07話 突然の訪問
(とりあえず……喉渇いたな)
リクはエイトから言われた通りに、レジ袋を手に取り中身を確認する。缶の飲料が数本入っている他には、スナック菓子やガムなどの菓子類があった。その中からチョコバーと適当なエナジードリンクだけを取り出し、早速と缶のフタを開けて中身を喉に流し込む。
(おいしい……家でてからなにも飲んでなかったし、正直助かる……)
喉が潤され、はじける炭酸の刺激が心地良い。一口目でそのまま半分ほどまで飲みきると、リクは大きく一息をつき、部屋の中央にある皮張りの三人掛けソファーへと座り込む。硬さと柔らかさがほど良く、家にあるソファーよりも質の高さがうかがえた。
「ふぅ……」
身体も落ち着けたところで、リクはチョコバーを食べながら、改めてリビングの中を観察してみることにした。
(思ったより、部屋の中はキレイにしてるんだ)
壁紙の色とスピーカーの主張が強すぎたので意識できなかったが、見渡してみると意外にも部屋は片付いていた。隅々まで清掃が行き届いているとは言えないまでも、普段から最低限の掃除を心掛けているのが窺える。
(今座っているココと、あっちにあるソファーで……エイトさんと利用者が話す形になるのかな?)
次にガラスのローテーブルを挟んで、一人掛けのソファーが対面に置かれているのを注目する。位置的におそらくこのソファーが来客用となっているのだろう――と、リクは見立ててみた。
(あそこがキッチンで、こっちの部屋は……たぶん寝室?)
続けて部屋を見回してみると、リビングの右側の奥にキッチンスペースがあり、左側にはドアで仕切られた部屋があるのを確認した。部屋の中が気になったが、勝手に覗き見るのはさすがに失礼にあたるだろうとリクは思い、予想をするまでに留めておいた。
(あとは普通に……色々置いてある、って感じかな)
何百枚ものCDが収納されたラック。一世代古いゲーム機の繋がったテレビ。インテリアと化している、ホコリの被ったターンテーブル。など、エイトの趣味が見て取れる品々が、広いリビングには所狭しと置かれていた。
「ふーー、さっぱりしたぁ」
そしてリクが一通り観察し終えたタイミングにて、エイトもシャワーから戻ってきた。インナーのタンクトップと、ボクサーパンツだけを身に纏った姿での登場だ。
「ちょっと……なんて格好してるんですか!」
「自分ちだし別に良いだろ。野郎同士で恥ずかしがんなよ」
「僕がそういう趣味だったらどうするんですか!」
「お? そういう趣味なのか?」
「いやっ、違うんですけどっ」
「なんで焦ってんだよ」
「と、とにかく早く服着てください!」
「へいへい、わーったよ」
テンポの良いやり取りの後、エイトは不貞腐れたように隣の部屋のドアを開けて着替えに行く。それから数分後には、いつものB-BOY風なファッションを着こなして部屋から戻ってきた。
「……それで、僕に見せたいものってなんですか?」
ソファーの端に腰を下ろして缶コーヒーのフタを開けるエイトに、リクは率直に話を切り出す。昨晩からずっと、気掛かりとしていた話題だ。
「そうだな……そろそろ時間か」
エイトは缶コーヒーを片手に、シックなデザインの壁掛け時計を見やってそう口にした。時計の針は現在、15時45分を少し過ぎた辺りの位置を指している。口振りから察するに、16時になると何かが始まるのだろうか。
「――リク、今から別の客がこの事務所にくる」
「え?」
「だから、オマエはそっちの部屋に隠れて見ててくれ」
「えっ!? まさか、見せたいものって……」
「ああ、今から相談にくる客とのカウンセリングを――だ」
唐突に、そして簡潔に伝えられたその内容。
当然、リクは困惑してしまう。
「い、いきなりそんなこと言われても……」
「見ていてくれるだけでいいんだよ。頼むって」
「そもそも、部屋で隠れながらどうやって見れば……」
「スピーカーの上にオレの携帯をあらかじめ設置して、ビデオ通話で繋ぐ。それで見れるハズだ」
心配するな、とでも言わんばかりにエイトは落ち着き払った様子だ。しかしあまりにも突飛すぎるその要求に、リクは戸惑うことしかできずにいる。
