溢れ出す屍
ご飯を食べたり会話をしたりしていると忘れそうになるが、ツルギは『傲慢の魔剣』であり、俺の武器だ。
彼女の意識が覚醒した今、『傲慢の魔剣』の使用にはどんな影響があるのか確かめなければならない。
そう思った俺は、魔物の討伐依頼を受けてみんなと一緒に都市部の外に出ていた。
「――霧、かなり濃くなってきたな」
依頼で訪れた場所――共和国の北方に位置するノクス平原には、深い霧が立ち込めていた。
昼間にもかかわらず周囲は薄っすらと暗く、不気味な雰囲気が漂っている。
この霧のせいで今回の依頼は情報不足だ。どれだけ敵がいるかハッキリとは分からない。
土地柄霧のかかりやすいノクス平原だが、これほどの濃霧が続くのは歴史的にも珍しいことのようだ。
「依頼はゾンビの討伐だったよな。……だいぶ雰囲気あるなあ。ホラー映画だったらそろそろ襲われる頃じゃないか?」
「キョウ、縁起でもないこと言うなよ……」
俺の冗談を唯一理解できたヒビキがブルリと身を震わせた。
俺たちの応酬を聞いていた呑気にシュカ反応する。
「ほらーえいが、はよく分からないけど、襲うならさっさと襲って欲しいよねー。こっちは準備万端だっていうのに」
好戦的な物言いをしたシュカがシャドーボクシングをする。彼女は周囲の雰囲気などまったく気にしていないようだ。
「なあツルギ。お前はこういうの平気なのか?」
「平気とはなんじゃ。アンデッドが住み着く場所など大抵こんなもんじゃろ」
そっけなく答えたツルギの視線はずっと前に向けられている。
「というか、そろそろ剣に戻らなくていいのか? いつ戦いになってもおかしくないだろ」
「必要ない。妾がおらずとも、あるじどのはもう剣を扱えるのじゃろう」
「そういうものなのか……?」
俺は腰から下げた傲慢の魔剣の柄に触れる。
今まで柄から一切抜けず飾り物同然となっていた剣だが、今はいつでも扱えるようだ。
ツルギ曰く、彼女が正式に俺を『あるじ』として認めたから、らしい。
そのあたりについて、ツルギはあまり詳しく説明してくれなかった。
「……皆さん、来ましたよ」
ソフィアの警告を聞き、全員が一斉に前方に目をやる。
濃い霧の奥から気配を感じる。
『傲慢の魔剣』を抜き放ち、気配の元へと歩み寄る。
霧の中で目を凝らしていると、やがてその姿が露わになった。
──腐った人肉、というのはここまでおぞましいものだっただろうか。
ゾンビと呼称される魔物は、想像していたよりもずっとおぞましい姿をしていた。
ボロボロになった服を着た、青ざめた肌の人型。
腐敗の進んだ肉体は、一部が崩れ落ちている。左腕は既に存在せず、肉の抉れた顔面は頬骨が露出している。
俺はその威容に息を呑んだが、隣に立つツルギはまったく気にしていないようだ。
「ふん、腐った肉程度、妾の敵にもならんわ。あるじどの、磨り潰してしまえ」
「お、おう……」
磨り潰す、ということはおそらく重力魔法を使えということなのだろう。簡単に言ってくれる。
俺は意識を集中させて、重力魔法を発動する。
「『ひれ伏せ』」
重力魔法は扱いの難しい魔法だ。
そもそもこれは俺自身の得たスキルではなく、『傲慢の魔剣』を持つことによって得た力──いわば、外付けの力。
今まではその扱いの難しさ故に積極的に使うことはなかった。
しかしツルギとの対話を経た俺の重力魔法は凄まじい威力を発揮――することはなく、ゾンビの足を少し止めた程度だった。
歩く屍の群れは少しすると何事もなかったかのように俺の方へと歩いてくる。
「……えっ」
驚いた俺は後ろを振り返ってツルギを見る。
「おいどうなってんだツルギ! めちゃくちゃ弱かったぞ!」
「痴れ者! もっと己の欲求を解放し……深淵に手を伸ばすのじゃ!」
「その説明で分かるわけないだろ!?」
攻撃を仕掛けられたことを認識したゾンビは俺の方へと一斉に走り出してきた。
脚まで腐っているはずのゾンビの動きは恐ろしいほどに俊敏だ。
「二人ともなに遊んでんのさ!」
俺の前に飛び出したシュカがゾンビを殴り飛ばす。
シュカの鋭い拳を受けた肉が、腐臭と共に弾け飛ぶ。
「いやだって、コイツが意味分からないこと言いだすから!」
「魔剣の使用者なら分かるじゃろう!? というか、前に使ったなら使えるはずじゃろ!」
「それができねえから困ってるんだろうが!」
ツルギがいるから全部上手くいくと期待していたのに……。
重力魔法が扱えないなら、『傲慢の魔剣』は切れ味がいいだけの剣だ。
むしろ、普段の剣よりも重いから振りづらい。
俺は一旦『傲慢の魔剣』を鞘に納めると、普段使いの剣を取り出した。
それを見たツルギが信じられない、という顔をした。
「あるじどの!? 妾というものが浮気か!?」
「剣に浮気もクソもねえだろ! というかお前は恋人でもなんでもないだろ!」
「――そ、そうですそうです!」
「ソ、ソフィア……?」
急に声を張り上げた彼女の方を見ると、彼女は顔を赤くしてそっぽを向いた。
おい、今のはなんだったんだ……?
