第九九話 大敷き網大作戦 その二
▽一五七一年十一月、澄隆(十六歳)織田家との戦中
火縄銃の弾幕で一方的に倒れる織田家の兵たち。
俺は、作戦が上手くいってホッとしているが、情け容赦なく撃たれる火縄銃で、無慈悲に死んでいく織田家の兵を見ていると、敵ながら、こちらまで心が痛くなってくる。
ただ、戦で何が起こるか分からないことは、これまでの経験で痛いほど分かっている。
やり切れない気持ちにはなるが、慈悲を示すことはできない。
「雑賀衆は、敵の突撃が止むまでは攻撃を続けろ!」
俺は、攻撃の継続を指示した。
▽
織田陣営。
陣の後方にいた簗田広正のもとに驚愕の報が入る。
「秀隆様、討ち死にぃぃ!」
「な、何だと!」
青白い顔で報告に来た伝令兵によると、秀隆殿は火縄銃に撃たれて亡くなったらしい。
「秀隆殿……」
簗田広正は、一瞬、目を瞑って、河尻秀隆の冥福を祈った。
広正は冷静な顔で、スッと目を開けると、報告に来た伝令兵に問い質す。
「秀隆殿の家臣たちはどうした?」
「はっ! 秀隆様の死に殉じるお気持ちなのか……そのまま突撃を繰り返しております」
「そうか……。秀隆殿は家臣たちに慕われていたからな……」
広正が話している間も、火縄銃を撃つ音が間断なく響いてくる。
広正の家臣たちが、広正の周囲に自然に集まる中、家臣の一人が、声を少し震わせながら、問い掛けてきた。
「ひ、広正様、いかが致しましょう……」
広正は、その家臣を一瞥した後、キッと大河内城を見た。
いつも出さないような大声を出す広正。
「後ろを見るんだっ! 大河内城の西側の煙が減ってきている」
「は、はぁ」
広正の家臣は、広正の発言の意図が分からす、怪訝な顔で頷く。
「分からぬか……。火の勢いが減ってきているのだ。今なら、二の丸にある水樽をかき集めて、西側の堀にまけば、火は消せるだろう」
広正は、非情な決断を下す。
「私たちの部隊は、後方に下がって、大河内城を攻めるぞ」
「なっ!? 秀隆様の部隊は突撃を続けております。我々が後方に下がれば、見殺しになりまするぞ?」
「それは分かっている。……秀隆殿の部隊には申し訳ないが、あの火縄銃を撃つ敵勢の足止め役になってもらう。その間に、城を攻め落とすぞ」
「な、なんと……」
広正の家臣が、ゴクリと喉を鳴らす。
「……非情だが、織田家が勝つためには必要な犠牲だ。亡くなった秀隆殿も分かってくださるはずだ……。火縄銃への対処が満足にできない今の我々にとって、唯一の勝ち筋は、大河内城の本丸を落として、籠城することだ」
広正は、周辺の家臣に聞こえるように、さらに大きな声を出した。
「織田家には、信雄様の部隊が三千、ここにいる私の部隊が二千、合計五千の兵が残っているんだ! 五千であの城の本丸に籠れば、簡単には城は落ちない。それに、あの本丸は、火矢でも燃えない堅牢な造りになっていた。どんなに火縄銃を撃ち込まれても耐えられるはずだ。あの本丸に籠城していれば、信忠様が後詰めの軍を出してくださる。そうすれば、織田家が必ず勝てる。勝てるぞっ!」
広正の家臣たちは、理解が追い付いたのか、しっかりと頷いた。
「二の丸にいる信雄様に、私の考えを伝えよ! 二の丸から本丸までは目と鼻の先だ。信雄様に二の丸から出陣して頂き、二の丸の兵たちを大至急動かしてもらえれば、本丸は落とせる! 信雄様にお伝えする伝令兵は、最も足の速い者にするんだっ! 急げっ!」
「ははっ! 急ぎまする!」
慌ただしく駆け出す家臣を見ながら、頷く広正。
野戦には負けた。
だが、戦は、最後に勝っていればいいのだ。
▽
九鬼陣営。
「ん?」
敵の後方に待機していた部隊が、退却を始めた。
なのに、前方の部隊は、相変わらず俺たちに向かって突撃を止めない。
そのチクバグな動きに、違和感を覚えた。
食い入るように敵の動きを凝視している左近に問い掛ける。
「左近……どう思う?」
