第212話「戦果」
ベルランテの森が静まり返っていた。
鳥の声も、虫の音も聞こえない。
先ほどまでの戦闘で近くの動物たちが逃げ出してしまったからだろう。あれだけ咆哮を轟かせていれば当然だ。辺りには濃厚にケイブドラゴンの気配が染みついている。。
地面に縫いとめられているケイブドラゴンはぴくりとも動かないままだ。
ふと顔を上げると、木立を駆け抜けてアルドラが近付いて来るのが見えた。その背中には振り落とされないように必死になってフェイがしがみついている。
「マコト!? 何! いきなりこの子走りだして――――」
フェイの言葉は途中で途切れた。俺が倒したケイブドラゴンを見てぽかんと口を開けた。思わずアルドラの上からずり落ちそうになってしがみつきなおす。
フェイはしばらく放心状態だったが、やがて頭痛をこらえるかのように掌で額を押さえる。
「まずは見つけたら退くはずだったわよね?」
「いや、もう逃げ切れるような状態じゃなかったんだよ!」
「ミトナ、ほんと?」
「ん」
「しょうがないわね……」
呆れた顔でフェイが言う。
いや、どうしてミトナに聞くんだよ。
顔をしかめた俺の前で、フェイは危なっかしくアルドラから下りた。ケイブドラゴンの死体に近付くと指先でつつく。
そのころになってようやくマカゲが追い付いてきた。ケイブドラゴンを見ると驚愕の表情になる。
「さすがというか。驚きだな」
「とりあえず解体しようぜ。いつまでもこのままじゃだめだろ」
フェイとアルドラが辺りを警戒し、俺とミトナとマカゲの三人がかりで解体を始めた。
肉や骨にも価値はあるが、一番価値があるのが皮だ。加工することで刃を防ぐくらいの強度を持つようになる。
解体ナイフの代わりに切れ味にリソースを割いた氷のナイフを使う。かなり力が必要になるが、十分に刃が通る。切れ目を入れると慎重に剥いでいく。
もくもくと手を動かす単純作業をするうちに、疑問が膨れ上がって来た。ケイブドラゴンのマナ耐性についてだ。
俺は手の中のナイフに目を落とした。魔術で創り出したものだが、十分に通用している。脚を縫いとめる時も氷の刃を利用した。
「そのわりには<空間把握>で捕捉できなかったり、いまいちわかんねぇな」
「皮の耐性のことじゃの?」
眠たそうな声が響く。腰から提げた核。ミオセルタだ。
「<空間把握>は微弱なマナを放出して吸着させることで周囲を捕捉する仕組みだったはずじゃ」
「はず……って、知らないのかよ。ゴーレム研究者じゃなかったのか?」
俺は作業は止めないままそう返す。フェイが近寄ってくると、興味深そうに耳をそばだてた。
「ゴーレムが使っとるマナ技術などの外部搭載装備にはあまり関わっておらんからのう。ワシはもっぱら素体と基部構築についてよの」
苦笑いする気分が伝わってくる。つい何でも知ってると思ってしまうが、ミオセルタが知っていることしか知るわけがない。
「おそらくこの皮は物理強度の低い魔術にはめっぽう強いんじゃろ。水をはじく皮のようなもんじゃ」
撥水素材ならぬ、撥マナ素材というわけだ。
炎や雷、呪いといった形のない魔術は皮の上で滑って効果を為さなないのだろう。氷の刃や鉄剣のように物理的強度を持つ魔術ならば貫通するのだ。
もし氷剣ではなく、冷気にリソースを割いた魔術を使っていればやられていたのはこっちかもしれない。
「なら氷結系魔術を選んで使えばこいつには勝てるんじゃないのか?」
「それはマコトだから言えることなのよ」
「どういうことなんだ?」
フェイが短杖で俺の手元を指し示す。つい手を止めてしまっていた。慌てて作業を再開する。三人がかりでやっているからそろそろ終わりそうだ。
「だいたいの魔術師は一つの系統の魔術を深めていくのが普通よ。火炎系なら火炎系、雷撃系なら雷撃系ってね。マコトみたいに複数の属性の魔術を使えるなんてそうそうないのよ」
「フェイだって複数の属性を使えるだろ。水弾か何か使ってなかったか?」
「使うだけならほかにも使える魔術師はいるわ。それが戦闘に使えるくらいの魔術にできる魔術師というのは何人くらいいるのかしら」
作業を終えたミトナが解体ナイフについた血を拭う。マカゲは腰の後ろをとんとんと叩きながら、背伸びをしていた。
大量のケイブドラゴンの皮が取れた。なめしたり加工する作業はベルランテに戻ってからだという。
後には皮がはがれた巨大な肉の塊が残っていた。
俺は魔術で巨大な氷の刃を創りだそうか考えていると、星辰刀を携えたマカゲが軽く手を挙げた。
「拙者、少し試し斬りをしてもよかろうか」
「お、確かに見てみたい」
「ん。私も」
俺とミトナが巻き込まれないようにさがった。
星辰刀の黒塗りの鞘、高級な糸をふんだんに使った柄を見ても、気合の入った拵えを造っているのがわかる。
マカゲが腰を落として星辰刀に手を添えた。かちりと鯉口を切る。
決して速くはない。だが目を離せぬほど美しい斬撃が飛翔した。夜闇の中を流星のように流れる。
