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思わぬ余波

 連れてこられた女の年は30歳半ばほど。化粧はしておらず、肌はかさつき、目は虚ろで焦点が合わない。修道服を身にまとい、神に仕えているはずなのに、厳重に警戒している兵に挟まれているという異様な光景。


「誰だ?」

「知っているか?」

「いや、初めて見る顔だ」


 人々の疑問に答えるように宰相が答える。


「20年前、聖女に毒を盛った者だ」


 息を呑む音が落ちた。皆が一様に口を閉ざし、不気味な静寂が漂う。


 聖女の飲み物に毒を入れた侯爵令嬢は修道院に身柄を移され、そこから誰とも接触することがなかったため、暗殺されたのでは、とも噂されていた。


 20年ぶりに公の場に現れた毒殺犯。


 その姿に、前世で当事者だったシルフィアは少しだけ目を大きくした。それは、恐怖や衝撃とかからではなく……


(あの方のおかげで私は前世の時、薔薇に挟まるという愚行をしなくて済みましたのね! ぜひ、お礼を言わなくては!)


 と、勘違いを続行させたまま。それどころか、礼を言う機会を窺っているほど。


 キラキラと感激に溢れる気持ちを抑えているシルフィアの前で、宰相が良く通る声で人々へ知らせるように言った。


「この者は魔法によって心身操作を受けており、何も話せない状態だ。それが、この魔法陣によるものであれば、チャペス侯爵がこの者を操って聖女に毒を入れた確たる証拠となる」


 続けてアンドレイが補足するように説明した。


「皆は存じていると思うが、魔法陣は使用している対象に近づければ魔力が反応して光る。つまり、この魔法陣がこの女に使われているなら、魔力が反応して魔法陣が輝くはずだ」


 魔法を扱う者なら知っていて当然の知識であり、魔力を持つ者が多い貴族なら尚の事。

 人々が固唾を呑んで見守る中、魔法陣が描かれた紙を持ったアンドレイが修道女の前に立つ。そして、ゆっくりと分かりやすい動作で魔法陣が描かれた紙を見せた。

 すると、紙に描かれた魔法陣が眩しいほど輝き……


「まさか、本当に……」


 半信半疑だった視線が、軽蔑や蔑みへと変わる。


「そんなはずはない! まったくのでたらめだ! 私は知らない!」


 腹の底から叫び、体を押さえつける腕を振り払うように暴れるチャペス侯爵。


「見苦しいぞ!」


 一喝した宰相が灰青色の瞳を動かし、鋭い声で命令した。


「大魔導師をチャペス侯爵とともに連行しろ!」


 誰もが聞き間違えたかと思い、自分の耳を疑った。

 それだけ衝撃的で、予想外の命令。


 人々が言葉の内容を理解する前に兵が広間に突入し、ザッとルーカスを囲んだ。


 突然の仰々しい事態に夫人たちから悲鳴があがる。


 だが、ルーカスはこの状況に慌てることなくシルフィアを守るように体を抱き込み、深紅の瞳で兵たちを睨んだ。鋭い魔力の気配に兵たちが少しだけ距離をとる。


 まさに一触即発の空気。


 だが、それを裂くようにアンドレイが宰相へ怒鳴った。


「なぜ、ルーカスが連行されるのです!?」


 真っ赤な髪が逆立ち、魔法陣の紙を持つ手が微かに震え、この唐突な展開に全身で異議を申し立てる。

 婚約発表に招待されただけだった出席者たちは話についていけず顔を青くして見守るのみ。


 息もできないほどの緊迫した雰囲気だが、その中心に立つシルフィアは目を輝かせていた。


(あぁ、騎士団長のなんて勇気ある行動! 自分の身も危ないのに、愛おしい人のためなら宰相であろうとも意見をする! なんて尊い関係! ここで窮地を脱した二人は、お互いの気持ちを確認して……あぁ、もう! 素晴らしすぎて言葉にできません! 何度も小説で読んだ場面を、こんな間近で拝見することができるなんて! 偽装婚約バンザイですわ!)


