第四六話 信長の越前攻め
▽一五七〇年四月、滝川一益(四十五歳)北畠家 本陣
一益は信雄に対して、車盾による攻城が失敗したこと、そして、退却すべきという進言をした。
「信雄様、九鬼家の燃える兵器によって、車盾による城攻めも失敗致しました。拙者の不徳の致すところ。誠に申し訳ありませぬ……。九鬼家は驚くほど士気が高く、城は攻めづらく手強い。信長様は拙者の予想では、これから他国に攻め込むでしょう。労多く実り少ない九鬼家は後回しにして信長様の動きに合わせ、信長様の助力に回るべきかと。一度、引きあげてはいかがですか?」
信雄は、苛々と足を揺すりながら話す。
「一益、俺が総大将だよなー。俺は初陣なんだぞ。初陣が失敗するなんて、そんな、情けない姿、父上に見せられる訳がないだろー」
信雄は、持っている手紙を一益に投げた。
「父上には、既に報告済みだ。もうすぐ鳥羽城が落ちるから、待って欲しいと言ったら、承知してくれたぞー」
なんと、手回しの良い。
こういうことには頭が回る。
「一益、鳥羽城にいる敵兵は、少ないんだろー? 攻め続ければ、いつかは落ちるんだ。兵がいくら死んでも良いから、攻め続けろよー」
拙者は、頭に血が上り、危うく信雄を殴りつけたくなった。
ただ、ここでそんなことはできん。
今でも低過ぎるほどの士気が、さらに下がる。
握った手を微かに震わせながら、顔には出さずに信雄に頷く。
「分かり申した。攻めましょう」
▽
一益は、木全忠澄から、車盾を燃やした兵器の一部を受け取った。
「これは、炮烙か?」
「はい、炮烙の中に、火薬を目一杯詰めているのかと……」
撤退させた兵たちは、大火傷をしている者も多く、兵たちの多くが九鬼家の兵器に震え上がっている。
「一益様、車盾も燃えてなくなり、これからは大盾に頼るしかありません。兵たちは、あの砦に近づくのを怖れております……」
一益は、舌打ちをしながら、対応策を出す。
「火縄銃がないから……火矢だ。砦は石造りで効果は薄いが、砦の上に火矢を降り注げば、引火するのを怖れて、あの燃える炮烙は、使いづらいだろう。火矢を使って、攻めるぞ」
「火矢ですか……。さすが、一益様、それなら、兵たちも戦えましょう。……あと、懸念としては、もう一つ。砦の門が予想以上に硬いところですな」
「ああ、あの門は鉄板で補強されている。良い鍛治職人がいるんだろう。敵に、あの破裂して礫を撒き散らす兵器がある以上、門を破るのは難しい。ここからは、やりたくはないが、梯子を使った力攻めで兵を削り合うしかない。忠澄、頼むぞ」
一益は、兵の損害を気にせず、攻め続ける覚悟を決めた。
▽
信雄と滝川一益が鳥羽城を連日攻めている最中。
織田信長は、一益の予想通り、朝倉家を滅ぼすために、信長と同盟者の徳川家康を加えて、約三万の軍を率いて、尾張国を出陣。
この軍には、織田軍の武将のほか、畿内の大名である池田勝正や松永久秀も従軍した。
信長たちは、破竹の勢いで、越前国の各城を落としていった。
朝倉家の命運も風前の灯火。
朝倉家の本拠地である一乗谷城の喉元に位置する敦賀の金ヶ崎城も落とし、朝倉家の息の根を止めるための小休止をしているところだった。
………………
その陣地に、驚愕の報告が入った。
「そんな馬鹿なことがあるかぁぁぁ!」
信長の甲高い声が響き渡った。
突然、越前国の後方、北近江の浅井家が裏切り、信長の退路を断とうとしているという情報が、近江国周辺の諜報を行っていた松永久秀からもたらされた。
信長は最初、その報告を信じなかった。
