第二一話 追いこくら大作戦 その三
▽一五六七年九月、九鬼嘉隆(二十五歳)波切城
「くそぉぉぉぉぉおー! 澄隆めぇぇぇ!!!」
嘉隆は、這々の体で、波切城に逃げ帰っていた。
怒りで、怒鳴り声を上げる嘉隆。
ただ、嘉隆は激昂しながらも、心の中は冷静に今後のことを分析していた。
澄隆に、あんな気味の悪い家臣どもが増えているとは計算外だった。
あいつらはなんだ?
いつから澄隆の家臣になっていた?
頼みの鎌太夫が討たれた今、このまま、この城で戦っても勝ち目はなさそうだ……。
本来であれば、さっさと澄隆を討ち取って、澄隆の生首を眺めながら、田城城で酒を飲んでいる予定だった。
ギリッ!
追い詰められた怒りから、猛禽のような顔を歪ませ、歯がみする嘉隆。
口惜しくて、刀を握る手は、痺れるくらい力が入り、その手から血が滲んでいる。
くそが……。
仕方がない……。
「お前ら! 金銀財宝や兵糧を出来るだけ集めて、船に運べ!」
「!? 嘉隆様、どうなされるので?」
「船に乗って、再起を図るぞ! 金目の物から、出来るだけ船に積み込め! 遅い者は捨てていくぞ! 急げぇぇぇ!」
「「「へ、へい!!!」」」
悔しいが、ここは、逃げの一手だ。
澄隆達は船を持っていない。
……追われることもないだろう。
どこか、儂を高く買ってくれる大名に取り入って、必ずや、ここに戻ってきて、復讐してやる。
「澄隆ぁぁ! 必ず戻って、今度こそ、殺してやるぞ! お前ら、早く、宝を積め込めぇぇ!」
嘉隆は家臣達を怒鳴りつけ、刀を振り回しながら、船への積み込みを急がせる。
目を怒らせた嘉隆に恐れて、嘉隆の家臣たちは唯々諾々と従っている。
城にある宝や兵糧は莫大で、そのうちの半分ほどを保有している船に乗せると、全ての船は満杯になった。
家臣の一人があたふたと嘉隆のまえに来て、膝をつく。
「嘉隆さまっ! 出港の準備が整いやしたっ! それで、この城はどうしやすか。火をつけやしょうか?」
「!? ぐぎゃ!」
嘉隆は目を血走らせながら、その家臣を斬り捨てた。
「馬鹿者はいらんっ! 儂はすぐに志摩に戻ってくるんだ! 儂の大事な城に火をつけるなんて下らんことを言うなっ!」
固まる家臣たち。
嘉隆は家臣たちに刀を向けながら、言い放つ。
「お前ら、手を止めるな。同じ目にあいたくなければ、動けっ! すぐに出港するぞっ!」
「「へ、へぃっ!」」
嘉隆たちは、宝や兵糧で満載になった船団をまとめ、志摩を後にした……。
▽
俺たち九鬼勢が、波切城まで目と鼻の先の所まで向かうと、光俊達が待っていた。
「澄隆様っ! 嘉隆達は船で逃げております。城はもぬけの殻です」
物見をしてくれた光俊達からの報告だ。
今から、城攻めだと覚悟していたから、皆、信じられないといった顔をしている。
「す、澄隆様、勝ったのですな……」
俺に話しかける近郷の声が震えている。
嘉隆に完勝した。
近郷は、口をポカンと開いて呆然としている。
戦う前は、想像もしていなかった結果だったのだろう。
他の家臣たちも同様に呆然としたままだ。
俺は、あのふんぞり返った偉そうな嘉隆が、こんなにも早く、逃げるとは思わなかった。
この潔さが、さすがと言うべきなのか。
「嘉隆たちを追う船はあるのか?」
俺は、光俊に尋ねる。
「それが……。波切城にあった船のほとんどは、嘉隆たちが逃げるのに使われたようです。それに、残っていた小船は叩き壊され、使い物にならなくなっております」
「そっかぁ……」
船は欲しかったが、港がある波切城が手に入っただけでも良しとするか……。
嘉隆を逃がしたことは、心残りだが、俺の初めての戦いは、大勝利に終わった。
「よし! 波切城を接収する」
俺の言葉に頷く近郷。
「澄隆様、この度の采配、お見事でした……。とても初陣とは思えない戦振りでしたぞ」
近郷が嬉しそうに、俺に話しかけてきた。
俺の背後からは、感心したように話す伴兄弟の声が聞こえる。
「長信、澄隆様の作戦のおかげで大勝利だな!」
「ああ、兄ぃ。こんな鮮やかすぎる勝利、夢みたいだ……。澄隆様はとんでもない策略家だな!」
持ち上げ過ぎだ。
俺は何だか恥ずかしくなって、思わず声を荒らげる。
「おい、皆、何をやっている。早く城に入るぞ!」
「「「ははっ!!!」」」
俺を見る家臣たちの目が称賛や畏怖で溢れている。
凄く落ち着かない……。
俺は、歴史オタクの知識を応用した作戦を用いただけだ。
自分の力ではない。
家臣たちの称賛を真に受けて、いい気にならないように気を付けないとな。
俺は、息を深く吐きながら上を向くと、いつの間にか、雨があがっている。
雲の切れ間から光が差し込む中、俺は家臣たちを引き連れて、波切城に向かって歩き出した。
………………
俺が波切城に入ると、城の奥で家臣たちが何やら騒いでいた。
「凄いぞっ! 見てみろよ」
「うぉ! これは……」
俺は声がする方に進むと、武具や防具、銭が詰まった袋、高価そうな置物、うず高く積まれた米俵が目に入ってきた。
雑穀が入った麻袋も大量にある。
おお、これは嘉隆が貯め込んでいたお宝か……。
嘉隆たちは、よっぽど急いで逃げたのか、刀や鎧などが床に散乱し、足の踏み場もない状態になっている。
ここにあるお宝は、嘉隆が海賊働きで稼いだものだろう。
逃げ出す時、持ち出せなかったお宝なんだろうな……。
うつ伏せに死んでいる兵が目についた。
仲違いでもあったのか。
「澄隆様っ! 見てください。あんなにたくさんの武具や兵糧がありますぞ! おお、あちらにもっ!」
興奮した近郷が指を差す先には、華美に装飾された武具や積まれた米俵がある。
大量の槍が乱雑に差し込まれている樽もある。
これからの戦には、武具や兵糧はいくらあっても良い。
予想外の戦利品に俺の頬が自然と緩む。
目の前に並んでいる鉢金や陣笠などの兜、腹巻などの鎧を味方に配って、兵たちの防御力を高めよう。
あとは、これだけ刀や槍などの武具があれば、掘り出し物もあるかな?
