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エヴァウストの進軍

 うららかな午後。

 穏やかな陽射しの下、のんびりとした時間が流れる王都の中心部にある大通り。だが、それを壊すようなピリッとした空気と重い金属が擦れる音が響いた。


 人々の視線の先には、隊列を組んで神殿へと行進する騎士団。

 その先頭には白馬に跨り悠然と闊歩する王弟・エヴァウストがおり、そのすぐ後ろには黒馬に乗り、燃えるような赤い髪を揺らす騎士団長が控える。


 戦争が始まるかのような光景に民たちが顔を青くして建物の影からコソコソと見つめていた。

 長年、続いていた泥沼のような戦が救国の聖女の登場によって急速に終戦を迎え、ようやく訪れた平穏な生活にも慣れてきたところ。それが、再び争いと恐怖と飢えの生活に戻るのかと恐怖に震える。


 そんな民の不安を払拭するようにエヴァウストが声をあげた。


「民たちよ、案ずるな! 我らは神殿に囚われし聖女を救うべく進軍している!」


 その宣言に覗き見していた民たちからザワザワと声が広がる。


「聖女が神殿に?」

「どういうことだ?」

「聖女は二十年前に死んだろ?」


 民から不審な視線を浴びながらも進む騎士団。

 そのまま神殿の前の広場に整列したところで、神殿内から青い顔をした年配の神官が転がるように石段を下りてきた。


「お、王弟殿下!? これはどういうことでしょうか!?」


 微かに震える体と怯えきった目が縋るように見上げる。

 だが、そんな年配の神官長を切り捨てるようにエヴァウストは冷えた声で淡々と訊ねた。


「神官長はどこだ?」


 その問いに神官が目を伏せる。


「そ、それが、その……」

「どこにいる?」


 余計な言葉はいらないとばかりに圧がかかる。

 騎士団に囲まれ、完全に委縮している年配の神官はグッと目を閉じて頭をさげた。


「神殿の、一番奥の……歴代の聖女の方々が眠る墓の奥にある庭におります」


 辛うじて聞き取れる程度の細い声にエヴァウストが振り返る。


「神殿の庭を囲め! ネズミ一匹逃がすな!」


 王弟の命令に控えていた騎士たちが部隊ごとに動き出す。


 神殿は参拝者が入れる正面の建物と、その左右に神官たちが住む建物と倉庫が左右にある。そして、その奥に歴代の聖女が眠る墓があるのだが、周囲は壁の代わりに隙間なく植えられた植木がグルリと囲んでおり、簡単には入れない。


 だが、騎士たちは躊躇うことなく植木を切り倒し、音もなく庭へと侵入していく。

 その様子を見ながら、騎士団長であるアンドレイは微かに眉間にシワを寄せてそっと馬を動かした。


「王弟殿下、ここまでなさらなくても……」

「いや、聖女が生まれ変わっていることに気づきながら、その報告を怠った上、聖女を監禁しているとなれば、これでも足りないぐらいだ」


 その顔に普段の穏やかな様相はなく、青い瞳が神殿を睨む。


「ですが、監禁しているかどうかにつきましては、確実な情報がなく……」

「監禁していなくとも、この神殿から出られない状態になっているのは間違いない。早急に救出せねば」


 エヴァウストの言葉にアンドレイが無言になる。

 そして、こうなった発端を思い出した。


~~


 事の始まりは昨日の定期的な王都内の見回りだった。

 朝からルーカスが不敬で王城の防御魔法を発動させ、地下牢にぶち込まれるという事件? が発生。巻き込まれたアンドレイは精神的にかなり疲労したが、騎士団の仕事は待ってくれない。

 やらなければならない騎士団を雑務をこなし、予定より少し遅れたが昼前に王都内の巡回へと出発した。馬に乗って主要な箇所を見回っていると、神殿の入り口の前にある広場の噴水の縁に座っている人物を見つけた。


「大魔導師の婚約者の侍女がこんなところで、どうした?」


 馬をおりて声をかけると、赤茶色の髪がバッと上をむいた。


「……騎士団長、様?」


 弱々しい声にそばかすの上にある大きな瞳が不安に揺れている。

 ルーカスの婚約者について言い争いをした時の勝気で強気な雰囲気は一切ない。今にも泣きつきそうな、心細そうな表情。その落差にアンドレイの胸がドキリとする。


「なにか、あったのか?」


 動揺を勘付かれないように落ち着いた声で訊ねる。

 すると、メイドのサラが縋りつくように立ち上がり、アンドレイに近づいた。


「お嬢様が、お嬢様が……神殿から出てこないんです」

「お嬢様ってルーカスの婚約者のことか? 神殿から出てこないって、いつからだ?」

「朝の参拝開始を知らせる鐘が鳴って少ししてからです。神殿に入るお姿を見かけて……出てくるのをお待ちしているのですが、出てこられなくて……」


 その説明にアンドレイが空を見上げた。

 太陽は真上にあり、昼であることを告げている。それから視線をサラへ戻す。


「一緒に神殿には入らなかったのか?」

「私は本日、お休みをいただきまして……それで、その、久しぶりに神殿へ参拝をしようとしたところ、偶然お嬢様のお姿を見かけて……」


 神官の腐の生活を探るために参拝しようとしていたとは言えず、目を伏せながらゴニョゴニョと答える。

 だが、その姿がアンドレイには信心深い奥ゆかしい淑女に映った。


(若い女性の中には神殿に参拝することを年寄り臭いと笑う者もいるから恥ずかしいのか。前に派手な言い争いをしたが、その時は主人であるルーカスの婚約者を侮辱されたからで、こちらが本質かもしれないな)


