選べないので、逃げました
氷雨そら先生(@hisamesora)「シークレットベビー企画」参加作品です。素敵な企画をありがとうございます! コレジャナイ感ありますが失礼します!!
――あ、やべ。月の物きてない。
この瞬間、最近の体調不良の原因を自覚したノンノは口元を押さえた。
そして絶望する。
(心当たりが多すぎる――――!!)
最低であった。
ノンノは酒場の娘だった。
母親譲りの愛嬌と、父親譲りの端整な顔立ちをした看板娘だ。
癖の強い金髪に瑞々しい緑の目。小さい頃からお店のお肉を盗み食いしていたノンノは、そこそこ発育が良い。毎度怒られていたが、常連にとってはお約束のやりとりだった。
そんな彼女が年頃になれば、そりゃもうモテモテだった。若くて可愛くて愛嬌のある看板娘は客商売の接客対応とわかっていても大人気だった。男達は可愛い女の子の笑顔に飢えていた。彼女目当てに酒場の常連になる客がいるくらいモテモテであった。
接客を繰り返せば本人も察する。
私、モテモテである、と。
そしてモテモテを自覚したノンノは調子に乗ってノリノリだった。ノリノリノンノだった。
我先にとアプローチしてくる男性客に、とびきり愛嬌を振りまきまくった。そして、お眼鏡に適ったお客さんと火遊びをしていた。
しかも、複数同時進行。
(だって! 結婚するならより良い条件がいいじゃない!!)
欲望まみれだった。
良い相手と結婚したい。とっても純粋に強欲な結婚願望もあって、良いなと思った客からアプローチを受ければ、お試しとばかりにお出かけからのワンナイト。
(だって皆、良いなと思ったから!!)
繰り返すが、最低である。
そしてそんな所業が、経営者の両親にばれないわけもなく。
色恋営業をするなと母親からゲンコツを貰った。この酒場はそういう店じゃないと父親には泣かれた。
正直スマンかった。幸せな結婚をしたいのであって、両親を泣かせたい訳ではない。
これは真面目に改めねばと、反省していた矢先。
この、体調不良である。
(完全に、やらかした……避妊してた、してたけどあれって完璧じゃないって聞くし……恐らくきっと多分、できてる。となると、相手は……)
ふう、と両肘を膝に突き、手を組んで顎を乗せる。
(誰かなぁー……)
何回でも繰り返すが、ノンノは遊び歩いていた。相手がわからない。
両親を泣かせるつもりはなかったが、第二部が決まってしまった。
ノンノは引きつった顔で笑った。笑うしかない。
いや、なに笑てんねん。笑っている場合ではない。
(どうしよう……取り敢えず、整理した方がいいわよね)
寝台に腰掛けていた体勢から、横になる。気分が悪いと部屋に籠もったノンノは、癖の強い金髪を毛繕いする猫のように撫でて、なんとか自分を落ち着けようと努めた。
落ち着くのだ。落ち着かねば。
そう、落ち着いて、心当たりを並べるのだ。
第一候補。商人のクリストフ。
美しい金髪の、明らかにできる男といった風体の眼鏡の似合う美青年。シャープなレンズの奥からノンノを見詰める緑の目が艶やかで、流れるように店の外で会う約束を取り付けられた。
有名な商会の幹部で、名刺も貰っている。上質な上着が酒場に似合わず浮いているのが特徴的。あれは絶対、その気になったらもっと良い店に行けるくらい稼いでいる男である。だってプレゼントが一々高価なアクセサリー。
そんな彼が酒場に来たのは、ノンノに会う為。そう口説かれたので舞い上がって一気にワンナイトしてしまった。
(つい最近で言えば彼よ。でも、扱いがスマートすぎて絶対遊び人。遊び歩いた私が言うんだから間違いないわ。でもって本妻の気配を感じる。あれは多分既婚者)
なので、彼が求めているのはお金で繋がる愛人と思われる。
(ワンナイト後に気付いて、それから会っていないのよね……)
次回があるかと聞かれれば、多分ない。流石に既婚者はお断りだ。
次に第二候補。お医者様のエグモント。
見るからに癒し系の、緑色の髪を後ろで束ねた丸眼鏡の似合う美青年。レンズの隙間から覗く琥珀の瞳が、途端に野性味を帯びるのがギャップでキュンだった。
所属は知らないけど、お医者様なのは確か。酒場にも診て貰った人が居たもの。稼ぎはわからないけれど、まあうちの酒場に出没してもおかしくはないと思う。いやでも身綺麗だし、やっぱりそこそこ稼いでいたかな? いや、ノンノが気になるのは稼ぎではない。
(独り立ちしたお医者様だとして、若すぎない? 本当に、正規ルートで医者になった人?)