(どうしよう……こんな展開はさすがに予想していなかった。というか、僕に他人のカウンセリングを見せてなんの意味があるんだ――)
――ピンポーン
「えっ……!?」
頭の中を整理しきれないまま、否応無しにインターホンが鳴り響く。考えあぐねている暇は無さそうだ。
「……っ、まだ10分前だってのにもう来たのかよ。社会人過ぎんだろ……おいリク、急げっ!」
エイトは小さく舌を打つと、一気に缶コーヒーを飲み干して立ち上がり、スピーカーの上にスマホをセットし始める。
「わ、わかりましたっ!」
パニック映画さながらの必死さで、リクも慌てて隣の部屋へ駆け込もうとする。防音加工が為された扉は意外にも重かったが、なんとか開いて部屋に隠れ、再びリビングを密閉させた。
(はぁ……一体なんなんだよ、もう)
疑問も解消されず、エイトの言われるがままなリクは心の中で小さく愚痴を吐く。一方で部屋の中は、リビングとはまるで別世界かのように、シンプルな六畳一間の和室となっていた。カーテンの隙間から漏れ出る陽の光が温かく、仄かに香る畳の匂いがどこか懐かしさを感じさせてくれた。
(布団で……寝てるんだ)
現代的な若者らしいエイトからは想像もつかないほどに、味気の無い寝室。部屋の真ん中に敷いてある布団の他には、ハンガーラック付きのチェストがあるのみだ。この部屋の用途が『ただ寝て、着替えるだけ』とでも言わんばかりなほどに、徹底した質素ぶりとなっている。
「……!」
ポケットの中のスマホが振動している。
エイトからのビデオ通話のコールだ。
「……もしもし」
通話を開始し、リクはスマホを注視する。液晶には監視カメラに似た画角から、リビングが映し出されていた。画面越しだと、部屋の中は更に薄暗く感じる。
(あれ? そっか、繋げただけか)
そして肝心のエイトはというと、リクとは通話をせず、インターホン越しに来客者と喋っている。どうやらスピーカーホンに設定をしてくれていないようで、会話の内容は一切聞き取れなかった。
(くそ……これじゃなにも聞こえ――)
『――リク、聴こえるか?』
どうにか声を拾おうと、躍起になってスピーカーに耳を近付けていたが、鮮明な音声が不意打ちのように鼓膜を響かせた。リクは身体をびくっとさせ、慌ててスマホを正面に構え直す。
「はっ、はい! 聴こえてます!」
『今、スピーカーホンに設定したからよ。これで会話の内容は聞こえるはずだ』
エイトの顔が画角を埋め尽くしている。シリアスな表情と声から、液晶越しでも緊張感が伝わってきた。
『本当は順序よく説明したかったんだが、時間がねえ。オマエが見たまま聞いたままで受け取ってくれ。ただし、中で何が起こっても絶対に入ってくるなよ? いいな?』
「わかり……ました」
いつになく真剣な彼の圧迫じみた念押しにより、リクは歯切れの悪い返事をしてしまう。そしてエイトは、少しだけ間を溜めてから再び口を開く。
『それと……リク、悪りぃな。付き合わせちまって』
(え……?)
それだけを言い残して、エイトは来客者を出迎えに玄関へと去っていった。最後の一言の言い回しがどこか引っ掛かる。だがそれ以上に、それまで一貫としていた彼の気丈さが感じられず、少しだけ弱音のようにも聴こえてしまったのがリクの胸の内側に棘を残した。
(あっ……来た)
だが、今は詮索している余地が残されていない。扉は開かれ、玄関の方からエイトが戻ってきた。
『――まぁ、あまり片付いてはいないですが、リラックスしていってください。こちらへどうぞ』
聞き馴染みのないエイトの丁寧な言葉遣いに違和感を覚えつつ、リクは液晶越しに玄関を凝視する。一体どんな人物が現れ、どんな相談をしに来たのか。やや不謹慎ではあるものの、興味が湧いてきた。
――しかしそんな好奇心じみた興味は、現れた人物の姿を視認した途端、彼方へと消え失せてしまう。
『では、こちらへどうぞ』
エイトにそう案内され、リビングへと姿を現した人物。
それは――
(えっ……なん、で……?)
――死んだ母の妹である、叔母だった。




