第192話「助力請願」
「あ、ちょっと待って」
「ん、どうしたの?」
「残ってる奴がいる」
穴の手前で、俺はみんなを一度止めた。一瞬疑問の顔になったみんなだったが、すぐに理由に思い至ったらしい。
エリザベータを追いかけていなくなっている可能性が高いが、待ち伏せで奉剣部隊の誰かが残っていてもおかしくない。
指示を出すべきアドルはすでにこの世にはいないが、最後の捕縛命令は残っているだろう。
<空間把握>によると奉剣部隊の制服を着た兵が二人残っている。だが、その注意は穴に向いているとはいいがたい。
興味深げに穴や奉剣部隊兵を眺める視線を相手に、威嚇のような睨みつけをしている。これなら無力化しやすい。
「<困惑>、<睡眠>」
俺は魔術を起動した。二人ともが背中を向けた隙に、背後から魔法陣を輝かせる。二人の兵は穴から這い出した呪いの靄に気付くことはなかっただろう。
振り返る間も無い。目立たぬよう足元から殺到した呪いが正確に二人だけを襲い、一瞬のうちに昏倒させる。倒れた瞬間に頭ぐらいは打っただろうが、見た感じ死ぬほどではない。
俺は何食わぬ顔で穴から這い出した。
倒れた二人の兵を抱え上げると、店先のオープン席に座らせる。慄いた顔でこちらを見る群衆に、何でもないと笑顔で手を振る。
振り返るとミトナやフィクツ、ミミンが穴から出て来るところだった。
思ったよりフィクツの衰弱は激しい。こうして見渡してみても、エリザベータを追跡するための手がかりも残されているように見えない。
「ミトナ。一度ルマルのもとに向かおう」
「……ん、わかった」
エリザベータの痕跡を探っていたのか、耳をぴくぴくと動かしていたミトナはそう返した。
「そうやな。一度落ち着いて休みたいところやね」
「〝これ”も一度どれくらい傷んでいるかみておきたいね」
ミミンが疲れたように言うのを聞いて、エリザベータ追跡を諦めた。今は。
彼女はあの冷気爆発を身体で受けている。見た目以上に損耗しているのだろう。
ミトナはミトナで、ケイブドラゴン防具のことを気にしているらしい。
俺達はすぐにその場を離れ、ルマルと約束した店に向かって動き出した。
奉剣部隊と出くわすかと思い、<空間把握>で周囲を窺いながら慎重に移動する。結果、誰とも出くわすことなく店に辿り着いた。
店の入り口にはハクエイが何でもない風を装って立っていた。おそらく表の警護を務めているのだろう。
俺達を見て眉を上げたが、何も言わず中へと通してくれる。
中ではコクヨウが待っていた。ぐったりとしたフィクツを見て、すぐに人を手配してくれる。
「お帰りなさいませ、マコト様。ルマル様がお待ちですよ」
奥へと案内されるフィクツとミミンを見送ると、コクヨウが俺達を先導する。
「少し遅かったですが何かありましたか?」
「ちょっとな。奉剣部隊に追いかけられたんだが……」
「その様子では何とかなったようですね」
コクヨウが案内してくれた部屋には、二人の人間が向かい合って座っていた。
片方は少し小太りな体型から、ルマルだとわかる。
二人?
これは……この人は。
考えがまとまるより先に、コクヨウが部屋の扉をノックした。
「ルマル様、失礼します。マコト様が到着いたしました」
「どうぞ。入ってもらってください」
扉が開かれる。
俺とミトナが入室すると、コクヨウは扉を閉めた。扉の外で警護に移る。
ルマルが取った部屋だからだろうか、室内の装飾は前回よりもランクが高かった。部屋も広い。
部屋の中央には円卓が設置されており、いくつもの椅子がそれを囲む。
そのちょうど正面どうしになるように、二人の人物が座っていた。
一人はもちろん、ルマル商店の支配人ルマル。いつもの笑顔でこちらをにこにこと見つめている。
その正面に座るのは、聖王都魔術騎士団、銀騎士のマースだった。
マースが俺に向かって気さくに手を挙げて挨拶した。
「や。邪魔をさせてもらっている」
「あなたは……。どうして、ここに?」
「いやなに、この若き挑戦者を気に入ってな」
面白がるような表情になるマース。ルマルは知らぬ存ぜぬと目の前のティーカップに口を付けた。
挑戦者?
ルマルはいったい王城で何をしゃべって来たんだ!?
