第234話「ベルランテを治める者達」
「――――というわけだ。なんとかならないか?」
「……かなり難しい注文をなさいますね」
ベルランテのルマル商店本舗。まだ開店もしていないその店内で俺達はルマルと顔を突き合わせていた。
いつものにこにこ笑顔が微妙に引きつっているところを見ると、どうやらかなりの無理難題らしい。
「ほら、いつもの感じで頼む。悪徳商人をひっかけた時のように黒い感じで」
「その言い方だといつも腹黒いように聞こえるのですが」
違わないと思うけどな。
「しかし、執政会議ですか……」
ルマルは思案するように空中を見上げた。もしルマルに策が無ければシルメスタを探して街中を走り回ることになる。もし街の外に出られていれば、打つ手がない。
「そもそも、大司祭殿の目的は何でしょうね。マコトさん達のお話によると、穢れの死魂を解き放っているのも大司祭殿ということでしたが」
「そうなんだよな。教会の権威を保つ、だっけ?」
あの神父の話を信じるなら、シルメスタの目的はパルスト教の価値を高めることだ。レブナントを放つのは、わかりやすい仮想敵というわけだろうか。自分で怪人を放って自分で倒すヒーローのようなものだが、何も知らない人にとっては助けられた部分だけがクローズアップされるだろう。
「執政会議において、教会勢力が気にしていることはひとつしかないでしょう」
「……それは?」
「〝ベルランテの独立”ですよ。教会の勢力が強まり、貿易がうまくいかなくなればベルランテの価値は下がります」
「そうなると獣王国を攻める拠点にされる可能性が高いだろうな」
ルマルの言葉をマカゲが継いだ。壁によりかかるようにして立つマカゲは鞘を撫でる。
「独立をすれば聖王国からの援助や駐屯騎士団の防衛力などが失われるでしょうが、商売を武器に戦う自由貿易市場として、新たなステータスを獲得するつもりです」
「いろんな人種が存在する街になるなら、教会はやりづらいでしょうね」
「聖王国からの統治顧問であるドーシュ卿は、騎士団の貸与という形でベルランテと新しい協力関係を結ぶ心づもりでしょう。反対しているのは教会勢力くらいだと」
「ルマル、ベルランテに来て間もないのに詳しいな」
「情報は商人にとって命ですよ」
にっこりと笑うルマルには、いつもの調子が戻って来たようだった。
「問題は執政会議で何をするかだわ」
「ん。レブナントを出現させる、とか?」
「直接的すぎるわよ。あからさますぎて疑われるような真似はしないでしょうね」
フェイの顔が曇る。やはり現場に出てみないと何が起こるかはわからないのだ。とはいえ〝かもしれない”で執政会議を邪魔するわけにもいかない。
俺達の視線がもう一度ルマルに集まる。ルマルは焦って一歩引いたものの、やがて深くため息を吐いた。
「わかりました。……なんとかしてみましょう」
ベルランテは貿易街だ。海の向こうから主に入ってくるのは食料品や芸術品、武器や防具の素材を含む様々な物資だ。
だが貿易がもたらすのは品物だけではない。人的資材もまた、流れて来るのだ。自国で居場所のなくなった者や、聖王国の技術を学びに来たものなど、その理由は様々だ。新しい制度の知識や、教育技術、建築技術といった目には見えないものもベルランテに集まってくることになる。
人間というものは新しく学んだことを試したくなる生き物だ。そのためベルランテの市庁舎は、鉄骨とセメントを採用した新しい建築技術を取り入れた近代的な造りの建物となっていた。
市庁舎の三階の一室。セプタゴンルームと呼ばれる一室に、ベルランテを動かすメンバーが集まっていた。四人の人間と二人の獣人だ。
部屋の中央には正七角形状の机が置かれ、その辺それぞれに椅子が設けられている。七つの席のうち六つが埋まっており、それぞれが従者を後ろに控えさせていた。
魔術師ギルドからはマルクル、聖王国騎士団からはバルグムが出席をしている。
ちなみに俺達はその部屋に入ることができなかった。今はルマルが借りた市庁舎の一室で、事の成り行きを見守ることにしたのだ。
(頼む、ミオセルタ……!)
(無茶をさせおるもんよの。できる限りでしか、できんぞぃ?)
