シルフィアの力
修道女が振り上げた剣が宰相に迫る。しかし、宰相が逃げる様子はない。それどころか眉一つ動かすことなく立ち尽くしたまま。
鈍く輝く刃がまっすぐ宰相へ振り下ろされ……
「やめろ!」
声とともに剣を持ったアンドレイが修道女の剣を弾き飛ばした。
「邪魔をするなぁぁぁあ!!!!!」
醜く顔を歪めた修道女の叫び声と共に、魔力と感情が爆発する。
光のない、時間も分からない世界。そこで狂わずに生きられたのは、復讐という希望があったから。何度も闇に潰されそうになりながら、恨むことで生きてきた。
狂うほどの時間を、ただ、ただ、ひたすら復讐のために耐えてきた。
「あいつを殺させろぉぉぉお!!!!!」
溜まりに溜まった怨念が魔力となって吹き荒れる。
黒い風が広間を飾っていた装飾品を吹き飛ばし、凶器となって人々を襲う。
「キャー!」
「早く、逃げろ!」
「危ない!」
阿鼻叫喚の混乱状態。騎士と兵たちが出席者たちを避難させていく。
「こちらへ!」
「落ち着いて!」
「怪我人に手を貸せ!」
その光景に荒れ狂う風の中、シルフィアが目を輝かせる。
(あぁ! 普段はライバル視している関係なのに、アベーライン伯爵子息とバーレ伯爵子息のなんて活きがあった動き! 目だけで会話をされて! まぁ! あちらではケルステン子爵とキルヒホフ男爵が淑女の方々を誘導しながらも、お互いを気遣っている! なんて尊い光景の連続! どうして、ここに絵師がいないの!? ぜひ絵師にこの瞬間を切り取って描いていただきたいのに!)
と、明らかに見当違いのことを考えながら、人々が広間から出ていく様子を無表情のまま見つめる。
そこに、黒い体が抱き込んだ。厚い胸板が守るように華奢な体を包み込む。
「大丈夫ですか、師匠?」
「これぐらい、なんともありませんよ?」
「……そうですね。戦場の最前線で魔法が飛び交う中でも平然と読書をしていた師匠には、これぐらいの状況は何でもないですね」
「あら、別に好きで読書をしていたわけではありませんよ。本日中に読むように命令されていた魔法書がありましたから」
「そのような命令をする軍が悪いだけですね。で、これからどうします?」
気が付けばシルフィアとルーカスを除いて広間には五人しか残っている人はいなかった。
腰を抜かして座り込んでいるチャペス侯爵と、何故か残っている王弟と、護衛をしているアンドレイ。
そして、荒れ狂っている修道女とその先で、棒立ちの宰相。
そこにアンドレイの声が響く。
「王弟、早く避難を!」
飛んでくる装飾品と魔力を剣で斬りながら王弟を守っている。
「私は残る!」
「何故ですか!? ご自分の立場をわきまえてください!」
苛立ちを隠さずに怒鳴るアンドレイ。だが、王弟が動く様子はない。
そんな二人に翡翠の瞳が輝く。
(逃げろというのに逃げない。それは離れたくないから! 傷つくことになろうとも、死ぬことになろうとも、愛する人の側を離れたくないから! まさか、王弟の愛する方とは騎士団長!? 年の差と身分差を超えた愛! ぜひとも壁になって見守りたいですわ! そのためには!)
