綺麗なもの
「――さあ、次行くぞ次!」
全員がご飯を食べ終わったのを確認すると、俺はさっそく宣言した。
先に席を立って会計を済ませる。財布の中身は冒険者としての稼ぎなので共有財産だ。……予想はしていたが結構高いな。
次に行くところの目星は既に付けている。
店を出て路地を歩きながら、後ろを歩くツルギに話しかける。彼女は最初よりも機嫌が良いように見えた。
「どうだ、ツルギ。ちょっとはお前のやりたいことが何なのか分かったか?」
「そんな曖昧なもの、分かるはずもないが……まあ、飯が美味いことはよく分かったかのう」
歯切れの悪い言葉だったが、思ったよりも好感触だ。
俺は彼女のことを知れたことに少し喜びを覚えながら、足を進める。
事前に決めたルートでは、次に行くのは「ルイエール大河」だ。
ここに行くと熱弁したのはヒビキだった。
彼女の説明によるとここは歴史的に重要な役割を果たした川らしい。
詳しい説明は聞き流してしまったが、なんでも国境沿いの微妙な位置にあるらしく、この川を超えることは政治的に大きな意味を持つそうだ。
「いや、いくら歴史的に有名って言っても川を眺めるだけじゃ何も面白くならないと思うんだが……」
俺がそう漏らすと、ヒビキはなぜか自信満々な顔でこっちを見てきた。
「フッ、たしかに何も知らないお前はそう思うかもな。ただ、ルイエール大河が観光名所になっているのは何も歴史的な価値だけじゃないぞ」
……なんだ、その挑戦的な目は。お前だって初めて行くだろ。
しかし、しばらく歩いて川の前に着くと、ヒビキの言っていた意味がすぐに分かるようになった。
「……綺麗な川だな」
透き通る水面が陽光を反射してキラキラと輝いている。
時折水中を動く影は魚だろうか。川底に転がる石の隙間にも何かが蠢いているよおうだ。
この川の中が生命に溢れていることが外からでも分かる。
それが感じ取れるのは、やはり水質が綺麗なことが大きいだろう。
マリンブルーの水面が一定の速度で流れていく。
「ルイエール大河は大昔に水の精霊の祝福を受けたとされる神聖な場所だ。その影響で、千年以上経った今でもこうして清浄な水質を保っている。どうだ、来てよかっただろ?」
ドヤ顔のヒビキの言葉に素直に頷く。
たしかに、歴史的な価値を知らなくても十分楽しめるほどの美しい景色だった。
涼やかな風が吹き川面が揺れると、反射する陽光が形を変える。
「ふん、何が楽しいんじゃ。こんなもの、ただの川ではないか」
しかし、どうにもお気に召さなかったらしいツルギが不満を漏らした。
ヒビキはその言葉を聞いて目を細める。まずい、怒ったか?
けれどその表情は、俺の想像よりも穏やかだった。
「まあ、そういう感想もあるかもしれないな。ただ、ボクはこの景色がかなり気に入ったな」
眼鏡の奥の瞳を閉じて、彼女は全身で風を感じる。
「人は見たいものを見たいようにしか見ない。精霊だって似たようなものだろう。これを『ありきたりな景色だ』と思ってみれば、ありきたりな景色にしか見えない。でも、細部を観察すればこの光景がいかに努力して維持されているかが分かる」
ヒビキは目を開けてゆっくりとあたりを見渡した。
「歩くのに邪魔にならないように整備された草木。ゴミの存在しない河原。危険な動物や魔物がまったく現れない環境。これは自然そのものじゃなく、人間の努力で維持された美しい自然だ。こんな景色は二つとないだろう。少なくともボクにはそう見える」
視線を遠くに漂わせていたヒビキは、ふいにツルギの瞳をじっと見つめた。
「君にはどう見えているんだ? ボクたちの何百倍もの時を生きて、異なる時代を生きた君には、この景色がどんな風に。あるいはどんな風に見たい?」
「……妾には、か」
ツルギはヒビキから視線をずらすと少しの間黙り込んだ。
周囲の景色を見渡し、何事か考え込む。
少し強い風が肌を撫でる。
やがてツルギの口から出てきた言葉は、わざとらしいまでに冷たいものだった。
「この世の景色は、全てくだらぬものに見える。妾にとってあるじどのの望み以外は等しく無意味じゃ」
「……そうか」
それからしばらく無言で景色を眺めて、俺たちは「ルイエール大河」を後にした。
◆
