が後手にまわったことを感じた。

 サツキと千代子が別人だなんて思っていない圭之進は、私にキスをした。こんな状態になって果たして誰が別人だなんて今更言える?

 私は言えない。そしてきっと芽依だって言えない。


「さ、サツキさん」

 無言になってしまった私に、圭之進はおそるおそる声をかけてきた。

「あ、あの」

 よろっと立ち上がって、私から一歩はなれる。

「すみませんでした」

 圭之進は私に触れる意志がないことを改めて示すように、その両手を背後に回した。

「千代子さんが、うちに来てくれて、それで俺の仕事に興味を持ってくれて凄く嬉しかったから。あの、調子に乗りました。ごめんなさい」

 謝罪に謝罪を重ね、圭之進はうつむく。ぽろんと首が落ちそうだ。


 その姿を見て、なんだか私は胸が痛んだ。良心の呵責で。

 ちゃんと素直に何も小細工せず、芽依がサツキとして会っていたら、こんなことにはなっていなかった。なっていても何一つ問題ないハッピーエンドだ、今みたいにどうしようもなくなって死後硬直みたいになってなんていない。

 芽依が臆病だったのが一番の理由だけど、私も鉄治と芽依の機嫌を損ねることが怖かった。だからこんなことに手を貸してしまった。ずるずるひっこみつかなくなって…………。


 いや。

 理由はそれだけじゃない。

 いつだって本当のことを言えるのは、私だけだったんだ。


 実際会って目を見て、嘘を詫びることなんていつだってできた私がしなかったのは、それは芽依のせいでも鉄治のせいでもない。

 私自身がこの時間を楽しいと思っていたからじゃないのか。

 本当のことをばらしてしまえば、少なくとも私は圭之進に会うことはなくなる。あとは芽依と圭之進、二人の問題だから。

 鉄治の前で嘘をついているのがいいかげんやんなっていて。圭之進だったら恋愛とか友情とかいまだ明瞭じゃなかったから、好き勝手にやれたんだ。それが気楽で。


 冗談じゃなく、本当にストレス解消のはけ口にしていたんだなあ。

 圭之進を手放したくなかったのか、私。

 自分のしでかしたことのあまりのひどさに、私はちょっと泣きそうだった。本当のこと聞いたら泣きたいのは圭之進のほうだろうに。

 とにかく、どんな名医もさじを投げるくらい今ひどい状態だ。

 せめて一番圭之進が痛くない方法を、と考える。


「私は」

 私は首から提げていたネックレスのチェーンをとり服の中からヘッドを取り出した。鉄治からもらったエメラルドの指輪が光るそれを。

「今まで黙っていたけど、私には婚約者がいます」

 圭之進の表情が、すうっと彩度が落ちるように翳った。

「圭之進といるととても楽しかったから、ついついこんなふうにお付き合いしてしまったんだけど、本当はそんなことしている場合じゃないんだ」

「婚約者」

 半拍遅れるようにして、圭之進が私の言葉を繰り返した。


「もう会わないほうがいいと思う」

 私の言葉に、部屋には今度こそ深い沈黙がおちた。九九全部空で言ったくらいの時間を置いて圭之進は言う。

「それはもうどうにもならないことなのですか」

 圭之進の言葉が、これから会わないことへの食い下がりなのか、結婚そのものへのことなのかはわからない。けれど、どちらにしても答えは同じだ。

「どうにもならない」

 私は足元に置いていたバッグを手に取った。

「もう、SNSには書き込まないから。圭之進も、私には何も書き込まないで。書いてもなにも返事はしない」

 早く帰って芽依に釘を刺さなければ。

「帰ります」

 私はまだ背後の書棚に寄りかかっている圭之進を置いて、部屋をでた。これ以上食い下がってこないで欲しいという私の願が通じたのかどうか。

 マンションを出るまで彼の声はまったく聞こえなかった。




 まああれだ。

 熊井家近くの道をとぼとぼを歩きながら私は考えていた。夏の夕日は私の足元に長く影を落としている。

 もっと早く圭之進と距離をとっていれば、こんなことにはならなかったのになあ。なんだか無意味に人を傷つけた。

 でもこれで、圭之進は私に対する未練をちょっとずつ失っていけばいいと思う。あとはどうやって芽依と圭之進を再開させるかだけど、それは私が責任を持ってこれから考える。

 芽依には、「サツキ=千代子は圭之進と大喧嘩したのでもう二度とあうことはありませんし、SNSで交流することもありません。その代わり、奴の住居と本名と職業はキャッチしたので、そこから先、頑張れ、死ぬほど頑張れ」と言うしかない。


 がっかりされそうだ……。それに。

 芽依には、どうして圭之進と別れたのか、と聞かれると思うけど、その辺どうやってごまかそう。これっきりなら、てきとーにいえるんだけど、芽依にはこれから圭之進と親しくなってもらわなければならないし。

 でも芽依に「どうして千代子ちゃんと喧嘩別れみたいになったの?」って聞かれて、圭之進が「無理にキスしたからです」と溌剌と答えるとも思えないなあ。だったらうやむやにしておいてもいっか。

 芽依が動かないから、無理やり話を進ませたんだからね!もう私は圭之進と会わないことにしたんだからね!

 これだ、これしかない。

 なんとか結果オーライだよね、と思える展開を模索しながら私は道を歩いていた。ようやくたどりついた家のドアを開ける。あーあ、これはこれでストレスなんだよな。また鉄治の無神経さにつきあわなければならないし。


「ただいまー」

 私はドアを開けた。家の中は妙に静まり返っている。でもリビングからはエアコンの音がかすかにしていた。

「あれ、だれもいないの?」

 なんていいながら私はリビングのドアを開けた。

「わあ、びっくりした」

 そこのソファには、芽依がきちんと座っていた。

「どうしたの、ぼーっとしちゃって」

 そう問いかけてから、私は芽依が自分の携帯を固く握り締めていることに気が付いた。

「芽依?」

 その芽依はゆっくりと私を見る、こわばった顔をしていた。


「千代子ちゃん、バニラと何かあったの?」

 何?

 私はぎょっとして芽依にとっさに返信できない。

「な、何かって」

「さっきからすごい勢いで、バニラから書き込みが来ている」

 交流してくんなと言っただろうが、バニラあああ!

「『本当に先ほどはすみませんでした』『大人げなくて反省しています』『傷つけてしまったらごめんさい』……これはなにごと?」

「あ、あのちょっとケンカを」

「ケンカ?」

 芽依がうすく、あの鉄治ににた笑みを浮かべた。液晶を見せてくる。そこにあった言葉についに進退窮まった。


「『無理やりキスして本当に自分が恥ずかしい』」

 そういう証拠になるようなことを何故送る!どうしてお前はそうも気が利かないんだ。空気読めないにもほどがあるだろうが!


「今日、バニラに会うとは千代子ちゃん言ってないよね?ねえ、何があったの?」

 いきなりひどいひどいとなじるのではなく、芽依は冷静に一つ一つ追求してくる。なんとか穏便に済ませようと思った私の考えが台無しではないか。

「バニラとキスしたの?」

 芽依も質問が容赦なく直接的だ。

「……した、でも芽依」

 ちょっと待って、と言うように、芽依は私から目をそらす。次に一体何を言ったらいいものか考えていた私の背後で声がした。


「ねえ、キスとかSNSとか、一体なんの話」


 ぎゃっと思って振り返る。

 鉄治がとりこんだ洗濯物を抱えて立っていた。

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