第三九話 焙烙火箭大作戦 その一
▽一五六九年十月、九鬼嘉隆(二十七歳)海戦開始 安宅船
太陽が真上から西に傾き、強い日差しで水面がきらめいている。
その水面を切り裂くように、織田水軍が進んでいる。
船には、九鬼嘉隆の陣旗である『あらは』と描かれた旗が風を受けてはためいている。
織田水軍の中で一際目立つ船、大型の安宅船の矢倉上で、九鬼嘉隆が采配棒を持って、目の前に広がる四十艘程度の澄隆の船団を睨んでいた。
「かはははっ! 澄隆は船で出てきただと! 飛んで火に入る夏の虫だ! 大砲で殺してやる。ぐちゃぐちゃにしてやる!」
嘉隆は、鷲が獲物を見つけたような顔で叫んだ。
澄隆を殺したくて、嘉隆の目はギラついている。
嘉隆の家臣達は、命令を受けると、慌ただしく大砲の準備を始めた。
射抜くような目をした嘉隆は、澄隆の陣形を見て呟く。
「鶴翼の陣だと……。澄隆は、相変わらずのうつけかっ! 儂の船団の数に対して取る陣形ではないわ!」
鶴翼の陣は、読んで字の如く、鶴の翼を広げたような形で、敵を包み込んで叩く陣形だ。
自軍の方が数が多い時に有利で、少ない時は翼が破かれて不利になる。
鶴翼の陣の真ん中に安宅船がいて、そこから両側に船が翼を広げたように並んでいる。
織田水軍の半分ぐらいの澄隆の船団が、常識的に考えて、取る陣形ではなかった。
「魚鱗の陣を敷け! 急げよ!」
「「へい!」」
発破をかけると、家臣達は野太い声を発して返事をする。
士気は高い。
その様子を満足そうに眺める嘉隆。
船の数は圧倒的にこちらが勝っている。
フランキ砲もある。
火縄銃もある。
このまま正面からぶつかれば、澄隆の貧相な船団など、簡単に打ち破れるだろう。
嘉隆は、勝利を確信していた。
▽
俺は、小型安宅船の矢倉の上から、織田水軍を見ている。
陽光が肌を突き刺すほど強く、外にいるだけで、汗が噴き出てくる。
額から頬に流れる汗が鬱陶しい。
海上には陽炎が揺らいで見える。
茹だるようなジットリとした湿気が、余計に暑く感じられる。
「澄隆様、大船団ですな……」
隣にいる近郷が、手拭いで汗を拭きながら、話しかけてきた。
近郷、汗臭いぞ。
九鬼家唯一の小型安宅船の矢倉上には、俺と近郷以外には、島左近、渡辺勘兵衛、そして安宅船の船長になっている越賀隼人と、船参謀とした三浦新助が揃っている。
小姓のクール吉継、おにぎり行長やとんがり三成などは、元服前なので、城に置いてきた。
念のため留守の城を任せている奈々と宗政などと一緒に、見張り台で、この海戦を見ているはずた。
俺は、矢倉上から周辺を見渡す。
九鬼船団の行動は、俺が提案した太鼓と手旗信号を使って統制されている。
よしよし……。
各船の船長は、武適性の船士術が高い者ばかりだし、これまでの訓練の効果もあって、きちんと各船が動いているな……。
なんとか、織田水軍の大砲の有効範囲に入る前に、鶴翼の陣を敷くのが間に合ったようだ。
今、お互いの船団の距離は、三浦新助に聞くと、十町ぐらいらしい。
大砲の有効射程距離を考えると、あと、五町ぐらい近づいたら大砲の弾が飛んでくる。
安宅船の防御力があっても、大砲の弾が直撃したら、無事じゃすまないだろう。
俺は、大砲の恐ろしさを皆に伝え、船の出港を急がせた。
皆、俺が大砲をこんなに怖がっているのを驚いているが、約一貫の弾が勢いよく飛んでくるんだぞ。
直撃したら、木造の船は、只では済まない。
俺が怖がったから、皆、急いでくれて、結果として、迎撃が間に合った。
これから、俺にとって、初めての海戦だ。
俺は自分の右手を見る。
緊張からか、手は汗でびっしょりとなっていた。
「織田水軍は、魚鱗の陣か……」
「澄隆様の読み通り、魚鱗の陣を敷きましたな」
魚鱗の陣……魚の鱗のような形に船を配置し、一つに固まって突撃してくる陣だ。
鶴翼の陣に対する時、良く使われる陣形で、固まって敵の中央を食い破る。
このままだと食われるのは、まず、鶴翼の陣の真ん中に位置するこの安宅船だ。
「ずいぶん、織田水軍は、密集していますな……」
近郷が、目を細めながら、呟く。
「船の数も多く、大砲もある。嘉隆は、相当な自信があるのだろう。魚鱗のまま、突撃する気だ」
俺は、喉に物が詰まったように声が出づらいが、無理やり大声で指示をだす。
「攻撃準備だ。皆に合図だ!」
俺が言うと、攻撃準備の太鼓の音が響き渡る。
俺たちの船団のうち、安宅船に十門、残りの約四十艘に一門ずつ備えた火箭筒から、焙烙火箭を発射すべく、準備を開始した。