夕方頃に工房に戻ると、朝に作ったガラス細工は受け取れる状態になっていた。
冷ましはもう終了したらしい。
完成品を受け取った俺は感嘆の声を上げた。
「おおー! 意外と上手くいったんじゃないかこれ!」
手にしたガラス細工は工房の照明を反射してキラキラと輝いていた。
俺が作ったのはシンプルな造りのコップだった。
あまり歪みなく作れたし、小さく付けた模様も馴染んでいる。
「お、キョウのも上手くできたか」
そう言いながらこちらを見ているヒビキの手元には、綺麗な花瓶があった。
比較的手先の器用な彼女は俺よりも上手く仕上げたようだ。
少しだけ妬ましかったので、適当に憎まれ口をたたく。
「なんだよ、急に花を愛でる気になったのか?」
「ま、そういうのも悪くないかもなって最近思い始めたんだよ」
ムキになって否定されるかと思えば、返ってきたのは存外大人びた言葉だった。
その瞳は、どこか遠くの方を見つめている。
その表情に、少しだけ見入ってしまった。
ちょっとだけ彼女を遠く感じる。一緒に学校に通って馬鹿みたいにはしゃいでいた彼は、もういなくなってしまったのだろうか。
俺がそんな感覚に襲われていると、ヒビキはふいに雰囲気を変えて笑顔を浮かべた。
「ま、未だにお子様なキョウに言っても分からないかもな。悪い悪い」
「なんだとお前!」
口喧嘩になるとすぐムキになるお前に言われたくないわ。
「キョウ君見て見てー!」
「おい、ガラス持って走るなよ……」
俺たちのやり取りを聞いたシュカがこっちに駆け寄ってきた。
彼女の手には、随分と歪な形をしたコップが握られていた。
「ほらこれ、キョウ君と同じコップ」
「全然違うだろ! なんで真ん中あたりに窪みがあるんだよ!」
「そ、それは……ほら、単調だと飲んでいて飽きるかなってね!」
「要らない気遣いすぎる……」
コップに飽きるとかあんまり考えないだろ。
とはいえ、不器用なシュカなりに頑張ったことはなんとなく伝わってきた。
『まあ、いいんじゃないか』なんてぶっきらぼうに褒めると、それだけでシュカはひどく嬉しそうな顔をした。頭の上の耳がぴょこぴょこと揺れる。
……本当に、分かりやすいやつ。
そんな俺たちの様子をニコニコと笑いながら見るソフィア。
彼女の手元には、そつなく完成させたキャンドルホルダーがあった。フラスコのような形状をしたそれは、中に入れた蠟燭を風などから守る役割があるようだ。
控えめながら上品な装飾が付けられていて、まるで貴族の日用品のようだった。
「それで、ツルギはどんなの作ったんだ?」
ふと気になった俺は、どんなものを作るか予想できなかったツルギに声をかける。
「ふん、妾はこれじゃ!」
自信満々なツルギが差し出してきたのは複雑な造りをしたガラス玉だった。
その出来は見事なものだった。
形状はまるでプロによって作られたように完全な球体を維持している。
ベースとなっている薄い緑色。そこに散りばめられた赤色が、鮮やかな印象を与える。
「す、すげえ……!」
思わず漏れた感嘆の声を聴いて、ツルギが大きく胸を張る。
「ふん! 妾には作り手たる刀匠ムラマサの記憶が受け継がれておる。この程度の細工、造作もないわ」
刀匠ってガラス細工師とかデザイナーとか、そういう職業だったっけ……?
少し疑問に思ったが、楽しそうなツルギに水を差すこともあるまいと口をつぐむ。
「へええ、たしかに綺麗だね」
ガラス玉を見たシュカがその輝きをじっと見つめる。
「これ、あまり近づくな。せっかくの芸術品を壊されてはたまったものではない」
感嘆した様子のシュカに、ツルギは少しくすぐったそうにしているようだった。
その様子を面白がったシュカがさらに体を寄せると、ツルギがズズッと後ろに下がる。なんだか犬に絡まれる女の子を見ている気分だ。
そんな様子を見ながら、俺は先ほどのツルギのセリフを回想していた。
『この世の景色は、全てくだらぬものに見える。妾にとってあるじどのの望み以外は等しく無意味じゃ』
あの時の彼女の表情は、たしかに本心から言っているように見えた。
けれど――少なくとも今の彼女は、自分の作ったガラス玉をくだらないとは思っていないように見えた。




