第九三話 紀伊国侵攻
▽一五七一年十一月、澄隆(十六歳)紀伊国
部隊の再編と負傷者の手当てがある程度進んだら、熊野衆の本城である堀内神宮城まで侵攻を開始した。
俺は、満身創痍で足に力が入らないが、俺の乗馬である赤兎がいるおかげで、歩かずに済んだ。
進軍中、熊野衆の当主である堀内氏虎が戦で死亡していること、熊野衆の主だった武将が討ち死にしていることもあって、組織的な抵抗もなく、短期間で堀内神宮城まで進むことができた。
それで、予想外だったのが、九鬼家が堀内神宮城を包囲すると、戦いも起こらず、簡単に落ちたことだ。
この城は、熊野川の河口部右岸に位置しており、攻め手は西側しかない天然の要塞のような規模の大きな城だった。
ただ、この前の戦で逃げてきた熊野衆の兵たちが、九鬼家の怖さを吹聴したようで、雑兵のほとんどが戦うのを嫌がり、抵抗できる態勢にならなかったのが幸いした。
普通に攻めたら、大きな被害が出ただろう。
破裂して人が吹き飛ぶ手榴弾を初めて味わった敵は、とんでもなく恐るべき兵器に見えたらしい。
俺は、堀内神宮城の城兵から武器を取り上げ、無力化しているのをしっかり確認してから、入城した。
俺は、城の全容を眺める。
思っていたより立派な城だな……。
城には熊野川流域で産する岩石で築かれた、立派な石垣まである。
この城は、このまま紀伊国の九鬼家の拠点として使えそうだ。
そうなると、敵の名前が入っている堀内神宮城という名称は、いまいちだな。
これからは、堀内を削って、神宮城に名称を変更しよう。
………………
神宮城内の広場。
青い鎧を着ている俺は、鬼の鉄仮面もつけて、降伏した城兵のうち、海賊働きをしていた者たちの前に立っている。
「これで、全部か?」
「ははっ。全部、集めました」
海賊たちは誰一人顔を上げず、地面に頭をつけて平伏している。
俺の前には、刀や鎧、腕輪、指環などが置かれている。
俺はまず、海賊たちに以前、九鬼家の船を襲った時に奪った物を全部返すよう命令した。
また、会えると期待していた九鬼家の捕虜だが、堀内氏虎に無慈悲に殺され、誰も生き残っていなかった。
胸が痛む。
ここに集めた物は、形見として、遺族に返すつもりだ。
「澄隆様、どうしますか? こやつらは九鬼家の捕虜を直接殺した者たちです。打ち首にしても文句は言えないかと」
近郷が怒り顔で、俺に打ち首を進言する。
「な、なんとか寛大な処置を……」
海賊たちは、さらに地面に頭をつけて命乞いをしている。
俺は、沸々とした怒りをなんとか押さえつける。
「ふぅ……そうだな……。捕虜殺害は許しがたい蛮行だ。ただ、指示を出した堀内氏虎は既に死んでいる。この海賊たちは氏虎に言われた通り動いただけだろう」
俺は、怒気を抑えた声色で、平伏した城兵たちに告げる。
「降伏した者を殺すのは俺の主義に反する。この海賊たちの家族を含め、国外追放にするぞ」
「!? はは~!」
涙を流して頭を下げる海賊たち。
打ち首にするのは簡単だが、俺はお人好しと呼ばれようが、怒りで無慈悲に敵を殺したくはない。
ただ、舐められる訳にもいかない。
この地の新しい領主として厳しさは見せつけておく必要がある。
今回は、相当悩んだが、家族も含めた国外追放を選んだ。
実際には、国外追放になれば、苦労も多いだろう。
俺は、あとの差配を近郷に任せて広場を後にする。
今日はそのまま神宮城で朝まで過ごすことにした。
………………
寝ている部屋の外からは、ゴォーゴォーという波の音が鳴り響いている。
痛みを堪えて布団から立ち上がり、障子を開けてみる。
外は快晴の空と青く澄んだ海が広がり、生暖かい風と共に、磯臭い匂いがした。
俺は、傷が開かないように気を付けながら、背伸びをする。
夜襲などもなく、無事に朝を迎えたな……。
この後、評定部屋に移動して光俊から報告を受けた。
