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16 石鹸事情と石鹸事業

これこそが私が新たに目を付けた新事業、その名も『石鹸事業』だ。


前世では当たり前のように身近に存在した「石鹸」という名の洗浄剤。液体から固形、泡タイプまで、用途に合わせて使い分ける事が出来たこの洗浄剤も、この世界ではまだまだ人々の関心が薄い商材だったりする。


この世界、というかロクシエーヌで使われている洗剤は主に2種類。廃油を使った液体、もしくはクリーム状の洗浄剤を水に溶かして使用する。用途は主に洗濯の為で、洗顔や体の洗浄に使われることはない。


他国に比べればまだましなそれらだが、その洗浄力はとてもじゃないけど現代のそれには及ばない。香りはなくどちらかというと油臭い上、全体の汚れをなんとなく落とす程度のお粗末なもので、シミのような個別の汚れにはまず対応できない。


そこで考えたのが固形タイプ、つまりは石鹸だった。

便利さを追求すれば自ずと誰かが思いつきそうなこの事業が発展しなかったのにはこの世界の洗濯事情が大きく影響している。


それはこの国では洗濯は貧しい人たちが付く職業であるという事。

裕福な貴族は洗濯専門の女中(ランドリーメイド)を雇用するのが当たり前だし、そうではない貧しい貴族や市井の商人は仕立て屋ギルドから派生した洗濯専門の業者に仕事を依頼をする。業者は更に安い賃金で雇った貧しい人たちに仕事を回すのが一般的な流れだ。生きる事に精いっぱいの彼らは与えられた仕事をただこなすだけなので、当然洗浄力について特に気に留める事はない。依頼する方もそういうものだと思っているため、よほどのことがなければ特に仕上がりを気にすることもない。


この分野が未開拓だったのは私としてはすごくラッキーなことだった。


目標とするのは世のお母さんたちが一度は使ったことのあるであろう緑色のごついアイツ。製造方法は前世で習得した資格のおかげである程度はわかっているので、そこそこ満足のいく製品を作ることができた。

まだ試作段階ではあるけど香油やはちみつを混ぜ、洗顔や入浴にも使える「化粧石鹸」も現在開発中。

当面それらは貴族の間でしか流通しないかもしれないが、ある程度大量に作ることができ、価格が抑えられれば市民の間でも広く使われるようになるだろう。



「すごくいい香りだ」


少年が石鹸に顔を近づけ、スゥっと息を吸い込む。


「ラベンダーの香油を混ぜてるの。これをこうして直接汚れにこすりつけて、手で優しく揉み洗いしてみて」


少年は言われた通り優しく手で生地をこすり合わせる。


「ドレスは生地が繊細だから洗濯板でゴシゴシしたらだめ。長持ちさせるにも優しく洗ってあげる事が大切なの」

「そうなんだ…あっ、シミが薄くなってきた…っ!」

「時間が経っちゃってるから完全にはきれいにならないかも…。ぬるま湯の方が良く落ちるかなぁ…」

「いや、十分だよ!すごいや!見て!全然目立たなくなった!」


少年はシミの部分を透かして見たり撫でてみたりと感心しきりだ。


「今度からは早めに洗った方がいいと思う。あ、よかったらそれあげるわ」

「え?!こんな高価なものもらえないよ…っ!」

「いいのいいの。国に帰ったら量産するつもりだし、使ってみた感想を聞かせてもらえるならその方がありがたいわ。いろんな人の意見を参考にしたいから」


少年は石鹸と私の間で何度も視線を行ききさせ、ようやく頷いた。


「…ありがとう。大切に使わせてもらうよ」

「うん」


それから保管方法や使い方を簡単にレクチャーする。顔や体を洗うのも使えると話したらひどく驚かれた。


(そういえば、名前聞いてなかったっけ…)


「ねぇあなた、名前はなんて言うの?」

「あ、そっか。そういえば名乗ってなかったね。僕の名前は…」


言いかけた少年が、私の背後に目をやりハッと息をのんだ。


「?どうしたの?」

「ごめんっサナ。隠れて…っ」


そういうと、腕を掴み近くの茂みに無理やり押し込む。


「ちょっ…」

「黙って…っ!いい?何があっても顔を出さないで。絶対だよ。もちろん声も」


しっと人差し指を唇に当て、何事もなかったかのように再び桶の中に手をつける。

理由が分からぬまま言われた通り身をかがめていると、茂みの隙間から見えたのは鈴付きのアンクレットをはめた真っ白な足。


「こんなところにいたのね。アーキム」


小鳥のさえずりのようなかわいらしい声。アイーシャ姫だ。


透け感のある紫のドレスに金色の派手な装飾品をふんだんに身に着けた姿は昨日の清楚で愛らしい印象とはだいぶ異なる。


「何やってるのよ、こんなとこで。探したじゃない」


砕けた…というよりはむしろ少し横柄な口調で彼女が歩み寄る。


「申し訳ありません。ドレスの染みがなかなか落ちなくて」

「そうなんだ。それで?きれいになったの?」

「はい!どうぞご覧ください」


少年が水の滴るドレスを王女の前に掲げる。


「へえ~すごいじゃない。まさか落ちるとは思わなかったわ。それに…何?なんかいい匂いがする」

「これを使いました。ロクシエーヌの侍女様に頂いたんです」


少年が嬉しそうに石鹸を差し出す。


「何これ?石鹸じゃない。うそっ、ロクシエーヌって石鹸があるの?」

「これは試作品だとおっしゃっていました。使用感を試してほしいと」

「へえ~」


王女が何かを考えるように、手の中で石鹸を転がす。


「これ、私がもらっておくわ」

「え…っ?!」


王女はチラリと少年を見ると、ニコッと口角を上げた。


「いいでしょ?一つくらい。また貰えばいいじゃない」

「ダ、ダメです…っ。こんな高価なもの易々と頂けません!それに…彼女との約束もありますし…どうかお返しください!」

「……」


少年の言葉に王女の目がスッと鋭くなる。

びくりと肩を震わせ俯く少年の頬に


バチンッ!!


大きな音が響いた。



本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

次回更新ですが、年末にドバっと更新したいと思います。

よろしくお願いします。

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