火箭筒の大きさは、全長は約一間、筒の口径は約二寸。
焙烙玉を内部に入れた火箭を、筒を用いて発射、さらに火箭内に入れた黒色火薬の火力を推進力として、遠くへ飛ばせるようにした。
火箭の先端には鉄の矢じりを付けて船に突き刺さるようにし、火箭内に硝石、硫黄、木炭を詰め、時限爆弾のように導火線で突き刺さった後に燃え上がる構造だ。
火箭筒は、前世で言う、バズーカ砲みたいな形だ。
火箭筒には土台を付けて、上下左右に可動できる旋回砲のような工夫を施している。
光俊曰く、今のところ、飛距離は狙いをつけないと十町以上は飛ぶらしいが、狙いをつけるためには八町ぐらいの距離まで近づかなければならないようだ。
五町ぐらいになれば、命中率はさらに上がる。
しかし、五町になれば、敵の大砲からも撃ってくるだろう。
味方の被害を減らすためにも、命中率が多少下がっても八町の距離から撃つべきだ。
火箭筒にはすべて、これまでの発射訓練を繰り返してきた多羅尾一族が張り付いている。
敵の大船団が近づいてくる緊張感で、船内は静まり、波の音だけが響いている。
九鬼家、四十艘をこえる船団の攻撃の準備が完了した。
▽
織田水軍は、魚鱗の陣のまま、突き進む。
安宅船の矢倉上で、嘉隆は、叫んでいた。
「澄隆のやつら、鶴翼を崩さず、進むなんて馬鹿がっ! おびえろ! 喚け! 海の藻屑にしてやれ!」
嘉隆は、采配棒を振り回し、大声で叫んだ。
嘉隆のこめかみに分厚い青筋が浮かんでいる。
ただ、嘉隆は、心の中では冷徹に考えていた。
なぜ、澄隆の陣形は整然としている?
海戦の素人の澄隆ならまだしも、近郷なら不利なのは分かるはず……。
何か奥の手でもあるのか……。
嘉隆は、田城城を攻めた時に、油断から手痛いしっぺ返しを受けたことを思い出していた。
言い知れぬ不安を感じる。
ここは、念には念を入れて、大砲が撃てる距離まで早く近づくべきか。
「押し太鼓じゃあぁぁぁ! 全船、この陣形のまま、全速で進んで距離を詰めろぉ!」
織田水軍は、嘉隆の命令で、漕ぐ早さを上げて、加速した。
▽
うわ、織田水軍が加速した。
三艘の安宅船から見える櫓が、早く動いているのが、遠目でも分かる。
他の船も波を切って走っている。
陣形を崩さずに、整然と進む織田水軍は、船乗り達も相当の技量があるのだろう。
俺は、火箭筒を見て、改めて、発射準備が終わっていることを確認した。
「新助! 距離が八町になったら知らせろ!」
「はっ! 畏まりましたっ!」
………………。
…………。
……。
ザーンザーン……。
波が船体に当たる音が聞こえる。
待つ時間が異常に長く感じた。
俺はグッと手を握りこむ。
妙に汗ばんだ手だった。
「澄隆様………………………八町ですっ!」
俺は、大きく頷く。
「攻撃開始の合図を出せっ! 密集している敵を攻撃しろ!」
俺がそう叫ぶと、攻撃開始の太鼓がドーンドーンと鳴る。
多羅尾一族の「角度良し! 発射!」という声が響いた。
細長い形の火箭筒は、日光に照らされて、キラキラと輝いている。
そこからポンポンと焙烙火箭が発射された。
火箭は、黒煙を引きながら、嘉隆達がいる船団に吸い込まれるように飛んでいった。
俺は、敵の船団を凝視し続ける。
すると、敵船の所々に、パッと赤い花ビラのように見える炎が現れた。
▽
焙烙火箭が発射される少し前。
嘉隆は、波を切って全速力で進む安宅船が上下に揺れている中、全く微動だにせず、平然と立っていた。
その嘉隆の目に猜疑の色が宿る。
なんだ、澄隆達の船の先端に何かあるのか?
澄隆達の船の先端には、人だかりがあり、キラキラと光る物が見える。
睨んでいると、その場所からポンポンと乾いた音がした。
信じられないことに、黒煙をあげながら、大きな矢のようなものが、礫のように降ってきて、嘉隆達の船団に突き刺さる。
嘉隆の安宅船にも突き刺さった衝撃があったが、矢倉上に刺さった物を見ると、ただの大きな太い矢だった。
ここまで届いてきた驚きはあったが、大した被害はない。
嘉隆が、気にせず進めと叫ぼうとした時、異変が起こった。
ボォォォオン!
刺さった矢が破裂し、矢から花びらのような炎が発生した。
拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
励みになります。
次回、焙烙火箭VSフランキ砲の戦いです。
お楽しみに!




