この主にして、この侍女あり
騎士団長を先頭にうら若き淑女二人が男所帯を歩いていく。
それだけで騎士団内にいる騎士たちから注目が集まっていた。
「どこのご令嬢だ?」
「見たことないな」
「社交界で見たことがないなら貴族ではないのか?」
「だが、侍女を連れているし、団長自らが案内をしているから、どこかの令嬢だろ」
ひそひそと騎士たちの憶測が飛び交う中、シルフィアとサラは夢見心地のまま騎士団内を歩いていた。
見苦しくない程度に二人は視線を走らせながら、余すことなく城内を観察していく。
窓が少なく暗めの廊下。防御に重点を置いているため、壁は分厚く、窓は小さい。普通の令嬢であれば暗くて不気味という印象を持つところだが、シルフィアは違った。
(王城より壁がかなり分厚くて頑丈ですのね。装飾がない代わりに、防御系の魔法がしっかりと組み込まれていて、王城より魔法への耐性が強力ですわ。でも、防御魔法はシンプルですから入り込むのは簡単そうですし……ハッ! これだけ壁が分厚いということは、殿方たちがどれだけ愛を紡がれても、その音は外には漏れないということで……もしかしたら、今、この時も、この壁の向こうで愛を育まれている可能性が!?)
翡翠の瞳が隣にある壁をギロッと睨む。
すると、アンドレイがその先にあるドアのドアノブに手をかけた。
「ここは食堂で、ほとんどの騎士はここで食事をしている」
そう説明しながらドアを開けると、そこは大人数で食事ができる広い部屋となっており、六人掛けのテーブルがずらりと並んでいた。
シルフィアが睨んだ壁の反対側にはテーブルと椅子があるだけで、今は誰もいない。
期待に膨らんでいた亜麻色の髪がしょぼんとさがる。
(やはり、そう簡単には愛を育む光景を目にすることはできませんのよね……)
雨に濡れた子猫のようにしおしおと沈むシルフィアに気づくことなく、アンドレイが説明を続ける。
「騎士の宿舎に住んでいる者は朝昼夜とここで食事をするが、城下町に住んでいる者は昼だけ食事をする。肉料理が多く、味は……まあ、普通だ」
その内容に落ち込んでいた顔がバッとあがり、翡翠の瞳が煌めいた。
(そうですわ! あの逞しく麗しい体を作り上げている食事がここで! 騎士の方々の血肉となり、体が作られる神聖な場所! しかも、全員がここで食事をするということは、出会いの場でもあるということ!)
ここでシルフィアの妄想が炸裂する。
(騎士団に入団したばかりで慣れない生活の若い騎士が二人。同期ということでお互いの存在を気にしつつも、最初は気恥ずかしさもあり、別々のテーブルで食事をしていた。それが、騎士団で生活しているうちに少しずつ距離が縮まり、いつからか向かい合って食べる仲に。そして、自然と隣に座って食事をとるようになり……)
うっとりと妄想に浸りながら翡翠の瞳が少し後ろへ控えている侍女へ移る。
すると、サラが心得たように無言のまま頷いた。
(そうですわ、お嬢様。一緒に食事をするようになった二人は、気の置けない仲となり、じゃれ合うようにお互いに苦手なものを相手の皿へ入れるようになるのです。それは隣に座っているからこそできること。向かい合って座っていてはお互いの皿の距離が遠くて無理ですから)
サラの心の声を受け取ったシルフィアが続きを妄想する。
(それだけではありませんわ。いつからかお互いに苦手な食材を覚え、相手が苦手な食材が入っている時はさりげなくフォークで刺して食べるという……そして、相手の好物が出た時は、自分のフォークにそれを刺して相手にあーんと食べさせる! 相手への思いやりと愛に溢れた情景が、ここにはありますのよ!)
(なんと!? まさしく、楽園! 天国はここにあったのですね、お嬢様!)
無言のまま目だけで会話をしていく二人。
優雅に微笑みあっているのに、なぜか不気味な気配が漂う。
突如、溢れてきた不穏な空気を感じたアンドレイは逃げるように話を進めた。
「その、次の場所へ移動してもいいか?」
「はい! ぜひ!」
シルフィアが喰いつくように返事をする。
自分よりもずっと小さい令嬢に何故か気圧されながらアンドレイは気を取り直すように軽く咳払いをした。
「じゃ、じゃあ、先に行くぞ。えっと、この先にあるのは治療室で……」
廊下を進み、奥の部屋へと移動していく。
その間にもシルフィアとサラが無言のまま視線で会話を続けていた。
(治療室といえば、怪我をした騎士が担ぎ込まれ、そこに心配してきた方と突発的な展開が起こる場所ですよね!?)
(はい、お嬢様! 他にも治療のためと服を脱がし、そこから二人の関係が発展する場合もございます!)
(そうですわ! 怪我の治療のために上着を脱がしたところで、首元にある小さな鬱血痕を見つけて、誰がつけたんだ!? と怒りと嫉妬に駆られ、そのままベッドに押し倒すことも!)
