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第九五話 大河内城の死闘 その一

感想等、ありがとうございます!

皆様、さすがの予想でございます。

▽一五七一年十一月、渡辺勘兵衛(二十八歳)大河内城



 大河内城の本丸で、マムシ谷を腕を組んで眺める男……。



 その男は、顔に傷が無数にある渡辺勘兵衛である。



 この大河内城には、天然の深い谷、通称マムシ谷と呼ばれる堀切がある。

 澄隆様が元服した時に命じられて、このマムシ谷を伸ばす形で、深さは約二段、幅が約三段ほどもある大規模な堀を城の本丸を囲むように作っていた。



 澄隆様からは、早く作れと急かされたため、城兵だけでなく、周辺の領民たちも動員した。

 幸い、南伊勢の領民たちは皆、九鬼家に好意的で、生き生きと働き、予定よりもさらに大規模な堀を短期間で作ることができた。



 そして、掘削するときに出た大小様々な石は、これも澄隆様の元服時に頂いた籠城指南書の通り、領民たちによって全て本丸に持ち込まれ、城内に山のように積まれている。



 勘兵衛は、一人頷く。

 本当に澄隆様は領民に慕われているよな……。

 


 澄隆様は、南伊勢でも鬼神様と呼ばれ、絶大な人気がある。



 織田家に厳しく搾取され、餓死寸前の状態の領民を、澄隆様が積極的に助けたことが今でも感謝されている要因の一つだろう。



 それと、澄隆様のお人柄だ。

 今でも機会があると、家臣や領民に、なぜだか、気さくに握手をしようとする。 



 勘兵衛は、澄隆様を思い出して、顔を仄かに赤く染め、全身を震わせる。 



 澄隆様の人を思いやる気持ちは、この殺伐とした世では珍しく、涙が出そうになる。



 澄隆様に出会うまでは、この世は醜悪で救いがたいものだと諦めていた。

 それなのに、澄隆様は自分のことより、家臣、領民のことを考えている。



 この城にいる伴三兄弟の次男である長信は、片腕を斬り落とされた時、澄隆様が必死に助けに来てくれたと、涙を流して感謝していた。



 命を賭けて、他人を護ろうとすること。

 この世では信じられない、尊ぶべき行動だ。

 澄隆様の目指している世が実現したら、必ず笑顔溢れる世になっているだろう。



 澄隆様の行いを見て、己のことしか考えていなかった昔の自分を恥じた……。

 何と傲慢だったのか。

 澄隆様に巡り合えたのは、何よりの幸運だ。



 澄隆様のように、家臣を心から思いやれるような男にならねばな……。



 勘兵衛の顔がさらに赤くなる。



 ……それと、澄隆様の元服姿は美しかった。

 あの姿を思い出すだけで、何日でも戦えるっ!



 いつか、澄隆様を力一杯抱き締めてみたいが、それは叶わぬ夢。

 せめて、また握手がしたい……。

 


