第八九話 百足大行進大作戦 その五
▽一五七一年十月、澄隆(十六歳)紀伊国 陣幕
俺は、鈴木重秀たちに会ってすぐ、主だった家臣たちに、評定用に広く区分けされた場所に集まるよう呼び掛けた。
家臣たちは、戦の前の気の高ぶりで殺気だっている。
俺は集まった家臣たちを見ながら、話を切り出す。
「皆、ここにいるのが雑賀衆の鈴木重秀殿と的場昌長殿だ。中立の使者としてここに来ている」
「よろしく頼むわね」
重秀は、俺の家臣たちの刺すような視線を物ともせず、手をヒラヒラして挨拶している。
昌長は、腕を組んで、微動だにしない。
二人とも、家臣たちの剣呑な雰囲気を当てられてもなお、悠然と構えていられるのは、余程、胆力があるのだろう。
「それで、重秀殿からの悪い情報だ。今回、熊野衆だけでなく、根来寺と雑賀衆の一部が敵に回ることになった」
「「「………………」」」
皆、厳しい顔で、俺の話をじっと聞いている。
「今回は、火縄銃との戦いになる。光俊に内々に調べてもらったが、紀伊国には、多数の火縄銃がある。野戦で、その火縄銃を持った軍勢と激突することになるだろう」
俺の言葉に重秀の眉が片方上がり、感心したような目付きになった。
俺の言葉に皆、静まり返っている。
火縄銃は、この時代の新兵器として、脚光を浴びてきたところだ。
その新兵器が多数あると聞けば、不安になるのも当然か。
「そこでだ。今回は朱百足隊が作戦の鍵となる」
ゴホンと咳払いをする近郷。
「澄隆様、これ以上は、重秀殿たちには退席して頂いては?」
近郷が重秀を睨みながら、俺に情報漏洩の心配を伝える。
俺は、重秀をジロッと見ると、重秀は俺が見ているのに気付いて、ニッコリと笑った。
握手はしてないから、能力は分からないが、史実でも有名な重秀には、将来、出来れは味方になって欲しいと思っている。
そのためには、今から俺の近くに置いて、九鬼家の力を見せておいた方が良い。
「二人には、護衛として風魔一族を付けている。二人から敵に情報が漏れることはない。重秀殿たちも戦が終わるまでは俺の側にいてもらう。重秀殿、良いな?」
「ふふ、もちろんよ」
重秀は、睨み付ける家臣たちに平然と笑顔を向ける。
近郷は、それならば……と話し出す。
「多聞山城を攻撃した時に使った……あれは何でしたかな、『下足火箭』ですか、あれをこの戦場でも使えば良いのではないですかな?」
近郷は、良いことを思い付いたという顔で言った。
俺は、近郷に顔を向けて、首を左右に振る。
「あれは元々、城を火攻めするために開発したものだ。野戦でも多少は役立つのかもしれないが、燃える物が少ない所では、効果が薄い。それに、人は避けるし、広範囲の戦場を網羅できるほど、連発できる量は用意できないから無理だ」
九鬼家が大和国で下足火箭を使ったことは、大和国の隣国の紀伊国には知られているだろう。
何かしら延焼対策をしている可能性がある。
「そのために、朱百足隊を用意した。最初はこの隊で、突撃する作戦とする」
俺は、下座に控えている柳生厳勝を見た。
「厳勝、朱百足隊の長として、よろしく頼む。評定が終わったら、伝えたいことがある。残ってくれ」
「ははっ!」
ギョロっとした目をこれでもかと見開き、元気に答える厳勝。
「あとは、左近。今回の戦、左近は俺の側にいてほしい。軍の指揮を手伝ってくれ」
大きく頷く左近。
俺は、今まで、前線で一兵卒のように戦ってきた。
何千人もの兵を指揮するためのノウハウが俺にはない。
この数年で、数百倍に勢力を拡大した九鬼家だから、俺だけでなく、近郷をはじめ、皆、軍を率いる指揮官としては、素人同然だ。
かろうじて、島左近が数百人の指揮をしていた。
今回、指揮官として、また、俺の指導員として隣にいてもらう。
九鬼家には全体的に戦の経験が少なすぎる。
大軍を率いる中で、何よりも重要なのが戦場を俯瞰し、臨機応変に軍を動かすことだ。