医者とは、知識が必要だ。どこまでも知識が必要だ。とっても知識が必要だ。知識だけじゃなくて実施も必要だ。必然的に。独り立ちするには年月が必要となる。
だが、彼は二十代前半。若い。若すぎる。
(私が知らないだけで、師匠の下で修行中かもしれないけれど、だとしたら、ああも頻繁に酒場に来ないわよね……)
独り立ちしていても来ない気がする。来すぎ。怪しい。闇医者?
ので、ちょっと身元が怪しい。
続いて、第三候補。騎士のインゴルフ。
焦げ茶の毛並みに赤い目の、四角い眼鏡がプリティーなわんちゃ……じゃなかった。騎士様だ。
大柄で、逞しい体付き。大型犬のような騎士様。ダメだ尻尾を振る大型犬が脳裏をちらつく……。
彼のアプローチはとても単純だが、とても純粋で真っ直ぐなアプローチが逆に新鮮だった。真っ赤な顔で綺麗な一輪挿しを花瓶ごと差し出されたときの初々しさ。ちょっとお馬鹿な感じがとてつもなく可愛くて思わず食べ……げふんげふん。
身元も稼ぎもはっきりしている騎士様だが、懸念点が一つ。
(あの人、二重人格かもしれない)
いや、そこまで大袈裟ではないかもだが、二面性は激しそう。
何故って、おつかいで昼間に街で彼を見かけたとき、酒場で居る姿とはかけ離れた……真顔無表情無愛想子供にもにこりとしない堅物眼鏡だったから。
(オンオフは大事だけど、激しすぎるわ)
ちょっと恐怖を覚えるくらいの二面性だった。いや、わからないけど。
そして第四候補……と行きたい所だが、多分違う。
期間的に、ノンノが心当たりとしてあげられるのはこの三人だ。
あらやだ、全員眼鏡だったわ。私ってもしかして眼鏡フェチだった?
全員酒場の常連だ。店の外で待ち合わせて、逢い引きをして、ワンナイトしている。
そう、全員心当たりがあって、全員可能性がある。
(うーん、詰み!)
ノンノはキリッとした顔で断じた。罪である。大罪だ。詰んでいる。
このままだと三つ巴だ。私の為に争わないで!
(――待って。果たして争ってくれるのかしら?)
ノンノの恋人すっ飛ばして、子供の父親の座を?
(俺の子じゃないって責任の押し付け合いにならない?)
だって誰とも恋人ではない。ではない状態で関係を持ったのはモテモテ状態に調子に乗ったノリノリノンノだ。鼻を伸ばしすぎた。深く考えず、可愛がられるのが嬉しすぎて肌を重ねてしまった。
ノンノがそうなのだから、相手もそうじゃないと何故言える?
(クリストフさんは多分ダメ。奥さんが居るわ。エグモントさんは? 大丈夫? 問答無用で堕胎させられない? インゴルフさんはアリかもだけど……もし本性が昼間の方なら、お前なんか愛していないとか平気で良いそう……)
全てノンノの独断と偏見である。
独断と偏見だが、あり得ないとも言いきれない。
ノンノは頭を抱えた。
(これはもう、誰が父親かわからないままにして、フェードアウトするしかないんじゃない?)
逃げの一手。
最低だった。何度も言うが、最低だ。
しかし、父親誰でしょうか選手権が犯人捜しともなれば、ちょっと心を病んでしまう。
モテモテだったが、遊び相手という意味でのモテモテだったと知りたくない。遊び歩いたことは認めるが、肌を重ねるまでいったのは本気で付き合っても良いと思ったからだ。
ちゃんと、運命と思った相手としか……。
運命を感じた相手と過ごしているが、運命の相手が多かっただけで……。
(ダメだわ、運命の相手多過ぎ! 私ってば移り気!)
