最後の戦い-1
全くと言っていいほど乱れのない魔物達の連携行動にアリシアは随分と苦戦を強いられていたが、目の前に現れた少女、雪那はそんな雰囲気を毛ほどに感じさせなかった。
長物の槍を扱っているはずなのに、その動きは剣舞のように滑らかで槍特有の隙が全くない。上下左右から不規則に襲いかかれば、それを一筆で薙ぎ払い、ならばと同時に襲いかかれば曲芸師の如き動きで宙を舞い、同志討ちをした所にとどめの一撃を放つ。
正直な話、アリシアから見てもその動きは異次元のそれだった。そんな師に教わっていながらこの様だと、思うとアリシアは無性に恥ずかしくなった。
魔物達の途切れのない波が一時的に弱くなる。その瞬間を狙い澄ましたかのように、雪那は手に持っていた槍を地面に突き立てる。
『黒毒の霧』
アリシアと雪那の周囲に黒い霧の壁が一瞬で作り出される。だが、魔物達はそれを気にも留めず霧の壁に突っ込んでいく。その様子を見て、アリシアは大丈夫なのかと不安そうに、雪那は魔物達を嘲笑うように口元を歪める。
霧の壁を抜けてきた魔物達は、総じて満身創痍ともいえるほどに弱っていて、押せば倒れてしまいそうなそんな魔物くらいしか残ってはいなかった。
「傷の応急処置をするので動かないでくださいね」
そう言うと、小瓶を取り出して中に入っていた液体をアリシアの傷口に数滴落とす。その瞬間、魔物から受けた攻撃の何倍も鋭い痛みが襲い、声も出せず反射的に身体がびくんと跳ねる。
しばらくして口が聞けるほどには落ち着いてきたのか、またはその痛みに慣れてきたのか涙目で、
「はぁっ…はぁっ……し、しょう…酷い、です……」
「しょうがないじゃない、魔物から受けた傷で感染症、とかになったら性質が悪いもの。だからちょっときつめの奴で消毒と傷の処置を同時にさせてもらったわ」
何食わぬ顔でそう言ってはいるが、アリシアに使ったちょっときつめのその毒は確かに薬としても使われたが、常人に与える数十倍の量だった。もちろん、それで大丈夫だという確信があったからこそ使ったのだろう。
その後もいろいろと文句を言っていたが、傷の方は殆ど塞がっているほど効果が発揮されていた。
処置をしているその間にも、霧の壁を強引に抜けた魔物達が集まって来ていたが、そのどれもが傷を治療したばかりのアリシアでさえ倒せそうなほどに弱っているものばかりだった。雪那は地面に突き刺している槍に手をかけて、不敵に笑う。
「それじゃあ、二回戦開始でいいかしら?」
その言葉に、同じように槍と盾を手にとって応じた。
その頃、明日香達三人は空を覆っていた生体兵器のほぼ全てを撃墜していた。
地上には四肢が欠損しているものや、縦に割られているもの、上半身と下半身が分かたれているもの、戦場に存在しうるであろう全ての死に様がここに集約されているのではないか、と思えるくらいに凄惨な光景が作られている。
それを作った、たった三人の少女はいまだ向かってくる天使を模した生体兵器達をまるで騎馬兵が歩兵を弾き飛ばすかのように、戦車が人をなぎ倒すかのように、頭数の少なさをまるで感じさせないような、一流の傭兵達でも近づく事を憚るようなそんな戦闘を繰り広げていた。
上空でエネルギーを充填している相手に梓が魔法を放ち撃墜を試みる。だが、相手はそれを自らを盾にして守る、それで良かった。その瞬間、明日香と翠が空中から落ちてくるそれを足場にして相手の上を取った。
「…っ、お母さん!」
「まっかせなさい!」
真上を取ったはいいが、二人より下にいる兵器達は空中で満足に身動きを取る事が出来ない二人に狙いを合わせる。その数は目算で五十弱、梓が広範囲魔法で片付けようと考えたが、それでは二人も巻き込んでしまう。
だから、敢えて梓は何もしなかった。そんなことをせずとも、翠が何とかしてくれると確信していた。
『空裂剣』
翠の振るった剣は視認すら困難になるほどの速度で振られ、それは真空を作り出し円状の鎌鼬を生み出し、周りの相手を切り飛ばす。
エネルギーを溜めている相手はまともに身動きもできないまま、明日香の剣をその体で受け止左右に分かたれ爆散した。二人が空中で剣を収めて地上に降りると三人はハイタッチを決める。
「さって、そろそろお出ましかしら?」
翠はそんな事を言って、森の奥を見つめていた。その時、森の向こう側で何かが光った。それが何かと思うよりも先に、翠が二人の腰を持って担ぎあげて動いていた。刹那、三人がいた場所を一条の光線が奔りさっていった。何が起こっているか理解できていないうちに、その光線の通り道となって焼き焦げた森の奥から、男が空中に浮く玉座の様なものに座りながら近づいてくる。
男と翠はまるで旧友と、そして仇敵とであった時のように笑いあう。
「よう、俺の作ってた『天軍』はどうだったよ」
容姿、声ともに女性のためにいるようなその男は翠にそう聞く。すなわち、あの夥しい数の兵器はあの男が差し向けた事になるのだが、翠は特に驚く事もなく、むしろ男を挑発するように、
「そうね……あと十万機くらいあったら私達三人の相手になったかもね、ガル君」
ガル君、そう呼ばれた男は吹き出し、大声をあげて笑う。二人のやり取りを翠に担ぎあげられながら見てる二人にとっては全く理解できなかった。翠は思い出したかのように二人を降ろす。
