気づきから始まりへ~王弟・エヴァウスト~
聖女の婚約者の第二王子であり、現在は王弟となったエヴァウストは王都にある神殿を抜け、その奥にある庭へ足を運んでいた。
穏やかな風が王族の象徴である白金髪を揺らし、深緑に茂った木々が青い瞳に映る。美男子と持てはやされていた青年は四十歳となり渋みを帯びた中年になったが、イケオジとして社交界では淑女たちから熱い視線を浴びていた。
そんな王弟が従者を連れず、等間隔に並ぶ白い石の間を進んで行く。
普通の庭とは違う、清い空気と厳かな雰囲気が漂う。
ここは王族の関係者か神官長しか踏み入れることができない神域であり、代々の聖女が眠る墓地であった。
「やっと、来ることができた」
自分の婚約者となったがために不要な反感の的となり、毒殺された聖女。
「……守ると決めていたのにな」
幾千の敵を前にしても平然と戦い抜き、風前の灯だった国を様々な奇跡で勝利と潤いをもたらした歴代でも一、二を争う功績を遺した聖女。
それだけの力がある聖女を王家に取り入れるための政略結婚。そこに愛はなく、弱体化していた国を立て直すための計画の一つだった。
戦場では負け知らずだった聖女が突如、王城で生活することに。
そこは、騙し合いや腹の探り合い、賄賂の応酬が蔓延した貴族社会。少しでも弱みを見せれば、そこから付け込まれ、蹴落とされる。
だからこそ、自分が盾となり守る必要があったのに。
「……すまなかった」
エヴァウストは片膝をつき、手にしていた白い花束を墓石の上へ置いた。大輪の白百合から甘い香りが舞い上がり鼻をくすぐる。
「生きている頃は花の一つも贈っていなかったな」
懐かしい記憶とともに忘れていた後悔が蘇る。
エヴァウストの記憶の中の聖女は、ほとんど会話をしなかったためか儚く可憐な少女で固定されていた。そのため、魔力が強くたぐいまれな魔法の使い手として無理やり戦前に立たされた薄幸の少女というイメージが強い。
だが、実際の聖女を間近で見てきた人たちは盛大に首を横に振るだろうが、幸か不幸か誰も訂正できる者がいなかった。
「もっと寄り添っていれば……」
物理的に寄り添ったら黒髪の弟子が裏から陰湿な攻撃(場合によっては暗殺)をしていたので、距離をあけていたのは正解なのだが、それをエヴァウストが知ることはない。
裏の事情を知らないため聖女を悲劇のヒロインのような立ち位置だと思い込み、悲嘆に暮れて過ごしていた。
そして、そのヒロインを守ることができなかった己への罰として、犯人を捕まえるまで墓は参らないと勝手に決めた上に、真犯人に辿り着くまでかなり時間がかかってしまい、墓参りもできない状況を自ら作り出していた。
「やっと、毒を盛った犯人を捕らえることができた。これからは、安らかに眠って……ん?」
聖女が埋葬された時、その墓石は暗く湿っていた。いや、墓石だけでなく、その周囲まで暗く淀んでいた。
それは聖女を慕っていた精霊の哀しみの表れであり、目には見えない精霊の嘆きが墓石を濡らしている、と言い伝えられている。
これだけ精霊に愛される人間は稀だが、聖女の墓ではたまに起きる現象だった。
「……精霊に愛された人間の墓は数百年ほど濡れているはずだが」
残された記録では、墓石が濡れる現象は数百年ほど続くことが多い。
ところが、目の前にある聖女の墓石は真っ白く綺麗に乾いていた。あれだけ精霊に愛されていたなら、最低でも百年は墓石が濡れていてもおかしくない。
「……いや、待て。たしか、墓石が早く乾いた事例もあったな」
通常は数百年ほど経過することで、精霊の哀しみが自然と癒えて嘆きが終わり墓石が乾く。だが、それとは違う、もう一つの理由。まことしやかに囁かれているが、それが事実なら……
エヴァウストは颯爽と立ち上がって踵を返した。
「神官長がこのことに気づいていないはずはない」
王族特有の白金髪をなびかせながら、カツカツと高らかに足音を響かせて神殿内へと急ぐ。
「神官長はいるか!?」
神殿に入ると同時に呼びかける。
その声に神官たちが慌てふためく中、奥から一人の男が悠然と歩いてきた。
「神殿内ではお静かに。王弟陛下とはいえ、礼節は守っていただきたい」
緩く一つ三つ編みにした白銀の髪を背中に揺らしながら、感情の読めない灰色の瞳が静かに忠告をする。
切れ長の目に花弁のような唇を持つ、美麗な顔立ち。線の細い体にゆったりとした真っ白な法衣に身を包んでおり、女性と見間違えるほどの可憐な容姿。
三十代半ばという若さで最近、神官長に就任したクレーメンス・アーベレ。
顔を合わすのは神官長での就任式以来であるエヴァウストは失礼にならない程度に視線を巡らせる。
もし、シルフィアがこの場にいたなら『渋みの漂う王弟と美貌の神官長の出会い! お互いの立場は違えど、最高権力者という身分! それゆえ共通の悩みを抱え、相談をしているうちにその気持ちは愛へと変わり……その過程をぜひとも見守りたいですわ!』と叫んでいただろうが、残念なことに本人はいない。
エヴァウストは微妙な寒気を背中に感じながら口を動かした。
「神官長、聖女の墓について訊ねたいことがある」
その内容にクレーメンスが眉尻が少しだけあがる。
しかし、すぐに微笑みを浮かべて穏やかな声音で答えた。
「では、こちらで伺いましょう」
ゆったりとした法衣に空気を孕ませながら背を向けて歩き出す。
先導する白銀の髪を眺めながら長い廊下を進むと、その先にあったのは応接室だった。
「どうぞ、おかけください」
さほど広くない部屋に置かれた最低限の調度品は年季が入っており、丁寧に扱われているが傷みが目立つ。
勧められて座ったソファーは想像より固く、木に直接布が張られたような感触。ひじ掛け部分も木がささくれ立っており、気を付けないと小さな木片が刺さりそうになる。
(……王都にある神殿で、この有様とはどういうことだ?)