キラキラと目を輝かせ合う二人をあえて見ないままアンドレイが廊下を歩く。
(ルーカスが婚約者を監禁していると思ったが……俺の勘違いだったのか? すごく活き活きしているし、とても監禁されている令嬢のようには見えないな。あとで屋敷での生活を聞いてみるか)
そう考えながらアンドレイは治療室のドアをあけた。
ツンとした薬品の臭いが鼻を刺し、それから少し湿った風が抜けた。
「ここでは怪我だけでなく、体調不良の時も診察をする。今日は不在だが、普段は軍医が常駐している」
その説明にシルフィアの目がキラッと光る。
「軍医の方はお一人ですか? それともお二人?」
「いや、軍医は複数人いる。交代制で王城の治療室にいることもある」
「そうなのですね」
新たな情報に翡翠の瞳が素早く侍女の方を向く。
(これは今までになかった展開ですわ! 騎士×軍医という新たな可能性が生まれました!)
(お嬢様、軍医×騎士という可能性もあります! この情報は同士に伝えなければ!)
(そうですわ! かならずしも力がある方が攻めとは限らない! 人体を知り尽くしているからこそ、力自慢の騎士でも軽く組み伏せ、治療を……最初は治療をしぶしぶ受けていたけれど、いつからか治療を受ける時間が癒しになり……)
(そして、自分以外の者を治療している姿を偶然目にしてしまい、そこから湧き立つ嫉妬心。ここで己の恋心に気づき、治療を受けることが恥ずかしくなるのですね!)
(治療に来なくなった騎士を心配して様子を見に行く軍医。ですが、騎士は素直になれず、軍医と顔を合わすと嫉妬心から他の騎士を治療していろ、と心にも思ってないことを言い放ち、そこから二人の関係がこじれて……)
(最高の展開です、お嬢様!)
新しい供給の予感にシルフィアとサラがウキウキと微笑み合う。
視線だけでそんな会話がされているとは想像もつかないアンドレイが廊下の方を見ながら次の案内場所について思案する。
「ここからだと、次は訓練場になるが……」
「訓練場!」
サラの方を向いていたシルフィアが亜麻色の髪をグルンと振ってアンドレイを見上げる。
(訓練場と言えば、様々な騎士の方々が剣を交え、時には拳で語り合う場! いつもは素直になれなくても、剣に想いをのせて愛を飛ばす! そして、場合によっては体が絡み合い、お互いの吐息が髪を揺らすことも……あぁ! ぜひ、直接拝見したい!)
激重な欲望とともに翡翠の瞳を期待でギラギラと輝かせながら迫る。
その気迫にアンドレイが躊躇いながら足をさげた。
「や、やはり訓練場は淑女には刺激が強いから、他の場所を……」
方向転換しようとしたが、その前にシルフィアとサラによって逃げ道を塞がれる。
「いいえ! ぜひ! ぜひ、訓練場を見学させてください! お願いいたします!」
距離を詰めてくる翡翠の瞳にアンドレイが体を引く。
「わ、わかった。少し歩くが、いいか?」
「はい!」
こうして、建物から出て庭を抜け、訓練場へと向かったのだが、その途中でアンドレイがシルフィアへ訊ねた。
「あー、その、ルーカスとの生活はどうだ?」
「ルカとの生活、ですか?」
アンドレイはルーカスがシルフィアを監禁しているのではないかという観点から話を振ったのだが、シルフィアは案の定の勘違いをした。
(やはり大魔導師の私生活が気になりますのね! 普段は素っ気ない態度で接しているものの、心の中では心配と嫉妬の嵐! 何度も本で読みましたので、重々承知しておりますわ! ですが、私は世間を欺くための偽装婚約者。なにもないことをお伝えしなければ!)
ここで悪魔の姿をしたチビシルフィアがポンッと脳内に現れる。
『ここはあえて焦らしてみるのも手ですわ。ジレジレと情報を小出しにして騎士団長を焦らすのです。ここで大魔導師への気持ちを再確認させれば、次に大魔導師と会った時にその気持ちを爆発させるでしょう。爆発させた気持ちのまま騎士団長は大魔導師を……』
そこに天使の姿をしたチビシルフィアが現れる。
『そのようなことをしてはダメです。ちゃんと事実を伝えて安心させるのです。そして、次に二人が会った時もこれまで通り愛を紡げるようにするのです』
天使の提案に悪魔が残念とばかりに顔を横に振りながら肩をすくめた。
『それでは、おもしろくありませんわ。二人のマンネリ防止のためにも、新しい刺激となるべきです』
その言葉に天使がハッとなる。
『新しい刺激!』
悪魔がここぞとばかりに畳みかける。
『そうです。マンネリの関係も美味しいところはあります。ですが、やはり二人には一歩進んでいただき、次の展開もほしいところ。ここは一肌脱いで、新しい刺激となるべきでしょう』
その提案に天使が激しく賛同する。
『新しい刺激となるためにも!』
拳を握ったシルフィアが大きく頷く。
「一肌脱ぎますわ!」
思わず口から言葉が出ていた。
そこに恐ろしいほど冷えた風が吹き抜けた。
「……誰が、脱ぐのですか?」
深い地底よりも低く暗い声。空気が凍ったかと思うほど冷たく痛い。
ゆっくりと振り返ると、そこには鋭い殺気を放ちながら息を切らして立つルーカスがいた。




