14 月夜の少年とホタル
「ちょっと紗奈!何それ!!」
ロッカーに置いていた体操着が泥で真っ黒に汚れている。犯人はもちろんわかってる。
教室の隅っこでにやにやと笑う集団。入学から半年、度重なる嫌がらせは日を増すごとにひどくなる。
「大丈夫。保健室で借りてくるから先に行ってて」
「紗奈……」
2学期が始まってから連日のように続く嫌がらせ。ノートの落書き、私物の紛失…。
それでも当時はあまり気にしていなかった。自分が毅然としていれば相手に負けたことにはならないから。それが彼女たちには面白くなかったんだろう。何人かいたターゲットが私一択に絞られ「からかい」が「弄り」に変わり「いじめ」になるまでにそう時間はかからなかった。
私一人がターゲットならそれでもいい。言うべきことはきちんと言い返しているし来年にはクラス替えもある。それに3年という期限。この間をやり過ごせば後はまた、他人に戻るだけだ。
そう言い聞かせ日々を過ごす。でも…、
その悪意が大切な人に向けられた時、私の中の何かがキレた。
「あれ?康介。竹刀袋変えた?」
ある日の下校時、いつものように待ち合わせた彼の竹刀袋が新しいものに変わっていた。これまでのそれは確かに古くはなっていたもののマメに繕ったり補強したりしてずっと使い続けていたものだった。子どもが使うにはちょっと渋いデザインだったけど彼にとっては思い出の品。亡くなった彼のお母さんが大人になっても使えるようにと選んでくれた形見のようなものだったから。
「なくした」
「なくした?どこで?!」
「わからない。部活の後、気が付いたらなかった」
「そんな…なんで…?」
数日後、それは思いもしない場所で見つかった。
ズタズタに切り裂かれた、藍染の麻の葉の模様の布切れ。見覚えのあるそれが丸められ、まるでゴミのように突っ込まれていたのは私の机の中。
愕然とする私の後ろでクスクスと笑う声。
「何あれ、きったなーい。ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てないと」
きゃははっ、と大声で笑う彼女たちを見て私は彼女の胸倉をつかんだ。
◆
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ガクンッと体に衝撃を受けて、目が覚めた。
いつの間に眠っていたのか、横になったソファから落っこちたようだ。アレンが出て行ってからそんなに時間はたっていないらしく、晩餐会場からは賑やかな音楽が聞こえてくる。
(はぁ…いやな夢見た…。なんで今更…)
思い出しても腹の立つ、そんな胸クソの悪い思い出。テーブルの上のレモンのたっぷり入った水差しからコップに水を注ぐ。それを一気に飲み干すとちょっとだけ気分が落ち着いた。
「散歩にでも行ってみようかな…」
部屋を出てにぎやかな晩餐会場とは反対の方向に歩き出す。
夜の別館周辺に人の気配はまるでなく、回廊はシンっと静まり返っている。コツコツと反響する靴音だけがやけに大きく聞こえ、時折ふくそよ風がココスヤシの葉をサワサワと揺らす。
「……?」
不意にどこからか、澄んだ音色が聞こえた。
穏やかで優しく、でもどこかもの悲しい旋律に引き寄せられるように歩みを進める。回廊を外れ城壁に沿って進むに従い大きくなる音色。音の出所はおそらくこの辺り……。
「……!」
月明かりに照らされ、夜風を受けて草が鳴く。
庭園と呼ぶにはあまりに狭く崩れた城壁の残骸が残るその場所に、彼はいた。
薄手のシュマッグを風に靡かせ不思議な形の笛を奏でる一人の少年。
その様子はまるで一枚の絵画のようで思わず見とれた。これまで聞いたことのない音色にしばし耳を澄ます。
「誰?」
音が止む。
邪魔をしてしまった事への罪悪感を感じつつ、決して怪しいものではない事をアピールしながら彼に近づく。
「邪魔してごめんなさい!私はえっーと……っ」
「もしかして、ロクシエーヌのカーデマさんですか?」
変声期前なのか、少女のようにかわいらしい声だ。
「あっ、はい!アレクシス殿下付きのメイドでサナと申します」
「そんなに畏まらないでください。僕もあなたと同じカーデムですから」
「あ、そう…なんだ」
ふわふわのこげ茶色の髪によく見れば翠色に白い蔦模様をあしらったシュマッグを巻き付けた少年。立ち上がり正面に立ってにこやかにほほ笑む。まだ幼さの残る笑顔に警戒心は一切ない。
「どうしてこんなところに?もしかして迷子?」
「散歩しようと思って部屋を出たら、きれいな音色が聞こえてきて…。つい…」
「ああ、そうでしたか」
少年は片手に収まるほどの大きさの笛を手のひらに乗せて見せてくれた。
「ヌヤっていうんです」
ヨシのような素材の筒を二本束ね穴を開けただけの、これまで見たことのない形状の笛。
「この国の伝統楽器なんですが今はもう作られていません。これが最後の一つなんだそうです。母が僕に残してくれた唯一の宝物なんです」
「……宝物」
さっき見た夢が再び脳裏によぎる。