尊い光景に満足したシルフィアはルーカスへ微笑んだ。
「ルカ、少し力を借りてもいいですか?」
「もちろんです!」
師匠からの頼みに、ルーカスが嬉しそうに顔を綻ばす。
「彼女を落ち着かせますので、道を作ってください」
「わかりました」
黒い右手を修道女へ向ける。それだけで、見えない壁に守られた一本の道ができた。広間内をところ狭しと飛び交っている装飾品が見えない壁にぶつかって粉砕され、どす黒い魔力は弾かれている。
シルフィアがその道を歩きながら修道女に声をかけた。
「魔力に呑まれないで。私に呼吸を合わせてください」
すぐ近くで、ガシャン! バリン! と様々な物がぶつかり壊れていく。
しかし、シルフィアは恐れることなく歩き続ける。
「あいつに復讐を! 私からすべてを奪ったあいつに! すべてをかけて復讐を!」
「そんな状態では何もできませんよ」
「できる! この魔力があれば! あいつからすべてを奪ってやる!」
「これから宰相は己の罪を償う日々をおくることになります。それは、乗り越えられるか分からない、贖罪の日々です(そして、それを影から支える先王。そんな二人の愛だけは! 先王と宰相の尊い愛だけは! それだけは、奪わせません!)」
心の声は表に出さず、淡々と説得を続けていく。
だが、修道女は涙で顔を濡らしたまま全身を振り乱して、叫ぶように感情をぶつける。
「そんなこと、知るか! 私が失ったモノは、もう戻らない! なら、奪うしかない!」
「一度、落ち着きましょう」
目の前まで来たシルフィアが修道女の額に白い手をかざした。それだけで、広間を駆け回っていたどす黒い魔力が一気に集まっていく。
その光景に王弟とアンドレイが叫んだ。
「まさか、魔力を吸収しているのか!? あんなに禍々しい魔力を!?」
「やめろ! 闇に吞み込まれるぞ!」
これだけの怨念がこもった魔力であれば、普通なら触れただけで自分の魔力が穢され、侵食され闇に落ちる。
だが、シルフィアにその様子はなく平然と魔力を吸収していく。
その状況に、修道女の方が狼狽して……
「やめろ! 私には、これしか! 復讐しかないのに!」
悲痛な叫びに翡翠の瞳が微笑む。
「そのようなことはありません」
修道女がシルフィアを拒絶するように頭を抱えて座り込む。
「気休めの言葉なんて、いらない! 私のせいで、家族は! みんなは!」
「すべては宰相の計画によるもの。情状酌量を願い出ましょう。再び家族がこの国に戻れるように、一緒に生活できるように」
「一緒に生活できたとしても、すべては戻らない!」
その言葉に亜麻色の髪が悲しげに揺れた。
「たしかに、すべてが戻ることはありません。ですが、新たに得ることはできます。かつての私がそうだったように」
最後の一言に修道女の動き止まる。座ったまま、恐る恐る顔をあげた。
そこに、シルフィアが白い手を差し出す。
「あなたは、まだ知らないだけ。めくるめく素晴らしい世界が存在することを」
「めくるめく……素晴らしい、世界?」
「はい」
白い手が光り、修道女を包み込んだ。
眩しいのに、柔らかく優しい輝き。その中で、生気がなかった修道女の頬に赤みが差し、濁っていた瞳に光が戻る。
「……このような、世界が」
興奮を抑えた、うっとりとした声にシルフィアが頷く。
「同士となりましょう」
その言葉に、修道女が戸惑いながらシルフィアの手に視線を落とす。それから、パッと顔をそらした。
「で、でも……私は大罪を……」
「私が口添えをしますから」
「ですが……」
「暗闇の世界に戻る必要はありません」
その一言で修道女の目が大きくなる。
「太陽の下で共に生きましょう。綺麗ごとだけではありませんし、苦しいこともあります。それでも、光があります」
修道女が恐る恐るシルフィアの方へ顔をむけた。
「……私は、また光を見ることができるのでしょうか?」
「えぇ、できます」
闇が消えた瞳に涙が浮かぶ。
「ありがとう、ございます……」
修道女が白い手を両手で握り、額をつけて涙を零す。
暴れていた魔力は収まり、飛び交っていた装飾品が音をたてて床に転がる。
ルーカスが見えない壁を消してシルフィアに近づいた。
「師匠、何をしました?」
荒れ狂う魔力と装飾品が割れる音で二人の会話は誰の耳にも届いていなかった。
修道女を助け起こしたシルフィアが振り返って微笑む。
「少々お話をしただけです」
そこに複数の足音が迫ってきた。
「全員、動くな!」
黒い服を着た魔導師団が一斉に部屋へなだれ込み、シルフィアたちを取り囲んだ。




