第九〇話 百足大行進大作戦 その六
▽一五七一年十月、堀内氏虎(四十二歳)戦の最中
自信満々の堀内氏虎の目が陰る。
な、なんだぁ、あの兵は?
だんだんと近づいてくる小勢の九鬼兵……。
生け贄用の捨て兵など、気にも止めていなかったが、注意して見ると、異様な集団だ。
全員が、これまで見たこともない、まるで百足のような硬い甲殻で覆われた光沢のある鎧を着て、手には赤い色の竹束を持っている。
あの竹束は、火縄銃対策だろうか?
その集団が一塊となって、気持ち悪いくらい速く、ゾゾゾゾと動いている。
戦場には、所々に、ぬかるみや段差があるが、敵の集団は、竹束を持ったまま器用に走りながら飛び越えて進軍してくる。
隊伍が乱れない。
体力があり、相当に訓練を積んでいるようだ。
ようす見で、無駄死にさせるためだけの兵に、なぜ、相当な訓練とあの武装をさせているのか?
意味が分からない。
「敵は小勢だぁ! 焦らず狙いを定めよ!」
「ははっ!」
氏虎は、動揺しながらも、兵を鼓舞していく。
敵との距離が半町を切ると、氏長が手を振り上げた。
「よーし放て!」
轟音が周囲に鳴り響く。
耳が痛くなる程の迫力のある音だ。
辺り一面、黒煙が立ち込める。
撃ち終わった兵は後ろに下がり、弾込めを始めた。
「慌てるでないぞ!」
氏虎は、仁王立ちになりながら目を凝らして、黒煙の隙間から敵を見る。
どのくらい倒しているか……?
「なっ!?」
なんと、敵は、火縄銃に怯まず、走り続けている。
それに、倒れている敵兵はたかだか十数人だ。
その敵兵たちも即死している者は少ないようで、立ち上がろうとモゾモゾと動いている。
「くっ! 後発隊、撃てぇ!」
敵は火縄銃が連射できないと思っているだろう。
この攻撃で、倒せるはずだ。
用意していた後発隊の火縄銃が火を吹く。
「や、やったか!?」
また黒煙が立ち込める。
黒煙の隙間から、止まらずに走り続ける敵が見えた。
氏虎は、目の前の光景が信じられない。
「な、なんで、なんで走りを止めない? ええぃ! この敵はなんだ? 氏長、どうするんだっ!?」
氏長に目を向けると、いつもの得意満面な顔が、事態を把握できずに固まっている。
ちぃっ、使えんっ!
敵は、まだ走っている。
熊野衆だけでも五百以上の火縄銃がある。
普通、これだけの火縄銃に撃たれれば、死の恐怖で動きが止まる。
それに連射だぞ。
予想外なはずだ。
浮き足立ち、混乱しない方がおかしい。
敵の動きは、普通では有り得ない。
まるで恐怖を感じない蟲の行進のようだ。
氏虎の背筋に悪寒が走る。
訳が分からないうちに、目の前
まで敵が来ている。
「し、射撃準備ができた兵から順次、撃てぇ! 根来衆と雑賀衆は何をやっている!? 役立たずめっ!」
「はっ!? う、氏虎様! 待機を解除させませんと! こ、攻撃の命令を出します!」
気付いたように氏長は、金切り声をあげながら、部下に根来衆と雑賀衆への待機解除の指示を出していく。
氏虎も心に混乱を生じながら、わめき散らして敵を見ていると、竹束を前面に集められて、弾除け用の陣地が築かれた。
「な、なんだぁ!? 今度は蟲の巣のような物を作りおってぇ! い、意味が分からんっ!?」
やっと根来衆と雑賀衆からも火縄銃が火を吹いた。
ただ、目の前の光景が信じられない。
竹束で作られた蟲の巣は、数千発もの弾の嵐を耐えている。
歯軋りをする氏虎。
「く、くそっ! 何度も撃てっ!」
蟲の巣は、蜂の巣のように穴だらけになったが、壊れない。
すると、蟲の巣の中から、拳ぐらいの大きさの物体が、氏虎たちに向かって投げ込まれた。
動揺で息が切れる。
氏虎の顔は、どす黒く変色していた。
「こ、こんどは、なんだぁ!」
氏虎の陣地に、コロコロと落ちてきた、人の頭とそう変わらない大きさの壺のような物体。
氏虎の足元に落ちた物体がピカッと光ると、体中に衝撃が走り、後ろに吹き飛ばされる。
