シルフィアの秘密から婚約問題再び
婚約発表騒動から十数日後。
ルーカスの屋敷の庭にある白い屋根のガゼボで優雅に本を読むメイド服のシルフィア。
しかも座っているのは何故か、ルーカスの膝の上。太くて逞しい足は安定の座り心地なのだが、艶やかな漆黒の髪が甘えるように白い首に埋まっている。
翡翠の瞳が文字を読みながら、首元をくすぐる黒髪へ声をかけた。
「体は大きくなったのに、甘えん坊ですね」
「師匠を浄化中です」
「あれぐらいの闇では穢れませんよ?」
修道女から放たれた闇の魔力を吸収したが、まったく影響はない。普通の人なら、あれだけの負の感情に染まった魔力ならば触れるだけで闇に落ちるし、高位の魔導師でも体調を崩すぐらいの影響がある。
だが、ルーカスは否定するようにグリグリと額をこすりつけながら悔しそうに呟いた。
「そのことではありません。師匠の神聖な魔法があんな奴らに見られ……それだけで穢れです」
「別に精霊と一緒に踊っただけですし、珍しい魔法でもないでしょう?」
思わぬ発言にルーカスが顔を埋めたまま一拍おく。
「……もしかして、師匠は精霊が見えるのですか?」
魔法を使うには詠唱しながら精霊に魔力を渡すのが基本。ただ、精霊の姿は見えないし、気配を感じることさえも難しい。だから詠唱をしながら、見えない精霊に魔力を渡している。
しかし、シルフィアは視線を本から黒髪へ移して不思議そうに訊ねた。
「精霊が見えないのに、どうやって魔力を渡して魔法を発動させるのですか?」
口元だけで笑ったルーカスがゆったりと顔をあげる。
「師匠が無詠唱で魔法を使える理由が、なんとなく分かった気がします」
通常は、どこにいるか分からない精霊に魔力を渡すために詠唱するが、シルフィアの場合は精霊がどこにいるのか見えているため、魔力を的確に渡すことができる。そのため、簡単な魔法であれば詠唱が必要ない。
ただ、高度な魔法になると魔力の細かい調整とその内容を伝えるため詠唱が必要になる。
と、ここまで考察したところで、ルーカスはそれまでの穏やかな雰囲気を消して正面を睨んだ。
「師匠との時間を邪魔するな」
不機嫌極まりない声に対し、ハッハッハッと軽い笑い声が返る。
「そうしていると、本当に子どものようだな」
「何用だ?」
ほとんど白髪になった白金髪と、深いシワに覆われた青い瞳。きちんとした身なりと穏やかな風貌で、一見すると初老の隠居した貴族。
だが、その実態は息子に王位を譲った先王。
そんな偉い人が何故、一人でこんな場所を歩いているのか。いや、護衛も無しで歩いていることも、使用人が存在に気づいていないこともおかしい。
警戒しつつも、挨拶をするためシルフィアは立ち上がろうとした……が、それを先王が手だけで止める。
「そのまま楽にしていてくれ。でないと、ルーカスに怒られる」
「え?」
背後からガッシリと体を抱いている逞しい腕に力が入り、深紅の瞳がますます鋭くなる。
「用件は何だ?」
「まあ、そう焦るな」
のんびりとした歩調でガゼボに入ってきた先王がシルフィアの反対側にある椅子へ座る。
すると、影から細い目の魔導師が現れ、先王専用のティーセットを並べた。
「ここで茶をするつもりか?」
「どこで息抜きをしようと私の自由だろ?」
ふわりと朝摘み紅茶の香りが漂う。芳醇で朝露を連想させる、しっとりとした匂いにシルフィアが目を閉じた。
(あぁ、これが先王の愛用の紅茶ですのね。この紅茶を愛する人と嗜む……なんて優雅なひととき。それを見守る護衛の魔導師。その心にあるのは秘めたる想い……先王はその気持ちに気づいているのか……その複雑な心境と恋愛模様を想像するだけでパン三本は食べられますわ)
表情には出さずに、心の中でうっとりと妄想を炸裂させる。
その一方で絶望的に機嫌が悪いルーカスはそれを隠すことなく低い声音で訊ねた。
「用件は、なんだ?」
質問には答えず、紅茶を飲む先王。
その様子に黒い眉がピクリと跳ねる。用件はあるが相手からの言葉を待つ時によく使う間。
それを知っているルーカスはさっさと話題を切り出した。
「なら、こちらから聞く。宰相はなぜ師匠を毒殺した?」
率直な問いに先王が目を伏せてカップを置く。
「……あいつは盲目的な王族崇拝者でな。白金髪と青い瞳に平民の血が混じることを許せなかったのだろう」
影のある神妙な面持ち。
それは自分が決めた婚姻を腹心に裏切られていたという心境を表しているようでもあった。そして、前世の死の原因を知ったシルフィアは……
(盲目的な崇拝!? つまり宰相と先王は恋愛には発展していなかったということですの!? いえ、崇拝しているからこその愛も! あの小説での宰相の行動は崇拝心から!? 崇拝から愛へと揺れ動く感情の変化と葛藤をもっと詳しく! そこに、護衛の魔導師も……そういえば、騎士団長と先王の関係も……あぁ! 相手が多すぎて、処理しきれませんわ! 私はどうすれば!?)