光俊曰く、多羅尾一族が交代で見張りを立てたところ、静かなもので、特に不穏な動きはなかったとのこと。
海賊やその家族たちも、殺されるよりはマシと、俺の追放の沙汰に感謝こそすれ、恨む者はなく、混乱はなかったようだ。
そして、九鬼家が降伏した海賊を殺さないこと、略奪狼藉をしないことが伝わり、熊野衆の領民はかなり落ち着きを取り戻した。
「豪族たちが澄隆様にご挨拶したいと、続々と謁見を申し込んでいるようです」
小姓たちが俺がいる部屋に報告を持ってやってきた。
今回の戦に連れてきた小姓たちは、俺が一騎討ちで津田照算を討ち取ったのを聞き、相撲取りのように体格の良い照算の死体を見たこともあってか、俺を見る目線が熱い。
まるで、神様を見るような眼差しで、気分が落ち着かない。
「どういたしますか? お疲れなら、別の日に設定しますが」
俺は、照算に斬られた左腕が腫れ、脇腹は打撲傷の青アザで酷いことになっている。
もしかしたら、肋骨にひびが入っているのかもしれない。
顔色も鏡がないので分からないが、相当悪いのだろう。
だが俺は首を横に振る。
「時間が惜しい。すぐに会おう。準備してくれ」
「はっ! 時間ですか……」
俺の言葉に少し困った表情を見せる小姓の加藤清正。
困惑を示している清正に俺は伝える。
「清正……。戦は、時間の重さと軽さを感じることが大事だ。幸い、今は勝ち戦になっているから休みたくなるが、明日はどうなる分からない。戦いとは、いつも二手三手先を考えて行うものだ」
俺は清正の目を見る。
「それにだ。俺は織田家が怖い。早くこの紀伊国での戦を終わらせて、鳥羽城に戻るぞ」
すると、清正だけでなく、福島正則なども感動した顔で、何度も頷いている。
清正が、慌てて返答した。
「畏まりました! 謁見の準備をいたします」
……俺は、偉そうに小姓たちに話したが、本当は前世の自分に対して言っていた。
前世では、無気力に時間を過ごし、あっという間に四五歳になっていた。
結局、前世で死ぬその時まで、俺は時間の大切さを感じていなかった。
ここで自分がボロボロだから休もうと言い訳を始めると、必ず俺はこの時代でも同じような行動を繰り返してしまうと思う。
そう、自分は負け犬だったんだから、休んじゃダメだ。
そういえば剣道の面手拭いに『克己忍耐』と書いてあったな。
その忍耐の精神で、怠け心に打ち勝たねば……。
自分に言い聞かせるように、小姓に話しながら、決意を新たにした俺は、痛みで顔をしかめながらも豪族たちが来るまでに、着替えることにした。
……熊野衆の領内にいる豪族に会うと、残らず九鬼家に臣従することになった。
俺は、顔色の悪さを隠すため、戦時中という言い訳で、青い鎧で鉄の鬼面をして、豪族たちに謁見した。
どの豪族も俺を怖がってへりくだり、俺に年貢を支払うこと、常備兵を俺が指示する人数分出すこと、その他諸々の条件を文句一つ言わずに了承した。
言うまでもなく、常備兵には支度金を出す。
反感を招かない範囲で統治をしていこう。
そして、直接、豪族たちの領地に向かい、処理する羽目になったのは、主にとんがり三成と、おにぎり行長だ。
ここには宗政がいないから、宗政に丸投げできない。
謁見した時、豪族たちとは、近郷に小言を言われながらも全員と握手したが、戦巧者も政巧者も30以上の数値の人材がほとんどいない。
政巧者で30オーバーの豪族が数人いたが、それだけだった。
現地調達で内政担当を賄おうと考えていたが、仕方がない。
三成と行長に丸投げして、対応させよう。
………………
豪族たちと会っていたら、日差しが真上になっている。
俺は、痛みに耐えながら固まった身体を解していると、吉継が根来寺が降伏したと報告にきた。
ある程度の自治と布教の自由を認めるという説得が効いて、根来寺としては、これ以上の抵抗はしないそうだ。
あとは、津田算正と照算の首による脅しも効いたとのこと。
