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神殿の庭

 ドアを開けたところで柔らかな風が白金髪を揺らし、甘い花の香りが鼻をかすめた。季節の草花が咲き、綺麗に整えられた庭。拍子抜けするほど穏やかで、これまでの緊張感が削がれるほど。

 だが、エヴァウストはピリッとした空気をまとったまま、慎重な足取りで奥へと進んだ。


 少し歩くと、足元に歴代の聖女と呼ばれた者たちの墓が並ぶ光景が現れた。

 一つ、一つに一輪の花が供えられ、儚い美しさとともに寂しさと虚しさが漂う。


 少し前に聖女の墓へ参った時には気づかなかったが、改めて見た光景にポツリと声が落ちる。


「国のために生涯を尽くした結果が、これか……」


 青い瞳が墓を見つめていると、何かに気が付いたアンドレイが素早く先頭に出た。


「御下がりください」


 片手をあげ、エヴァウストを庇うように立つ。

 その瞬間、リーンとガラスを弾いたような高い音が響き、空は青いまま白い雲だけがグニャリとよじれた。


「なにが!?」


 神殿の庭全体を覆う魔法陣が現れ、半円形の結界がすっぽりと空間を切り離す。

 そのことを感じたアンドレイと騎士たちがエヴァウストを背にして守るように陣営を組んだ。

 そこに誰かが近づいてくる足音がした。


「何者だ!?」


 アンドレイが腰を落とし、いつでも抜刀できるように右手を剣の柄に手をかける。

 しかし、足音の主からの返事はない。


 神殿内とは違う静寂が包み、戦場のような緊張感とともにチリッと空気が肌を刺す。


 全員の視線が集まった先。


 そこには、顔の上半分を狐の面で隠した少女がいた。

 独特な雰囲気を纏ったまま、ゆったりと足を進めていく。

 長い亜麻色の髪を自由に遊ばせ、白いエプロンとともに空気を孕んだスカートがふわりと広がる。足元には髪と同じ色の質素な革靴。そして、左手には開かれた分厚い本。


 どこにでもいる町娘のような恰好だが、仮面と本が異様な気配を放つ。


 悠然と歩いてきた少女が狐の仮面をつけたまま本へと視線を落とし、うっとりと呟いた。


「本当に素晴らしいですわ。私の知らない世界が書かれた本がこんなにもあるなんて……」


 言葉を切って顔をあげると、仮面で隠れていない可憐な口元が優雅に微笑んだ。


「私はここでもう少し読書をしたいので、お帰りいただけませんか?」


 小首を傾げると同時にシャランとガラスを弾いたような短い音が転がる。

 お願いする仕草は可愛らしいのだが、顔の上半分を隠す狐の面と手にしている分厚い本のため不審者感が半端ない。


 これまで感じたことがない不気味な気配に圧されながらも、エヴァウストが王弟としての威厳を込めて訊ねた。


「なぜ仮面を取らぬ? それとも、私を王弟と知らぬのか?」

「いえ、知ってはいますが、顔を見せたくないので」


 まったく興味ないという様子で答えながら仮面の下から覗く瞳を本へむける。

 そのまま再び読書を始めた少女にエヴァウストのこめかみが引きついた。まるで存在を否定するような少女の態度に苛立ちが募っていく。


「不敬であるぞ!」


 語彙が強くなったエヴァウストをアンドレイが宥める。


「王弟殿下、今は神官長を探しだし、ルーカスの婚約者を見つける方が先です。この者は騎士団が捕らえますので」

「……そうだな」


 慣れない緊張に感情が高ぶっていたエヴァウストが当初の目的を思い出し、意識を切り替えるように軽く首を振る。

 その隣で、アンドレイが冷静に部下へ指示を出した。


「ローカス隊、あの者を捕らえろ!」

「ハッ!」


 騎士団長の命令に庭を囲むように隠れていた騎士たちが少女へ飛び掛かる。

 その部隊の騎士隊長が近づきながら少女へ叫んだ。


「抵抗すれば斬……なっ、消えた!?」


 立ったままうっとりと本を読んでいた少女の姿が一瞬で消える。

 予想外の事態に飛び出した騎士たちが慌てて足を止めて周囲を探す。


「どこだ!?」

「気配はあ……ガッ!」

「どうし……グハッ!?」


 短い呻き声とともに騎士たちが次々と倒れていく。


「な、なにが起きている?」


 唖然とするエヴァウストとは反対に、素早く状況を判断したアンドレイが叫んだ。


「全隊、出撃! 剣を抜け! 決して、油断するな!」


 その号令に別の場所に隠れていた騎士たちが一斉に駆けだす。

 シャッと金属が擦れる音とともに鈍い光を弾き、少女へと斬りかかった。