信長の妹であるお市が、浅井長政に嫁いでおり、浅井家とは強固な同盟関係にあったせいだ。
長政とお市の間には、長女茶々が誕生し、お市がまた妊娠したとの報告を受けたばかりだった。
信長は、浅井家との交わりを考えれば、浅井家が反旗を翻すことはないと考えていた。
ところが、浅井家は朝倉家に味方し、越前国の奥深くで、織田軍は、立ち往生することになった。
後方に物見を出すと、浅井家はすでに城を発し、粛々と進軍中との報告が入った。
浅井家に背後から攻められ、前方の朝倉家も浅井家の裏切りを知れば、攻めてくるのが目に見えている。
まさに袋の鼠だ。
地理に疎いこの場所で、前方後方から攻められたら、勝てる見込みは万が一にもない。
「各将を集めよっ!」
信長は、近習に怒鳴るように命じた。
各将たちが、青い顔をしながら集まってきた。
皆、大変なことが起きたと分かっている。
「信長様、揃いましたっ!」
近習の言葉に頷き、諸将を見渡して、発言する。
「浅井長政に裏切られたわ。浅井家を信じすぎた儂の責任だ。すまぬ……。ここは、引かねば全滅する。陣払いをするぞっ! 急げっ!」
「「「は、ははっ!!」」」
信長は、目をつぶると、一瞬間を開けてから、危険な任務であるしんがりを名指しした。
「しんがりは、明智光秀、池田勝正、木下秀吉っ! 陣にある物はそのままにして、朝倉家に陣払いを気付かせるなっ! 急いで京へ引き返すぞ!」
明智光秀が頷きながら、前に出て、信長に確認する。
光秀は、細面で目元が涼しく、品がある貴公子のような顔だったが、緊張からか、顔を強張らせていた。
「しんがり、承りましょう。耐えてみせまする。信長様……。浅井家が退路をふさぐ中、琵琶湖の東は勿論、西の琵琶湖沿いの街道も危のうごさいまする。いかが致しますか?」
信長は、近習に地図を広げさせて、ある場所に采配棒を指した。
「ここだっ! 儂は琵琶湖のさらに西、朽木谷を通って京へ戻る。松永久秀っ! 道案内を頼む。森可成と近習は共にこい。しんがり以外は、若狭国方面に、各部隊が別れて退却せよ。別動隊の三河の家康殿にも同じことを伝えよ。各々、命を惜しめよっ!」
光秀は、真剣な表情で地図を見ながら、信長に助言する。
「信長様、確かに、朽木谷は浅井家の手が廻っていないと思われますが、近習だけだと危険でござりまする。精鋭を連れていってくださいませ」
「……よかろう。百名ほど用意しろっ! それ以上は目立ちすぎる。光秀、勝正、秀吉っ! しんがり、頼むぞ」
秀吉は、死ぬかもしれない危険なしんがりを頼まれても、喜び勇んで頷き、信長の前に跪く。
秀吉の服は、色々な柄のパーツを寄せ集めて繕っており、家臣の中で異色の姿であった。
その秀吉は猿のように赤い目、所謂『猿眼』の瞳から大粒の涙をボトボトと流しながら、顔をくしゃくしゃにして言った。
小柄な体躯に似合わぬ大声で、不思議と聞く者の心に染み渡る声色であった。
「の、信長様ぁ、ど、どうかご無事にご帰還くだされ。オラァ、死んでも構いませぬ。しんがりをしっかり務めさせて頂きやすっ!」
信長は、静かに頷くと、懐にあった短刀を秀吉に与え、死ぬなよと伝えた。
即座に退却を決断した信長は、朽木谷を通って、京へと逃げることになった。
前回もたくさんの感想、ありがとうございました!
とっても嬉しく、本当に感謝しております。
それで、まだ、小太郎たちは登場しておりませんが、小太郎たちの行き先は…………そうです『朽木谷』になります!
正解の方も多く、皆様、さすがでございます。
次回からは、朽木谷で、織田信長と風魔一族が激突します。
お楽しみに!