言い訳のしようがない。人はこれを不誠実と呼ぶ。
(こんな人間に育つなんて、親だけでなくきっと神様もお嘆きになるわ)
国を挙げて推している……間違えた。信仰している神は、右手にツバメ。左手に裁きを下す杖を持つ厳格な女神だ。彼女は世界中を羽ばたく鳥の声で世情を知り、杖で雲を操り天候によって裁きを下すと言われている。鳥が空高く舞うのは天に棲まう女神へ言付けているからで、低空飛行をするのは裁きの前兆だ。
厳しい目で人々を見守る女神様はこう仰った。
『愛に格差があってはならない。平等に接しなさい』
これは貧富の差を嘆いているのだ。
いいや、愛しているからと贔屓してはならないと伝えているのだ。
解釈は人それぞれ。権力者の数、いいや人の数だけ解釈がある。
ノンノもまた、都合よく解釈した。
複数の男性と付き合うのは、確かによくないことだ。
しかし、そこに差がないのならば、平等である。
(つまり、平等に愛するならば、問題なし!)
大問題だった。
しかし、しかしだ。
――不誠実で最低で、刹那的だったのかもしれないけれど、その行為には愛があった。少なくとも、ノンノにはあった。
ならば、宿った命に、罪はあるだろうか。
ノンノはカッと目を見開いた。
(――無罪!)
そう、産まれてくる子供に罪はない。
考えなしだったノンノにはちょっとあるかもしれないが、子供は無罪。ちょっとどころかかなり不誠実だったかもしれないが、本気でときめいたから平等に愛し合ったのだ。愛の結晶に変わりはない。愛せる。ノンノは宿った小さな命を愛そう。
だが。
(果たして相手側はどうだったかな――――!?)
ノンノは片手で見開いた目元を覆い、天を仰いだ。元から仰向けだった。
商人のクリストフは、熱く求めてくれた。しかし(多分)既婚者だ。
医者のエグモントは、荒々しく求めてくれた。しかし(多分)闇医者だ。
騎士のインゴルフは、懸命に求めてくれた。しかし(多分)二重人格だ。
思う所はあるし同時進行だったが、ノンノは三人とも大好きだ。だが彼らがノンノをどう見ていたのかは、わからない。
もし三人とも、酒場の看板娘など、遊び相手でしかなかったとすれば……。
(――よし、逃げよう!)
キメ顔で逃走を決めたノンノは勢いよく起き上がり、荷造りをはじめた。
今思えば、妊娠初期の精神不安定。
ノンノの情緒は乱れていた。
それから、ノンノは母親の姉の手を借りて田舎へと引っ越した。
勿論両親に隠すことはできず打ち明けた。
母親からはアイアンクローをくらい、父親からは泣いて縋られた。沢山怒られたしもっと自分も相手も大切にしろと怒られた。怒られて、ノンノは自分だけでなく相手のことも疎かにしていたのだとやっと気付いた。
調子に乗ったノリノリノンノだった頃は沢山のイケメンと愛し合えてハピハピ! としか考えていなかったが、もし相手が本気だったなら、ノリノリノンノはノンデリノンノ。何も言い返せねぇ。
本当なら頭を下げて回るのが筋だが、腹の子の父親がわからないという珍事に周りもお手上げだった。こりゃもう相手の出方を窺いつつ産まれた子を見て判断するしかねぇ。両親はノンノの田舎隔離を決めた。
候補者を三名上げたが、ダークホース四人目が父親の可能性だってある。四人目が居たら五人目六人目が現われても不思議ではない。ノンノはノリノリノンデリだった。ノリノリで調子に乗った、人の心を忘れたノンデリだった。でもってお相手未満の粘着ストーカーもいた。可愛くて愛嬌のある店員あるあるである。あるある。
勘違い客の数は多い。あまりにもあたおか客が多くて店員のストレスはマッハ。これもノンノがノンデリになった原因だが、自制できなかったのはノンノなので自己責任。
父親がわからない状態で相手を選ぶのは大変危険だし、周囲に匂わせるのも危険と判断された。
相手候補には大変申し訳ないが、こっそり隠れて産み一人で育てるのを検討し、ノンノは田舎に引っ込んだのである。
そう、親公認の家出。ダメな経緯での独り立ち。
(誰かに何か聞かれたら、家出したって答えるって言っていたけど……もっと言い訳あったわよね。旅行とかさ?)