「澄隆様、根来寺の言い分ですが、津田算正と照算が独断で九鬼家に反抗しただけで、根来寺としては争うつもりはなかったと言い訳をしておりました」
寺の火縄銃を約千挺も持ち出して、独断で反抗なんて有り得ないが、降伏するなら、どっちでも良い。
根来寺の牙を折ったことが効いたのか、根来寺が支配していた領地のうち、だいたい四分の一である五万石を九鬼家に割譲することになった。
予想以上の成果だ。
さすがダーク吉継。
硬軟織り交ぜた交渉はお手の物だな。
降伏したなら捕虜にしていたザンバラ兵たちは戻してやろう。
戦で接収した火縄銃は戻してやらないがな。
「まるで、とかげの尻尾切りですな」
吉継の報告を一緒に聞いていた近郷が不満気味に呟く。
「それはまあ良い。吉継、よく根来寺を説得してくれたな」
俺は、ダーク吉継を労ると、統治を手伝うように指示した。
これで、あとは、雑賀衆だな。
▽
「重秀殿! 何度も言っているはずだ。澄隆様に近づき過ぎですぞ!」
「良い男ですもの。仕方ないでしょ。それに、もう味方よ。危害は加えないわ」
小さく肩をすくめる重秀。
俺に触れるほど近くにいる重秀に、近郷がプリプリと怒っている。
俺は、重秀のことをまだ警戒しているが、重秀は気にせず、近くに寄ってくる。
ダーク吉継の報告を聞いた翌日、重秀は、俺の命令通り、雑賀衆を上手く説得して戻ってきた。
これから雑賀衆は、九鬼家と従属関係になった。
これで俺の領地は、根来寺の五万石と熊野衆の十万石を支配下に加え、従属した雑賀衆五万石を足すと、総数八十万石をこえることになった。
やっとここまできたな……。
澄隆に憑依して十一年。
八十万石をこえる大名になるまで上り詰めた。
これまでの苦労が走馬灯のように思い出され、思わず目頭が熱くなる。
俺が五歳の時から比べると、石高は約四百倍に増えた計算だ。
「よしっ!」
俺は、目を手の甲を使ってゴシゴシすると、改めて気合を入れる。
領地の拡大に比例してやることも急激に増えた。
まだまだ人材が足りない。
人材発掘と家臣の抜擢が必要だ。
家臣になった重秀だが、雑賀衆に九鬼家への降伏を認めさせたから、少しは信用してやるか……。
重秀に聞いたが、重秀は雑賀衆を説得する時に、九鬼家に敵対した雑賀三組の主だった武将は今回の戦でほとんど帰らぬ人になったこと、捕虜も数百人もいて降伏しないと帰ってこないこと、九鬼家は信用できること、これらを丁寧に伝えたところ、降伏に応じたようだ。
その後、重秀は、すぐに俺のもとに戻ってきて、ずっと俺の隣で侍っている。
というか、ベタベタと触ってくる。
本当に男だよな?
雑賀五組の頭は、重秀の父親の鈴木佐大夫になり、これからは全面的に俺のために働くことになった。
重秀はこのまま俺の家臣となる。
雑賀荘と十ヶ郷は本領安堵、残りの雑賀三組は雑賀荘に組み入れられた。
俺は、雑賀三組の年貢のうち、半分は雑賀荘の取り分とし、残りの半分は火縄銃の増産と技術者の育成に使うよう指示した。
この時代の工場は『吹屋』と呼ぶらしいが、吹屋を増設して、火縄銃の銃身を作る鍛冶職人、部品を作る金工師や火蓋雨覆師などを増やしてもらおう。
近郷に引きずられて、俺から離れる重秀を見ながら、俺は新たな指示を出す。
「そうだ、重秀。お願いがある。雑賀衆の中で、射撃の腕が良い二百名を大至急集めてくれないか? 出来れば数日中に頼む」
「ええと、それは良いけどなぜ?」
「俺にある案がある。集めてくれたら、その時に話す」
「分かったわ。任せて」
重秀は、凄い色気を放ちながら、俺に片目を瞑ってみせた。
▽
重秀に兵を集めるよう指示した二日後、俺の前には、火縄銃を持った二百人の兵たちが、銃口を上に向けて、整列している。
俺は、重秀に命じて、雑賀衆の中で、最も射撃に長けた二百名を集めてもらった。
