可愛げのない女(後編)
ゆかりは本当にはつらつとしていて、家庭的な女の子だった。
「お、佐藤すっげーうまそうな弁当!」
崇はよくゆかりの作ったものをほめていた。
私はちょっとやきもちを焼く。
でも、実際ゆかりの作った食べ物はおいしいのだ。
私たちは三人でよくお弁当を食べていた。
ゆかりのお弁当をほめながらも、背中の後ろでギュッと私の手を握ってくれる崇。
優しい笑顔が、嫉妬なんかしなくていいよ。
俺が見ているのは智子だけだよと語りかけてくれる。
その、優しいまなざしを一身に浴びて、私はようやく素直にゆかりの料理を食べられるのだ。
-
外はさんさんと日が刺している。
海に合いそうな、カラフルなマキシワンピースを着たマネキンが
今にも走りだしそうなポーズをとっている。
私の力作だった。
ポップだけど、銀座の雰囲気に溶け込むよう上品さを忘れない。
今回の作品の評判は上々だと、デパートの広報課の社員は笑った。
秋の作品はどうしましょうかね。
と、初夏の陽気のなか、社員さんと打ち合わせをする。
今年の秋は、紫がトレンドだから・・・と私は打ち合わせに集中するように努めた。
-
「東京の専門学校に行くって?」
崇がいつになく、真面目な顔で私に問いかけてくる。
「うん。どうしても東京でデザイナーになりたいの。」
私は崇が応援してくれるだろうとばかり思っていたから、
その緊張感に驚いた。
「俺が地元に残るのに?行くなよ。」
崇は私の腕をつかむ。
いつものように優しく、ではなく。
私は意地になっていたのだ。
崇の手を振り払う。
「何よ、私がずっと東京に出るのが夢だって崇知っているじゃない。
それに、東京なんてここから急行で2時間ちょっとの距離だよ。
私の夢を応援してくれたっていいじゃない!」
幼かったわたしは夢に夢を見ていたのだ。
私は両親や崇の反対を振り切って東京の専門学校に新聞奨学生として入学した。
夢中でデザインの勉強をし、夢中でバイトをしていた私が夢から覚めたのは就職活動の時だった。
デザイン学校を出ただけでは、何処のショップにもデザイナーとして内定は出なかった。
やっと出た内定は、安価で服を販売している量販店の店長候補という名の店員。
それだって、立派な仕事だと今では思うが、当時の私は理解できなかった。
自分の能力を過信し、社会を全く知らない子供だったのだ。
親はほら見たことかと笑った。
そういう職だったら田舎にもあるのだから、こっちに戻って来いと。
私はそう言われれば言われるほど、ムキになった。
そんな私に転機をくれたのはずっと働いていた新聞会社だった。
アルバイトではあるが、広告デザインをしている会社で働いてみないかと持ちかけられたのだ。
私は迷わずにそこでの就業を決めた。
デザインという仕事に華やかさを求めていた私はその泥臭い仕事に驚いた。
小さなデザイン会社では当たり前のように営業、作成、納品までを誰もがこなす。
そこにはデザイナーも、営業もなく、ただ会社を存続させようと頑張る社会人がいた。
アルバイトも、契約社員も正社員も関係なく責任のある仕事をしている。
私はそのごった煮のような環境に衝撃を受けた。
はじめて営業が取れた時には心が震えるほどうれしかった。
はじめてデザインを担当した時は、商品にする難しさに涙した。
はじめて納品を完了したときには魂が抜けるほどほっとした。
自己満足のためではなく、生活をするためにはじめて仕事をしたのだ。
私はその環境に夢中になっていった。
卒業から5年もしたころ、崇が東京に出てきた。
地元の信用金庫に入社した彼は、頼もしく見えて、その笑顔に癒された。
私はうれしく、自分で手掛けたディスプレイを見せに東京中を案内して回った。
崇は私を見てうれしそうに笑った。
すごいね、とほめてくれて私は有頂天になった。
銀座のその店のディスプレイを見せた後、彼はおもむろにデパートの宝石売り場に向かった。