行き先を知らない、とアピールするにしても。家出はないだろう、家出は。
ぷんすこしたら伯母に反省しろと怒られた。はい。
ちなみにこの言い訳に、父親候補の行動は三者三様だった。
まず商人のクリストフはノンノの不在を知り、それから一度も来店しなくなった。
次に医者のエグモントは心配そうな表情で両親に寄り添い、メンタルケアの為か来店が増えた。父親は心をすっかり許しているが、母親は会話の中で色々探られていると感じるらしい。両親のエグモントに対する認識の落差は山と海くらいある。
続いて騎士のインゴルフは大袈裟なほど心配し、事件に巻き込まれたのではとあちこち探し歩いているらしい。定期的にやって来ては連絡がなかったかと聞いてくる。すっかり耳と尻尾の垂れた大型犬にしか見えず、母親は陥落している。逆に父親は撫でようと近付いた瞬間食らい付かれそうで怖いらしい。だから落差。
以上の内容を手紙で知らされたノンノ。
(そっか、クリストフさんはもう来ていないのね)
もしかしたら、クリストフは簡単に会えるノンノだからこそ口説いていたのかもしれない。だとしたら、妊娠を告げなくてよかった。自分勝手だが、拒否されるのはやっぱり辛い。
エグモントとインゴルフが気に掛けてくれるのは嬉しいが……なんだか勢いが怖い。両親の落差も怖い。どうして受ける印象がそんなに違うの?
その他の候補者もノンノを探したり諦めたりしているようだ。ちなみに粘着ストーカーはノンノを探すインゴルフと遭遇して成敗されたらしい。感謝だが、どっちも恋人でもないノンノを探していたわけで……立場が違えば結果は逆だったのでは?
ワンナイトしている相手だが、運命と思った相手だが、恋人になる前にベッドインした相手だ。しかもその後お付き合いの話をしないまま別れている。ぶっちゃけノンノだけでなく、相手も相手。どっちも不誠実。まあそれは置いておいて。
つまりインゴルフも、恋人でもない相手を探しているわけで……。
(結論。どっちもストーカー)
手紙を受け取りながら、ノンノは遠い目をした。
そうやって父親候補の動向を聞きながら過ごすこと、数ヶ月。
無事に生まれたのは、とても元気な男の子。
ピンクゴールドの髪に緑の目をした、男の子だった。
(髪とか目の色は成長途中で変わる可能性もあるから、判断材料には欠けるとして……誰に似ているって言われたら、クリストフさんかしら。でも下がった目尻はエグモントさん? 口元はインゴルフさんに似ている気もするし……でも全体的な印象はクリストフさんだから、父親は彼かな?)
とか考えてみるが、なんか全員に似ている気がしてきた。
正直、赤ん坊って似ている所を探せば誰にでも似ている気がする。
うん、全員に似ている。
(赤ん坊が生まれたら誰の子かわかるかなって思ったけどそんなことなかったわ!)
しかし父親が誰かなど、この頃のノンノは気にしていなかった。
だって、我が子可愛い。
まず小さなお手々に小さな指。ちゃんと五本生えている。関節だってある。爪もちいちゃいけれどご健在。大人の指一本を、手の平で握る小さい手。可愛い。
続いてムチムチの腕。産まれて二ヶ月であっという間にムチムチ。これからもっとムチムチになる予定。こんなん高級な白パンじゃん。思わず齧り付きたくなる可愛さ。ノンノは可愛すぎて食べたくなる心理を学んだ。我が子が美味しい。(甘噛み済み)
そしてふわふわのまん丸ボディ。本当にこの大きさがノンノの体内に宿っていたのかと疑いたくなる丸み。片手で抱っこできてしまう重み。首が据わっていないから絶対やらないけれど、両腕で大事に大事に抱えるけれど、とてもラブな柔らかさと重みに抱っこする度胸がぎゅんぎゅんして仕方がない。ぎゅんです。ノンノはぎゃんかわという言葉も覚えた。ぎゃんかわ。
そこにこの小顔である。雪だるまの黄金比を上回る黄金比。目も鼻も口も小さい。耳は大きい気がするが誤差。思ったより生えているぱやぱやした髪の感触は柔らかく、白目の少ない目は潤み、小さい口でがっつり食事を吸いに来る。力強い。見た目貧弱なのに、力強い。ええん生きるのに必死で可愛い。
(え、我が子可愛い。ええ、可愛い。えええ、うちの子可愛い。ええええ、世界一じゃん)
語彙力は死んだ。知能も死んだ。ノンノは赤ん坊にメロメロだった。
勿論、可愛いだけじゃない。
突然の排泄や吐き戻し。寝たかと思ったら背中スイッチ。やっと寝たかと思えば深夜の夜泣き。可愛い我が子が怪獣に見える時があるほど振り回された。
それでも可愛かった。
疲れ果て、一日に何回洗濯したのかわからなくなっても、すやすやぴすぴす眠っている姿を見るだけで、なんかもう全部癒された。これがマッチポンプか。沼るぜ。
父親が誰かなんてどうでもいい――……というか、気にする暇などなかった。
それくらい、子育ては激務だった。生きるって、生かすって、大変だ。
だから、すっかり忘れていた。
自分が父親候補達に何も言わず、姿を消していた事を。
「奇遇ですねノンノ。会いたかったです」
「やあノンノ。こんなところに居たんだね」
「ノンノ! 会えなくて寂しかった!」
「わぁー……」
見付かった。
しかも、心当たり三人衆。商人のクリストフ。医者のエグモント。騎士のインゴルフによる、同時発見。
本日の修羅場はこちらですか?