雑賀衆は、毛皮を使った服を着て、腰には携帯用のポーチのような胴乱と呼ばれる袋、肩には瓢箪のような形の容器を吊り下げている。
火薬や弾、火打道具などが入っているのだろう。
「えーと、ここにいる二百名が雑賀衆で精密巧緻な射撃術を持っている者たちよ。無駄撃ちはしないわ。それで、案というのを説明してくれる?」
「ああ、ありがとう。俺は、新しい射撃方法を試したいんだ。この二百名にそれぞれ四名の従者をつけ、五人組で撃つ方法だ」
重秀は、眉毛を上げて、どういうこと、という顔をしている。
「まず、火縄銃を撃つのは、射撃の腕が良い二百名のみ。その二百名の後ろに、各々四名を配置して、銃に弾を込める役、火蓋に火薬を盛って閉じる役、火縄を火挟みに挟む役、もう一人は銃身に溜まった燃え滓を取る掃除役にする」
俺は、兵が持っている火縄銃を眺めながら、続けて話す。
「火縄銃の弱点は、撃つための準備が煩雑で、射撃の間隔が開くことだ。それに、いちいち撃ち手は撃ち終わった後、座って次の弾込めをして、また射撃姿勢に戻らなければいけない。それは無駄な動きだし、焦って構えて撃っても敵には当たらないだろう」
俺は、重秀に身を乗り出して、力説する。
「今回の熊野衆たちとの戦で敵勢力は、射撃部隊を二つに分けて、射撃の間隔を縮める工夫をしてきたが、それよりも分業制の方が良い。撃ち手は、構えたままの姿勢で、敵に狙いをつけて引き金を落とすだけ。撃った銃は、後ろに控えている弾込め役に渡して、代わりに準備が終わった銃を受け取りまた撃つ。五人組ごとに、そうだな……故障した際の予備の銃も入れて五挺ずつ銃を渡せば、間断なく射撃できるだろう」
火縄銃は、この前の戦で、千挺以上、接収した。
数は十分にある。
「なるほどね……。私も射撃の工夫を色々考えていたけど、この考えは洗練されているわ」
重秀は、陶器のような指を顎に当てて、考えている。
俺の言ったことを吟味しているようだ。
「うん、素晴らしいわね。一人で継続して撃った方が効率的だし、撃ち手の熟練度が桁違いに上がるわ。それに分業制で、一連の動作に慣れれば、そうねぇ、七秒間隔ぐらいで連射できるでしょうね」
重秀は色っぽい目で俺を凝視する。
「信じられないわ。……まさかこんな工夫を簡単に思いつくなんて……」
「ん?」
俺は首を傾げる。
「その様子だと、分っていないかもしれないけど、これは火縄銃の使い方の概念が変わるわよ」
俺が今回提案した使い方は、前世の記憶によると、近い将来、雑賀衆が思い付いて、織田家との戦いで使っていたものだ。
確か、『組撃ち鉄砲』という名が付いていた。
もしかしたら、重秀が思いついた使い方なのかもしれない。
俺は、前世の知識を参考にして、提案しただけ。
俺が凄い訳ではない。
俺は苦笑しながらも頷く。
重秀は、手をパチンと合わせて、ニッコリ笑う。
「分業制の人員も雑賀衆が用意するから安心してね」
重秀の笑顔は、相変わらず色気が凄い。
俺は、居心地が悪くなりながら、頷く。
この火縄銃は、一人で使用すると、射撃の間隔は早くても三十秒かかる。
前世の知識によると、本当かどうかは分からないが、織田信長は火縄銃を撃つ隊を三段に分ける工夫をしたらしい。
単純計算で十秒間隔で撃ったことになる。
重秀に提案した五人組撃ちは、七秒間隔になると言う。
単に射撃を三段に分けるより、熟練の撃ち手が一人で同じ態勢で撃ち続けるから、命中率も飛躍的に高まるだろう。
この前の戦で、敵の火縄銃による攻撃には対処できたが、その後の奇襲には上手く対処できなかった。
相手の突撃力を削ぐためには、これまでの戦法に加えて、火縄銃も活用していった方が良いだろう。
次回の戦では、この五人組撃ちも使っていこう。
紀伊国侵攻の完遂!!
と、いうことで、思ったより紀伊国攻略パートが長くなりましたが、お楽しみ頂けましたでしょうか?




