14話 殺したくなったら
(……長い一日だったなあ)
エイトと別れの挨拶を済ませ家路につき、自宅の玄関先にまで辿り着いたリク。財布の中にしまい込んでいた家の鍵を取り出しながら、今日一日の出来事を振り返っていた。
エイトの部屋。
叔母。
ラーメン。
従姉妹のはづき。
そして――自殺意。
(〝見せたいものがある〟って言われてたからある程度は心の準備をしてたけど、まさかここまで色んな出来事が重なるとは思わなかったな……)
母が亡くなって以降――いや、亡くなる以前から数えたとしても、今日ほど情報過多な一日を経験した記憶は無かっただろう。リクはそう振り返りつつ鍵を開けて玄関で雑に靴を脱ぐと、そのまま部屋の照明も点けず、リビングのソファーへと倒れ込むように寝転んだ。
(とりあえず……今日は本当に疲れた。もうこのまま寝ちゃいたい……)
肉体的にも精神的にも疲弊しきったリクを、猛烈な睡魔が襲う。
(シャワー浴びなきゃ……歯磨かなきゃ……)
頭の中ではそう唱えるも、まるでソファーに宿った悪魔から呪われているかのように、体が言う事を聞いてくれない。このまま寝てしまおうかと、リクは諦めかけたが――
「……!」
――ポケットの中のスマホが震える。手に取って液晶を見てみると、メッセージの通知が届いていた。叔母からだ。
(叔母さん……?)
重たくなっていた瞼がぱっと見開かれ、リクはメッセージを開く。たった一通のメッセージだが、何行にも渡って文字がびっしりと詰まっていた。これまでの二言三言しかなかったメッセージとは異なる長文に面を食らってしまったが、リクは一語一語を大切に読んでいく――
『陸、ちゃんと家に帰った? さっきはいきなりあんな事言い出したからびっくりしちゃったけど、陸も陸でちゃんと自分の事を真面目に考えてくれてたの、私は嬉しかったし安心したよ。蒼井さんはすごくしっかりした大人だから信頼してるけど、それでも今後は色々と大変だと思うから、なにか困ったら遠慮なくいつでも相談してね。陸には気を遣わないでって言われたけど、やっぱり心配はしちゃうからね』
「…………」
叔母に対し、これまでの申し訳なさと感謝が同時にこみ上げ、じわりと目頭が熱を帯びていく。抱いた感情のままに泣いてしまおうかと思ったその直後、今度は別の人物からメッセージが届いた。
(えっ、はづきちゃん……?)
『寝た?』
驚くほどに、短文だ。叔母からの感動的なメッセージの読後からくる湿っぽさが、一瞬で蒸発してしまった。リクは叔母へ、精一杯の感謝を込めた同程度の長文で返信を済ませてから、改めてはづきに『まだ起きてるよ』と送る。すると、AIによる自動返信かの如く早さで既読マークが付き、すぐにメッセージが返ってきた。
『ママやばいんだけど』
「えっ――」
端的に書かれたそのフレーズを目にしただけで、リクの緩んでいた緊張が一瞬にして研ぎ澄まされる。
(叔母さん……!? なんで……自殺意はエイトさんが除去したはず……! というか、ついさっきメッセージ来たばかりじゃ……)
先ほどまでの疲れはどこへやらと言ったように、リクはソファーから勢い良く体を起こすと、急いではづきにメッセージを返すべく文字を打ち込んでいく。
(まずは落ち着いて、叔母さんの状況を教えてもらわなきゃ……!)