「な、なんで……」
「突然居なくなってしまったので心配になり探しました」
「いなくなった周期的にもしかしてと思って探しました」
「会いたかったので探しました」
「探さないで……」
一人言っていることがよくわからない。なんの周期だ。
インゴルフにも思ったが、どこにでも居る酒場の娘が居なくなったからって探さないで欲しい。というか、クリストフも探していたのか。酒場に来なくなったと思ったら、探していたのか。
確かに物騒な世の中だが、両親が探していないのだから察してくれ。仲良し家族だと知っていただろうに。確かに行き先は伝えないようにしていたが、身内は知っていると察してくれ。
――察して探したなら、本当に意味が分らない。
しかも所在地をがっつり把握されている。
彼ら三人がやって来たのは、ノンノが伯母夫婦から貸して貰っている小さな一軒家。なくなった曾祖父が住んでいた場所に、ご厚意から借りて住んでいる。
そもそも探されると思わなかったので、知り合い経由で借りた場所だ。だから探そうと思えば、探せるだろう。だろうけど。
好意はあっただろうけど、ワンナイトした相手をここまでして探す? なんで?
しかも今のノンノは、我が子を抱いていた。お散歩の時間だったので、家の前を行ったり来たりしていた。まさか家の前で、知った顔の男達と遭遇することになろうとは。
びっくりしたノンノは慌てて家の中に避難した。
が、赤子を抱えた女と足の長い男達では歩幅とスピードに差がありすぎた。あっさり追いつかれ、あっさり家の中に入られて、あっさり囲まれていた。
ノンノは震えた。
あまりにも自然に、強引だけど何の痛みもなく囲まれて震えた。
右にエグモント。左にインゴルフ。正面にクリストフ。背中に壁。腕の中に我が子。包囲網が完璧すぎて暴れられないし逃げられない。
ノンノは震えた。
我が子を守るように縮まってぴるぴる震えた。我が子はきょとんとしていた。
「探さないでと言われても、突然居なくなった好きな人を探さない男がいますか?」
「妻にと望む女を捜さない理由がある?」
「会いたいだけじゃ、駄目ですか?」
「インゴルフさんが一番まともなようで怖い……」
会いたいという理由が一貫しているけれど、関係性を一番把握してなさそう。
ノンノは突然会えなくなった恋人じゃないんですけど。理解しています?
クリストフとエグモントも流れるように告白めいた事(ほぼ告白)をしているが、インゴルフが怖い。なんか怖い。
なんだこの、よく考えたら本当は怖いお話を聞く時みたいなモヤモヤ。よく考えたくない。
震えるノンノの右側から、ひょいっと身を屈めたエグモントが赤子を覗き込んだ。
「居なくなった理由の一つとして考えていたけれど、本当に出産していたんだね」
「ひょわっ」
慌てて我が子を抱き直す。でもまったく隠せない。当たり前だ。
(ど、どうしよう! 普通にバレている!)
驚いた様子がまったくないこと、示し合わせたように三人で来たことからなんとなく察していたが、彼らはノンノの状態を把握していたようだ。そう、ノンノが妊娠、出産していた事を。
エグモントなんかは、ノンノが居なくなったあたりから察していたらしい。医者としての観点だろうか。しかしとても困った。
(どうしよう。誰の子だと聞かれても、答えられない。どう足掻いても修羅場だから逃げたのに)
逃げて隠したつもりなのにあっさりバレてしまった。
というかこの三人わかってる? お互い恋敵だってわかっている?
酒場の常連客だけど、そういえばこの三人が同席したことはない、はずだ。
だけど、知り合いだった? まさかノンノを探している間に知り合って、団結したわけではあるまいな。ワンナイトして逃げた女を追う中で団結する男達。怖すぎる。どういう感情?
