第九七話 大河内城の死闘 その三
▽一五七一年十一月、渡辺勘兵衛(二十八歳)本丸
なんとか撃退したな……。
左耳があった場所から血を流しながら、息をフ〜と吐く勘兵衛。
傷口から溢れる血が、着ている鎧や服に滲み、左半身を真っ赤に染めている。
その勘兵衛を心配して、そばかす顔の若い兵が綺麗な布を持って近付いてきた。
「か、勘兵衛様。お怪我の手当てをしませんと……」
勘兵衛は、首を横に振る。
「拙者にとっては、この程度の傷、どうということはない。ちゃんとした手当は、城の安全を確認してからで良い」
勘兵衛は、受け取った布を左耳があった場所に無造作に当てると、何でもないかのように、見回りをするために歩き出した。
勘兵衛の不屈の精神。
普通は倒れるほどの傷に思えるが、全く気にしていない。
その背中が頼もしく見える。
家臣たちは、こんな城主、他にはいないと思った。
尊敬の眼差しで、勘兵衛の後に付いていった。
▽
二の丸の大広間。
足を揺すりながら不機嫌な信雄がいた。
「なにー。攻略が失敗したのかー。伊賀の乱波も使えないなー」
その前には、土下座をしている伊賀国の百地丹波がいる。
丸々太った体を縮こませて、平伏している。
百地率いる伊賀忍者は、織田信忠の要請で、大河内城の攻略に参加していた。
百地家当主の百地正永は、参陣せず、嫡男の百地丹波が伊賀忍者を率いていた。
「早く攻略しろよー」
百地丹波は、脂汗を手で拭き、頭をずっと下げている。
丹波の目は血走り、怒気を孕んだ表情をしながらも、下を向いたまま信雄に進言した。
「の、信雄様。夜襲をした際に大河内城の本丸内に踏み込んだ配下によると、迎撃用の石は一週間程の量しかございませんでした。力攻めを繰り返せば、石はなくなります……。石がなければ、後は弓矢のみ。城は落ちると思われます」
「ふーん。なら、毎日、攻めろよー。それにおい乱破。金は十分に払っているんだ。石を減らすために死んでこいよー」
信雄は貧乏ゆすりをずっと続けている。
「…………」
百地丹波は、歯噛みをしながら、肥った顔を醜く歪めて、深く平伏する。
信雄は、丹波を見ることもなく、欠伸をしながら、近習に言う。
「よーし、それじゃ、広正にも力攻めをするよう伝えろー」
信雄は、不機嫌な顔のまま、シッシッと丹波の方を見もせずに、手を振って下がらせた。
▽
織田家が本丸を包囲してから、一週間が経った。
織田家は連日、力攻めを繰り返し、その攻めには伊賀忍者も加わった。
織田家の兵は士気が低いが、伊賀忍者は、死を恐れずに城壁を登ってくる。
城兵や世鬼一族は、死力を尽くして迎撃した。
そして、ついに本丸に備えられていた迎撃用の石がなくなった……。
その日の夜、勘兵衛は家臣を集めた。
勘兵衛の側には、伴三兄弟、世鬼政定と政矩も控えている。
勘兵衛の頭には血の滲んだ包帯が雑に巻かれ、端がだらしなく垂れ下がっていた。
家臣たちも傷だらけだ。
勘兵衛は、鋭い眼光で皆を見渡すと話し出した。
「石はもうない。明日はこれまで以上の死闘になるだろう。……死ぬかもしれん。本当に心苦しいが、澄隆様のために、最後まで戦って欲しい……。すまんが皆の命をくれ」
勘兵衛が頭を下げると、伴正林が爽やかな笑顔で、言い放った。
「はははっ。皆、分かってます……。それでは、死ぬ前に今日は腹一杯食べましょう!」
皆から『それは良い』と笑い声があがる。
誰も悲壮感がない。
勘兵衛は、皆を見ながら、ホッとした顔で声をかける。
「皆、すまん……。備蓄はまだまだある。今日は倍の量の食事を出そう。目一杯食べていいぞ」
