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貧乏くじの姫と嘘つきな王子の寓話  作者: 蒼治
三幕 白鳥の殺伐とした湖
12/50

3-2

「千代子さん、最近なんだか挙動不審だね」

 にっこり笑って鉄治は言った。

「なんでそんなふうに思うの?」

 私も堂々と微笑む。あせもができても猫の皮は脱がない。

「最近忙しそうじゃないか。結構寮からも出かけているって聞いたよ」

「あら、そんなことはないけれど。いつもと同じよ?」

 そんなカマかけにひっかかるかい、今更。


 うふふおほほとやっていても、私と鉄治の間では、いつも水面下で探りあいなのだ。湖に浮かぶ白鳥は、人知れず水をかくが、我々はぶつかったふりして水かきでド突き合いだ

 今日は鉄治と楽しくおデートである。さっき映画を見て今は、イタリアンでランチを食べているわけだ。今日は完璧だぞ、私。

 家を出る前にたらふく食べてきたし、映画館を出るとき水も飲んだ。スカートも今日は少々きつめのものだ。


「もう食べないの、千代子さん」

「そんなに食べられないわ」

 好きな相手の前で、コースけろりと完食は、乙女としていかがなものか、というわけだ。人並み以上の見栄っ張りが憎い。絶品デザート盛り合わせを途中でやめるなんて、血の涙がでそうだが。ここのアンチョビバターで、パン一斤だって食えるものを。

 にこりと笑って私はスプーンを置いた。


「来週はもう夏休みなんだね」

「ええ」

 私は鉄治のその言葉に一瞬戸惑う。急に話をそらされてなんだか薄気味悪い。なんか変なフラグが立ったような気がする。『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ』って私言っちゃった?

「あのね、夏休みの間、僕のうちにおいでよ」

「謹んでお断り申し上げます」

 何寝言ほざいてんだ。


「いいじゃない、芽依だって帰ってくるんだから、家族水入らず、素敵な兄妹愛を深めなさい」

 それが都合悪いんだよね、鉄治は苦笑いなんて浮かべる。あっ、お前、デザートのソルべが溶け始めているじゃないか!早く食べろ、もったいない!

 自分が食べられない悔しさから、なんだか機嫌悪く私は鉄治に言う。

「私がいる必要なんてないでしょう?」

「つれないなあ、千代子さん」

 鉄治はスプーンを置いてしまう。ああああああ!

 わかった、話はちゃんと聞く。だから今は、お前はその巨峰のソルべを食べることに全力をつくせ。私の分まで戦えよ。


「実は、母親がまたニュヨークに出張になった」

「それがどうしたっていうの」

 うちの父親だって、今九州で単身赴任だ。母親羽伸ばしまくり。

「夏休み中、芽依と二人きりは正直きつい」

 こともなげな言葉。

 あいかわらずの薄笑い。

 でも鉄治の弱音に私はとっても弱いのだ。


「……」

 私は無言でうつむいた。私の目の前には、数センチ角の小さなチョコレートケーキが残った皿がある。

「……鉄治が家をでたらいいんじゃないの?」

「それはもう考えた。でも、そうしたら芽依はあの家で一人だ。そんな怖いことはできない」

「……まあ常識的には確かにお手伝いさんがいようとも、高校生女子が一人暮らしなんてありえないわね」

「母親は僕がいるから芽依を置いて出かけられる。多分僕がいなければ出張はやめるだろう、でもその代わり、僕がなんで家にいたくないのかを蛇のような洞察力で見抜く。あの人に知られたくないんだよなあ」

 確かに、兄が妹に近親相姦願望持ってますなんて、息子のベッドの下からAVが出てきたときのオカンの気持ちの数倍シャレにならない。そっと整理整頓して戻すくらいではすまないだろう。


「頑張りなさいよ」

「そうだね、うまく丸め込めるように頑張ってみようかな」

「頑張る方向が違うでしょうが」

「もうちょっと僕を正しい方向に頑張らせてよ、千代子さん」

「甘えないで」

 私のそんな返事を予想していたみたいに、鉄治は笑った。

「でもさ、僕のこの気持ちというのはいつになったら終わるんだろうね。恋愛感情はいつか薄まるって言うじゃないか。でもそれは首尾よく付き合って結婚までこぎつけたり、逆に、完全に失恋した場合だよね」