「そんな顔しないで下さい。勘違いさせてしまったみたいですが僕の母はまだ生きてます」
「あ、そうなんだ…」
「でも、会うことはできないから、同じことかな」
ははっと笑うと、再び少年が笛を奏で始めた。
(きれいな音…。でもやっぱり悲しそうな音色だな)
部屋に戻ると、一足先にアレンが戻ってきていた。
「あれ?早かったね」
着ていたベシュトを受け取る。首のボタンに指をかけながらソファに腰を下ろしたアレンに水を差しだすと、一気にそれを飲み干した。
「つぶされるとこだった…。この国の人たちお酒…強い…」
「大丈夫?横になる?」
「いや…。着替えたい」
「ん。わかった」
指を動かすのもダルそうなアレン。王子業も大変だなとトーブのボタンを外す。顔を赤らめ、ぐったりとされるがままのアレンをかわいいなと思いつつ、部屋着を取りにその場を離れた。
「…事件があってさ」
着替えと一緒に持ってきた濡れタオルを額に乗せる。
「給仕の女中が…王女のドレスにワインをこぼしちゃって…騒ぎになったんだ」
「王女って、アイーシャ王女?」
「…そう。真っ白なドレスが赤く染まっちゃって…女中は青ざめてその…場にへたり込むし…侍従たちは場を収めようと右往左往するしで…大変だった」
「そうなんだ。それでどうなったの?」
「王女が許した…。「大丈夫よ、ドレスが汚れただけだから」って笑顔で…女中を起こして…」
「めっちゃ、いい子じゃん」
「…そうなんだけど…ね」
「何?なんか気になるの?」
「うーん、わからないけど…、まぁ、いっか。それより、早く脱がして」
両腕を上げて待ってるアレンのトーブをはぎ取り部屋着を渡す。
「着せて」
酔ってるせいか、堂々と甘えてくるアレンに苦笑する。
「はいはい」
上衣をかぶせ袖口から腕を引き出していると、コンコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
(こんな時間に誰だろ?)
ドアを開けると、そこに立っていたのはなんとアイーシャ本人だった。
「先ほどの無礼を謝罪に参りました。殿下はもうお休みですか?」
飲みすぎてソファでくたばってます、とはもちろん言えない。
「少々旅の疲れが出たようです。謝意はお伝えしますので、また日を改めて頂いてもよろしいでしょうか?」
(どうだ、完璧なメイド回答!)
下げていた頭を上げアイーシャを見る。そこにはひどく驚いた顔のアイーシャがいた。
(なぜにそんな顔を?)
「あの…実は…っ。王宮の噴水にホタルが出ていて…次に出るのは一週間後だから…っ!どうしても殿下と一緒に見たくて…っ!」、
王女の必死な様子に違和感を感じた。
(この季節にホタル…?しかも次は一週間後ってどんなホタル…?)
気にはなるけど、あの状態のアレンが動けるとは到底思えない。
「申し訳ございません。殿下はお疲れですので。どうぞ今日はご遠慮くださいませ」
私の確固たる態度に、アイーシャは項垂れ唇をかみしめる。
「だめなの…」
「はい?」
「今日じゃないとだめなの…っ!チャンスは4回しかないんだから…っ」
顔を上げたアイーシャの顔があまりに必死で、思わずたじろぐ。
「そうは申しましても……」
「お願い…少しだけでいいのよっ!」
中々引き下がらない王女に仕方なく真実を打ち明ける。
「申し訳ございません。実は殿下は酔いつぶれておりまして…。意識もはっきりしていないと申しますか、動きたくても動けない状況でして…」
「あ……」
王女は何か心当たりがあったのか、口元を手で覆う。
「どれだけお飲みになったのか見当もつきませんが、ここまで酩酊した殿下は初めて見ました。よほどこちらのお酒が口にあったのでしょう。ジャハラードはお酒もおいしいのですね」
「そ、それは…気に入ってもらえたならうれしいわ」
「折角のお誘いでしたのに本当に申し訳ございません。明日の公務に支障が出ても困りますので…今日のところはお引き取りいただけますか?」
「……そうね。ごめんなさい」
「殿下にはアイーシャ様のお心遣い、きちんとお伝えいたします」
「ありがとう……お願いね」
「承知いたしました」
しぶしぶ引き下がったアイーシャの後ろ姿を見送り、静かに扉を閉めた。
(ホタル…見てみたかったけどさすがにこのアレンをほっとくわけにもいかないし…)
中途半端に腕を通した部屋着のまま、ソファに丸くなってスヤスヤと眠るアレンの様子に思わず苦笑する。
「もう、しょうがないなぁ」
どうにか服を着せ、子泣き爺のように重さを増したアレンをやっとの思いで寝室まで引きずる。濡らしたタオルで顔を拭き布団をかけるとようやくその日の私の仕事は終わった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回更新は明日11/21(月)、もしくは11/25(金)を予定しております。
年末に向けてなかなか定時で退社できなくなってきました。
お待たせして申し訳ありませんがどうぞよろしくお願いします。




