私達の願い
「終わったんだよ、ね…?」
明日香が不安げに呟く。すると、翠がふふと笑い声を上げて。明日香の頭を優しく撫でる。
「終わったよ……だから、もう安心して」
それが気持ち良かったのか、体を揺らしてそれの動きに合わせていた。梓が、何か悔しかったのか、翠と明日香の間に割って入ってなでなでタイムを強制中断させた。
「おねえちゃん…もう、やきもちを焼かないの…子供じゃないんだからさ…」
明日香が呆れ気味にそう言うと、何故か誇らしげに梓はこう口にした。
「明日香の前なら、私は赤子と呼ばれようと構わないっっっっ!!!!」
「そんなことをを誇らしげに言うのやめてよ…しかも、お母さんの前だよ?」
「そんなのはいいのよ!私の明日香への愛が伝われば!」
グッと拳を固める梓はさながら政治家の演説にも見えたが、結局のところ、言っていることは明日香が可愛い、故に私は幼児化してでもその愛を伝えたいという内容だからある意味驚きだ。
呆れを通り越して、もはやどんな風に表現すれば良いのかわからないこの感情を、明日香はとりあえず梓の胸を唐突に鷲掴みしてみた。
「あ、明日香!?」
「おねえちゃんが何だかいつも以上に暴走してるからこれくらいした方が良いかなって思っただけだよ?それに、嫌じゃないんでしょ?私に触られるのは」
小悪魔のような表情で梓の胸をさらに揉みしだく。喘ぎ声を上げながら身を捩らせる梓を見て、翠が苦笑しながら、
「そろそろやめてあげたら…?」
若干引き気味に言われてしまったので、しぶしぶといった表情でその手を放す。力が入らないのか、ぺたんと地面に座り込んでしまった。
翠は仕切り直すように、ぱんぱんと手を鳴らすと。
「はいはい、姉妹喧嘩…?は、後にして二人にご褒美をあげないとね」
ご褒美、と言われたが何に対してのそれなのかがちっともわからない二人は揃って頭に疑問符を浮かべている。
何故そんな表情をしているのだろう、と翠は思っていたが、すぐに理由を話していないことに気付き、その理由を教える。
「あ、あー…理由話してなかったね、ごめんごめん……えっと、私を見つけられたご褒美ってこと。私がいいって言うことなら何でも一つだけ叶えてあげる」
まるで神か何かのような発言に、二人は一瞬面食らってしまうものの、今目の前にいる自分たちの母親がどんな人物だったかを思い出す。叶えてもらえるのなら大きい願いのほうがいいだろうと考えた二人は、ちょっと考えさせて、と言って二人共が話し合いを始めた。
それを、少し離れた場所から微笑みながら見つめている。あーだこーだと言い合っている二人を見るだけで翠は嬉しいのか表情が自然と緩んでいた。何やら言い合いが始まった頃に上に気配を感じ視線を送ると。
「翠さん!全部…全部、終わったんですか?」
リゼリアがぽっかりと空いた木々の空間を降りてくる。
「とりあえず、私とガル君との関係にはついた、かな。ガル君についてきてた人たちまでは私は保証できないし」
「とにかく終わったって事ですね────ところで、何で明日香さんたちは口論をしてるんですか?」
「ん?ああ、それはまだ私のご褒美の内容を決めてるんじゃないかな、私がいいって言うことなら何でも良いって言っちゃったし」
テヘペロをしながら軽く言うが、今言ったことは世界さえも支配できかねないほどのとんでもない事だということを、本当に翠はわかっているのだろうか。まあ、二人はそんなことを言う性格ではないことはわかっているので心配はないと思うが。
と、そんな事を喋っていると、梓がとことことやってきて。
「は、恥ずかしいから…こっそりでいい?」
顔を赤らめてそういう梓に翠はそっと耳を寄せると、ごにょごにょと翠に伝える。伝えた後に恥ずかしそうに一歩下がる。翠はそれを聞いて微苦笑をしたあと、
「子は親に似るってほんとだったんだね……いいよ!何とかしてあげる!」
任せなさいとばかりに薄い胸をとんと叩く。すると、少し不安げな顔がたちまち晴れやかな笑顔になって、明日香のもとへと走って行った。そのまま抱きつこうとして投げられているのは、もはや流れの一部のような安心感すら感じる。