険悪な様子はないが、どういうつもりで三人揃って、ここまで来たのだろう。まさか、ノンノに直接誰の子か問い詰めてから戦争が始まる? 一時休戦中だったらどうしよう。それとも、三人揃って俺の子ではないと証明しに来たのだろうか。
どうしよう。問われても、ノンノには父親がわからない――……。
誰の子だと聞かれたら、どうしよう。答えられない――……。
顔を青くして俯くノンノに、正面に立ったクリストフが笑った。
「私達の子ですね」
……??
あれ?
私達のって言いました?
ぽかんと顔を上げたノンノに、目の合ったクリストフが笑みを深める。
「わ、私達?」
「うん」
「そうだね、僕たちの子だ」
「俺達の子だろ?」
当たり前のように断言されて、ノンノは開いた口が塞がらない。
予想外の言葉が飛び出して、理解が追いつかない。
私の、ではなく私達の子。父親の座を争う事も、押しつけることもなく、私達の子? 僕たちの子? 俺達の子?
つまり、三人で父親宣言?
そもそも。
「み、皆さん、お知り合い……?」
ぽかんとするノンノに、エグモントがにこやかに宣言した。
「実は、僕たち兄弟なんだ」
「ふぁ?」
何を言われたのかわからず、開いた口が塞がらない。確実に今、ノンノは知性を失った顔をしている。
だというのに、そんなノンノを見て、三人は愛しげににっこり笑った。
あ、似ている、かも……?
「改めて自己紹介をしましょう。こんにちは最愛のレディ。私は長男のクリストフ・ケルベルス侯爵です」
「僕はその弟。医療部所属のエグモント・ケルベルス子爵」
「末の弟。騎士団右翼、第二部隊隊長のインゴルフ・ケルベルス男爵だ」
「ひゅっ」
とか思っている余裕は、か細い悲鳴と一緒に口から飛び出した。愛しい我が子を落っことすかと思った。別の意味で心臓が縮んだ。きゅっ!!
知り合いとか兄弟とか以前の大問題。その立場に心臓が口からまろび出そう。
三人とも、お貴族様だった。
商人だと思っていたクリストフは侯爵で。(闇)医者だと思っていたエグモントは貴族として医学を学んだエリートで。ただの騎士だと思っていたインゴルフは役職持ち爵位持ちだった。
「まず誤解しないで欲しいのだけれど、僕らが君に声を掛けたのは、本当に偶然だから。兄弟で示し合わせたわけじゃないからね」
「ああ。偶然だ。なんなら兄達があの酒場に通っているのも暫く気付かなかったくらいだ」
「時間もずれていたし、それぞれ独立して住む家も違ったからね。信じがたいかもしれないけれど、本当だよ」
「まさか弟達も同じ酒場に通っていたなんて、まったく気付きませんでした……君が私達を同時攻略した頃には、流石に気付きましたけど、ね?」
「ひょばぁっ!!」
ご本人に言われると、運命などと言う言葉で誤魔化せない罪悪感が襲ってくる。
ぶっちゃけどんな言葉を並べても、ノンノは三股して全員フッたあばずれである。実に最低。
聞く所によると彼らはそれぞれ真剣にノンノとの交際を鑑みて、ノンノの素行を調査していたらしい。すると出てくる兄弟の恋模様。しかも三兄弟全員。知った顔の知らない一面に調査員(子供の頃から見守ってきた使用人達)が気まずい顔になるくらい出てきた。
でもって、ノンノの知らないところで兄弟喧嘩も既に起きていた。
ちなみにノンノの知らないところで、恋敵の足の引っ張り合いは頻繁に起きている。ノリノリノンノが調子に乗った結果、ガチ恋客は彼らだけではない。そんなガチ恋の諍いを、ノンノはスルーしていた。
無責任とかでなく、気付いていなかった。ある意味とっても無責任だが、本当に気付いていなかった。
ノリノリノンノは周囲の混乱にはノータッチだった。ノーデリだったので。
流石に反省しているが、ノーデリノンノだった過去は消えない。
そう、血の繋がった兄弟を別の意味でも兄弟にしてしまった過去は消えない。下品な意味で。
そして実の兄弟で女を巡り争っていた彼らが、それに気付かぬ訳もなく……。
「ノンノが一人に絞らず全員と関係を持つなら、いっそ全員で囲ってしまおうという話になりまして」
「ひぇっ」
「だけど捕まえようって話をしている間に、ノンノはあっさり逃げてしまった……」
「ひぇーっ」
「しかも調べたら、俺達の誰かの子を妊娠したまま」
「ひ、ひぇえーっ!」
全部、バレているー!!