と、前世の死とはまったく関係ないところで苦悩していた。
正面に先王がいるため、ルーカスの膝で上品に微笑みを浮かべたまま、脳内では頭をかきむしりながら絶叫する。それを表すように亜麻色の髪も毛先が見えないところでグシャグシャと絡み合う。
興味津々に聞き耳を立てているシルフィアを膝に乗せたまま、ルーカスが眉間にシワを寄せた。
「だろう? 推測か?」
「本人から話が聞けないからな」
その答えに亜麻色の髪がピクリと動く。
「魔法を解除していないのですか?」
「できる者がおらんからな」
平然と話しながら先王がカップに口をつける。
まさか、と思ったシルフィアが視線だけでルーカスに確認すると、コクリと頷かれた。
「それなら、私が……」
と、言いかけたところで、緊迫した声が飛んできた。
「お待ちください! 勝手に入らないでください!」
メイド長のマギーが注意する先にいるのは、ドレスの裾を持ち上げて走るベルダ。
「メイドが、私に指図しないで!」
「客人として最低限の礼儀はお守りください」
「まぁ! 男爵家ごときが失礼ね!」
そこでルーカスを見つけたベルダが満面の笑みを浮かべる。
「ルーカス様!」
喜々とした顔の後ろにはドロシーが続き、かなり後方で息が切れているワイアットがヨロヨロと歩いてくる。
一度、魔力切れになると回復するにはかなり時間がかかるため、本来なら寝て休んでいないといけないのだが、誰もワイアットを気遣う様子なく。
脇目も振らずガゼボへ突進してくるベルダ。だが……
バン!
ガゼボに入ろうとしたところで見えない壁にぶつかり、顔を潰した。
「な、なんですの!?」
魔法でつくられた見えない壁をペタペタと触る。その様子にメイド長のマギーはそっと距離をとって控えた。
「用があるなら、そこで言え」
ルーカスの淡々とした言葉に、ベルダが体をくねらせ、上目遣いのまま甘ったるい声で話す。
「監禁されている間もずっとルーカス様のことを想っておりましたの。私の気持ちはずっとルーカス様、一筋ですわ」
「だから、なんだ?」
ベルダの方を見ることもないルーカスに対して、追いついたドロシーが声を挟んだ。
「本日は、婚約の件で参りました」
その言葉に応えることなく、膝にのせたシルフィアの髪を撫でるルーカス。逞しい腕は優しく抱き込み、亜麻色の髪を愛おしそうに見つめている。
その甘々っぷりを邪魔するようにドロシーが威圧的に話した。
「大魔導師とはいえ、ルーカス様は男爵家。伯爵家の長女が男爵家に嫁ぐのは、外聞的にもよろしくないと思いません? 長女は伯爵家の安泰のためにも、しっかりとした家柄に嫁がせますから、婚約は次女であるベルダにしなさい」
どうやら爵位が上であることを笠に着て婚約者をベルダへ変更しようという計画らしい。
しかし、それぐらいで動揺するわけもなく。興味ないと言わんばかりにルーカスが不機嫌に息を吐いた。
「帰れ」
その態度にドロシーが扇子を取り出してビシッとルーカスへ向ける。
「これは伯爵家としての命令よ。それとも、男爵家が伯爵家に逆らうつもり!?」
ここでベルダが胸を張って訴えた。
「魔力0で無能のお姉さまが大魔導師に嫁いでも、みっともないだけですわ。私と代わるべきよ」
そう言われても、王城の壁になることが目標のシルフィアにとって、その第一歩であるこの婚約は譲れない。
キッパリと断ろうとしたが、その前に疑問を含んだ渋い声がした。
「魔力0で無能とは、誰のことだ?」
「もちろん、この……」
質問をした人物を見た瞬間、意気揚々と話していたドロシーの口が止まった。
存在には気づいていたが、ずっと視界に入っておらず。今になって、ようやくその姿を目に映した。
「ま、まさか……?」