全く変わりようのないその様子が逆におかしいのか、リゼリアがくすくすと笑い声あげている。翠からすれば随分と珍しい光景だった。
「リゼが笑うなんてなかなか無いのに珍しいわね」
「ふふ…そうですか?私は、いつも笑顔を心がけてるつもりなんですが…」
「確かにあの時から、リゼは笑うようになったよね」
そう言うと、少しだけ悲しい表情になって中空を見つめる。
「あの頃は…笑うということ自体に意味を持てなかったですから…でも、翠さんが私を連れ出してくれてからは笑えるようになったんですよ?」
少しふくれっ面でそう言うリゼリアは、過去にどれほど凄惨な事があったかなと感じさせないくらい明るい表情だった。翠は同調するように頷いてから、
「そっか…まあ、私のおかげってことよね!」
「随分と私の話を端折ってくれましたね…ま、良いんですけどね。事実ですから」
リゼリアが、何でもないかのように言った。一瞬だけ間をおいて、顔を合わせてから同時に吹き出すように笑う。それを後ろで明日香が見ながらどうやって話しかけようかと悩んでいると、それに気づいた翠が。
「ん、お願い決まったの?」
そう促すと、こくりと頷く。
「私は、お母さんと…みんなと、一緒にいたい────でも、それなら強くなくちゃいけないって思ったの。だから、私のお願いは…私達と戦って」
所変わって、明日香達だけではなく一緒についてきた仲間全員が、郊外にある平原に集まっていた。
輪になって集まっている中心で明日香と梓に相対しているのは呑気に準備運動をしている翠だった。翠は明日香の言った通り戦う事にしたが、場所が悪いという事で急遽この場所を選んでそこに移動したのだ。
「ここなら何もないし、全力で戦っても大丈夫だね」
その言葉に明日香は少し体を強張らせながら、あの時以来全く使っていなかった武装を再び呼び出す。使わなかった理由は多々あるが、一番に上がるのは使うほどの暇を与えてくれる敵がいなかった事だ。当たり前のことかもしれないが、敵の武装をのんびりと待っていてくれる敵などそれこそ物好きな相手くらいしかいない。翠はもちろん物好きに当たる方だ。といっても、単純に二人と全力で戦いたいだけなのかもしれないが、
「準備、できた?」
柔軟を終えて、二人に向き合うと、そこには白銀の鎧を身にまとい二振りの剣を手に持っている少女と、対照的に漆黒のローブと精緻な装飾の施された杖を持っている少女がいた。
それを見て、準備ができたと捉えたのか。翠は刀と剣の中間の様な不思議な剣を構える。防具などの装備は一切無く、機動力に特化したものだと明日香は理解した。
「それじゃあルールを言うよ」
「ルール?私達がお母さんを倒すかお母さんが私達を倒すかじゃないの?」
明日香が何言ってるの?という表情で聞く。それに、翠は言い聞かせるように二人に聞かせる。
「あのね…いくら二人がかりでも多分、というか間違いなく私は倒せないよ?それにいまから言うルールは対等に戦うためで、どっちかを有利にするものじゃないの。分かった?」
子供を叱るような口調でそう言うと、二人はしぶしぶといった顔だったが頷く。それを見て、翠は。
「じゃあ、改めてルール説明。私は二人のどっちかから一回でも攻撃を受けたら負け、二人は背中が地面に着いたら負け、いい?」
これでも十分に二人に有利なのではないかと思ったが、どちらかを有利にするものではないと言い切った以上、そうではないのだろう。二人はもう一度頷くと、
「始め、は言わなくていいね」
翠は、そう言うとそっと構えを取る。ごく自然にだが、微塵の隙も見つからない完璧な構え。それに応じて二人も構える。
風が流れ、一時の静寂が辺りを包む。始まりのその瞬間を待っていた。いつ始まるのかと期待して待とうとした刹那、剣戟の音が鳴った。それと同時に、氷、炎、雷、真空波が翠を襲った。攻撃を防いだその瞬間に新たな攻撃が翠を狙う。姉妹にしかできないようなとんでもない連携攻撃、おそらくアリシア達でさえ今の攻撃を完璧に躱す事は不可能だろう。
だが、翠はそれを躱して見せた。しかも、同時に攻撃を放っていた。回避と攻撃を同時に、しかも回避不可能に近いその攻撃をだ。翠の技量がどれだけ高いかはこの一撃を避けながら反撃を行う、それだけでも充分なほどに理解できた。明日香に向けて放たれた不可視の斬撃、それを見えているかのように難なくかわすと、
