第257話「フェザー」
「やりなさい! ミオセルタ!!」
フェイの一喝が魔術師ギルドの敷地を震わせた。その声の調子でわかる。フェイは待っていたのだ。ミオセルタが動くまで。
ミオセルタのゴーレムが両手を上空に向けて掲げる。
一瞬だけ閃いた光が視界を圧する。拡がっていくはずの光は一気に集束した。ミオセルタが掲げる手の上に、大きな魔法陣を構築する。
魔法陣は割れない。輝きをどんどん増していく。
同時に炎の魔人に異変が起きた。腕が膨らんだのを皮切りに、ぼこぼこと身体の各所が歪に膨らんだり縮んだりを繰り返す。まるで空気をいれすぎた風船だ。
「ぐッ……ううぅううう……!」
フェイの苦し気な声が横から聞こえた。慌てて見るとフェイの身体もまた、火の粉のような燐光に包まれている。赤い燐光は、血の様な赤色を灯しながら周囲に散っていく。
明らかな異変。それも……。
ミオセルタの魔法陣と連動している!?
「ミオセルタ! 何をするつもりだ!!」
「あやつにトドメを刺すためには弱体化せねばならんのじゃろ? そのための方法じゃよ」
「どうしてフェイが!? 身体の頑丈さなら、魔物の俺の方でやればいいだろ!?」
「うるっ……さいわね……!」
俺を押しのけると、フェイは一歩前に出た。おかしくなっている炎の魔人へとさらに近付いていく。
「マコトじゃ無理よ。これは私にしかできないんだから……!」
近付くほどリンクが強くなっているのか、身体からあふれ出す火の粉のごとき燐光が増していく。フェイの持つショートワンドが爆ぜ割れた。内側から注がれるマナの圧に耐えられなくなったのだ。フェイは杖の残骸を振り捨てて前進する。
俺はその背中に手を伸ばしたが、止めることができないことを悟った。
「レブナントが来なくとも、これは予定にあった通りじゃよ」
「ミオセルタ、てめぇ……!」
「始原の炎に寄生されておった嬢ちゃんは、言い換えればマナの繋がりができておると言える。あとはどちらが主かということよ」
始原の炎は自身のマナ回復のためにフェイに憑りついた。レブナントも憑依ができることから、実体のない魔物にはある程度そういった能力があるのかもしれない。
フェイは始原の炎のマナを空転させて消費させることで無力化をしていた。自身が電池や充電器として使われるのを防いでいたのだ。
「ワシに相談をもちかけてきよったわ。始原の炎を制御する術式はないか、とのう」
雪山の研究所では始原の炎はエネルギー源として使われていた。魔物を使役する仕組みや術式がそこには存在していたはずだ。フェイはそう推理したのだろう。
すでにマナの繋がりが成立している今、それを利用して制御下におくことができれば、かなりの戦力になる。
「いッ……!? ぎいぃいいいッ!?」
バツンと嫌な音が鳴る。見ればフェイが左目を押さえてうずくまっている。その周辺に散るのは燐光の赤じゃない。血の赤だ。
マナに耐え切れず、眼球が破裂したのだ。マナはすでに物理現象になるほど濃密になってあふれ出している。
「フェイ!?」
フェイは左目を押さえたまま、無理矢理立ち上がった。一歩踏み出すごとに、踏み散らされた燐光が舞い上がる。吸い込まれているのか、マナを流されているのか、炎の魔人はぐねぐねと暴れはじめていた。
「……まだよ……! ここじゃまだ届かない……ッ!」
さらに一歩、踏み込む。すでに炎の魔人との距離は十メートルを切っている。俺はフェイを追いかける。フェイの身体にあの量のマナが収まるわけがない。このままだと全身が弾け飛ぶ。
「もう無理するな! 動きを止めているだけで十分だろ! 今なら<槍>をぶち込めば倒せるかもしれない!」
「撃つなら私の後にしなさいよね!!」
――――強がりだ。
フェイの肩は激しく上下している。その額にはびっしりと汗が浮いている。限界だ。
どうしてそこまで拘る。
「マコトはどんどん遠くにいく。新しい魔術をどんどん吞みこんで。魔物だっていう怖さよりも、魔術を際限なく修得できることがうらやましかった」
頭を殴られたような気がした。
悩んでいた? あのフェイが?