若い城兵が、世鬼一族の一人と肩を組んで、笑っている。
籠城して一週間以上、一緒に戦った城兵や世鬼一族は、一体感が出てきているようだ。
勘兵衛は、目頭が熱くなった。
明日、どんな死闘になろうとも、この士気の高さなら全員が最後まで戦ってくれるだろう。
勘兵衛は家臣たちを誇りに思いながら、しっかりとした声で命じる。
「よし、食べるぞぉ! ただ、食べ過ぎて腹を壊すなよ!」
「「「ははっ!」」」
全員が一斉に返事をして、勘兵衛を見た。
勘兵衛は、家臣たちの視線を一身に受け止めながら、笑顔で頷いた。
▽
次の日。
本丸の城壁……。
今日も朝からの激戦で、壁には血糊がべったりとついている。
敵味方の怒号が飛び交う戦場。
その中で、勘兵衛を呼ぶ声が響く。
「勘兵衛様! 申しあげます! 南側の守りを突破されましたっ! 敵の忍者たちがなだれ込んでいます!」
「なんだと!? すぐに、拙者が向かう! この西側の守りは、政定、任せた!」
「ああ……分かっタ」
世鬼政定の方をひと目見て頷くと、勘兵衛は家臣たちを連れて、南側の城壁に向かう。
そこには、伊賀忍者が溢れていた。
城壁の縁に、登り縄が括りつけられているのが見える。
どうも、長い縄を堀まで伸ばす工夫をして、大量に登ってきたようだ。
勘兵衛が南側の城壁に近付くと、伊賀忍者の中で、一人だけ丸々と肥った忍者が歩み出る。
「ブフフッ! ここで我らが城を落とせば、伊賀忍者とこの百地丹波の名が上がる! これまでは軽く見られていたが、織田家でも重く用いられるだろう……。お前らは、儂の踏み台として死ねぇぇ」
ブヒブヒと嫌な笑みを浮かべて勘兵衛たちの前へと躍り出る男。
その肥った男が、人を見下した濁り切った目でピィと口笛を吹くと、伊賀忍者たちが続々と手裏剣を投げてきた。
ただ、勘兵衛は引かない。
卍鎌がついた短槍を構えて、肥った男に目がけて突っ込んだ。
勘兵衛の赤い鎧に手裏剣が当たってキンと音が鳴り、いくつかは体に刺さっているが、そのまま何事もないように突っ込んでいく。
それを見た城兵が奮い立つ。
「うぉぉ! 勘兵衛様に続けぇ!」
城兵たちも忍者の群れに一斉に突っ込む。
城兵たちの士気の高さに驚く伊賀忍者たち。
「な、なにぃぃぃ!」
一番焦っているのは肥った男だ。
醜く顔を歪めて、急いで勘兵衛に向かって、忍刀を突き出した。
鋭い突きだったが、忍刀はあっさりと弾け飛ぶ。
「……は?」
肥った男の右腕が、忍刀と一緒に、クルクルと空を飛んだ。
「ブヒィアァァ! 儂の、み、右腕がぁ…………」
右腕を斬り飛ばされた男は、 怒りのままに残った左腕で、脇差を抜いて振り回すが、勘兵衛は難なく打ち払い、肥った男の太鼓腹を正面から思い切り蹴り飛ばした。
「ブフオオッ」
その男は豚の鳴き声みたいな悲鳴を上げて、吹っ飛ぶ。
そして、膝をつき、痛みに震えながら、勘兵衛のことを化け物を見るような顔で見上げていた。
勘兵衛は、槍を構えながら、呟いた。
「この前、戦った智仙という男の方がよっぽど強かったぞ。お前、肥り過ぎだ」
「……………ふ、肥り過ぎだとぉぉ……?」
歯軋りしながら、青筋を浮かべる男。
「き、貴様ぁ、ゆ、許さんぞっ!! 下忍ども、何をしているかぁ! この男に打ち掛かれ!」
勘兵衛は、向かってきた伊賀忍者の喉に、無造作に槍を突き刺した。
「ぐぎゃわ!」
そのまま、力ずくに槍を引き抜くと、傷口とさらに口からも大量の血をまき散らしながら倒れる忍者。
勘兵衛の赤い鎧が返り血で、さらに真っ赤に染まり、まるで赤鬼のような姿になった。
「ヒィィィ! 下忍ども! 儂を守れぇ! お前らが能無しだから怪我をしただろぉ!」