「まあ、かけてください」
ルマルが俺達に席を勧める。
狐につままれたような表情のまま、俺は席についた。ルマルに近い席だ。自然とマースからは距離のある席を取る。ミトナは俺の隣の席を選んで座った。
落ち着いたと見たのか、クーちゃんはミトナとは反対側の椅子の上で丸くなる。いつも通りのその様子に、安心していいのか微妙な気持ちになる。
席に着いたタイミングで、コクヨウが飲み物を持って入って来た。
店員でなくコクヨウが持ってくるということは、少しでもこの部屋の中に他人を入れたくないということだ。銀騎士がいるから、だいぶ警戒をしている。
表にハクエイ、部屋の前にはコクヨウ。もしかすると、店の中にはもっと配置しているのかもしれない。
左右の部屋に人の反応は無い。左右の部屋も押さえているのだ。
それくらい銀騎士マースがここにいることは異例なのだ。
コクヨウが給仕してくれた温かいお茶が、身体のこわばりを溶かしていく。
清廉な香りが鼻をくすぐった。ミント系にちかい香草の匂いが、脳みそを柔らかくほぐしてくれる。
厄介だな。
エリザベータといい、権力を持つ奴が近付いてくるなんて、ろくな事はない。
思わず俺の顔が警戒の色を浮かべた。それを見て、マースが苦笑する。
「そんな顔をしないでほしい。害意は無いのだ。主な用事はルマル氏に、だ。そうでしょう?」
「ええ。確かに」
「楽に、いつもどおりで」
マースの言葉をルマルが肯定する。
ルマルが操られている、といった様子もない。俺は少し肩の力を抜いた。
ミトナは鞄からケイブドラゴン防具を取り出すと、広げて傷み具合をチェックしはじめた。
いつもどおりすぎるだろ。何もここでやらなくても。
「ミトナ……。ここで見なくてもいいんじゃないか?」
「んー……」
こそこそと小声で話しかけるが、集中しているミトナは聞いてないようだった。
言葉を重ねて説得すべきか迷っているうちに、マースの声が俺の耳に届いた。
「さて、どうしてここに、という話でしたな?」
マースも気にしていない様子。俺はマースを見た。
切り出した銀騎士は気持ちを切り替えたらしい。目には見えぬ圧を感じる。
「戦争をやめさせたいと、マコト殿は仰った。おそらくそれは叶うでしょう」
「本当かよ……」
俺はごくりと唾を飲み込んだ。確かにお願いしたが、この短時間で成果が出るとは思っていなかった。この人物はそこまですごい人だったのか。
つい表情に出てしまっていたのだろう。マースは俺を見て、ふっと陰りのある顔になった。
「とはいえ、私の力ではない。……ここだけの情報ですが、我らがウルガルト王は、もう限界なのです」
ひやりとした感覚が、背中を走る。
これ、聞いていい類の話か?
マースの瞳に、冗談などひと欠片もない。
「王城内でも全身鎧を着用されていたのは、そのお身体が限界なのを悟られぬため。焦りが見えるほどに短期決戦に固執したのもそう。もう、どれほど時間が残されておるか……」
マースの瞳に力がこもる。
「南部連合が所持する大鉱山を、報復のための襲撃が行われる。もちろん南部連合側も対応するための戦力を用意しているはず。このまま激突すれば、酷いことになる」
マースは立ち上がった。椅子が揺れる。
「――――この戦いを止めるために、ご助力を願いたい……!」
まっすぐに俺とルマルを見つめる視線を受け止めながら、俺の頭はフル回転していた。
このまま王様が亡くなれば、戦争などしている場合ではない。戦争のために前線に出ている兵たちも、かなり損耗する。下手をすればカウンターで王都自体がやられる可能性すらある。
「……でも、ここまで殴り合った両国だ。いまさら停戦に応じるのか……?」
「南部連合と言えど、一枚岩ではない。そのための手段と準備はあるのです」
俺はルマルの顔をちらりと見た。いつもの腹黒い笑顔を見て、気付く。
戦争を止めるための一手として、俺を売り込んだのだ。
広範囲、高威力の魔術なら、やり方次第で軍勢すら止められる。
手の届くところまで、〝方法”がおりてきたことを喜ぶべきか。
大量殺人者になりかねないことに慄くべきか。
ミトナが俺を見ているのに気付いた。どうするの、と問いかける視線。
迷いはどれほどの時間だったか。
俺は、かすれた声を絞り出した。
「わかった。協力する。俺にできることなら」
「感謝します」
「だけど、兵を……人を殺す気はない。できないと思ってくれ」
「……何ですと?」
マースは不思議そうな顔になった。だが、俺の言っていることを理解して、顔を少し顰める。
ルマルに視線を振るが、ルマルは何も言わない。マースはしばし沈黙をした。
「……わかりました。策を練ることにしましょう」
マースが立ち上がる。人相隠し用のマントのフードを被り、部屋を出た。
扉を閉める音が響く。
色濃く残るマースの気迫から逃げるように、俺は背もたれに身体を沈めた。