俺の右手で武具を触れると、その武具の価値が分かる。
落ち着いたら、すべて鑑定してみよう。
「近郷。九鬼家にとって、これは助かるな」
俺の言葉に、近郷は満面の笑みで頷いた。
▽
「おーい、掘ったぞー。こっちだ!」
波切城の接収後、動けるもの総出で、敵の死体を埋めている。
味方の死体は、家族の元に送ったが、嘉隆勢の死体は、身元が分からないのものが多く、一ヶ所に集めて埋めることにした。
作業の指揮は近郷が取ったが、俺も当主として、片付くまでは現場にいる。
そして、光俊や小太郎には、志摩国内の他の地頭が、隙に乗じて九鬼領内に攻め込まないか、周辺を探る指示を出した。
「澄隆様、だいぶ作業が進みました。同じ九鬼同士、放置する訳にはいかないですからな……」
「ああ、ありがとう、近郷」
皆、顔に疲労の色があるが、勝ち戦で意気が上がっているからか、テキパキと動いている。
俺は、作業をするところを眺めながら、ぼんやりとしていた。
「澄隆様、いかがされました?」
振り向くと、奈々が数歩後ろに控え目に立っていた。
「ああ、奈々か……。勝てたことは嬉しいが、味方もだいぶ死んだ。昨日まで一緒に笑い合った味方が、今は何人も死んでしまった……。多羅尾や風魔の一族の者も死んだ。俺は、死んだ皆に報いることができるのかな……」
波切城にあったお宝の一部は、死んだ家臣たちの遺族に配ることにしたが、心が痛い。
俺が沈んだ声で話していると、奈々はじっと俺の顔を見続けている。
そして、俺のすぐ側まで歩いてきた。
「澄隆様……。私たちは、澄隆様の善政のおかげで、家族も含め以前とは比べられないぐらい、豊かな暮らしができています。此度の戦、私は澄隆様のために、死ぬ覚悟を持って出陣しました。皆も同じ気持ちで出陣したのだと思っています。亡くなった皆も……澄隆様のために戦ったことに後悔はしていないと思いますよ……」
うん……。
そうは言ってもな……。
歴史オタクの俺はこの時代に来て、無邪気に燥いでしまっていたが、想像と実体験とはまったく違った。
実戦というのは、映画のように格好の良いものではなかった。
実戦は勝っても辛いものだった。
戦うことを決めた時、俺自身は死ぬことを覚悟したが、昨日まで一緒に笑っていた味方が死ぬのは、本当に心が痛む。
俺なんかが当主のために、死んだ味方。
自分でも、よく分からない様々な感情が湧き上がる。
俺にはまだまだ覚悟が足りなかったな……。
「フゥゥゥ〜」
俺は、心の中のモヤモヤした気持ちをすべて出すように、一気に息を吐き出す。
前世では感じたことのない心の痛み。
肩の傷は、ズキズキと燃えるように痛いが、こんな痛みより、心の痛みの方がよっぽど強い。
……俺は間違っていた。
俺は、この時代にしっかりと向き合う覚悟が足りなかった。
味方の死に責任を持つ覚悟も足りなかった。
考えが甘かった。
甘過ぎた。
俺は死んだ味方一人ひとりの生前の笑顔を思い浮かべる。
皆、良い笑顔だったよな。
うん……甘さを捨てよう。
皆のために覚悟を決めよう。
俺は、死んだ皆に恥じないように、そして従ってくれた皆のために、澄隆としてこの時代に向き合おう。
憑依が解けて俺が消えるその日まで……。
俺は、奈々の目をまっすぐ見つめる。
「奈々……。ありがとう。奈々は死ぬなよ」
奈々は、何か吹っ切れたような力強い声を出した俺に安心したのか、輝くような笑顔で応える。
奈々の笑顔を見たら、モヤモヤとした心が日に当たったように暖かくなる。
「澄隆様。影武者は澄隆様より前に死ぬのがお役目。澄隆様が危ないことを控えてくださいね」
「ふふっ。ああ、気を付けるよ、奈々」
味方が死ぬのは慣れそうもない。
ただ、皆のために前を向こう。
俺は、今日のこの気持ちを忘れず、これからも戦うぞ。
よし、作業が終わりそうだ。
そろそろ、田城城に戻ろうと、思い始めた時。
「むむ? 物見の忍者が戻ってまいりましたな」
近郷が言う方を見ると、忍者が走ってくる。
あの急ぎようは、何かあったな……。
嫌な予感を肌に感じながら、近づいてくる忍者を眺めていた。
追いこくら大作戦が完遂しました。
ただ、澄隆の戦いは、まだまだ終わりません。
次回から、『吃驚大作戦』が始まります!