「おねえちゃん、あれ出来る!?」
飛び退り、梓の近くに移る。あれ、と聞いてピンときたのか、それとも初めから予想済みだったのか梓は淀みなく魔法の詠唱し、それを明日香の剣に向けて放つ。
「明日香、お願いっ!」
「任せて!極光剣!」
梓の魔法を受け、七色に輝く剣を大上段から振り下ろす。地面を砕きながら奔る七色の衝撃波をまともに受け止めればいかに翠と言えども無傷では済まないだろう。そもそも攻撃を受けた時点で勝負がついてしまうのだから、当たらないことが翠にとっては最重要条件なのだが、
「なかなか良い威力の技ね…相手が私じゃなかったら終わってたかもね!」
翠は剣を地面と水平に構えると、ふっと息を吐き気合を込めて一閃した。その一撃はちょうど翠たちの中間点でせめぎ合い数瞬の後に弾ける。その間にも梓は、翠に対して常に有利な立ち位置を探し、周囲を警戒しながら回っている。
翠もそれに気づいていながら泳がせているのか、気を配っておきながらも何かしようとする気配はない。それに今もっとも危険なのは、明日香が次の攻撃への力を練っている事だ。それは黙って見ている訳にはいかず、翠はかまいたちをいくつか作り出しそれを明日香へさし向ける。明日香はすぐにそれに気づいたが、何かする事もなく集中を続けた。かまいたちが明日香の身体に触れた瞬間、かまいたちの方が弾けて消え去ったのだ。梓が物理障壁か何かを明日香の周りに展開していたのだろう。だから明日香は、その場を動かずに集中していた。
とは言っても、今までの相手と自分とのレベルが圧倒的に差がある事を分かっていながら、それでも梓を信じていた事には、翠もほんの少しだけ驚きを覚えた。
(普通なら怖いって感じるものなんだけどなぁ……それだけ信じあってるって事かな)
次の一手をどうしたものかと考えていると、梓が動いた。
「明日香の邪魔はさせない!」
杖で地面を突くと、翠の足元が突然底なし沼のようにぬかるみバランスを崩す。そこに追撃の火球が迫る。まともな体勢がとれていないにもかかわらず、翠は平然と向かってくる火球を切り裂いた。返す刃に魔力を込めて雷の斬撃を返すが、
「効かないよっ!」
梓が透明な障壁を張る。それは雷の斬撃を吸収すると、そっくりそのまま翠に向かって跳ね返った。それと全く同じタイミングで明日香が動く。渾身の力が込められているその剣は黄金に輝き、さながら芸術品にも見えるほどだった。
「いっけええええっっっっっ!!!!」
先ほどの七色の衝撃波に劣らない一撃が襲いかかる。下手に受け止めてしまえば、真逆の方向からの攻撃に対処する事が出来ない。そして、未だに底なし沼のような足場から抜けられないでいる。周りで戦いを見ていたアリシア達もこれは決まったのではないか、と思った刹那。
「お母さんの力を甘く見すぎだよ!」
翠周辺の空間が歪んだように見えた。いや、実際に歪んでいたのかもしれない。翠の身体が幻だったかのようにブレ、同時攻撃を躱されたと理解した次の瞬間には、梓が地面に叩きつけられていた。何が起きたのかも分からないまま地面に叩きつけられ、肺の中の空気をすべて吐き出した梓は、自分が背中から叩きつけられていた事に初めて気づいた。
ぬかるみのない場所に着地して、咳き込み悔しげに見つめる梓を横目で見ながら。
「私もちょっとはヒヤっとしたかなー…でも、梓はもう戦えないし、勝負は────」
着いた、と言い切る前に明日香が一気に距離を詰めて大上段から斬りかかるが、それを危なげなく回避して軸移動で明日香の側面へと回り込むと、
「焦りすぎだよ?相手の隙を見つけにいかないとねっ!」
屈んでから足払いをかける。明日香は咄嗟に足に力を込めようとしたが、タッチの差で間に合わなかったのか小さな体が僅かだが空中に浮く。そのごく一瞬のうちに翠は明日香の真上に飛び、ぐっと力を込めていた。次の瞬間、どうなるのかが分かっていても明日香の身体は動かない、否、動けないのだ。それが、人間の限界なのだから。
次の瞬間、明日香は地面に叩きつけられた。