ノリノリノンノがノーデリノンノだったことはもうわかっている。父親がわからないから逃げたなんて、不誠実が過ぎる。しかも相手はお貴族様だ。三人揃ってお貴族様で、そんな三人に不誠実な付き合い方をしたのは間違いなくノンノで、そんなノンノを探しに来た三人……。
ノンノは震えた。ガックガク震えた。我が子を縋るように抱きしめて震えた。
「ああ、怯えないでくださいノンノ」
微笑んだクリストフが震えるノンノの頬を一撫でして、その場に跪く。続くように両脇の二人も膝を突き、ノンノは仰天した。
お貴族様三人に跪かれる庶民の図。
なにこれ。
「先程も言いましたが、私達は君を妻にと望んでいます。愛する君と、可愛い俺達の子が欲しい」
「幸い君は俺達の子を出産してくれているから、子を産めることは確実だ。あと二人産めれば最高だな」
「まあ、子は授かり物だから。必ず産めって言っているわけじゃないよ。出産は命がけだしね」
「そう、命がけです。命をかけて、産んでくれてありがとう……父親三人で、君たちを必ず幸せにして見せます」
「はわぁ……」
父親三人。
三人とも父親のつもり。
兄弟だから、誰の子でも血のつながりがあるから自分の子?
はぇわあ……知能が溶けていく音がするぅ……。
(で、でも待って。おかしいわ)
ノンノは知能が完全に消失する前に、なんとかキリッと形を整えた。形だけだ。
ここで流されては我が子共々、三人の父親候補に囲われてしまう。それだけはわかっている。
「クリストフさん、あなたは……お、奥様が、居ますよね……?」
ノンノが彼との未来はないなと思ったのは、ちらつく本妻の気配を感じ取ったからだ。
できる限りのキリッとした顔で追及したつもりだが、正面のクリストフはノンノの言葉にきょとんとして、成る程と頷いた。何に納得しとるのじゃ。本妻の居る相手と逆ハーレムなんて怖くてできません。ノンノは刺されたくない。
「形だけ結婚した妻ならいますね。ああ、冷遇しているわけじゃないです。彼女も身分差で引き離された恋人がいまして。恋人を囲うのを許可する代わりに、公の場では妻としての役割を果たして貰っています」
「それってよくないのでは?」
「ちなみに子を生まない条件で結婚したから、彼女が妊娠する危険性もないです。私の子も、相手の子も宿さない徹底的な管理体制を条件に契約しました」
「それってよくないのでは!?」
「子を諦めることで愛する人と生涯共に居る契約をしたのです。愛する相手と身分差があるから、そうでもしないと一緒に居られない」
「そう、身分差があるからね」
「私達とノンノみたいに、圧倒的な身分差が」
「はわ」
つまり奥さん(仮)の恋人は庶民。
ノンノも庶民。
しかし彼らは貴族。
ここには本来、相容れないほど深い壁があるはずだった。
が、彼らはその壁を突貫工事で突き破る。
「実は妻が子を望めない場合、愛人の子を跡継ぎにしても良い法律がありまして」
「それでも基本、愛人になれるのは貴族の娘だけど。それはまあノンノを養子にする貴族を見繕って来たからノンノも貴族の一員になるモノとして」
「婚姻前に生まれた子供だとしても、相手は俺達だ。誰の子かわからなくても確実に侯爵家の子ではあるからいいだろ! って教会に献金してきた!」
「財力と権威の暴力!」
これが説得力!
「そんな罪深い行為、よくないと思います!」
ノンノは力強く否定した。ノンノはノーが言えるノンノ。ノンノンノンノだ。
平等に愛せと仰せの神を札束で殴るのはよくない。殴られているのは神に仕える者達だが、その者達が札束の魅力に屈するなんて見たくない。世界の汚い部分はなるべく見たくない。
「よく考えてくれノンノ。そもそもノンノが俺達全員と寝たのが問題だと思う」
「父親がわからないような状況にしたのが一番の罪だと思うよ」
「ノンノが一人に絞っていれば、こんなことにはならなかったわけでして……」
「ぐうの音」
しかし反撃を受けてしまった。否定できず、黙るしかない。
罪ありきはやはりノンノ。我が子ではなくノンノに罪あり。はっきりわかんだね。
お調子者なお母さんでごめんよと我が子に懺悔をするノンノ。我が子は楽しげに笑っている。もうそれだけで許された気になったので許された事にした。我が子が笑うならそれが正義。
そんなノンノの前で跪いていた三人が、にっこり笑う。わあそっくり。
「でも大丈夫。選べないなら、一人に絞らなくてもいいです」
「独り占め出来ないのは残念だけど、君に逃げられる方が損失だからね。僕達が妥協するよ」
「俺達でノンノの夫になります!」
「倫理崩壊した結論出ちゃった!」
ずっとそう言ってはいたけれどガチだった。
ガチで、この三人は平等にノンノの夫となり、生まれてきた子供の父親になるつもりなのだ。
ノンノがノリノリノーデリだったばっかりに。一人と誠実に付き合わなかったばっかりに。ここに、三人の夫兼父親が爆誕してしまった。
クリストフが笑みを深める。シャープな眼鏡がキラリと光った。
「神が平等に愛せと仰せです。なんの問題もないですね」
(倫理観の崩壊した婚姻を宗教の解釈に無理矢理押し込んで合法にした――――!!)