肥った忍者は、無様な悲鳴をあげながら、ドタドタと逃げていく。
残った忍者たちは、呆れた目を肥った男に向けるが、命令には逆らえないのか、刀を構え直して、勘兵衛にジリジリと近付いてくる。
「いくらでも掛かってこいっ!」
勘兵衛は、澄隆の顔を思い浮かべながら槍を振り続ける。
………………
はぁはぁはぁ……。
息を切らせながらも、目の前にいる伊賀忍者の顔面に槍を叩き込む勘兵衛。
「がはぁっ!」
勘兵衛の槍は狙い違わず、巨躯の忍者の顔を縦に両断する。
……どのくらいの刻が経ったのだろうか。
城兵たちも奮戦したが、忍者は死を恐れず、打ち掛かってくる。
「まだまだぁ! 皆、気合を入れろー!」
勘兵衛は、周りを鼓舞しながら、最前線で槍を突き続けた。
家臣たちは傷つき、一人また一人と倒れていく……。
勘兵衛の体力も消耗し、止血も叶わず、傷からは血が滴り落ちる。
こ、ここまでか……。
澄隆様の凛々しいお姿が走馬灯のように頭に浮かんでくる。
もう一度、お会いしたかった。
澄隆様のために、一人でも多く倒して死のう。
勘兵衛は、ボロボロになりながらも、槍を振るい続けた。
………………。
…………。
……。
その時。
希望に満ちた家臣の声が響いた。
「か、勘兵衛様っ! あちらをご覧ください! お味方ですっ!」
遠くに見える丘の上に軍勢が見える。
その軍勢からは、三本の狼煙が上がり、味方だと分かる。
す、澄隆様なのか?
ま、間に合ってくれた……。
涙を浮かべる勘兵衛。
傷付いた身体に新たな力が湧いてくるのが分かる。
「よぉぉし! 皆、味方が来てくれたぞぉ!! 勝てる、勝てるぞ!」
勘兵衛の言葉に、味方の城兵たちも顔に活力が戻った。
雄叫びを上げながら敵に打ちかかっていく。
勘兵衛は考える。
士気は上がったが、既に体力の限界がきている。
ここは、澄隆様の指南書通り、最後の切り札を放つ時だ。
その切り札とは…………藁束だ。
馬を育てるための餌として、大量の藁を集めていた。
これまで敵の火矢で燃えないように、本丸の奥にしまっていたが、使う時だろう。
「世鬼一族に、本丸の奥にしまっていた藁束を全部持って、西側の城壁に向かうよう伝えろ! 敵が手薄な西側から順に、藁束を堀に投げ入れるんだ!」
「!? ははっ!」
勘兵衛の命令に従い、世鬼一族に伝えるため、そばかす顔の若い兵が走り去っていく。
「藁束は火を着けてから堀に投げ入れるよう伝えろよ!」
勘兵衛は、走る兵の背中に向けて指示を出す。
……小半刻後。
勘兵衛たちが忍者たちと戦っていると、黒い煙があたり一面に漂ってきた。
勘兵衛が、敵を蹴散らし城壁の縁から堀を見ると、燃え盛る藁束が堀の中の死体に燃え移り、堀全体に燃え広がっていく。
堀や城壁を登っていた敵兵からは、火に燻されて、悲鳴や怒号が響く。
積み重なって放置されていた死体が燃えたことで、火の勢いは凄まじく、ドス黒い煙が空を真っ黒に染めている。
これで、火の勢いがなくなるまでの数刻、本当に短い時間ではあるが、新手は城壁を登って来れない。
「よーし、お前らぁ! 澄隆様が後詰めに来てくださった! あと数刻、持ち堪えれば、必ずや織田家の軍勢を蹴散らしてくれる! それまで耐えるぞ!」
希望の炎に気持ちが上がり、『おおー』と歓声をあげる城兵たち。
「く、くそっ! 登り縄も燃えているぞっ!」
伊賀忍者たちは、燃え盛る堀を見て、珍しく焦った声を発し、恐慌状態になっている。
さあ、粘るぞ……。
勘兵衛は、情け容赦なく、動揺する忍者たちを殲滅していった。
次回は、九鬼家と織田家が野戦で激突します!
乞うご期待!