そのためには優秀な指揮官が必要。
俺自身を含め、戦場で経験を積んで、指揮官としての能力を向上させていかないとな。
なので、小姓のうち、戦巧者が高い者は、後学のために連れてきた。
小姓の岸嘉明、福島正則、加藤清正、柳生徳斎、沢満兼などだ。
今回は戦わせる気はないが、百聞は一見にしかず。
俺も含めて、戦場を良く見て学んでいこう。
▽
重秀が中立の使者として来てから、紀伊国内を進軍すること数日間。
あいにく、ずっと快晴だ。
空は一点の雲翳もなく晴れわたり、鳶が気持ちよさそうに空を泳いでいるのが見える。
青空が眩しくて、思わず目を細める。
雨なら、火縄銃が使えなくなるし、俺たちにとっては有り難かったが、雨が降るまで敵が待ってくれる訳ではないし、兵糧にも限りがあるため、進軍するしかない。
事前に天気が分かっていれば、雨の日に合わせて行軍するが、そんなことは、衛星もなく天気予報士もいないこの時代では無理だ。
紀伊国の奥まで進軍すると、紀伊国を縦断する熊野川が見えてきた。
周囲の景色も山林というよりは川沿いの平原という感じになってきている。
新緑の香りを運んでくる風が気持ちが良い。
そして、物見に出していた忍者からの報告。
敵勢がいよいよ迎撃に集まっているようだ。
敵勢は五千ぐらい。
距離にして約一里先。
俺は、右翼と左翼部隊に作戦通り陣を敷くように、伝令役の多羅尾光雅を通して指示した。
いよいよ、九鬼家にとって初めての大軍同士の戦いが始まる。
………………
強い湿気。
肌がジトッと湿るようだ。
空には、純白の雲を遮るように、編隊で飛ぶ黒い鳥が見えた。
渡り鳥だろうか。
進軍を続けていると、敵勢が見えてきた。
両軍の距離は、だいたい十町ぐらいか。
ここから見える平原は、中木がチラホラ生えているだけで、ほとんど障害物がない。
陽の光を浴びて、辺り一面に生えた草花が濃い緑色に輝いている。
それと、所々に灰色の染みみたいに見える場所がある。
目を凝らすと、泥地っぽい。
足を取られないように、気をつけなくては。
空を見あげると、相変わらず、雲ひとつない真っ青な空。
俺は、乗馬である赤兎から降り、これからは歩いて進む。
物見の忍者たちの報告通り、敵勢は五千ぐらいらしい。
俺たちの方が兵の数が多い。
敵は横幅が広い魚鱗の陣をしいている。
ゴゴゴゴゴ……。
見ているだけで、その迫力に思わず、ゴクリと唾を飲む。
五千もの人数が、均等に並んで立っていて、見ているだけで圧倒される。
これからこの敵勢と戦うのか……。
俺たちは事前の作戦通り、鶴翼の陣を取った。
正面は、前面に朱百足隊、その背後に俺がいる本陣四千。
また、本陣の左右には、二千ずつ、翼を広げたように陣を敷く。
総勢八千の軍勢だ。
俺たちが陣を整える間、敵は動かない。
俺は、目を凝らして敵陣を眺める。
火縄銃を持つ兵もかなりの数がいるはずだが、どこに配備されているかは不明だ。
ただ、敵の陣の正面は、普通より槍の数が極端に少ない。
火縄銃を持つ兵は、たぶん、陣の正面に集められているのだろうな。
「九鬼家の陣形も完了したようですな」
俺の隣で、近郷が呟く。
近郷は、俺の護衛を兼ねて、いつも側に付き添っている。
最近は、日頃の訓練で近郷と立ち会うと、俺の方が強いため、護衛になっていないが、心配性で、いつまで経っても俺から離れない。
俺の隣には、十文字槍を持った左近もいる。
「澄隆様、敵は待ちの姿勢ですな。打って出る気配を感じません」
左近曰く、打って出る時は、熱気が溢れるとのこと。
また、まるで遠くの山を眺めるように相手の全体を見る『遠山の目付』が大事だとも言っていた。
なるほど、よく分からん。
左近から、戦場では感じることも必要ですぞと教えてもらったが、経験から学ぶしかなさそうだ。
俺は、九鬼家の兵たちの顔を見る。