「これは、思い切ったことを……。後方の部隊は、大河内城の方に向かっております。前方の部隊を囮にして、大河内城を攻めることにしたのでしょう」
俺は、顔を顰める。
「くそっ! 二の丸にも敵の兵力は、残っているよな? 勘兵衛たちが危ないっ! 大至急、左近は部隊を率いて、城に向かってくれ。火縄銃で援護はするが、弾に当たらないようにな」
「お任せくださいっ! 者ども、いくぞ!」
左近が家臣たちに命令して、味方の陣営が慌しくなる。
「雑賀衆は、前方に目がけて撃て! これから味方が突撃する。絶対に味方に当てるなよ!」
俺の指示に、雑賀衆が手を上げて応える。
左近は、異常とも言える速さで部隊の態勢を整え、一丸となって飛び出していった。
………………
左近が率いる部隊を見ていると、火縄銃の射線に入らないように、織田家の陣地の左を通って、城に向かうようだ。
その左近たちの進路を防ごうと、前方の部隊の一部が陣形を変えようとしているが、敵の動きは遅い。
重秀たちの的確な射撃で、主だった武将が討たれているのか、組織的な動きができていない。
左近達は、さほど苦労することなく、進路を防ごうとした前方の部隊の一部を粉砕した。
そのまま、城に向かって、ぐんぐんと突き進んでいく。
……さすが、変態一号の左近だな。
俺たちも、動くぞ。
「雑賀衆は攻撃を継続! そして敵の突撃の勢いが無くなり次第、全軍、城に向かって前進するぞ! いつでも動けるように準備を急げっ!」
俺は背後を振り返り、近郷達に命令を送った。
▽
大河内城に向かって、遮二無二走り続ける広正たちの部隊。
広正が二の丸を見ながら、叫んだ。
「まだ、二の丸から兵が出ないのか!?」
「はっまだ、見えません」
「な、何をしているのかっ」
広正の想定では、二の丸の兵達は、既に堀の火を消して、城の攻略を始めているはずだった。
それからも、広正たちが城に近付いていくが、二の丸から兵が出て来ない。
広正は、歯軋りしながら、走り続けた。
……………。
…………。
……。
「に、二の丸から動きがありましたぁ! 本丸に向けて兵が動いております」
「遅い、遅すぎるっ。これでは、私たちが城に取りついた時に、まだ、堀の火は消えていないぞ」
「広正様! 後ろから砂塵がぁ! 九鬼家の軍勢が追いかけてきます」
広正は、後ろを振り返る。
確かに、砂塵が見える。
なんと……。
もう、追いついてきたのか。
九鬼家の動きは早い、早すぎる。
広正たちが城に着いても、堀の火が消えていないと、城に攻め込むことはできない。
だが、今さら、部隊の動きは変えられない。
「堀の火が消え次第、二の丸の兵と連携して城を攻めるぞっ! それまで、追いついてきた九鬼家の軍勢に対処する!」
広正は、兵達を迅速にまとめ、堀を背にして陣を敷き、九鬼家の軍勢の前に、槍衾を作った。
………………
「堀の火は消えたかぁ!」
「ま、まだ、消えません!」
二の丸の兵達が、慌ただしく堀に水をまいているが、まだ、火が燻っている。
「それと、信雄様は何処におられるのか!」
「はっ。二の丸内におります。本丸は、広正様の責任で落とせとのこと!」
広正は、狐顔を歪める。
信雄様は、私の考え通り、動いてくれなかったのか……。
広正の計算では、今頃は、本丸の上に辿り着き、織田家が本丸で籠城する立場になっているはずだった。
「く、九鬼家の軍勢が来ますっ!」
広正が敷いた陣に向かって、十文字槍を振り回す敵将が、笑い声を上げながら突き進んできた。
その敵将が槍を一振りするたびに、ゴォォっという旋風のような音とともに味方が弾かれたように吹き飛ぶ。
「広正様は、儂の、う、後ろへ!」
広正の腹心として、これまで戦場で獅子奮迅の働きをしてきた大柄な家臣が、槍を構えたまま駆け出し、その敵将を迎え撃つ。
その刹那、ゴリっという肉が削れる音が聞こえたかと思うと、その家臣は肩から胸の辺りにかけて、血が噴き出した。
鎧ごと、叩き斬られたようだ。
それを見て、広正は冷や汗が止まらない。
な、なんだ、あの敵将は?