「鉄治」

「失恋もできない、告白もできない、距離をとることもできない。そんな状態で、何が終わりなんだろう」


 私はしれっとした顔で店員にコーヒーを持ってくるように言っている彼を見つめた。

 そんなもの、出口は一つしかないではないか。


「……芽依に彼氏ができればいいのとか、思っているの?」

「願っているよ」

 店員が去るやいなや、私は尋ねた。彼の返答は早い、でも迷っている。

「……芽依は憎めないけど、その男なら憎めそうな気がする」

「ねえ、私は山奥に埋めに行く作業に加わるのは嫌よ?」

「ばらばらにするから重たくないよ」

「重さが問題ではないの」

「距離?」

「違う!」

 私は途中で冗談にすりかえた鉄治に少しいらいらした。いつまでたっても彼の本心は見えない。私にも、プラタナスにも。


「とにかく」

 私は小さく息を吐き出す。

「とにかく悪いんだけど、私が夏休み中あなたのうちに住むなんてのは無理よ」

「無理かな。だって一応彼氏だよ、僕は」

「だからこそ、なの!大体エスカレーターで上の女子大に進むことはほぼ確定だけど、私だって一応受験生なのよ。そんな娘が彼氏の家に入りびたりなんて、喜ぶ親なんていないわよ」

「彼氏、かあ……彼氏の立場なんて脆いものだなあ」

 珍しく鉄治は渋い顔をする。そんなこと一般常識だ。なんでいまさら噛み締める。


「じゃあ仕方ない」

 食後のコーヒーが来るまで鉄治は何事かを考えていた。ああ、結局こいつデザート盛り合わせのソルべを食べなかった、もったいない。と、鉄治が何事か話しかけてきた。

 無駄にしてしまったソルべのことばかり考えていた私は、最初鉄治の言うことが理解できなかった。聞き逃してから、その意味の欠片に引っかかる。

「何?」

「じゃあ、仕方ないって」

「いやそのあと」

「千代子さんの指輪のサイズは?」

「それは今、初めて話したことでしょう!」

 鉄治はいつもどーりの笑顔を向けたのだった。


「じゃあ、婚約でもしようか……って言った」


「一言言わせて貰うけど」

 私は鉄治を睨んだ。

「いくらなんでも、そこまでは私も付き合いきれないわよ?」

「大丈夫。無理やり付き合わせるから」

 ひゃくぱー鉄治の都合の解決じゃないか。

「それは解決とは言わない」

「でも、彼氏じゃだめでも、婚約者ならいろいろ融通効く気がするんだ」

 それは『無理が通れば道理がひっこむ』という昔の人のナイス格言だ!


「鉄治、冷静に!」

「冷静だよ。婚約でなんて終わらせない。結婚まで絶対こぎつけるから」

「ちょっとまって。芽依といるために私と結婚って、その時点で前提条件がどうかしているんだけど」

 とりあえず、私の人権についての議論から始めようか。

「だからさ、千代子さんは、結婚しても自由恋愛でいいから」

「偽装婚は下手すれば、犯罪よ?」

「偽装婚なんてピンポンダッシュくらいの罪だと思うんだ」

「資源ごみを分別しないくらいの罪にはなると思うけど!」

 我ながら軽いなー、私の人権。


 剣呑な会話だ。よかった、ここが一番すみの席で。

「じゃあ、そうと決まったら、指輪を買いに行こうか」

「何も決まっていないわ」

「千代子さん、人の話を聞きなよね」

 私の話も聞け!

 ちゃっちゃと会計を済ませた鉄治は、私の手首を握った。ラブはこもっていないが力はこもっている。万力の力だ。

「じゃ、行こうか。そうしたら、君のご両親にも挨拶しなきゃいけないし、忙しいよね」

「いいかげんに」

 しろ、バカ!といおうと思った私の目を鉄治は急にまっすぐに見つめた。

「……千代子さんにしか、頼れないんだ、ごめん」

 お前本当は、私があんたを好きなこと知っているんじゃないか、と聞きたくなるようなタイミングだった。


 私は、本当に、鉄治の弱音に弱いのだ。

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