12話 特製焦がし味噌ラーメン
「はぁ……」
「んだよ、ため息なんてついちまって……不満なのか?」
野菜を炒める音が聴こえ、蒸し暑さと獣臭さが充満した空間――ここは、エイトの住むアパートから徒歩5分圏内にあるラーメン店。地下鉄の駅前に店舗を構えたこの店は、エイトが足繁く通っているとのことだ。
二人は今後について形平さつきと話し終え彼女を見送った後、話の続きをするために腹ごしらえも兼ね、場を移していたのだった。
「だからさっきも言ったろ? 形平さんの不安も軽減できて、経済的にもその他諸々の心配もオレと住むことで全部解消されんだよ」
「それはもちろん解っています。ただ、話が急すぎてまだ決断しきれないというか……叔母さんを安心させるためにあの場では一応了承しましたけど……なんか不安になっちゃって……」
リクとエイトは、テーブルを挟み向かい合わせに座って話し込んでいた。満席の店内では、仕事終わりのサラリーマンや部活帰りの学生など、そこかしこから喧騒が聴こえてくる。
「ったく、思い切りの悪いヤツだなぁ。こういう時はサッと気持ちを切り替えちまった方が楽だぞ?」
「わかってますよ――」
「ハイお待ちィ! 特製焦がし味噌ラーメンと濃厚塩とんこつラーメンだよ!」
リクの声を掻き消し、からっとした笑顔の店主自らが、ラーメンの入ったどんぶりをテーブルにまで届けてくれた。
「あれ? 味玉乗ってんじゃん……オレ頼んでたっけ?」
「サービスだよサービス! お兄さんウチに良く来てくれるからさ!」
「うお、マジすか……あざーっす! 〝食べミシュ〟で星5ポチッときまーっす!」
「はっはっは、ありがたいねぇ! レビューも書いといてくれれば次もサービスしちゃうよ!」
息と意気の合ったやりとりをエイトと交わした店主は、そのまま厨房へと戻っていった。あれだけ気前と人柄の良さそうな店主が好立地に店舗を構えているとなれば、この店の盛況ぶりにも納得が行く。ガラス張りの入り口の外には、待ち侘びている他の客がまだ行列をなしていた。
「いやー、マジで良い店長さんだな。よし、食おうぜリク。味はオレが保証すっからよ。ハナシの続きは食い終わってからだ」
食べる前から満足げな表情のエイトは、早速とレンゲでスープを掬い、口へと運んで啜りはじめた。
「かーーっウメぇ! 染み渡るぅっ! ほら、リク。オマエもさっさと食った食った!」
急かされるようにそう言われ、リクもいそいそと割り箸を取り出す。
(……そういえば、今日は起きてからまともな食事はしてなかったんだよなぁ)
改めてリクは、どんぶりに視線を落とす。ふわりと立ちのぼる湯気とともに、焦がし味噌の芳醇な香りが早速と鼻腔をくすぐり、空腹が容赦なく刺激される。その一方で黄金色に濃く輝いたスープは、表面に薄く脂の輪を浮かべ、まるで鉱床かのように器を彩っていた。
「……っっ」
ごくり、とリクはあふれ出そうになってしまっていた涎を喉奥に追いやり、いざ実食へ――
(あぁ……あぁ……うん、あぁ……)
脳が、融解されていく。
思考の中ですら語彙を失ってしまうほどに。
スープのベールを纏った淡黄色のつややかな麺は、箸で持ち上げればするりとほどけ、噛みしめるたびに濃厚な味わいと小気味よい弾力で応戦をしてくる。その合間を縫うように、刻みネギの清涼な香りと海苔の磯の風味が、口の中へと広がり見事なアクセントとして機能していた。柔らかに煮込まれたチャーシューは、とろけるような脂身が、赤身肉の持つ本来の味をしっかりと際立たせている。
(あぁ……うん、なるほど……あぁ……)
メンマのほど良い歯ごたえ。煮卵の濃密なコクと甘み。ひとつひとつの具材が器の中で完璧に調和し、壮大な群像劇の登場人物かのように、それぞれが与えられた役割を完遂していた。店主の長年の経験から培われたであろう、まさしく至極の一杯として相応しいほどの――
「リク、大丈夫か……?」
「あぁ……えっ」
不意に名を呼ばれ、リクはようやく現実へと引き戻された。向かいの席では、エイトが箸を止めて心配そうな眼差しで視線を送ってきている。今、自分は一体どんな顔をしていたのだろうか。とにかく断言できるのは、いつのまにか我を忘れてしまうほどにこのラーメンが絶品だったということだ。
「いや、ちょっと……美味しすぎてびっくりしちゃって」
「だろぉ? マジでウマいんだよなぁ、ここの店」
一転して、エイトの顔がぱぁっと明るく早変わりする。なんとか誤魔化せたリクは、恥ずかしさを紛らわせるように顔を俯かせながら、そのままラーメンを完食した――
「――ふぅ」
どんぶりをテーブルに置き、リクは大きく一息をつく。スープまで飲み干したのは初めてだった。
「中々良い食いっぷりだったな。そんなにウマかったか?」
「はい、とても、すごく……あっ、ありがとうございます」
一足先に食べ終えてたエイトから水のおかわりを手渡され、リクは礼を零す。
「……で、どうなんだ?」
そして食後の余韻に浸る間もなく、エイトから率直に問われる。主語は無いが、尋ねられた内容をリクは理解していた。あれやこれやと濁し続けてきたが、とうとう覚悟を決めるしかないようだ。
「……わかってますよ。叔母さんも〝エイトさんと一緒なら安心できる〟って言ってくれてましたし、断るつもりはないです」
どこか諦めたような表情で、リクは視線をテーブルに置いた。散々と迷惑や心配をかけてしまった叔母を、これ以上不安にさせたくない――答えは、最初から決まっている。
「エイトさん、これからお世話になりますね」
彼の視線に焦点を合わせ、はっきりとリクは言い切ってみせた。エイトはその返答を受け、口角を上向かせる。
「よし、決まりだな」
「はい」
「これからヨロシク頼むぜ」
「はいっ」
「今からもう、敬語は使うなよ?」
「はっ……はい?」
入隊式のような心構えで臨んでいたリクだったが、途端に調子を崩されてしまう。
「共同生活なんだしよ、堅苦しい関係はヤメにしようや」
「えぇぇ……いきなりは無理ですって」
「だったら、タメ口きくまでオレも敬語使いますからね?」
「勘弁してくださいよ……せめて引っ越しが終わってからにしませんか?」
「そうですね、そうしましょうか」
「だからやめてくださいって!」
二人は少しだけ談笑を交わした後、エイトの奢りで会計を済ませ、店を後にしていった――