 勘兵衛が、腕を組ながら、モヤモヤしていると、急に声を掛けられた。

「敵が近づいている。……どうしタ、顔が赤いぞ?」

 藍色の布で顔を覆っている世鬼政定が、勘兵衛の顔をマジマジと覗きこむ。



 勘兵衛は、恍惚とした表情を見られて焦りながらも、誤魔化すように首を振って声を荒らげる。

「ああ、にっくき織田家だな! 政定、二の丸と西の丸にいた城兵の避難は終わったのか?」

「ああ、伴三兄弟が上手く先導している。問題ナい」



 澄隆様たちが紀伊国に攻め込むと、それに気付いたのか、織田家が南伊勢に攻めてきた。



 織田家中に潜り込んでいる多羅尾一族が事前に察知し、知らせてくれたおかげで、何とか籠城の準備は間に合ったが、敵は一万もの軍勢だという。



 本丸の南西の位置にある二の丸は小規模で、敵の大軍勢に持ちこたえる構造になっていないため、早々に放棄して本丸で迎撃することにした。



 本丸は、伸ばしたマムシ谷で囲まれており、籠城は可能だ。

 勘兵衛は、額にかかる一束の髪を右手でかき上げながら、目つきを鋭くする。

 ……遠くに砂塵が見える。

 織田家の軍勢だろう。



 よし、城兵の避難は、何とか間に合いそうだな。



 勘兵衛は、ふぅと息を吐くと、首をゴキゴキと鳴らして気合いを入れる。



 織田家が来襲するのに合わせたように、南西からどんよりとした黒い雨雲が流れてきた。



 南西には、澄隆様たちが攻略中の紀伊国がある。

 紀伊国にも雨が降ったのだろうか……。



 黒い雨雲は、この城周辺に立ち込め、空は、青から黒の色彩へと変化していく。

 辺りが一気に暗くなる。

「これはかなり降るな……」

 勘兵衛は、誰に言うのでもなく、空を見ながら、一人呟いた。



………………



 滝のような大雨が降り注ぐ中、織田家の軍勢が押し寄せてきた。

 すぐに二の丸を占領し、勝鬨をあげている。



 勘兵衛は、苦々しく口を歪める。

 ふん、いい気になっているのも今のうちだ。



 本丸の東側は、切り立った崖になっており、鎧を着て登るのはほぼ不可能。

 本丸の北、西、南側は、マムシ谷を伸ばし、深い堀になっている。

 堀は、斜めに掘って底が丸い『毛抜堀』にしているため、長梯子を地面に固定するのは無理だ。

 敵は、手を使って、堀をよじ登ってくるしかない。



 本丸の南側は拙者が守り、北側は伴三兄弟に任せている。

 世鬼一族は遊軍として、臨機応変に動いてもらう。

 絶対に、この城を守りきる。



 そこに、伴三兄弟の部下が駆け込んできた。

「敵です! 奪われた二の丸から敵が出てきました。かなりの規模です!」

「敵に、攻城用の道具は何かあったか?」

「長梯子がありました!」

「勘兵衛様! 敵は、三つに軍を分け、進んでおります!」

 報告に来た部下の顔がひきつっている。



 本丸にいる城兵は約千。

 その他に、世鬼一族がいる。



 こちらの数が多くはないと考えて、兵を分散させて攻める気だな。

 切り札のひとつ、城内に集めている石を使うか。

 


「よし、北側は伴三兄弟率いる隊に任せる。残りは西側と南側の城壁上に待機! 堀をよじ登ってくる敵の姿が見えたら石を落とせ! 堀を登って城壁を乗り越えられた場合に備え、槍隊も準備しろ!」

 落とす石は、人の頭ぐらいの大きさがある。

 その石が勢い良く当たれば、無事では済まない。



 石は、数に限りはあるが、堀を掘削したときに、澄隆様の指示で大量に集めている。

 すぐには無くならない。

 敵の攻撃の圧力次第だが、少なくても十日ぐらいはもつだろう。

 


 この切り札のほかに、もう一つ切り札がある。

 いざとなったら使うが、今ではない。

 勘兵衛は指示を行うと、南側の城壁上に回った。



 城兵たちが、石を落とす準備に取り掛かっている。

「進捗はどうだっ!?」

「はっ、すぐに終わります」

 顔にそばかすのある若い兵が、微かに震えながら、緊張しきった顔で頷いたので、勘兵衛は切れ長の目を向け、笑顔でゆっくりと頷き返した。



「よし、上出来だ。さっさと敵を片づけるぞ」

 若い兵は、緊張しながらも、勘兵衛の堂々たる態度に目元が和らぐ。 



 勘兵衛は、城壁上から身を大きく乗り出して、下の堀を見る。

 敵は、次々と深い堀に進入し、堀をよじ登ってくる。



 敵の怒号が飛び交い、必死に登ってくるが、土砂降りの雨で足元がぬかるんで、時間がかかっているようだ。

 長梯子は、いくら立て掛けても堀が斜めになっていて、地面も雨でぐちゃぐちゃになっていることから、こちらの思惑通り、固定できずに倒れている。



 敵は長梯子を諦め、泥だらけになりながら、堀を登ってくる。

「さて、やるか……。石を落とせ。取りついた敵を排除しろ!」

 弓矢は真下に向かって放つのは難しいが、石はただ手を離せば真下に落ちる。

 この城を守るには、最適な武器だろう。

 城兵たちが石を敵兵に向かって落とすと、滑るように転げ落ちながら勢いを増していく。



 ゴロゴロゴロゴロ! 

「!? ぐぎゃ!」

 敵兵の頭に当たり、ザクロのように頭がかち割れた。 



「ぐわぁぁぁぁ!」

 石が腕に当たった敵兵は、変な方向に腕が曲がり、悲鳴を上げながら転げ落ちていく。

 雨で濡れた斜面が石をさらに滑りやすくしているようで、凄い威力だ。



 そばかすがある若い兵を見ると、焦って、狙いも付けずに石を落としている。

「そんなに、慌てなくていい! 敵をよく見て狙うんだ!」

「は、はい!」

 勘兵衛は、城兵たちに落ち着けと下知する。

 


