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第四七話 朽木谷の退き口 その一

▽一五七〇年四月、横江紺(二十四歳)朽木谷



 朽木谷の鬱蒼と茂る森の中、息を潜めるようにして、面をつけた異様な集団が、身を隠していた。



 その集団の目線の先。

 谷を縫うように、百人ほどの鎧を着た集団が辺りを伺いながら、歩いている。

 旗などはなく、家を特定できるものはないが、耳をすますと、時折、聞こえてくる話し方は尾張訛りだ。



「小太郎様……あれは織田家の兵です。澄隆様の言う通りになりましたね~。澄隆様はホントに神様なんですかね~」

 そう言いながら、楽の面をつけた紺が、小太郎に小声で話しかけた。



 澄隆様は、数ヵ月前にこう言った。

『織田信長は、越前国の朝倉家を四月頃に攻める。ただ、同盟を結んでいた浅井家に裏切られて、越前国で袋の鼠になる。その時、越前国から逃げるために、信長は近習を引き連れて、この朽木谷を通る……。そこで小太郎たちにお願いがある! 朽木谷で落武者狩りにあった形にして、信長を討ち取ってほしい。信長や近習は相当の強さのはずだ。討ち取るのは命の危険が伴う。だが、九鬼家が生き残るためには、ここで信長を討つ必要がある。小太郎たちの力が頼りだ。すまないが、朽木谷に向かってくれ……』



 あの時は、澄隆様のご命令として、すぐさま朽木谷に向かい、谷の中や周辺を数ヶ月間、くまなく歩き、調べ尽くしていた。



 そして、朽木谷の入り口で、信長たちが通るのを、ずっと見張っていた。

 小太郎は答える。

「ホホホ。さて、分かりません。わたしたちは、言われた通り、あの織田家の兵を根絶やしにするだけです」

「そうですね~。あの真ん中いる男が織田信長でしょうか~」

 


