15話 同色
地下鉄の車窓から覗く景色は、とても景色とは呼べず、一辺倒の暗闇が続くだけ。時折目に映る非常灯の照明が、瞬きをする暇に過ぎ去っていく。そしてまた、次の光へ――
今日から再び、学校に通う。
新しい日常が、始まるんだ。
そう、噛み締めるように心機一転を誓っていたリクは、早速と朝の通勤ラッシュに揉まれていた。前後左右に立つ人達との強制的な密着は、想像以上にストレスを負うのだなと実感する。車両が緩やかなカーブを沿う度に、人波がまるで一つの集合体となっているかのよう、揺らり揺られていく。
(……息苦しい)
酸素がやや薄くなっているのもそうだが、どこか閉塞的な孤独感を覚えてしまう。同じ年頃の学生や、スーツを着た大人たちに囲まれて、それでも自分だけが世間から取り残されているような感覚が拭えない。
もう〝一人〟じゃないはずなのに――
◇◆◇◆
(引っ越しは昨日、なんとか無事に済んだ)
改札を抜け、地上に昇るための階段へ向かいながら、リクは心の中で淡々と言葉を並べていく。
(新しい生活はまだまだ足りないものだらけだけど、これから少しずつ揃えていくつもりだ)
こうやって現状を少しでも整理しておかないと、不安が埃のように積もっていきそうだったからだ。
(エイトさんが後見人、というものになる手続きも……今は進行中。何も問題がなければ、滞りなく審査は通るはずだと叔母さんも言ってくれた)
そうしてあれこれと考えている内に、足取りは階段の前にまで辿り着く。階段が続く先を見上げると、穏やかな朝の日差しが出口付近を優しく照らしていた。どこか神々しく、まるで天国にでも導かれているかのようにも映る。しかし、今のリクにとっては全く真逆に捉えてしまっていた。
(……行きたくないな)
それはまさしく〝社会〟という名の日の下に曝される、処刑台に続く階段だ。それまで悠然と進めていた足はおのずと止まり、一段目を踏み出せない。
(こんなにも、憂鬱になっちゃうんだ)
あらかじめ覚悟はしていたつもりだったし、家を出る際も、特に億劫にはならなかったはずだ。しかし、たった二週間ほどだったにせよ〝不登校〟というハンデが、まさかここまでの重圧と化してしまうとは思わなかった。
(入学式以来の登校、か……)
脳内で言語にしてみて、改めて胸に重くのしかかる。靴底の下に根が張ったかのよう、その場から動けない。気づけば、周囲には同じ制服を着た生徒たちが何人も歩いていた。けれどもその中に、自分の居場所はまだ無い。
(上手く、やっていけるのかな……)
別に、友人がたくさん欲しいわけではなかった。中学の時と同様、イジメに遭うわけでもなく、かといって注目を浴びたいという欲求もない。至って普通な当たり障りのない学校生活を送りたいだけだ。
(クラスではどんな目で見られるんだろう……)
欠席していた理由は、他の生徒に対して当然のことながら、学校側に伏せてもらっている。それでもクラスメートからすれば、リクがなんらかの事情によって休んでいたのは事実だ。無闇に詮索してはいけない気遣いと、わずかな好奇の視線に晒されるのは確実だろう。
「はぁ……」
深く、溜め息をつく。しかしそれでも行かなければと己を発奮させ、鉛のように重くなっていた足を一段、また一段と昇らせていく。今日この日に至るまで尽くしてくれた叔母やエイトを、これ以上心配させるわけにはいかない。その義務感だけを頼りに、リクはなんとか階段を昇りきる――
――ガラス張りのドアを開けて、地上に出てから早速と出迎えてくれたのは、ひたすらに青い空だった。まだ少し冷えこんだ朝の空気を、大きく吸い込んでみる。鼻腔を通り抜けていく清涼感と、どこか緑茶を思わせる風味に、安らぎを感じた。その場でリクは立ち尽くし、解放感から天を仰ぐ。
(青いなぁ……)
眼球と心が、洗われる。人工物に覆われた地下空間で溜め込まれた、湿気のようにまとわりつく鬱屈なオーラが、一瞬にして浄化された気がした。リクは、思わず苦笑してしまう。
(……なんだか、悩んでたのがバカらしくなってきた)
晴れた空と憂鬱。
ブルーとブルー。
ぶつかりあって、混ざりあって。
同じ色なのに、溶け合う。
「まぁ、なんとかなるでしょ」
一度、諦めかけた人生だ。
なにが起きたとしても、どんな目に遭ったとしても。
もう、心に決めたんだ。
――現実と向き合うって。
4月25日