皆、目を怒らせ、戦う準備は整っている様子だ。
俺の隣を見ると、そこには影武者の多羅尾光太が太鼓を持って控えている。
今回の戦から、光太が太鼓の名人とのことで、押太鼓(行軍)、懸太鼓(敵陣に突撃する時)、備太鼓(陣形の再編時)、引太鼓(退却)などを、太鼓の打ち方で全軍に指示できるようにした。
影武者の光太は、太鼓を打つ姿は目立つので、俺の囮役としても最適な役だと言っている。
俺は、光太に太鼓役として俺の後ろに控えていて良いぞと伝えたが、俺の前で囮役になると言って聞かなかった。
しょうがなく、光太には俺と同じ青い鎧を着させて完全防備にさせている。
さあ、始めるぞ。
「よし、全軍前進!」
俺の号令を受け、光太の押太鼓が鳴り響く。
兵たちが俺の声と押太鼓に反応し、『おぉー!』 と雄叫びが上がった。
士気は高い。
力強く歩いていくと、この人数での前進は、さすがに地響きが凄い。
ズンズンと地面が震える。
想定していた距離まで近づいたところで、俺は朱百足隊だけに新たな指示を出す。
「朱百足隊、竹束盾構え!」
訓練通り、朱百足隊が全員、同じ動きで盾を掲げた。
ザサッと音がひとつに揃っていて、訓練が行き届いているのが分かる。
「目標、敵の正面! 朱百足隊、突撃開始!」
赤い一団三百名は、竹束盾を構え、一斉に突撃を開始した。
火縄銃が待ち構えている敵陣に向かって、整然と突入していく。
三百名の精鋭たちには、十分な備えをさせたが、それでも火縄銃の弾幕に平気でいられる訳では無い。
上手くいってくれよ……。
俺は、祈るような気持ちで、遠ざかる朱百足隊を眺めていた。
▽
九鬼家が全軍前進する少し前……。
熊野陣営。
待っていた九鬼家の軍勢が動き出した。
「準備が整いました」
「クククッ」
氏虎は口を意地悪そうに歪めて笑った。
想定通りだ。
九鬼家には火縄銃がない。
おそらくは、全軍で突撃というところだな……。
こちらの火縄銃の餌食だ。
そのまま来いっ!
魚鱗の陣の前面に配置した二千名の火縄銃隊。
熊野衆が正面、右が雑賀衆、左が根来衆になっている。
今ごろ、算正殿も守重殿も手ぐすねひいて待ち構えているだろう。
お互いの殺気で、空気が揺らいで見える。
「敵が押し寄せてきても、お前ら焦るなぁ! 我々には火縄銃がある! 総員構えろ!」
氏虎は、舌舐めずりをしながら、敵勢が射程距離に入るのを待ち構える。
「慌てる必要はないぞ! 二人一組になって、敵を撃て」
氏虎の隣で、得意げに命令する氏長。
こちらの予想通りに事が運んでいる。
「構えよ!」
カチャカチャと音が鳴り響き、火縄銃の銃口が、九鬼家の兵に向けられる。
ここで、予想外のことが起きる。
な、なんだぁ?
一万近くの敵勢は、急に動きを止めた。
その中から、三百ぐらいの少数の兵たちが突撃してきた。
「おい! なぜ、少数しか攻めてこない? おかしいではないか!?」
氏虎は、愚かしいことを口走りながら、隣にいる氏長を睨んで、問いただす。
「もしかしたら、火縄銃が多数あることを嗅ぎ付けたのでは? ようす見のための生け贄の兵でしょう。あの数では何もできないはず……」
「ぐっ! あんな小勢に全軍の火縄銃を使うのは、弾が勿体ないぞ……どうするんだっ!?」
そこに、いい事を思いついたと顔を輝かせる氏長。
「それでしたら、我々熊野衆のみで攻撃し、根来衆と雑賀衆は待機させては? あの少数なら、我々熊野衆の火縄銃だけで十分に対応できます。火縄銃の数を少なく見せて、敵が全軍で突撃してきた時に、一斉に攻撃しましょう」
氏虎は、汗でぎらついた顔でニヤリと笑う。
「なるほど、九鬼家が油断したところを一網打尽にするということだな。よし! 氏長の案通りに待機の伝令を出せ! 急げよ!」
氏虎は、自信満々な顔で、ふてぶてしく腕を組んだ……。
拙作をお読み頂き、ありがとうございます。
いよいよ戦闘開始です。