 状況に合わせて少しだけ困惑した表情を作りながらも、心の中では騎士団長の行動に拍手喝采。扇子を振って全力応援している。


 そんなシルフィアの前で宰相とアンドレイが睨み合う。


「心身操作系の魔法は普通の者では扱えない。それどころか、魔法に精通している者でも難しい。つまり、魔法師団の中でも、かなりの実力者が協力しなければ、この魔法は使えない」

「ルーカスは魔法師団一の実力者だが、それで犯人だと決めるのは早計すぎます! ここで犯人のように扱うのは止めていただきたい!」

「そう言って、もし犯人であったなら、どうする? このまま姿を消す可能性もある。聖女の毒殺犯を確実に捕らえるため、ここで逃がすわけにはいかない」


 そう言い切ると灰青色の瞳がアンドレイからルーカスへ移った。


「抵抗をすれば反逆罪として婚約者もろとも連行する」


 ザッと兵が距離を詰める。

 アンドレイがグッと歯を食いしばり、ルーカスが眉間のシワを深める。

 ここで問題を起こせば、魔法陣とは関係ないことが証明されても別の罪状が増えるだけ。かと言って、ここでルーカスが言われるまま連行されるとは思えない。


(……それに、このままルカが犯人扱いされるのも癪ですし)


 ずっと大人しく眺めていたシルフィアが黒い腕の中からスルリと抜け出した。


「師匠?」


 困惑する弟子の声を背に、シルフィアが頭をさげて王弟へ軽く膝を折る。薄めていた気配を戻し、涼やかな声で名乗りをあげた。


「ワイアット・クライネス伯爵が娘のシルフィアと申します。ここでの発言を許可していただけないでしょうか?」


 この状況での大胆な行動に人々から好奇の目が集まる。

 だが、宰相がその視線ごと冷えた声で切り捨てた。


「立場をわきまえろ、伯爵令嬢風情が」


 その瞬間、深紅の瞳から光が消え、どす黒い気配とともに漆黒の髪がぶわりと浮かぶ。ここでルーカスが本気で暴れれば王城は跡形もなく消える。それだけは避けなければならない。


 騎士から兵まで全員が剣の柄に手をかけたところで王弟が制した。


「よい。発言を許可する」

「ありがとうございます」


 亜麻色の髪が揺れ、ゆるりと顔があがる。体を起こしただけの何気ない動き。


 たった、それだけ。


 それだけなのに、その優雅な仕草に惹きつけられ、目が放せない。


 滑らかな亜麻色の髪が風もないのにフワリとなびき、美しく整った顔が凛と正面を向く。何者にも屈せず穢されず煌めく翡翠の瞳。淡い花弁のような可憐な唇に、雪花のように白く透き通った肌。

 細長い手足に、女性らしく優美な曲線を描く体躯は人間離れした美しさをまとう。


 女神が降臨したように、そこにだけ光が降り注ぎ、輝いているかのような、幻想的な光景。


 不思議な空気の中で、青い瞳に翡翠の瞳が映る。その姿に王弟の喉が微かに上下した。


 その瞬間、シルフィアの姿を黒い服が覆う。


「ルカ?」


 振り返って見上げると、深紅の瞳が射殺さんばかりの視線で王弟を睨んでいて。


「何かありましても、私が守りますから」


 まるで野生の黒狼のように牙をむき殺気を放つ。その気配に押され、王弟の護衛をしなければならない騎士と兵の足がさがりかける。

 そんな野生の猛獣と化したルーカスの顔に白い手が伸びて……


「痛っ」


 細い指がルーカスの頬をつねった。

 その瞬間、シルフィアから神々しさが消えて、姉が弟を叱っているような雰囲気になる。


「誰彼かまわずに殺気を放つのはやめなさい、と言っているでしょう? あと、もう少し離れてください。これでは話ができません」


 その言葉に今にも襲い掛かりそうに猛々しかったルーカスがしゅんとなる。ないはずの犬耳がペタンと伏せた幻影が見えるほど。


「……すみません」


 クゥーンという声が聞こえそうなほど落ち込んだ態度で離れるが、それは半歩だけ。

 唐突な変化の嵐についていけず唖然とする人々とルーカスを無視して、シルフィアが王弟の方を向く。


「なぜ、その魔法陣の魔法を発動させている人を特定しないのですか?」


 その質問に宰相がなんだ、という様相で答える。


「特定する方法がないからだ。発動させている者を見つけることなどできん」


 その内容にシルフィアが不思議そうに首を捻った。


「見つけられますけど」


 平然と、だけど確信を持った言葉に、周囲がざわめく。


「そんなことが可能なのか?」

「かなりの高等魔法ではなかったか?」

「大魔導師ならできるだろ」

「そういうことか」


 それぞれに意見を出し合い、納得する人々。

 その内容を聞いて宰相がシルフィアに釘を刺す。


「大魔導師はこの魔法を発動させた疑いがある。この魔法陣に関わることは許されない」


 拒絶がこもった声と言葉。

 だが、翡翠の瞳は慌てることなく軽やかに微笑み返した。


「私がします」


 その一言で、緊張していた空気が緩み、全員がキョトンとした顔になった。




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