いつからだ。フェイが思い詰めていたのは。
「どこまでいっても、私は人間。越えられない壁がある。始原の炎に憑りつかれた時、〝機会”だと思ったわ。これを逃せば、もうこれほどの機会は巡ってこないかもしれない。死ぬかもしれない? 上等だわ!」
フェイは暴れる炎の魔人の眼前に立つ。その身体は何度ぐらいあるのか、触れればただではすまないだろう。少しでも炎の魔人が踏み出せば、フェイなど消し炭だ。踏み出さなくても、その身体から炎が噴き出せばそれだけで終わる。
だが、フェイは立っていた。臆した様子はない。
吼える。
「――――じゃないと、あんたに追いつけない!!」
「よし! その距離じゃ! いまより始原の炎との<契約>を始めるぞい!!」
「はァ!? 契約!?」
「おそらく始原の炎の魂は死んではおらんよ。あれほどの魂を上書きするにはちとあの魔物では力不足よ! じゃが、窮しておるのは事実。あとはそう、詐欺のようなもんじゃな」
ぐふふと笑うミオセルタの楽しそうな声。
ようやくフェイの意図が飲み込めた。
炎の魔人の母体となっているのは始原の炎。フェイの持つマナの繋がりを通して、サーヴァントとしての契約を結ぼうというのだ。
そうすれば炎の魔人の大部分をフェイの支配下に置ける。
「制御術式を使って魂を隔離、そのままこちらに引っこ抜くんじゃ。大部分のマナはこっちについてくるじゃろ。 ――――第二段階じゃ!」
どこにその力を隠していたのか、背後でミオセルタがさらに魔法陣を生み出したのが見えた。
<空間知覚>の視界には、炎の魔人に大きなこぶができているのが見える。これはおそらく始原の炎の魂だ。
だが、そのこぶは膨らむものの、そこから離れる感じがない。
「お、おい! 本当に大丈夫なのかこれ!」
「ぬ、ぅうう!?」
ミオセルタの焦った声。分離しないのは予想外らしい。
始原の炎の魂が拒んでいるのか。
レブナントが離すまいと抵抗しているのか。
通り道であるマナの繋がりが細いのか。
そのどれもがありえそうに思えた。
「クソッ! 冗談じゃない! 今更止めたほうがマズいんだろ、絶対!!」
俺は汗ばむ掌を握りしめる。
フェイの近くまで来たものの、何をどうしていいかわからない。火の粉を吹きあげるフェイに触れれば集中を削ぐ気がする。炎の魔人に攻撃を食わえるのもダメだ。綱引きが崩れればどうなるかわかったもんじゃない。
――――閃いた。
「<ちのけいやく>だ……!」
俺はフェイの身体に向かって意識を集中した。どう使うのかはいまいちわからない。だが、マルフをサーヴァントにできる騎乗魔術師がいるのだから、できる。クィオスのおっちゃんという実例がある!
なんとなく<ちのけいやく>が起動したのを感じる。対象をフェイと始原の炎に指定。そのマナの繋がりを補強する。フェイを包む燐光が増え、もうほとんどその姿を覆い隠すほど。
だが、うまくいった。
ぶつりと外れた〝こぶ”が、一気にフェイの方へと移動してくる。同時に炎の魔人から感じるプレッシャーがぐんと減る。マナが大きく移動しているのだ。
フェイの身体にぶつかる寸前で、マナの塊は静止した。そのままフェイの燐光を浴びて凝縮していく。
いや、その形を削り出されているのだ。
状況を忘れてぽかんと見つめる中、マナの塊は鳥の姿になった。力強い猛禽。遠くから獲物を見つけ、すさまじい速度で狩る。鷹だ。
三本足の炎の鷹だ。
「<契約>成功じゃな。マコトがかの魔物と繋がっていて破裂しないのは、外部に貯蔵庫を持っておるからじゃ。ならば、同じようにすればよい。繋がりはそのまま、巨大すぎるマナの貯蔵は専用の身体を作って外部貯蔵すればよいのじゃ」
鷹が一声鳴いた。
鋭い一声は、赤光の衝撃波となって一斉に四方に拡散した。
ばさりと翼を一打ちすると、フェイの肩に留まる。
「いい子ね……。あんたの名は……〝フェザー”」
清々しい顔をしたフェイが、その名を告げる。
満足そうな顔で、炎の鷹が軽くその翼を広げた。