 サラへの評価を改めたアンドレイだが、残念なことにそれは間違った方向だった。

 しかし、そんなことを知らないサラが説明を続ける。


「お一人でしたので、たぶん屋敷からこっそり抜け出したのだと思います。ですので、下手に私が見つけたら逃げてしまう可能性もありましたので、神殿から出てこられるのを待っていたのですが……」

「神官に確認をしてこよう。神殿内で迷っているのかもしれない」


 そう言って歩き出そうとしたアンドレイだが、服の裾を引っ張られて止められた。


「私もそう思って確認をいたしました。ですが、神官の方々は神殿内にそのような女性はいないと言われて……」

「屋敷に戻っている可能性はないのか?」

「それも考えましたが、ここを離れている間にお嬢様が神殿から出てこられたら……と思うと離れられなくて」

「たしかにそうだな。なら、屋敷に使いを送ってルーカスの婚約者が帰宅していないか確認させよう」


 ごく普通の対応だが、サラは慌てた。


「ダメです! もし、お嬢様が屋敷を抜け出したことが知られたら……特に、大魔導師様に気づかれたら……」


 不安と心配混じりの声音にアンドレイがハッとする。


「たしかに、あれだけ執着している婚約者が勝手に屋敷を抜け出したことを知ったら……魔法で束縛か監禁しかねないな」

「それだけでしたらよいのですが、場合によっては神殿を破壊するかもしれません」


 あり得る状況にアンドレイは頭痛がしそうな頭を押さえた。

 ルーカスは現在、王城の地下牢にいる。しかも、脱獄しようとする様子もなく、おとなしく過ごしているというのだ。

 普段なら考えられないことだが、魔導師団の副団長曰く、婚約者に心配をかけたくないためらしい。婚約者の存在だけで本当にそれだけの効力があるなら逆もまた然り。それだけ大切な婚約者が神殿で行方不明になったとなれば、王城を壊して脱獄し、神殿を破壊しながら探しかねない。


「屋敷の者に知られないようにルーカスの婚約者が屋敷に戻っているか確認をするしかないのか。だが、どうすれば……」


 悩むアンドレイにサラが提案をする。


「私が屋敷に戻って確認をしますので、騎士団長様はその間にお嬢様が神殿から出てこないか見ていていただけませんか?」


 他にも仕事はあるが、ルーカスの婚約者の顔を知っているのは騎士の中では自分しかいない。

 頭の中でこれからの予定について再編成をしながら頷く。


「わかった。ここは任せて屋敷を確認してきてくれ。ただ、なるべく早く戻ってきてもらえると助かる」

「はい、急いで確認してまいります」


 そう言うとクルリとサラが体を翻して走り出した。


「ちょ、ちょっと待て」

「はい?」


 振り返った赤茶の髪の隙間から大きな目がキョトンと見つめる。


「走っていくのか?」

「はい」

「それだと時間がかかるだろ」

「ですが、他に方法がありません」


 言い切った言葉にアンドレイが顎に手を当てて考えた。


(馬で行く方が早いな。部下に声をかけて……)


 ここでそばかすの上にある大きな目を視線が合う。

 社交界で自分に迫ってきた淑女たちとは違う、素朴ながらも可愛らしい少女。馬に乗せて走るとなると、かなり体を密着させることに。しかも、それを部下と……


 そう考えただけで心の奥底でチリッと腹立たしいような虫唾が走る。

 これまで感じたことがない感情を踏みつぶしたアンドレイは振り返って後ろで控えている部下へ声をかけた。


「神殿から亜麻色の髪と緑の目をした十代後半の女性が現れたら声をかけてこの場にとどめておけ」

「はっ!」


 部下が右手を胸にあてて姿勢を正す。

 その姿に軽く頷いたアンドレイはサラへ声をかけた。


「屋敷まで馬で送ろう」

「え?」

「走るより早い」

「そ、それはそうですが……」


 戸惑うサラを置いてアンドレイが自分の愛馬を近くへ寄せる。


「時間がない。行くぞ」

「で、ですが、その、私は馬に乗ったことがな……キャッ!」


 戸惑うサラを軽々と片腕で抱き上げて馬へ乗せると、アンドレイも馬に跨った。


「初めてなら俺にしっかり掴まっていろ。行くぞ」

「は、はぃ……ひゃぁ!?」


 こうして二人を乗せた馬は王都を抜けてルーカスの屋敷へと向かった。





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