ケイブドラゴンの肉は筋肉が多い。種族としての肉の硬さもある。それをまるで豆腐を切るかのように、すぅっと刃が通った。
肉どころか骨すら両断した。断面はきれいすぎるくらいになめらかで、刃には血糊すらつかない。
布で刀身を拭き取ると音も無くマカゲは納刀した。
その切れ味に俺は感心するしかない。
「すごいな……!」
「ふむ……。満足いく仕上がりだ」
満足そうなマカゲは軽く鞘の上から星辰刀を叩いてみせた。
それだけの切れ味だと、鞘すら切り裂いてしまわないか気になるが、どうやらその心配はないらしい。
あとは俺が魔術で大き目の氷の刃を創り出しておおざっぱにケイブドラゴンを切り分けた。あとはそれぞれのパーツから持ち運べる分だけ肉を切り分けていく。魔術はこういう時便利だな。戦うだけでなくて、生活が便利になるように使えばいいのにとは思う。
アルドラの思念による連絡で、肉食の獣や魔物が集まってきていることがわかった。全員に合図して撤収する。
戻って来たアルドラのラックに戦果を積み込むと、訓練場に戻る。皮や肉が使えるように下ごしらえをしながら、寝ることにした。フェイとミトナが大型テントを使い、男どもは外で火の番だ。
たき火から少し離れたところではクーちゃんとアルドラがうつらうつらとしているのが見えた。先ほどまで火で炙った肉をもらってお腹が膨れたから眠くなったようだ。
そこから目線を外すと、広げたり干したり、下ごしらえ中の素材が目に入る。
十分な量のケイブドラゴンの皮が手に入った。補修するどころか新しく一着造ることができるくらいの量がありそうだ。鋼羽獣も丸ごと一体手に入ったのも運がいい。
俺とマカゲはたき火を囲みながら、王都での出来事を話していた。
たき火の中から枝が爆ぜる音が聞こえる。
「そんなことが……。拙者もミトナ殿のように何をさておき駆けつけるべきだったか」
「いや、こんな風になるなんて俺も思ってなかったしな。普通ならマカゲのようにするのが正解じゃないか?」
「ふむ……」
たき火の照り返しを受けて、マカゲの顔が闇の中浮かび上がる。
ゆっくりとした夜の時間が過ぎていく心地よさを俺は感じていた。
ふと、俺はマカゲの腰に星辰刀がないことに気付いた。見覚えのある拵えは、以前からマカゲが使っている刀のもの。
「マカゲ、それ……」
「ああ、これか」
「前の刀だよな? 装備は強いやつの方がいいんじゃないのか?」
マカゲはたき火のゆらめく炎を見つめながら苦笑する。その様子はどう言おうか考えているようだ。
「武具というのは恐ろしいものだ」
マカゲは髭を撫でつけながらぽつりと言う。
「強度に優れ、よく斬れる業物というのは素晴らしく見える反面、危うい。当たれば斬れるのだ。適当な振り方をしていてもなんとかなる。否、なってしまう。それでは武具を使っているのではない」
パン、と燃えていた枝が弾け、火の粉が舞い上がる。マカゲは舞う火の粉を見つめながら、目を細める。
「武具に〝使われている”のだ。そんな使い方をしていれば、殺されて奪われ、より悪しきより強き者の手に渡っていく。そんな使い手に、〝使わせ”続けるだろうな。それはもはや人を惑わす魔剣よ」
マカゲの声には実感がこもっていた。俺は何も言えなくなる。
もともとマカゲは南方から来たと言っていた。なぜ北のベルランテまでくることになったのだろうか。マカゲの過去については、聞いたことがない。
「でも、それじゃ弱くならないか?」
「個人の強さはそれほど重要じゃないと拙者は思う。いつも万全の状態を保てるというわけではないのだしな。仲間というのは大切だ。一人では……限界がある」
体調を崩す、不運が重なる、奇襲を受ける、毒物、状態異常魔術。いつでも万全の力が出せるなんて確証はないのだ。
実際俺だって、魔術がいきなり使えなくなる事態に陥っていた。
マカゲが口を開いたので、俺はハッと意識を引き戻した。
「星辰刀は斬れすぎる。そこらの防具なら鎧ごと両断することも可能だろう。だからこそ使いどころを考えなければならない。使われているのか、使っているのか。主人がどちらかなのかを見極められなければ、それこそ星辰刀を〝魔剣”にしてしまうだろうな」
マカゲはそれ以上何も言わなかった。静かに炎を見つめている。
俺も自分の考えに没頭していた。
――――強くなった。
ラーニングで得た魔術を使って、ケイブドラゴンを一人で倒せるに至るまで強くなった。俺は単純に喜んでいた。
強くなるのは良いことだろう?
俺は武人でも、戦士でもない。
だけどマカゲの言葉が頭の中で渦巻いている。
ラーニングで得た魔術。
それは、星辰刀と何が違うのだろうか。
「交代で仮眠をとる。眠くなったら拙者を起こしてほしい。警戒役を交代しよう」
いつの間にかマカゲは毛布を引き出し身体に巻き付けていた。刀の鞘を抱えるようにして寝る体勢に入る。手慣れた様子は、これまでもそうやって寝てきたということなのだろう。
夜が白むまでの間、俺に眠気は訪れなかった。