そして、どの指輪がいい?と聞いたのだ。
私は戸惑った。
私がしているピンキーリングとゼロの数が2つ違う。
「婚約指輪だよ。俺も社会人3年目に入ろうとしている。
そろそろ、考えてくれてもいいだろう?」
店員さんが、妙にはしゃいだ声でおめでとうございますと声をかけてくる。
私はその場では何も言えず、店員が出してくる、華やかなデザインの指輪を、ただただ眺めていた。
その夜、崇は控えめながら品のいい指輪を私の荒れた指にはめながら言う。
「智子が頑張ったのは今日のディスプレーを見て分かったよ。
本当にすごいね。でも、いつまでもアルバイトじゃいられないだろう。
俺たち26歳になるんだぞ。そろそろ身を固めてもいい頃だと思うんだ。」
田舎では同級生たちが次々と結婚し、子供もいるような同級生もいる。
崇が身を固めたいというのも分からない話ではなかった。
それに、責任のある仕事を任されていても、
アルバイトという自分の身分に不安がないわけではなかった。
この不況で、宣伝広告費が削減される中、広告業界で正社員の就業先を見つけるのは至難の業だ。
募集が出されているのは、営業職ばかりで、デザインまで任せてもらえる仕事は少ない。
そんな私に転機が現れたのは、26歳になった夏だった。
「高木さん、この会社今年で6年目か。そろそろ正社員になる気はない?」
ある日帰る支度をしていた私の背中から社長が声をかけてきた。
32歳で会社を興してから、不況の中なんとか売り上げをあげているのはこの社長の手腕があったからだ。
今年43歳になる社長はそうは見えないほど若々しく、フレンドリーだった。
「なに、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔しているの。
もちろん、故郷に婚約者がいるってのも分かっているんだけどね。
いま、ディスプレイデザイン課を実質取り仕切っているのは君だしね。
もうちょっと仕事を続けてほしいと思っているんだよ。」
私は、1も2もなく返事をした。
「はい。」と。
親は激昂した。
「あんた、今年26歳なのよ!崇君も結婚してくれるって言っているのに何を言っているの。
早くこっちに戻ってきなさい!あんたの同級生のチカちゃんも、タカコちゃんも皆結婚しているのよ!
それに、崇君みたいに立派にお勤めしている人、いつまでもあんたのことを待っていてくれないわよ。」
崇は、何とも言えない笑顔をずっと浮かべているだけだった。
その日の午後、私はゆかりと久しぶりに会った。
地元の区役所に努めているゆかりは相変わらず綺麗だった。
が、昔の垢ぬけた感じではなく地元になじんでいるように見えた。
昔よりはるかに穏やかな笑顔を浮かべるゆかりに私は昔のように愚痴をこぼす。
話をするうち、ゆかりは段々と顔をこわばらせていった。
「智子が仕事にやりがいを感じているのは分かるけど、それじゃ崇君がかわいそうじゃない?
やっぱり信用金庫とはいえ、ああいう職種って、結婚して家庭を持って一人前って風習があるし。
特にここみたいな閉鎖的な地域じゃ・・・。」
私は、ゆかりが親のようなことを言うことに傷ついた。
ゆかりなら、笑いながら私に同調してくれると思っていたのだ。
「だって、崇とならいつでも結婚できるけど、広告業界でデザイナーとして就業するのって
このチャンスを逃したら一生ないかもしれないんだよ。」
私はゆかりに同意をしてほしくて力説した。
ゆかりは珍しくこわばった顔のまま私に意見をする。
「でも、同級生もどんどん結婚していっているし。
それに、結婚だって人生を左右する大きい出来事だと思うよ。
その言い方、一生懸命プロポーズした崇君に失礼じゃない?」
崇の立場を擁護するために意見したゆかりに、
どうして何時ものように私に見方をしてくれないのかと、少し腹を立てる。
「同級生も結婚しているって、結婚ってそんなに焦ってするもの?