 城兵たちは、勘兵衛の指示のもと、石を敵兵たちの頭を狙って落としていく。

 石に当たった兵は、他の兵を巻き込んで、一緒に落ちていく。



 敵は大混乱だ。

 悲鳴の声が轟き、その攻勢が殺がれていく。



 勘兵衛はニヤリと笑う。

 おお、石攻めがうまくいった。

「おい、敵兵がどこまで登ってきているのか、大声で教えてくれ!」

 一応、確認しておかないとな。



「勘兵衛様! 数十人が石に怯まず登ってきます! あそこです!」

 数が多すぎるから、運良く石に当たらない敵兵も出てきた。



「よしっ、槍隊、一緒にこい! 槍が届く範囲に敵が来たら、頭を叩け! あと、世鬼一族は槍隊が討ち洩らした敵兵がいたら、対処してくれ!」



 勘兵衛が崖を登る敵兵を見ると、手足は登るために使っており、頭が無防備になっている。

「これでも食らえ!」

 勘兵衛は、力一杯、槍を敵兵の頭に叩き込んだ。

「うげぴっ!」

 勘兵衛に叩かれた敵は、断末魔をあげながら、下に消えていく。



「勘兵衛様! 今度は、あちら側に敵の増援です!」

「こっちか!」

「んのやろぉ!」

 勘兵衛と槍隊は、登ってきた敵兵を襲い、もぐら叩きのように、次々と槍で叩き落とす。



 勘兵衛は、敵の様子を見ながら、味方の指揮もする。

「おい! お前、西側の様子を確認してこい! 槍隊は、引き続き、登ってくる敵を警戒しろ!」

「ははっ!」



………………



 どれくらい戦っていたのだろうか……。

 集中し過ぎて、時間が分からなくなっている。

 ふと気づくと、敵の退き鐘が鳴り、敵兵は二の丸に向かって退却していく。



 本丸上から堀を覗くと、動かなくなった敵の死体が重なって放置されている以外、動くものはいない。

 念のため、本丸の周辺を確認させたが、敵は全て退却したようだ。



 勘兵衛は、大きく息を吐きながら言った。 

「皆、良くやった! 九鬼家の勝利だ! 全員、城内に下がって休息しておけ! 澄み酒を飲むことも許可する」

「おぉぉ!」

 その瞬間、城兵から歓声がわき起こった。



 ぞばかすのある若い兵も、手についた泥を拭いながら、笑顔で勘兵衛に振り返る。

 勘兵衛は、堂々と胸を張り、兵一人一人に、労りの言葉をかけ、城内に入るよう促した。



 城内での休息は、戦場の張り詰めた空気を感じずに済むし、気力の回復にも繋がる。

 何日もの籠城に耐えるためには、体力だけでなく、気力の回復も重要となる。

 特に若い兵は、気力が続かないと、殺し合いはできない。



 気力が弱ると、戦に恐怖を覚えてしまう。

 そうすると、その兵はしばらく戦えなくなる。

 敵が退いたこの時間を有効に生かそう。

 