震える手を見ると、血だらけだ。
氏虎の近くで、氏長が白目で口から血を流して、仰向けに倒れているのが見える。
氏虎は、心を怒りで満たしながら、怒鳴り声を出そうとするが、口の中が血で溢れ、視界が真っ赤に染まっていく。
氏虎は、人生最後の言葉を発することなく、そのまま意識を失った。
▽
九鬼陣営。
朱百足隊の突撃開始時。
三百人の朱百足隊は、一糸乱れぬ動きで、火縄銃が待ち構える敵陣に向かって走り続けた。
途中、ぬかるみや段差があるが、訓練通り、走り幅跳びのようにピョンと跳んで突き進む。
敵陣地に近づくと、敵は予想以上に間隔を短く、火縄銃を連射してくる。
「澄隆様、なぜ、敵はあんな連射が可能なのです!?」
近郷が、焦った声を出す。
「ん? 隊を二つに分け、交互に撃っているだけだろ? 朱百足隊にはそういうこともあるかもと、事前に伝えてある」
近郷が、数秒固まった後、呆然と頷く。
「近郷、からくりが分かれば簡単なことだ。そんなことより……。よし、よし……ふう……。…………。朱百足隊は上手くやってくれたな」
朱百足隊は、二十名から三十名ほどが途中で倒れたが、大多数が敵陣地に近づき、竹束盾で簡易な陣地を作り終えたようだ。
火縄銃対策の竹束、そして何より量産型具足を着ていたから、被害が少なかったのだろう。
それに、敵は、俺たちを舐めていた。
「澄隆様、正面の敵しか撃ってこないのはなぜですかな? まだまだ、火縄銃はありそうですが?」
「ん? 朱百足隊を少数だと侮ったんだろうな……。これは、俺も予想していなかった。正面から連射するだけで倒せると思ったのだろう。あとは、朱百足隊の後ろには俺たち八千がいる。八千を迎え撃つために弾を惜しんだかもしれないな」
「なるほど……」
うんうんと頷く近郷。
「澄隆様、良いかしら?」
肌に張り付いた髪を鬱陶しそうに払いながら、重秀が俺に近付いてきた。
「んん? どうした?」
飄々としていた色っぽい重秀の顔が、初めて見せる心配そうな顔になっている。
「あそこに竹束を使った陣地を作った工夫は凄いわ。でも、あのままだと、火縄銃で削られて、いつかは全滅するわよ……」
なんと、心配してくれていたのか。
良いところもあるんだな。
「ああ、大丈夫だ。これから見ていれば分かる」
バーン!!! バーン!!!
うお!
重秀と話していると、敵の火縄銃が正面だけでなく、その左右からも火を吹いた。
激しい発射音が響き渡り、黒煙がすごい。
あの量だと、火縄銃は二千以上はありそうだな……。
心配になって朱百足隊の陣地を見ていると、何とか、おびただしい弾幕を竹束盾を重ねることで耐えたようだ。
この時代の弾は融解点が低く素人でも容易に製造できる鉛玉が主流だった。
鉛玉は割れやすく、殺傷力は高かったが、破壊力は低い。
竹束盾を重ねたことで、何とか耐えられている。
だが、重秀の言うように、あの量の弾幕を浴び続ければ、いつかは竹束盾は壊れる。
なので、ここからが、竹束盾の工夫だ。
竹束盾の後ろにつけた、金具で作った取っ手を時計と反対回りに回すと、綺麗に外れ、導火線付きの手榴弾になる。
導火線に火を付けると、砲丸投げのように、火縄銃を持つ敵陣地に向かって、手榴弾を次々と投げ入れた。
敵の指揮官らしい男が、オーバーリアクションで吠えているのが見えたが、手榴弾が弾けると、後ろに吹っ飛んだ。
手榴弾の爆発は、敵兵たちを切り刻み、大勢の兵が血を流しながら倒れていく。
「こ、これは……」
重秀の呟く声が聞こえた。
敵勢は初めて見る手榴弾に怯え、逃げ出す兵もちらほら出てきている。
うん、それは怖いよな。
俺だって、破裂する手榴弾の前には立ちたくない。
火縄銃を持つ敵勢は大混乱だ。
「澄隆様、ここが攻め時ですぞ!」
近郷の言葉に俺は頷く。
「よし、第一陣、突撃だ! 光太、懸太鼓を鳴らせ!」
中央部隊四千のうち、第一陣である二千人に突撃開始の合図を送った。