取り乱しては駄目だと冷静に、リクは『叔母さんがどうしたの?』とだけ打ち、送信する。再度、即返信がはづきから届く。それも、一文のメッセージが続けざまに次々と――
『ママ、めっちゃ元気なんだけど』
『マジウケる』
『なんか急に資格の勉強するって言ってるし』
『あと副業のシフト増やそうかなとか言ってる』
『さすがにそれはあたしが止めたけど笑』
『おもろくない?笑』
「……おもろいね」
ボソリ、と口から零れてしまった。リクは早とちりしてしまった自分を省みると、その後は適当なやり取りを数通だけ交わし、はづきとの連絡を終わらせた。
(あぁ、眠気覚めちゃったな……)
◇◆◇◆
シャワーを浴びた。歯も磨いた。後は寝るだけだ。
「――ふぅ」
床に就く準備を済ませ、パジャマに着替え終えたリクは、自室に向かう途中にリビングの中央でピタリと立ち止まる。
「…………」
今の今まで意識してなかったが、あと二日でこの生まれ育った家ともお別れだという事実に、今気付いてしまった。
(でも、まあ……これで良かったのかもね。家に住み続けるには、あまりにも思い出が多すぎるし……)
名残惜しさは無いと、リクは自分に言い聞かせた。一人で暮らすようになってからだと、家にいるだけで何をするにしても、嫌でも父や母の姿がちらつく。そしてその度に、気分が落ちていた。
(そりゃ、愛着がないと言えば嘘になっちゃうけどさ)
リクはゆっくりと、視線を一周させていく。見慣れた天井、壁や床のキズやシミ。帰ってくる度に安心感が与えられた独特の温かさや匂い。それら全てが、自分の一部と化していた。いや、もはや自分が部屋の一部になっていたかもしれない。その関係の深さこそが――〝我が家〟というものだ。
(あっ……)
感慨に耽っていたところで、ふと、リクはリビングに面した両親の寝室へと視線が止まる。なにか、見えない力で吸い寄せられたような、奇妙な感覚をおぼえた。
(なんで……今になって)
呼ばれた気がした。
誰かに。
母は、この部屋で首を吊った。
ベッドの上。
入学式を終えて、家に帰った後。
しん、と静まり返った家の中。
先に帰っているはずの母を、リクは捜した。
そして部屋に入った瞬間、目に飛び込んできた母の姿。
母の身体が少し揺れたのを思い出す。
ドアを開いた風圧なのだろうが。
とても怖かった。
その光景が、残像のように瞼裏を焼き付いて離れない。
あれは、死ぬまで記憶に残るだろう。
それ以来、部屋は開けていない。
それでも、開けなければ。
最後に、見なければ。
そんな気がした。
リクは、ゆっくりとドアを押して開く――
部屋は、どこか冷えていた。
変わり果てた母を見付けた後。
この部屋には、様々な人が出入りをした。
親戚、警察など、大人が沢山。
それでも、部屋の空気はあの時のままな気がした。
(母さんは……くそっ、なんで……っっ!)
リクは、ある一つの事実を思い出す。
思い出すにつれ、身体中の血液が沸騰しそうになる。
圧迫感で眼球が圧し潰されそうなほどの、目眩がした。
心臓は、物凄い早さで脈を打っている。
歯の神経が、悲鳴をあげてるように落ち着かない。
この感覚はなんだ。
悲しさではない。
これは――
「……っっ」
居てもたってもいられなくなったリクは、扉をバタンと閉め、自室へと駆け込む。部屋に入った途端、そのまま爆発物から身を隠すように、掛け布団の中に全身を勢い良く潜り込ませた。そして、布団の外へとつながる隙間が完全に埋まったのを確認してから――
「あぁああぁああぁあああっっっ――」
――〝儀式〟を開始する。
この感覚。
忘れていた。
〝怒り〟だ。
これはそう、怒りだ。
いや、違う。
怒りを超えた〝憎しみ〟だ。
湧き上がってくる想い。
抑えきれない激情。
泣くではなく、哭く。
叫ぶでもなく、哮る。
向けられる対象は当然――
(――母さんを殺したヤツを、僕は絶対に許さない……っ)
厳密に言えば、殺されてはいない。
だが、殺されたも同然だろう。
喉が張り裂けそうになるまで、リクは声を上げた。
名前も、顔も、声すらも知らない相手をただ憎む。
憎んで、憎んで、憎み尽くした。
そして憎悪の果てに、芽生える。
そのたった一つの希望が、リクの思考を蝕んでいく。
(絶対に、僕がこの手で……殺してやる)
そう――〝殺意〟だ。
『第一章・完』




