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第270話「ファンテルとイリ」

 ――――繋がった。



 熱が引いた翌日、すっきりと目覚めることがある。

 そんな気分でミトナは目を開いた。これまで全身を蝕んでいた高熱と痛み、吐き気と頭痛は去っていた。

 以前より軽くなったような身体を感じながら、ミトナは身体を起こした。


「どこだろう……ここ」


 ミトナには全く覚えのない場所だった。あたりはほとんどまっくらと言っていいほどだが、しばらくすると闇に目が慣れてくる。どうやらここは洞窟らしい。内部を苔のようなふかふかした植物が自生している。ベッドのような形状になったそこに寝かされていたらしい。

 適度な気温と湿気。すこしひんやりとした空気が気持ちいい。


 ミトナは立ち上がる。

 どうやら天井付近に張り付いた苔は微弱ながら発光しているらしいことに気付く。そのおかげでミトナはほぼ完全な状態で辺りを把握することができていた。


 ミトナのいる場所が洞窟の最奥、行き止まりだった。一本道な以上、引き返せば入り口に辿り着くはず。そうミトナは判断して歩き出す。

 ミトナは歩きながら首をかしげた。どうしてこんなところで寝ていたのか、記憶の前後がつながらないからだ。


(マコト君、どうしたかな……? ベルランテはどうなったのかな?)


 ミトナがはっきりと覚えているのは、朽ちた聖堂の地下での攻防までだっただ。マコトを信じて受け入れた刃はレブナントを祓ってくれたらしいことはわかったが、その後は一体どうなったのか。

 ぼんやりとと覚えているのは、父親の顔と大きな揺れ。


「それに……懐かしい匂い」


 ミトナの身体に、ここの空気はよく馴染む。

 本能レベルで、〝戻ってきた”ことを感じていた。


 行く手に強い光が表れた。ぽっかりと円形に切り取られたような光は、入り口の光。ミトナは怖れることなく光の中へと踏みだした。


 そこは森だった。

 緑が力強く伸び、木々は天を突くように生えている。時折聞こえる虫の音や獣の鳴き声が、人が普段は立ち入らない聖域だということを主張している。

 ベルランテの北の森より濃い自然の息吹を、ミトナは胸いっぱいに吸い込んだ。

 知らない森のはずなのに、とても落ち着く。感覚が普段より鋭敏になっているのをミトナは感じていた。


「お目覚めですか、ミトナお嬢さん」


 木の枝から飛び降りてきた人影は、軽い音を立てて着地した。それなりの高さがあったはずだが怪我をした様子はない。

 ミトナはじっとその獣人の男を見つめた。白地の毛皮に黒い斑点。猫系の顔立ちはすっきりとしている。ユキヒョウの獣人だ。とても親し気に話しかけて来るこの若者に、ミトナには見覚えはなかった。

 ユキヒョウ獣人はさっと近寄ってくると、ミトナの手を取った。


「目覚めの気分は? 何か食べるモンでも持ってこようか? 飲みモンの方がいいか? それとも――――」

「――――ファンテル、ミトナ様が困っている。その手を離せ」


 落ち着いたクールな声が樹上から聞こえた。ファンテルと呼ばれたユキヒョウ獣人と同じように、それなりの高度から落下してくる。空中で回転を入れながら、軽やかに着地したのも猫系の獣人だった。

 明るい茶色の毛並に、美しい黒縞が入っている。その服装の胸元のふくらみや体つきから、女性とわかる。


「ミトナ様と我々は初めて出会ったんだ。まずは自己紹介からすべきだろう。私はイリ」

「うッ!?」


 イリにじろりと睨まれて、ファンテルがしぶしぶと手を離した。


「オレはファンテル。隊長……って言ってもわからねえか。ウルスス様に頼まれて様子を見に来たんだぜ」

「パパに……頼まれて?」

「そうだぜ。目が覚めたら街まで案内してくれって言われてる」


 たしかにファンテルの装備からはウルススの匂いが微かに漂っていた。ミトナの鼻にはファンテルが嘘を言っているような匂いも感じられない。ひとまず信じることにした。


 イリを先頭に森を進む。ミトナを間に挟むようにしてファンテルが背後に控えていた。

 森の中は道ができているわけではないが、イリは迷いなく進む。ミトナは前に進むイリの腰に提げられた二振りの剣に目をやる。やはり装備品に目が行ってしまうのはしょうがないだろう。

 腰の後ろで交差するように固定された鞘。刀身は七十センチほどの短い直刀。二刀流使いなのだろうか。イリは動きやすさを重視した装備品を見ても、スピードタイプの戦士なのだ。


 こちらを見つめるような気配を薄く感じていたが、進むうちにそれもなくなる。

 そのあたりでイリとファンテルが肩の力を抜いた。

 草を踏み分ける速度が少しだけゆっくりになった。


「聞いていい?」

「どうぞ」


 まだあたりを警戒しているのか、イリは振り返らずに声を返した。そっけない言い方は誤解をされそうだが、先頭を歩く際にミトナが歩きやすいように配慮しているあたり、実はいい人なのだろうと見ていた。

 ミトナの質問にもきちんと反応してくれている。安心してミトナは尋ねることにする。


「ここは、どこ?」

「ここはベアトレーンの西方にあるクォラン大森林。名前を聞いたことは?」

「ん。……ないかな」

「ご幼少のころはこのあたりで過ごされていたと聞いてます」

「ん。ここは獣王国なんだね」


 ベアトレーン。ミトナ、そしてウルススの故郷の街の名前だ。ということはここは獣王国の中ということになる。いつのまにか移動しているのは、意識が朦朧としているうちに運ばれたからだろう。

 懐かしい匂いの正体に、ミトナは淡く笑みを浮かべた。


 ウルススからクォラン大森林のことは聞いたことがあった。

 ミトナが小さいころはこの森を庭として遊んでいたらしいのだ。魔物も出ると言われたこの森だが、ミトナはそんなことおかまいなく駆け回っていたらしい。

 らしいというのも、ミトナはその頃の事が記憶にないからだ。だが、懐かしく感じるということは、あながち作り話でもない。


「ん。どうして私はここに?」

「ミトナ様の体調が悪かったことは覚えていますか?」


 イリの言葉にミトナは頷いた。


「悪化する体調の原因はマナの乱れにありました。精霊祭司(ドルイド)に見てもらったところ、全身を巡る獣気(マナ)の流れがずたずたになっていたとのこと」

「生まれ育った土地の〝精霊”に、その獣気(マナ)の乱れを調整してもらっていたんだぜ」


 精霊祭司(ドルイド)

 獣人は魔術を使うことはできないが、精霊と呼ばれる力の強い魔物の力を借りて超常現象を引き起こすことができた。その者は精霊祭司(ドルイド)と呼ばれていた。

 〝精霊”には様々な種類がいて、獣人の種族に対応したそれぞれの精霊がいるとも噂されていた。

 だが、魔物と力を通わせることができる素養があるものは一部であり、それゆえ獣王国ではそれなりの権力を持つに至っていた。

 

 ミトナの寝ていた場所がその聖域だった。普段はマナが濃すぎて地元民も近付かない場所だが、こういう場合には訪れる。

 ミトナは自分の体調が戻った理由に納得する。


(マコト君、大丈夫かなぁ?)


 ふとミトナは思い人のことを思い浮かべた。

 ウルススに会ったら、いつベルランテに戻るかを聞かなければならない。

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