挫折した男(前編)
大人の女の人が泣く姿を可愛いと思ったのは初めてだった。
テーブルを片付けながらぼんやりとそんなことを考える。
オーナーも有川さんもいない時に、彼女が来たとき、正直嫌だなと思った。
こちらのミスが悪いとはいえ、あんな風に怒らなくてもいいのにと。
でも、今日のシフトの責任者は自分だった。
責任をもって接客をしなきゃいけないと、久しぶりに心地いい緊張感を味わった。
そして、彼女の鼻声の「ありがとう」を聞いた瞬間、久しぶりに仕事をしたと実感したのだ。
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思えば以前は緊張の連続だった。
小さいころから、勉強は割と得意だった。
見た目もそんなに悪いほうではなく、運動神経もよかった。
末は博士か大臣か。
そんな風に育ってきた自分が、まさかフリーターになるとは思っていなかった。
名門国立大学を卒業し、誰もが知っている一流証券会社に採用が決まった。
今まで、「挫折」という言葉を知らなかった俺が、最大の「挫折」を味わった会社。
配属されたのはコンサルティング部だった。
「コンサルティング」なんて横文字の名称だが、簡単に言えば営業部だった。
朝8:00に出社し、終電で帰るような生活が始まった。
努力は自分を裏切らないと思っていた。
今までは努力すれば報われた。
成功信じて、来る日も来る日も、営業に励んだ。
だがしかし、はじめて努力しても報われない世界を知った。
周りが次々とアポをとっている中、まったくアポイントメントが入らないのだ。
自分よりも下の大学の人間がどんどんどんどんアポを取っていく。
数字へのプレッシャー。
上司の叱咤激励という名の暴言。
朝、会社へ行こうとすると腹が痛たくなる。
ランキングで最下位にのる自分の名前。
今日こそアポが入りますようにと神社に祈ってから出勤する毎日。
初めての大きな挫折だった。
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会社を辞めた俺は家に引きこもった。
両親はそんな俺に何も声をかけてこなかった。
かける声もなかったんだと思う。
今まで、手のかからない優等生だった自分がニートになった現実を母親はなかなか受け止められず、
俺から逃げるように、ニートの社会復帰の講習に励み始めた。
自宅に引きこもり始めて半年がたったころ、
ふと、鏡の奥の自分と目があった。
だらしなく肩まで伸びきった髪。
以前とは違い、絶望に落ち窪んだ眼。
人生を楽しんでいた学生の時の自分の理想とかけ離れた自分に笑いがあふれてきた。
__ああ、自分はどん底まで落ちたんだ。
半年ぶりにさっぱりした髪を触りながら、山手線に乗り込み、有楽町に下り立った。
相変わらず、忙しそうにスーツを着込んだサラリーマンが駅に迷いのない足取りで吸い込まれていく。
それと同時に、少し浮かれた女性が楽しそうに足を街へと運んでいく。
半年前の自分は駅に吸い込まれていくサラリーマンだった。
切った髪と同じぐらいすっきりした気分で、高級店とチープな店が入り乱れるその街に足を運んだ。
学生時代は、絶対買い物などで来ない街だった。
店をひやかすだけひやかしたら、喉が渇いてきて、一番最初に見つけた店がそこだった。
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いつの間にか、彼女が来るのが楽しみになった。
ランチの終了時間間際にきて、いつもBランチを頼む。
Aランチはパスタがメインで、Bランチはご飯ものがメインだ。
彼女は気持ちよいぐらいの潔さで、ガツガツとご飯を食べる。
だいたい、手には使い込んだ手帳を持っていて、唸りながら何かを書き込んでいる。
いいことがあった日なんだろうが、時々デザートまで食べていく。
その時の彼女の満足そうなしたり顔が憎らしいほど可愛いと感じるようになる。
有川さんは俺のそんな思いを見抜いているのか、彼女が来ると、ニヤリと俺を見て笑う。
酸いも甘いも経験している大人の女性にはいつもかなわない。