第一陣は、織田家から九鬼家に寝返った槍の名手、木全忠澄に任せている。
突撃開始の懸太鼓が鳴り響いた瞬間、今か今かと待ち構えていた忠澄と兵たちが、怒号をあげながら、走り出した。
「者ども、かかれ、かかれぇ!」
「「おおー!!」」
忠澄が檄を飛ばすと、それに応えるように、兵達の走る速度が上がる。
……士気は高いが、油断はできない。
朱百足隊以外の兵たちは火縄銃への防御がない普通の鎧だ。
念のため、第一陣の最前列には普通の竹束を持たせたが、忠澄たちに向かって、組織的に撃たれたらまずい。
相当な被害が出るだろう。
そこで、次の作戦だ。
朱百足隊は、事前に決めていた通り、本陣の懸太鼓が鳴ると、竹束盾の円筒の中に入れていた煙玉に火をつけて、それを竹にくくり付けると、投げ槍の要領で、四方八方に放り投げていく。
煙玉から出る黒煙で、視界が黒くなる。
投げ槍は一町ぐらい遠くに届く。
朱百足隊から半径一町の範囲は黒煙で見えなくなった。
火縄銃の有効射程距離は、半町ほど。
火縄銃を撃とうにも、狙いがつけづらいだろう。
………………
九鬼家の中央部隊のうち、忠澄率いる第一陣が、敵陣に突っ込んでいく。
敵から火縄銃が散発的に撃ち込まれるが、黒煙で視界が効かない中、弾が当たる味方は少数だ。
第一陣は、朱百足隊の陣地まで追い付き、そのまま木々を圧し折る雪崩れのような勢いで敵と激突した。
朱百足隊も予定通り、その第一陣と一緒に敵に斬り込んでいるはずだ。
たちまち、敵の前線が崩れた。
いかに火縄銃が最新鋭の武器でも、落ち着いて射撃できる環境でなくなった今では、重い荷物にしかならない。
ガキャン! キィィン!
斬撃の音が響き渡る。
こうも接近すると、敵は火縄銃に弾を込める余裕もなく、刀を抜いて、斬り合っているようだ。
朱百足隊も、重い鎧を着ているが、訓練で皆、凄まじく強くなっている。
斬り合いでも活躍していると思う。
俺は、第一陣の戦い振りで、敵の火縄銃が無用の長物になっているのを十分に確認してから、予定通り全軍に突撃を命じた。
第一陣が敵を押し込んでいるところに、九鬼家の全軍が攻め寄せていく。
黒煙で周りが見えない中、第一陣は、逃げる敵を追って突き進んでいるようで、だいぶ、先の方から悲鳴が聞こえる。
「ん? キナ臭いですな」
不安そうに左近が呟く。
「左近、どうした?」
「澄隆様、敵が脆すぎます。第一陣が深入りし過ぎて、我々本陣と距離が離れました。ここは少し落ち着かせるべきかと」
正面の敵は総崩れだ。
敵の脆さは演技ではない気がするが……。
勢いは大事だが、確かに、第一陣と俺がいる本陣とが離れすぎているのは気にかかる。
胸の奥に、ザワザワと棘が刺さるような違和感が広がる。
……少し様子を見るか。
「左近、一度、兵たちを落ち着かせよう。光太、備太鼓だ」
俺は、息を一度、大きく吐いて、立ち止まる。
俺も興奮して、視界が狭くなっていたみたいだ。
落ち着こう。
ふと横を見ると、険しい顔で辺りを見回す左近が呟いた。
「澄隆様、これは敵が来ますぞ」
左近の言葉で、嫌な予感がしてきた……。
▽
氏虎が手榴弾に吹き飛ばされ、熊野衆の陣営が崩壊した直後。
根来衆の津田算正の所に、雑賀衆の土橋守重が現れた。
津田算正の周りには、根来寺の旗が均等に立て掛けられ、風でフワリフワリとはためいていた。
「算正殿! 算正殿はおるか!?」
「おお、おお、守重殿。わざわざ、どうした?」
守重が不機嫌そうに声を荒げる。
「熊野衆が逃げ始めたのを伝えに参った! あの程度の敵に不甲斐ない! 熊野衆を信用したのが間違いだった! どうする?」
「…………ちょうどええ。それなら、逃げる熊野衆を餌にすれば、九鬼家の本陣は熊野衆を追って間延びするやろ。今、立ち込めている黒煙を利用して、根来衆は側面から敵の本陣に突っ込むで」
守重は白髪と化した顎髭を一撫でしながら頷く。