「いつまで漫才やってんのさ! 手伝ってよ!」
ゾンビと戦い続けていたシュカが声を上げる。
見れば、ゾンビの数は最初に見た時よりも増えているようにすら見えた。
「なんか多いな……ッ!」
通常の剣を片手に斬り込みながら呟く。
たしかに、依頼内容にも敵の数が多いと注意書きがあった。
けれどこれは想像以上だ。
一体一体が強くないから対処できるが、斬っても斬っても霧の奥から次が現れる。幻でも相手にしている気分だ。
「フン、ここは数多の戦が起こり無数の命の果てた場所。死体のストックはおおよそ500年分かのう、浮気者のあるじどの」
すっかりへそを曲げてしまったツルギが乱暴な口調で言う。
それを聞いたヒビキが声を張り上げた。
「キョウ! 一回立て直そう! 冒険者ギルドに報告だ!」
「はあ? でも――」
「明らかに自然発生する量を超えている! 国にも報告するべき事案だ!」
「……分かった!」
まだ戦いたそうな顔をしたシュカを引き連れて撤退する。
走り去る最中にも、追いすがるゾンビたちの呻き声は聞こえ続けていた。
◆
深い霧に包まれたノクス平原の奥地には、誰にも知られていない廃墟があった。
霧の中に存在する、かつて要塞として名を馳せた城郭。
そこは今、ゾンビたちの住処と化していた。
「――機は満ちた。雪辱の時だ」
重々しい声が廃墟に響く。玉座に座るゾンビ――否、亡霊騎士は、他のゾンビとは異なる存在感を持っていた。
「幾度の戦を経て、屍肉は十分に集まった。さらに、忌々しき帝国はすっかり腑抜けているときた」
ゾンビの群れの中心に立つアンデッドは、立派な甲冑を着込んだ亡霊騎士だった。
その胸にある亡国の紋章は、三百年以上前に刻まれたものだ。
不老不死のアンデッドと言えど、その平均寿命はせいぜい百年程度。
百年も経てば理性は崩壊し、生者に引き寄せられるだけの魔物に成り果て、あっさりと狩られる。
ただ、この亡霊騎士は違った。
雪辱のため、鋼の理性を以って知性を三百年保ち続けた。その知性を以って平原にいるアンデッドをかき集め、軍隊を組織した。
その力を認められ、魔王としての力を与えられた。
亡霊騎士は優秀な指揮官だった。知性を失ったアンデッドと言えど、最低限の命令を守る程度はできる。亡霊騎士にとってはそれで十分だった。
戦争を決定づけるのは数だ。兵士の数。武器の数。食料の数。魔法の数。
その観点で言えば、このゾンビの軍隊は最強と言えよう。人間には到底生きられない年数をかけて、人員を集め続けた。
生前の亡霊騎士でも、これほどの人数を指揮したことはない。
復讐心に燃える亡霊騎士は、グッと拳を握った。
「さあ、ルイエール大河を越え、帝国の地を白紙に戻し――屈辱の歴史を消し去るのだ」