し、信じられない強さだ。
「た、耐えろぉぉ! 堀の火は消えたかぁ!?」
「も、もう少しです!」
広正は、血に塗れた敵将と目が合った。
その敵将は、殺到する兵を薙ぎ倒しながら、笑顔で一歩一歩近付いてくる。
ここに、秀隆殿や秀隆殿自慢の屈強な家臣達がいれば……。
秀隆殿達がいない今、あの敵将を止められる者は、私の近くにはいない。
……私が討たれたら、味方の部隊は浮き足立ち、組織として戦えなくなるだろう。
そうなると、城攻めはできん。
「くそぉぉ! 信雄めぇぇ! 私の指示通り動かせば、勝てた戦だった。勝てた戦だったんだっ!」
広正は、怒りのあまり、信雄のことを初めて呼び捨てにした。
目の前の敵将が、手に持つ十文字槍を振り被った。
その槍の刃が煌めきながら、自分に向かってくる。
「くのぉぉ!」
ガキィィン!
広正は、自らの槍で、異常な速さの左近の攻撃を、間一髪、弾くことに成功したが、流れるように放たれた次の斬撃を避けることができなかった。
広正の世界が赤く染まった。
▽
「我は島左近! 敵将、討ち取ったりー!」
「「うぉぉぉ!!」」
左近が、敵将を討ち取り、勝鬨をあげる。
……それが契機となったのか、野戦で生き残った敵兵たちは、城攻めを諦め、戦意を喪失していった。
ずっと突撃を繰り返していた敵の部隊も、武器を投げ捨てて、降伏していく。
俺は、織田家の兵を皆殺しにしたい訳ではないし、敵の降伏を受け入れることにした
……あとは、二の丸に残っている敵兵のみとなった。
雑賀衆が、二の丸を包囲して、しっかり陣形を作ってから、二の丸目掛けて火縄銃の弾を浴びせる。
すると、一刻もしないうちに、二の丸から白旗が上がった。
……最後の最後まで、焦る展開が続いたが、何とか九鬼家が勝利を手にすることができた。
………………
……今回、俺が採用した作戦は、火縄銃で敵を囲い込むように攻撃する、大敷き網大作戦だ。
大敷き網は、獲物を誘導する『垣網』と、大きく囲む『囲み網』、そして捕獲するための『函網』とで構成される罠のことだ。
俺たち後詰めの軍勢は織田家の陣地から見て南側に位置した。
織田家の陣地の北側にある大河内城は、勘兵衛たちの頑張りがあり健在。
そして、大河内城の東西には川が流れているため、織田家は、南側の俺たちに真正面から攻めるしか手がない。
大河内城が『垣網』、東西の川が『囲み網』に当たり、自由度がなくなった敵勢を『函網』である俺達の軍勢で叩く。
敵の動きが予測できたから、上手く囲い込んで、火縄銃で一網打尽にできたが、広い戦場だと、ここまでスムーズには叩けなかっただろう。
それと、重秀の変態射撃や、雑賀衆の正確な射撃も大きい。
敵はどうにかして接近戦を挑もうとしていた。
敵は、大柄の屈強な兵が多く、接近戦に相当な自信があったのだろう。
雑賀衆がいなかったらと思うと、ゾッとする。
俺は、降伏した敵の無力化を図っている間に、勘兵衛たちがいる本丸に向かうことにした。
………………
「これ、は……」
戦いに勝った高揚感があったが、そんなものは、目の前の光景が視界に入ってきた瞬間に、消え失せた。
大河内城は、死があちこちに溢れていた。
深堀には燃えた死体が重なり、本丸の屋根や壁にはハリネズミのように矢が刺さっていた。
あたりは煙が燻り、血糊がベッタリとつき、目を背けたくなるような惨状だった。
激しい戦いになったのだろう。
俺は、勘兵衛たちが心配で、逸る気持ちを抑えながら、早足に本丸へ登った。
本丸に上がると、そこには、勘兵衛以下、主だった家臣が並んで待っていた。
まず、勘兵衛の見た目に驚く。
勘兵衛は、火傷だけでなく、傷も酷い。
左肩は爛れて黒くなっているし、左耳と両手と右足には包帯を巻いており、血が滲んで真っ赤になっている。
非常に痛々しそうだ。
こんなになるまで頑張ってくれて感謝しかない。
俺は、勘兵衛に感動して、思わず勘兵衛を力一杯抱き締めてしまった。
「勘兵衛、良く守ってくれた……」
俺は、勘兵衛の背中に手を回し、ギューとする。