 間延びした声を出しながら、紺が一人の男をずっと凝視している。



 兜は外しているが、鎧はとても豪華で、この男を中心に、兵たちが動いているのが分かる。

 その男は、鋭い眼光、戦いに身を置く引き締まった体躯をしていて、全身から煌くようなオーラを放っているように見えた。



 自分の腕に、雨粒が当たるのに気づいた小太郎が、空を見ながら呟く。 

「ホホホ、雨が降りそうですね……暗くなったら挨拶に行きますよ」



 カァーカァー……。

 小太郎が紺に頷く中、空を飛ぶカラスの鳴き声が不気味に響いていた。





 太陽は大きく西に傾き、また、大粒の雨も降りだす中、夜の闇は次第に深まり、辺りは急激に黒く塗り潰されていく。

 湿気を含んだ嫌な空気が、身体に重くのし掛かってくるのを感じる。



 信長は、周りを見ながら、家臣たちに注意を促す。

「よく見張れっ! 落武者狩りにでも不意をつかれたら厄介だ」

「はっ!」

「この辺りでも、浅井家の別動隊が出てくるかもしれんからな」

 信長の隣にいる松永久秀が呟くようにして言った。



「そうですな……」

 森可成が周りを見ながら、掠れた声で答えた。

 浅井家が裏切ったことが分かってから、二日間、休みなく、逃げてきた。

 精鋭を選んで連れてきたが、どの兵たちの顔にも疲れが見える。



 ただ、この朽木谷までくれば、織田陣営になる安全圏まで、あと少しだ。

「信長様、野営の準備ができました」

「であるか……」

 そう短く返す信長は、周りを見渡す。



 見る限り、ただの山林だ。

 ただ、違和感を覚えた信長は、目の前の林をじっと見つめながら、警戒の声を上げる。



「手を止めろっ!」

 信長の突然の命令に慣れている兵たちは、作業をしている手を止め、信長を守るように周りを囲み、周辺に松明をかかげた。



 松永久秀が信長に尋ねる。

「信長様、どうなされましたか?」

 信長は、青筋をたてながら、険悪な表情で、周りを睨み付けていた。

「この殺気が分からぬかっ! 囲まれているぞっ!」



 そのとき、信長たちに向かって、四方八方から、手裏剣が飛んできた。

 特に信長には、数多くの手裏剣が飛んできたが、信長は刀で見事に弾く。

 警戒していたため、兵たちも刀で手裏剣を打ち返している。

「信長様っ! 後ろへっ!」

 闇から生まれ出でるように、森林の影から現れた異形な集団に囲まれた。





 その集団は、全員が能で使うような面を被り、不気味な雰囲気を漂わせている。

 信長たちが刀を構える中、集団から小太郎だけがゆっくりと前に出た。

「ホホホ、織田信長殿とお見受け致します。初めまして」

 闇の中で、静寂を打ち消す小太郎の高笑いは、織田兵たちの恐怖心を煽る。

 

 

 小太郎の両腕に付けられている鉄製の手甲が、松明の光で怪しげに輝いていた。

 禍々しく、この世の摂理から外れた存在のような不気味さ。



 突如現れた小太郎たちを睨みつけながら、信長は眉間に皺がより、不機嫌が顕わになった甲高い声で言い放った。



「なぜ、儂が朽木谷を通るのを知っているっ!? 浅井家の乱波かっ?」

「ホホホ、それは内緒です。少なくとも、味方ではありませんよ」

 小太郎が静かな声でそう言った瞬間、楽の面をした忍者たちが、俊敏な動きで忍刀を振り上げながら、襲いかかった。



「き、気味の悪い面をして、こいつらは一体、何だっ!」

 松永久秀の表情が歪む。 



 可成は驚愕した顔をしながら、信長を見て叫ぶ。

「ここは、森隊が盾となりまするっ! 後で追いつきます。信長様は、先に京へご帰還あれっ」



 信長は可成を置いて逃げることに一瞬、逡巡する素振りを見せたが、可成の決意の目を見ると、重々しく頷いた。

「可成、任せたっ!」

 信長は、松永久秀と兵たちを引き連れて駆け出した。



「鋒矢の陣をひけぇっ! あの場所を突破しろっ!」

 信長は、たった一瞬で突破口を見抜くと、その信長の命で、兵たちが一本の巨大な矢となり、包囲している風魔一族に襲いかかった。


 

 決死の形相の織田兵たちと、楽の面をつけた風魔一族がぶつかる。

 忍者のうちの一人が、忍刀で織田兵の首を斬りつけたが、織田兵は血を吹き出しながら、しがみつき、信長たちが逃げる道を作る。

 信長たちの突進力は凄まじく、犠牲を払いながらも囲みを破って、逃げ出した。



 小太郎は、落ち着いた声で、紺に指示を出す。

「さすが、皆、精鋭でお強い。あの風格、あの手際、影武者ではなく、織田信長本人で間違いないようですね……。紺、可成と呼ばれたあの男は楽の隊に任せますよ。わたしたちは手はず通り、残りの隊を使って、信長を朽木谷の奥へと追い込みます」

 


 小太郎はそう言うと、影に同化するように消え去った。

 




 楽の隊は、その場に残り、可成達との激闘を開始した。



 その中で、信長から可成と呼ばれた男は槍をドッシリと構えている。

 太腿を守る鎧の部分には、鶴が描かれた鶴丸紋が入っている。

 歳は四十代ぐらいで、白髪混じりの精悍な男だ。

 立ち居振る舞いだけでも、一流の武人の気質を感じる。



 そこに、楽の面を付けた二人の忍者が、クナイと呼ばれる両刃の忍具を低い姿勢で構えながら、もの凄いスピードで距離を詰めた。

 可成の槍が煌めき、二人を斬り裂く。



 ブジャァァァ!