神殿は寄付金で賄われており、質素倹約を基本としている。そのため、豪勢な暮らしはできないが、平民並みの生活はできるはずだ。
(王家からも寄付金を出しているはずだが、どうなっている?)
エヴァウストが訝しんでいると、見習いのような少年がティーセットを持ってきてカップを二人の前に置いた。そのまま紅茶を注いだが、その色はかなり薄い。
とても王族をもてなしているとは思えない状況に内心で目を丸くしていると、クレーメンスが淡々と口を開いた。
「で、どのようなご質問でしょうか?」
その声に意識を戻したエヴァウストが気を取り直すように軽く息を吐いた。
「聖女の墓についてだが、いつから乾いている?」
「乾くとは?」
クレーメンスが不思議そうに首を捻る。その姿に誤魔化していたり、嘘をついている様子はない。
エヴァウストは怪しみながらも説明を続けた。
「聖女が埋葬された時、墓石は精霊の哀しみの涙で濡れたように湿っていた。あれだけ精霊から愛されていた聖女なら当然のことで、今も湿っているはずだ。それが、今日は乾いていた」
「そういうことですか。ですが、私が神官長に就任して聖女の墓石を初めて拝見した時には今の状態でしたので、私からは何とも言えません」
「では、いつから聖女の墓が乾いているか知っている者は?」
その質問に灰色の瞳が意味深に細くなる。
「聖女が眠る庭は神聖な場所であり神官長しか入れませんので。知る者がいるとしたら先代の神官長でしょう」
その答えにエヴァウストは言葉に詰まった。
先代の神官長は少し前に逝去しており、最近クレーメンスが神官長を引き継いだ。それは聞くまでもない公然の事実であり、当然のこと。
「……ならば、なぜ先代の神官長は聖女の墓が乾いたことを王へ報告しなかった? それとも、墓が乾いていることに気づいていなかったとでも言うのか?」
「それは、私には分かりかねることです。それこそ、先代の神官長に聞いていただかないと」
「では、先代の神官長は聖女の墓について何か言っていなかったか? もしくは、墓についての記録など、何か残っていないか?」
その問いに白銀の髪がゆったりと横に揺れる。
「いいえ。先代はあまり書き物をされない方でしたので、記録物は一切残っておりません」
「……そうか」
短く言葉を切ったエヴァウストは時間が惜しいとばかりに立ち上がった。
「手間を取らせた。失礼する」
「お力になれず、申し訳ありません」
同じように立ち上がったクレーメンスが部屋の外へ声をかける。
「誰か、王弟陛下の見送りを」
「いや、結構だ」
そう言うと、エヴァウストは出された茶に口をつけることなく応接室を出た。
その少し後ろに付き従うように足音もなく歩くクレーメンス。その様子は下手な従者より洗練されており、育ちの良さが伺える。
神殿の前に待機していた王族専用の馬車に乗り込もうとして、エヴァウストは思い出したように振り返った。
「聖女の墓石について、なんでもいいから何か分かったら教えてくれ」
「かりこまりました」
悠然と胸に手をあて、白銀の髪がさがる。
その綺麗な立ち振る舞いに青い瞳が細くなった。
(神官長ではなく、従者か執事として王城に仕えてもいいぐらいだな)
馬車に乗り込んだエヴァウストが座席に腰をおろすと、馬がゆっくりと王城へと走り出した。
ガラガラと車輪が回る音に耳を傾けながら深く息を吐き、膝の上に置いた手を強く握る。脳裏に浮かぶのは、己の都合のよい記憶で美化された儚い聖女の姿。
「聖女が生まれ変わっているなら、見つけ出さねば。そして、今度こそ……」
その決意は誰にも聞かれることなく蹄の音にかき消された。