「おお! なるほど、敵の本陣を側面から突くか! それは良いわ! 死なばもろとも! 雑賀衆もお供しよう!」
守重は、伝令役の配下を残して、慌ただしく雑賀衆がいる陣に戻っていく。
算正は、ザンバラ髪を紐で縛りあげ、手を合わせ、目を瞑る。
すると、算正の近くにいた根来衆全員が同じ姿勢になり、お経をあげ始めた。
数秒の祈祷後、ニタリと獰猛に笑って顔を上げる。
「お前ら、死兵になれや」
算正は、右手をヒョイと振ると、全軍に突撃するよう命令を出した。
▽
光太が備太鼓を打つとすぐ。
立ち込める黒煙の中を掻き分けて、ザンバラ髪の兵が現れた。
「なんと……」
近郷が驚いた声で呟く。
敵勢は黒煙で視界が限られている中、火縄銃での攻撃を諦め、白兵戦を選んだらしい。
ザンバラ髪の兵は、皆、同じ服装で、同じ色の槍を持っている。
敵の数はどのくらいか、黒煙で見当がつかない。
しかし、困ったことになった。
先行した第一陣は、前線に突出していて、まだ戻ってこない。
迎撃に手榴弾を使いたいが、こんなに敵が近いと、味方もまき込まれるので使えない。
考える時間はない。
ここは、普通に戦うしかないだろう。
しかし、火縄銃を使えなくするための黒煙を、敵の奇襲に利用されるとは思わなかった。
「左近、これは、迎撃するしかないな」
「今は耐えるしかありませんな……。耐えていれば、第一陣も戻ってきます。また、離れていますが、右翼と左翼の部隊もいます。両部隊が翼で囲むように閉じて、敵を包囲しましょう」
俺は、それならと近郷と左近に命じる。
「左近、近郷、迎撃準備だ」
俺が頷くと、左近は十文字槍を掲げて叫んだ。
「方円陣形! 迎撃準備!」
左近隊が一糸乱れぬ動きで、俺を中心とした真ん丸になる方円の陣形を形成する。
いつもの変態訓練の賜物だろう。
そして、左近隊に促されるように、他の兵たちも左近隊の後ろに加わる。
「アッハッハー!! さあ、守るぞ、槍を構えーい!」
左近は、いきなり笑いだすと、満面の笑顔で、兵たちを鼓舞していく。
いつも、あの笑いは驚くよな。
「うぉほぉほぉ!」
左近隊が、槍を水平に構えて変な叫び声を上げる。
そういえば、左近隊は訓練中、あの変な掛け声をしていたな。
変態訓練で、人格が崩壊しながら変な叫び声を上げていたから、定着したらしい。
俺も無意識に声を張り上げていた。
「今こそ、皆の力が頼りだ! 迎撃準備急げ!」
「うおおおお!」
左近隊以外も、力の限り叫んでいる。
士気は十分だ。
近郷は、首を横にブンブン振りながら、俺の腕をつかんで大声を出した。
「いやいや澄隆様! 影武者の光太もおります。ここは光太に任せて、澄隆様は後ろに下がっても良いのですぞ!」
俺は首を横に振った。
「味方は浮き足だっている。全軍の要の俺が後ろで叫んでいては勝つ戦も勝てない! いいから早く迎撃準備だ!」
俺には、九鬼家の全ての兵達に対する義務と責任がある。
ここで俺が逃げると味方の士気が下がる。
この状況での士気低下は、戦慣れしていない九鬼家の軍にとって致命傷になりうる。
俺が残って指揮を取る方が良い。
だが、年若い小姓たちは別だ。
避難させよう。
後ろに控えている小姓たちを見る。
「小姓たち! 後ろに待避しろ」
「「は、はっ!」」
俺の言葉に、小姓たちは青白い顔で頷く。
史実では有名な武将たちだが、まだ、小さな子供だ。
怖いのだろう。
あとは、中立の使者の重秀たちも乱戦で裏切る可能性があるため、小太郎に命令して、一緒に後方に退避させた。
ふう……。
今回の戦に出陣する前、奈々と妙に対して、俺が直接戦うことはしないと伝えていたが、こうなってしまったのなら仕方がない。
また、フラグ回収した気がするが、覚悟が決まった。
さあ、戦うぞ。
拙作をお読み頂き、ありがとうございます。
引き続き頑張りますので、よろしくお願い致します。