結婚って皆に急かされてするもんじゃないじゃない。
それにゆかりだってまだ結婚してないじゃん。」
私の反論にゆかりは少し黙って。
「そうだね。」とようやく同意をしてくれた。
いつものような穏やかな笑顔を浮かべて。
私は同意を得られたのがうれしくって、ようやくすっきりとした気分でコーヒーを飲んだ。
-
こうなった今、思う。
私は酷く嫌な女だ。
たぶん、ゆかりはあの時には崇のことが好きだった。
いや、絶対にもっと前から崇のことが好きだったのだ。
私はそれを何となく肌で感じ取っていたけど、気がつかないふりをしていたのだ。
東京から転校してきた綺麗なゆかりより、崇は私を選んだ。
そのことに、私の自尊心がくすぐられていたに違いない。
打ち合わせからの帰り道、ぼんやりとそんなことを考える。
「おつかれ。」
後ろから社長に話しかけられる。
ぼおっとしていた私は、相変わらず50近くには見えない社長の顔を見上げる。
「なに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているの。」
社長は快活に笑う。
私はその明るいオーラに、久しぶりにつられ笑いをする。
「ようやく、笑ったね。」
社長は穏やかな顔で、先に歩きだす。
私は驚いて社長の後ろを追いかける。
「何に悩んでいるのかは分からないけど、
今回の銀座のディスプレーは君の最高傑作だと思うよ。
んで、君はこれからもいい作品を作り続けると思うよ。」
私は社長から、自分の作品への評価をはじめて聞いた。
社長は耳まで真っ赤にしていた。
「はは、部下の作品をほめるってすごい照れくさいね。」
そう言って社長は快活にわらう。
私もつられて笑った。
目の奥が熱くなっているのを見られないように社長の後ろを歩きながら。
-
銀座のデパートに秋のディスプレイのデザインを持って打ち合わせに向かう。
梅雨の明けない東京は、今日もじめっとした熱をもつ。
噴き出す汗をぬぐいながら、歩きなれた道を歩く。
携帯のディスプレイが光る。
私はそれを取り出すと表示された文字を見てため息をつく。
新着メール1件:お母さん
内容は美味しいモモを送ったとのことだった。
親からの電話は数が激減した。
元気にやっているかという問いに、元気にしていると伝える。
腫れものに障るような親の電話に心を痛める。
いつまでも元気で、私を叱っていると思っていた親の声に、老いを感じて私は胸が痛くなる。
自分の我を通した結果がこれだ。
親を散々困らせて、じれさせて、そして心配させている。
私の夢を邪魔したいのではなく、親は安心をしたかったのだ。
転勤のない安定した職を持っている崇と結婚し、
自分の目が届く範囲に住んで家庭を作っていってほしいと思っていたのだ。
私は自分の感情が動くままにしか動けない、子供なのだ。
それは16歳だったあの頃も、20歳だった頃も、26歳だったころからも変わらず、
29歳になった今、ようやく子供だと認められる程度に大人になったのだ。
でも、相変わらず私は子供なのだ。
自分で思っているよりもずっと。
私は目についた感じのいい店に足を踏み入れた。
ランチのピークの時間は過ぎて、この前よりは人が少なかった。
「いらっしゃいませ。」
あの日の茶色いさらさらヘアの感じのよい青年が出迎えてくれる。
私の顔を見て、少し驚いた顔をしたが、すぐ丁寧に席を案内してくれる。
あの日と同じように、メニューを開きながら差し出し、
レモンの香りのするお冷をコースターの上に置いてくれる。
私はメニューを見ずに伝える。
「Bランチを一つお願いします。飲み物はアイスコーヒーで」
茶髪の彼は、畏まりましたと言ってメニューを持って下がった。
親に返信をしようと携帯を取り出す。
そして、新たなメールの着信があったことに気がつく。
新着メール1件:崇
胃が重くなるのを感じる。
またメールをゴミ箱に移そうとした瞬間、後ろから話しかけられる。
「お客様、先日は私どものミスで不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。
こちら、心ばかりのものですが、是非召し上がってください。
もしくは食後にお持ちいたしますが、いかがいたしましょうか。」
差し出されたのは先日と同じ美味しそうなプリンだった。
茶色いさらさらヘアの感じのよい青年は猫のようないたずらっぽい表情を浮かべている。
とらえ何処のない、神秘的なくるくるとした目がこちらを窺う。
私は、自然に笑みがこぼれて、「遠慮なく、今頂きます。」と伝えると嬉しそうに
プリンをテーブルに置き、小さなスプーンをセッティングしてからバックヤードに戻っていく。
私は自然にメールを開いていた。
昨日、婚姻届を出した。
見ているかどうかわからないけど、今、東京にいる。
もう一度、しっかり会って謝罪したい。
絵文字も、顔文字もないシンプルなメール。
キリキリと心が痛んだが、バニラの優しい香りが心を癒してくれる。
私は迷うことなくメールを送信する。
おめでとう。
今は、会いたくない。
でも、二人には幸せになってほしいと思ってるよ。
プリンはまろやかな味がした。
口の中がしょっぱくなっているから、優しい甘さが私を慰めてくれる。
嗚咽を我慢するために、私はプリンをひたすら食べた。
多分、Bランチはもうできていて、
茶髪の青年は困った顔でテーブルをうかがっているのだと思う。
でも、私は涙をどうすることもできなかった。
私はプリンを食べながら思う。
今夜は親に電話をしよう。
桃はきっと食べきれないぐらい大量に送られてくると思うから、
会社のみんなにおすそ分けをしよう。
私は鼻をすすると、冷たいおしぼりで顔をふく。
後で、化粧直しをしなければ。
午後からはデザインの打ち合わせがある。
茶髪の青年はタイミングを計ってBランチを持ってきてくれる。
私は、ぐちゃぐちゃの顔を隠すように「ありがとう」と呟いた。