 四方から自分よりも遥かに大きな男たちが襲い掛かってくるという、普通なら絶望的な状況。

 だが、少女は本へ視線を落としたまま、ダンスを踊っているかのような軽いステップで騎士たちの間をすり抜け、騎士たちを地面へ沈めていく。


「なっ!?」

「離れ……グッ!」

「距離をと……ゴホッ!?」


 少女を追いかけて剣を振るが風を相手にしているかのように当たらない。それどころか、気が付かないうちに反撃をされ、気絶して倒れている。


「何者なん……ガッ!?」

「やめっ……グァ!」


 ふわりふわりと揺れるスカートの残像を残しながら騎士たちの間を跳ねていく少女。しかも、目は左手に持っている分厚い本に固定されたまま。

 ガゼボで本を読んでいるような優雅な雰囲気だが、周囲を囲む騎士の数は減っている。


「何が起きているのだ!?」


 エヴァウストの叫びに誰も答えられない。


 可憐な外見なのに、得体の知れない動きをする少女。数十人いた騎士団だが、立っている騎士は片手で数えるほど。

 決して、騎士たちが弱いわけではない。むしろ王都にいる騎士は選りすぐりの実力者揃いだ。


 そんな騎士たちから化け物を見るような畏怖に近い視線を浴びながら、足を止めた少女は空いている右手を頬に添えて悩ましげにため息を吐いた。


「はぁ……まさか、このような過酷な子ども時代が背景にありましたなんて……そのような時に出会っていたからこそ、あのような厳しい態度をとられていたのですね……ハッ! もしかして、あの時の言葉はこれが原因で!? 心配の裏返しで、一見すると心無く思える叱責をしていたのでしょうか!?」


 そう言いながら白い手が分厚い本のページを慌ててめくる。


「あぁ、やはりそうでしたか! まさしく、深い愛情の裏返し! このセリフが伏線になっていたとは、想像もつきませんでした! なんて緻密で繊細で計算しつくされた物語! この話を書かれた方は、まさしく神! 他の作品もぜひとも拝読させていただきたいですわ!」


 恍惚とした声音と、狐の仮面に隠れていない唇がうっとりと微笑む。

 騎士たちとの戦いの最中とは思えない言動と表情。


「な、何者なんだ……」


 囲んでいる騎士の一人が絶望の声を漏らす。


 王城に仕える騎士団をまるで赤子の手を捻るように相手をする少女。いや、この様子からして相手にさえもなっていないのかもしれない。


 この状況にエヴァウストを始め、騎士たちの顔が青ざめる。同じ人間とは思えない離れ業。しかも魔力を一切、感じないため魔法を使っているわけでもない。


 騎士団長として、どう対応するか考えていたアンドレイがふと思い出したように呟いた。


「そういえば、救国の聖女は前線でも本を読みながら戦い、その姿に敵は戦意を削がれ撤退したという話があったが……」


 その言葉にエヴァウストがキッと少女を睨む。


「つまり、救国の聖女の真似をして我々を撤退させようとしているのか」


 その結論にアンドレイが言葉を挟む。


「それより、あの少女が救国の聖女の生まれ変わりの可能性もあるのと思うのですが」

「いや、救国の聖女はもっと儚くおとなしかった。前線でも魔法を使って戦っていたはずだ」


 いまだに救国の聖女に儚い美女の幻想を抱いているエヴァウストが強く否定する。

 そして、うっとりと本を読み続ける少女へ視線を移した。


「もしくは、救国の聖女の生まれ変わりを守る護衛かもしれぬ」


 その意見に否定の気持ちが強いアンドレイだが、この中で救国の聖女を見たことがあるのはエヴァウストしかいない。しかも、王弟という絶対的な存在で意見することは容易ではない。


 反論を諦めたアンドレイがどう動くか考えていると、エヴァウストが少女へ声をかけた。


「我々は神官長によって監禁されている救国の聖女の生まれ変わりの令嬢を救出にきたのであって、敵ではない。そのことを理解してくれないか?」


 その問いに少女が本を読み進めながら答える。


「誰も監禁などされておりませんよ」

「だが、大魔導師の婚約者が昨日より神殿から出てきていない。それは神官長に監禁されているからだ」


 強く断言した言葉に対して、狐の仮面が空を見上げた。


「あら、もう一日経っていたのですね。ですが、読みたい本がまだまだありますし……どうしましょう」


 そこに青い空にヒビが入り、パリンと割れた音が響く。


 全員が空を見上げると、そこには襟足から伸びた長い黒髪が風になびきながら降ってくる姿があった。





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