『な、なんと勿体無い……』と勘兵衛は、そう言い残し、笑みを浮かべて気絶した。
勘兵衛の顔がなぜだか恍惚とした表情なのが気になったが、戦いが終わって、緊張の糸が切れたのだろう。
よく休んでくれ。
城兵や世鬼一族も、傷だらけで、包帯を巻いていない者は誰もいない。
死闘だったことが分かる。
「皆、礼を言うぞ。俺たちの勝利だっ!」
俺の勝利宣言に、『わー!』と歓声が上がる。
……このあと、確認すると、大河内城の死者は、守備兵千名のうちの半数以上に達していた。
また、世鬼一族も多数亡くなったという……。
死者は懇ろに弔おう。
それで、討ち取った織田家の兵は、詳細には分からないが、攻めてきた兵の半分ぐらい。
残りの兵は、全員が捕虜となった。
今回の織田家の侵攻は、九鬼家の勝利という結果になった。
主な敵将としては、部将格の河尻秀隆が火縄銃で撃たれて死亡、侍大将格の簗田広正は左近が討った。
それで河尻秀隆って、これまた有名な武将だ。
織田家内のエリート武将の一人で、思いっきりの武闘派。
織田信長に重用され、本能寺の変の時には二十万石をこえる甲斐国(山梨県だね!)を任されるほど、出世した人物だ。
その秀隆の生首を見たが、大小様々な古傷がある隻眼の男で、見るからに強そうな面構えだった。
河尻秀隆、戦巧者が相当高かったんだろうな……。
味方にはできない武将だったとは思うが、また、勿体ないと思ってしまう。
それで、聞いたところ、二の丸には、織田信忠の実弟の信雄がいるらしい。
信雄は、俺たちが二の丸を囲むと、戦意をなくし、白旗を上げるよう指示を出したみたいで、怪我ひとつないようだ。
俺は、本丸に、信雄を呼ぶことにした。
………………
俺がいる本丸の広間に、何やら偉そうな態度で信雄が現れた。
その不遜な態度に驚く。
「お前が九鬼澄隆か? オレは織田家の家老、織田信雄だぞー。オレを解放しないと、織田家が黙っていないぞー」
信雄は、ふんぞり返って、俺を見下しながら、ふてぶてしい顔をしている。
は、はい?
俺は、信雄の態度に呆然とする。
俺の隣にいる近郷なども口を開けて、唖然としている。
「澄隆ー。分かったな? 解放しろよー」
高圧的な耳障りな声が響いた。
ちっとも分からない。
寝呆けたことを言い出す信雄に、言葉が出ない。
この馬鹿は、何を言っているんだ。
俺が首を縦に振るとでも思っているのだろうか。
まあ、今さら信雄を殺しても、意味がないのは分かる。
それより、生かしておいた方が役には立つだろう。
ただ、信雄は自分のことしか興味がないのか、当事者意識が全くないのか、家臣たちのことは何も聞いてこないで、自分を解放しろとしか言わない。
……自分は特別な存在だと勘違いしているのか。
その考え方に、イライラする。
態度も最悪だ。
握手してステータスを見る気にもならない。
「近郷、この城の牢は空いているよな?」
近郷が、大袈裟に頷く。
「お、おい! オレは織田家当主の信忠の実弟だぞ。解放しないのかー」
噛みついてくるような勢いで、焦った声を出す信雄。
俺の言葉に信雄のこめかみが引き攣っているのが見て取れる。
俺は、声を少し荒らげてしまう。
「お前は人質として、この大河内城に幽閉だ! 織田家が攻めてきたら、磔の処置とする。信忠に書状を書いて、今後、織田家が攻めて来ないように釘を刺すんだな」
俺の言葉に、信雄はくしゃくしゃっと子供っぽく顔を顰めた。
「お、おい、待てよー」
「よし、牢に連れて行け」
まだ、納得していない信雄は、兵に両腕を持たれて、牢に連れて行かれた。
あの調子だと、ちゃんと書状を書くか不安だな……。
まあ、信雄の書状は探せばあるだろうから、ダメだったら、紺に偽の書状を書いてもらうか。
イライラし過ぎてズキリと頭が痛んだ。
そう言えば、俺も怪我人だったことを思い出した。
そう考えると、身体中が痛く感じ、一気に疲れが出てきた。
今日は、大河内城で休もう。
織田家侵攻編、完了です!
次回は、久しぶりの掲示板回(義昭と愉快な仲間たち)になります。