俺達は入ることができなかった。だが、ミオセルタの核を使ったアクセサリーを、魔術的なお守りと称して商業連合代表ギュンストに身に付けてもらっている。ギュンストはカイゼル髭の偉丈夫で、商売をするよりバトルアックスでも振るった方が似合う男性だ。
ルマルがどんな手八丁口八丁を使ったのかはわからないが、さすがというしかない。
その室内のミオセルタとのパスを通して、内容を聞き取ろうということなのだ。もしものことがあれば、サウロを連れて部屋に踏み込むつもりでもある。
「ふむン……。急な招集であったが、パルスト教より危急の話題と言ったか? ふン」
椅子を壊しそうなほどの巨体。象のような質感の肌と、口から伸びたサーベルタイガーのような牙。セイウチの獣人であろうその人は聞こえよがしに従者に話しかけた。
「シヴーティ海航長。教会の癒しは街の者にとって必要なのです。ないがしろにしてはいけないでしょう」
「とはいえ、ねぇ。我々は癒してもらったことがないからニャ。わからないニャ」
シヴーティ海航長に続けて、嫌味な様子を隠さず一匹の猫が続けて言う。
高価な猫用マントと赤い羽根のついたマスケットハットを付けた猫だ。背が足りず、椅子の上に立ち上がり七角形机の淵に前脚をかけて立っていた。
「ベルランテ独立前に、できるかぎり問題は解決しておきたい。個人の感情はあまり出さないようにしていただきたいね。フェリス国交管理官」
ギュンストが威圧を込めた低い声を出した。
わざわざ肩書きまで声に出したのは牽制の意味もあるのだろう。猫のフェリスは器用に肩をすくめると椅子にお尻から深く座り込んだ。クッションに沈みこみそうになったので、あわてて猫座りに変える。
「ドーシュ卿は体調が思わしくないため、今回は欠席と聞いている。――――それでは、始めるとしよう」
室内の空気が落ち着いたのを見計らい、ベルランテ執政局長が目線で合図を送る。
扉が開く音と共に、セプタゴンルームにシルメスタが姿を現した。視線が一斉にそちらに集まる。一瞬も戸惑うことなく、シルメスタは堂々と七角形机に歩み寄る。
「パルスト教ベルランテ支部、シルメスタ大司祭殿。用件をどうぞ」
俺は唾を飲み込んだ。一体何を言うつもりなのか。
シルメスタは軽く息を吸いこむと、口を開く。
「ここ最近のベルランテについて、知り置いて頂きたいことがあるのです。穢れの死魂や幽霊の異常発生についてはお気付きですかな?」
やはりか。直球だ。
最初に反応したのはバルグムだが、他も似たようなものだ。鋭くなった視線に、シルメスタは満足そうな顔になる。
「レブナントの発生原理について詳しいことは解明されておりません。ですが、教会の封印官による調査によると、ベルランテの不安定な状況がマナを乱しているためではないか、と言われております」
執政局長は腕を組むとバルグムに顔を向けた。
「騎士団団長殿、その話、事実かね?」
「……ええ。ベルランテの各所で穢れの死魂や幽霊による被害が出ているのは確かです」
「主に被害が出ているところは?」
「カダマス区と、新しく居住区として開発を進めている地区です」
「ふむ……」
執政局長は重い声を出すと、シルメスタに視線を戻した。
シルメスタは大きく頷くと、自信に満ちた動きで続ける。
「聖王国は、今、安定した国になろうとしています。そのためにベルランテがどうあるべきかをお考えいただきたいのです」
「――――つまり、ベルランテの独立をやめよ、と言いたいわけだニャ?」
じろりと睨んだフェリス国交管理官の視線を、シルメスタは軽く流した。
「ふンむ。……大司祭殿の言いたい事はわかった。しかしだな、統治顧問のドーシュ卿もベルランテの独立には賛成しておられるのだ。それ以上何か言うことがあろうかね。ン?」
巨体を揺らしながら、シヴーティ海航長が言う。
ルマルに聞いた話だと、勢力図としては、教会は統治顧問の下に、冒険者ギルドは執政局の下に入るらしい。聖王国から派遣されている統治顧問が賛成しているなら、シルメスタだけでは覆らない。
シルメスタの話を聞いても、執政者たちの空気は変わらない。レブナントの被害についてもこの人たちは知っていたに違いない。その上で、この場を進めているのだ。
シルメスタが影響を与えることはできない。心配するほどでもなかったな。
状況を全員に説明しながら、俺は胸をなでおろしていた。
もう聞かなくてもいいかもしれない。そう考えた矢先に、セプタゴンルームの扉がノックされたことに気付いた。
「――――失礼します。統治顧問様が到着されました」
「ドーシュ卿? 今日は欠席のはずでは?」
「やあ、お待たせして申し訳ない。どこで執政会議が行われているか、知らなかったものでね」
声の主に、全員が呆気に取られたように注目している。部屋の中の空気が、固まったかのように感じられた。
バルグムが絞り出すように、その名前を告げた。
「――――メデロン卿、どうしてここに……」
まさにバルグムの言う通りだ。
ドーシュ卿という人物がどんな人かは知らないが、メデロンならば知っている。教会から封印を横流ししてもらえるくらいに、繋がりが深い貴族だ。
それって、まずいんじゃないか?
メデロンは靴音を鳴らし、当然のように空いた一席に収まる。
「ドーシュ卿は体調が悪化し、王都にて療養されることになりました。ボクがその代わりに統治顧問に任命されたということです」
「つい先日まで、ドーシュ卿は元気だったニャ! まさかそんなことがあるわけないニャ……!!」
メデロンは微笑んだ。あの、何を考えているか読めない笑みで。
「いやあ、本当に、急に具合が悪くなるなんて、驚きですね」
ミオセルタの感覚ごしに、室内に不穏な空気が流れ始めたのを、俺は感じていた。