 血を噴き出して倒れた二人は、風魔一族でも手練れの者たちだった。

 それをいともたやすく倒してしまうこの男は、達人の腕前だろう。



 すぐに、槍使いに不利な左右から、楽の面を付けた忍者たちが忍刀を振り上げて襲った。

 可成は、右前構えに変化し、左足を軸に高速で体の向きを変えつつ、長い槍を変幻自在に動かす。

 すると、忍者たちは忍刀が届く距離に近付くこともできずに次々と斬られていく。



 紺は、目を見開く。

 驚いた……まさか、これ程の槍の使い手がいるなんて。



 紺は、味方の忍者たちを押し退けて、可成の前に立った。

 楽の面を付けてはいるが、体つきから女だと一目で分かる忍者を見て、可成は戸惑いの表情になった。


 

 手には武器も持っていない女だ。

「女か……正直、斬りたくはないが、ここは容赦はしない。御免!」



 可成は、長い槍を鋭く振り下ろした。

「ハァァ!」

 紺は、鋭い声を発し、右腕を振るう。

 ビュッと風を切る音が鳴る。

 腕に巻き付いていた銀鎖が伸び、可成の槍のちょうど半ばあたりを真っ二つに切った。



 驚いた顔で可成はとっさに後退すると、槍を捨て、腰に差していた刀を抜く。

 紺は、伸びた鎖を左右に動かし、体勢の崩れた可成の頬と腕に傷をつけた。

 可成の顔色が変わる。

「ちっ、鎖使いか。油断したわ……。暗い中で見づらい。生き物のように動かしおって……」

 可成は、刀を両手で握りしめ、肩の筋肉を盛り上げながら呟く。



「ヤァッ!」

 紺の掛け声と共に鎖が放たれるが、可成は洗練された動きで、持っている刀で受け止めた。


 

 カキィィィン!

 薄暗い中で、赤い火花が飛ぶ。



 紺は、まるで独楽のように体を回転させながら、連続で銀鎖を打ち込んでいく。

 可成は、素早く構えを崩さないまま刀で受けること数十回、鎖の動きに慣れてきたのか、赤い火花を輝かせながら、紺との距離をジリジリと詰めてくる。



 紺が掛け声短く、可成へ鎖を放ると、可成は首を斜めに傾けて避け、紺の顔に向かって、刀の先を突きつけた。

 キン!

 紺は、その一撃を辛うじて避けるが、楽の面に掠り、面が割れ落ちる。



「姐さんっ! 危ないっ」

 間髪入れずに、楽の面をした忍者が、可成に覆い被さるように飛びかかるが、可成は振り向きざま、斬り捨てた。



 だがここで、可成が刀を落とす。

 手がブルブルと震えている。



「こ、こ、これは……痺れ薬か?」

 可成が震える手を何とか動かそうとしながら、紺に目を向けた。

「とある一族から頂いた秘伝の薬です。すみませんが銀鎖に使わせて頂きました……。とてもお強かったですよ」



 紺は、垂れ目の顔を可成に向けた。

 松明に照らされた紺の瞳は色素が薄く、見ていると吸い込まれそうなほど輝いている。

 透明感のある肌の白さが、薄暗い中で際立って目立っていた。

 日本人離れした魅惑的な美しさに可成の目が奪われる。



「そ、ま、ま、まるで妖姫のようだな……」

 紺は右手をサッと振るう。

 紺の銀鎖が伸びて、可成の首に、吸い込まれるように突き刺さった。

お読みいただき、ありがとうございます。

まずは、森可成を、風魔の紺が討ち取りました!

逃げる織田信長と松永久秀。追う小太郎たち。

討ち取ることができるのか!?

次回もお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 朽木谷に追い込むか 最終的には、朽木元綱が信長達を殺したという形に見せかけるのかな?
[一言] そもそも武将と数人とかならともかく100名もの精鋭に守られてる信長を普通に罠ではめ殺すのではなく落武者狩りに見せかけて殺せというのが無茶な要求だよなあ。
[良い点] 数ヶ月もの間、朽木谷を調べ尽くしたなら、信長たちは、まさしく、袋の鼠ですね! 信長がめちゃくちゃ強そうなのが、気になりますが……
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