御遣いの鳥からこんな内容を告げられて、女神様がそういう事じゃねぇと顔を顰める様子まで妄想してしまう。倫理はどこへ。ノーデリノンノが言うのもなんだが倫理はどこへ。
「うん、びっくりするノンノの気持ちもわかるよ。僕らだって、独り占めを諦めたわけじゃないし」
「そうだな。兄弟とはいえ、愛しい妻を共有するのはやはり違和感がある」
「デスヨネ!」
エグモントとインゴルフの言葉に、ノンノは全力で頷いた。
三股最低ノンノでも、三人の夫の発想はなかった。三股女が言うのもなんだが、夫は一人がいい。同時攻略した三股女だが、ちゃんと対峙した相手を愛していたので。添い遂げるなら一人が良いのだ。
お前が言うなと言わないで欲しい。ノンノが一番そう思っている。
「だから、ノンノは頑張って、僕達から一人を選んでね」
にこりと笑うエグモントに、ノンノは石像のように固まった。
「ノンノの唯一になれなかったのは残念だが、最後の一人になれれば問題ない!」
「ということで、私達に囲われるのがイヤなら、私たちの中からノンノが一人を選んでください」
君に選ばれたのなら、納得するから。
跪いた三人は、ノンノに向かって手を差し伸べる。
「今すぐでなくてもいいです」
「でも子供の物心がつく前に」
「夫に……父親に、選んでくれ」
我が子を抱きながら、三人の夫兼父親候補に迫られる。
ノンノは引きつった笑顔で、心の中で叫んだ。
(わ、私が想像していた修羅場と違う――――!)
殺伐とするはずの修羅場が、まさかこんなに甘いとは。
でもどろどろのぐちゃぐちゃな執着を感じる所は、まさしく修羅場かもしれない。
「きゃーきゃぶー!」
追い詰められる母親を尻目に、明るい声で笑う我が子が、一番の大物だった。
(こんなの選べませーん!! 逃げたい!!)
しかし回り込まれてしまった。逃げられない。
三人兄弟による三人兄弟の為のノンノ包囲網に、ノンノは声にならない悲鳴を上げた。
Q 三人は一体どうしてそこまで執着決めちゃったんですか?
A それぞれ違う場所で、それぞれ違う切欠で、ノンノの違う場所が好き。
クリストフ「行きつけの喫茶店に毎回違う男と来るので遊べる女と思ったら、毎回本気で照れて本気で口説いてくるから本気にさせられた。移り気なのに一人を求めるノンノの唯一になりたい。兄弟と共有して繋ぎ止めてあわよくば独占したい」
エグモント「店で手を捻ったノンノを診たのが始まり。沢山愛されているノンノの脳天気でお調子者なところが好き。おバカなノンノを調教して自分だけのノンノにしたい。でもお調子者な所も可愛いしなぁ……兄弟と囲うならNTRわからせをして啼かせたい」
インゴルフ「ノンノのストーカーを捕まえたらストーカーになっていた。何が起きたのか自分でもわかっていないが気付いたら視線で追って背中を追って後をつけていた。尾行ではない。引力に逆らえなかった。これが運命。それからこっそり頻繁にストーカーを捕まえている。元気に目の届く場所で生きていて欲しい。兄弟で囲うなら行為は全部認知したい。時間も回数も把握したい」
やばさ
インゴルフ>>>エグモント>ノンノ>クリストフ
我が子(?)に対して
クリストフ「私の子」
エグモント「僕の子」
インゴルフ「俺の子」
シークレットベビーとは(とは)
隠すつもりはありましたが即バレしました。