 勘兵衛は、周辺の警戒を世鬼一族に任せることにして、北側に向かった。

 北側に着くと、指揮をしている伴三兄弟の長男の正林が見えた。

「おい、正林、良くやったな! 兵たちは良く休ませろよ!」

「は! もちろん! これから一緒に飲みますか?」

 正林は、日焼けした顔をにかっと爽やかに笑って答えた。



 辺りは、これまで戦いが嘘のように、静寂が戻っている。



 今日のところは撃退したが、激しい戦いは続くだろう。

 勘兵衛は、これからの戦いの厳しさを感じながらも、正林に満面の笑みを向けて頷いた。





 ここは織田家が占領した二の丸。



 その二の丸の一室には、傷一つ無い豪華な鎧を着ながら居心地悪そうに椅子に座り、足を揺すっている若者がいた。



 その両隣には、隻眼の壮年の男と、狐のように目がつり上がった男が椅子に座っている。



 足を揺すり、口を尖らせている若者が織田家の家老格の織田信雄だ。



 そして、隻眼の男が部将格の河尻秀隆。

 濃い無精髭をした野性味溢れた顔をしている。

 力を持て余すかのように身体を小刻みに揺すり、その度に、椅子がギシギシと音を立てながら微かに揺れる。

 秀隆の肉体は鍛え上げられ、信じられないほど盛り上がった筋肉が全身を覆っており、その体躯にふさわしい重量感のある漆黒の鎧を着ていた。

 見るからに荒々しい雰囲気を放っていた。



 そして、もう一人、平均的な体躯の狐顔の男が侍大将格の簗田広正である。



 今回、織田家当主の信忠から『九鬼家が紀伊国に攻め入り、守りが手薄になっている隙をつけ』と命じられて、南伊勢攻略に来た指揮官たちだ。



 その信雄が、イライラした声で簗田広正に問い質す。

「この辺りは、織田家が支配していた土地だぞー。なんで、誰も織田家に味方しないー」

「はっ。そうですな…………。織田家がいぬ間に、九鬼家が領民たちを手懐けたのでしょう」



 今回、織田家が南伊勢に攻め入った際、信雄の指示で、大河内城の近隣の農村に兵の動員と兵糧を出すように求めたところ、どの村も断ってきた。



「織田家が求めたのに、断るなんてふざけるなよー。全員、殺すかー」

 狐顔を歪ませて、簗田広正は慌てて抗弁を試みた。

「お、お待ちを。大河内城を落とせば、領民など震え上がって従いまする。まずは、大河内城を落としましょう」



「ふーん? ただ、どうやってだー。今日も無様に負けただろー」

 信雄の尊大で幼く聞こえる声が響く。



 そこには明らかに死んだ味方を侮蔑する声色が含まれていた。

 信雄の心ない言葉に、河尻秀隆が眉間に大きな青筋を立てるが、首を左右に振ると、乱暴に言い放った。

「ふん……。幸い、この二の丸を落としている。ここから本丸までは、だいたい一町の距離だ。大弓なら届く。大量の大弓を使って火攻めにしよう」

「ま、待ってください! 火攻めにすると、城を落としても、城自体を使用できなくなりますぞ」



 額に汗がびっしょりの広正が、秀隆を止めようとする。

 秀隆は、持っていた采配棒を勢いよく床に叩きつけた。

「広正、今日の九鬼家の石攻めを見たかっ! 長梯子も役に立たない。普通に攻めるだけでは、この城は容易には落ちないぞっ!」



 信雄が欠伸を噛み殺したような顔で言い放つ。

「あー、良いよ、火攻めにしようー」



 広正は、頬をピクピクと痙攣させながら返事をする。

「んなっ!? 火攻めにすると、大河内城の価値が大きく下がりまするが?」

「良いよー。城を落としたら、この辺りの領民を強制的に死ぬまで働かせて、新しい城を築こう。領民への罰にもなるし……。うん、我ながら良い案だなー」



 秀隆はスッと無表情になり、対照的に、広正は目を見開く。

「では、火攻めの準備をしてくる……」

 秀隆は、信雄を一瞥すると、返事も聞かずに席を立った。

 広正は、信雄と秀隆を交互に見ると、信雄に一礼して、秀隆を追いかけていった。



 信雄は、大きく背伸びすると、そのまま、近習に鎧を脱がす手伝いをさせ、酒を持ってくるように命じた。

 鎧を脱いだ信雄は、近習に『馬鹿ばっかりで、疲れるよー』と、愚痴を言いながら、大きな溜息を吐いた。

 




「秀隆殿、お、お待ちを! 信雄様へのあの態度はいかがなものかと!」

 広正が秀隆を呼び止めると、怒りを露わにした秀隆は、乱暴に髪をかきむしると、唾を床に吐き捨て、広正を睨み付けた。



「信雄は馬鹿だ! 信雄が鳥羽城を攻める時、この辺りにした惨い仕打ちは知っているだろ? 織田家に従う訳がなかろう! なぜ、それが分からんっ!」

「そ、そうは言っても、信雄様は信忠様の実の弟君。無下に扱う訳にはいきますまい」

「ふんっ! 信忠様から『今なら絶対に勝てると言う信雄に、力を貸してやれ……』との、ご用命を受けていなければ、信雄などに従う儂ではないわっ。火攻めで城を早く落として、儂は尾張に帰るぞっ。広正、異論は許さん」



 隻眼の目を広正に向け、殺気を放つ。

 秀隆の両腕がビキビキと盛り上がり、発達した筋肉から血管が浮き出ている。

 広正は唾を飲むと、急いで頷く。

 額の汗が、ポタリと地面に落ちた。



 小刻みに震える広正を見て、秀隆は荒っぽい言葉遣いで、言い放つ。

「儂は火矢を射つ隊を指揮する。広正は本丸が燃えたら突入する隊を指揮しろっ! それと、念のため、信忠様が金で雇った乱破にも夜襲の準備をさせておけっ!」 



 憤る秀隆はそう言い捨てると、床に向かって唾を吐き捨て、ドスドスと音を立てて広正から離れていった。

勘兵衛たちの活躍、お楽しみ頂けましたでしょうか?

次回も引き続き、大河内城での戦いになります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も面白かったですー [一言] 勘兵衛の成長を感じる回でしたねー 次回も攻城戦とのこと。 楽しみに待ってます。
[良い点] さすが、信長の馬廻衆だった河尻秀隆 信雄の馬鹿っぷりをよくわかってる 信長の近くにいたが為に、余計に信雄と信長を比較してしまうのでしょうけど [気になる点] 紀州攻めで手薄になった南伊…
[一言] 信雄は織田家の足を引っ張ってくれる存在だから生かしときたいね
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