笑いが収まったのか、玉座から自分の体ほどの大きさもある大剣を取り出して三人に向ける。
「じゃあ、俺が直々に三人と戦ってやろうか?」
二人は体を強張らせて身構える。だが、翠は変わらない態度で相手を見ている。それは、相手を品定めしているようにも見えた。
瞬間、目の前の玉座から男の姿が消え去った。そう思ったときには明日香と梓の首元には金属の冷たい感触が当てられていた。二人には反応する事もできず、ただ冷や汗を流しながらどうなるかを覚悟するだけ……そう思っていると、
「ガル君、ほんとに私と戦う気なの?」
翠はそんな事を言う。この状況で何をそんなことを言っているのかと二人が困惑していると首に少しだけ剣を食い込ませる。
致命傷にならない程度とはいえ、少しでも深く傷つけば死んでしまいかねないという現状には、緊張以外の何者でもないのだろう。それどころか、翠は戦う気配すら見せない。段々と相手の空気もぴりぴりと張り詰め、近くにいるだけでも息が苦しくなってくるような、そんな気までしてきた。
「そうだっつってんだろ!さっさと剣を抜けお前の子供がどうなってもいいのか!?」
翠はその言葉にくすくすと笑い声を上げる。
「なに?その三流の悪役みたいな台詞、流石に笑っちゃうわ」
その言葉が癇に障ったのか、剣の壊れかねないほどに強く握り締めていた。何で相手を逆撫でしているのかが全く理解できていないでいると、
「……本当に、戦う気は無いのか?」
そう言ってきた。翠は頷いた後に相手をからかうように、だが相手の確信を突く。
「────だって、ガル君本気で戦う気無いでしょ?」
二人はそれを聞いて、余計に訳が分からなくなっていた。これだけの殺気を放っていて戦う気がないとはどういうことなのか、そう思っていると、
「何故、そう思う?」
「だって、私と本気で戦うときの剣じゃないし、そもそもガル君なんだかんだで戦うときは正々堂々戦うから人質…?なんて取らないし」
その後に、まあ私の子供が人質になる訳ないんだけどね♪と付け加える。理由を答えると、ふんと剣を振り払うとその剣を投げ捨てた。
地面へと落下した剣はズドンと音を立てて地面にめり込む。どれほどの重さがある剣を持っていたのだろう、と思っていると。
「ま、そうだな。俺は人質なんてぬるいことはしねぇし、別に取らずとも倒せるからな」
自信満々にそう言って見せた。翠もそうだねぇ~と同調していた。初めから、こうなる事が分かっていたのかと思っていると、黒色の剣を虚空から掴んで取り出すと、翠にその切っ先を突き付ける。
「あの時俺が言った勝負の内容、覚えてるか?」
「もちろん。私とガル君いえ、ガルシア…貴方の方法と私の方法どっちが他人をより幸せに出来るか、でしょ?」
切っ先を向けられていたとしても、翠は依然として飄々とした態度を崩さない。まるで、戦いはすでに決していて、後はその後の処理だけだとでも言うように余裕の表情をしていた。
ガルシアは覚えていたか、とでもいうような表情をした後に、
「あの勝負…あんたの勝ちだ、だから……俺を殺してくれ」
一方、雪那達は街から少し遠ざかった平原に大量の魔物の死骸を積み上げていた。
それが意味するものは、二人があの量の魔物たちに打ち勝ったという証拠だ。いくら市街地をよりは遠い場所とは言えまだあそこは町の中だった。そんな中に魔物の死骸をほっぽり出すわけにもいかないので、雪那とアリシアその他にもリゼリア達までがやってきて総動員で市街地にあった死骸掃除に明け暮れていた。魔物たちの死骸は一定時間経つと異臭を放つ、それは同種の魔物たちをひきつける目印でもある。だから、きちんと処理を行わなければ数時間もすれば同種の魔物たちが元居た数倍の数でお礼参りに来てしまう。そのために一か所に死骸を集めて処理を行うのだ。
「東と北地区の魔物の残骸は多分全部集めました~」
リゼリアは武器である爪の先端から伸びる糸を自在に操って死骸をその山に突っ込んだ。
エルザとマルモは風魔法で死骸を浮かせて山のバランスを取りながらそれに積み上げていった。アリシア達は山の土台となった大量の死骸に他の魔物たちが寄り付かないように警備と称して休憩をしていた。
実際、一番労力がかかったのは二人なのだと分かっているのかエルザ達もそれには何も言わず街中の死骸を回収しに駆け巡っていたのだが、
「南と西も、大丈夫」
どうやらその作業も終わったようで、早速処理にかかるようだった。普段連続で動く事のないマルモなのだが、エルザに連れられて無理やり動かされていた。死骸の山の両極端に二人が立つと魔法陣を二人で作り上げる。
魔物の死骸というのは一気に焼き払わなければ不完全燃焼を起こして、放置した場合と同じような匂いを放ってしまうため、とにかく火力が重要なのだ。
『煉獄の渦』
死骸の山を中心に、煉獄の炎の渦が巻き上がる。近くにいるだけで焼き尽くされてしまうような、そんな炎によりみるみると質量を減らしていった。
五分とかからずに、アリシア達の身長の倍近くあった山は灰となって、その体積を十分の一近くにまで減らしていた。焼却されて灰となったものに魔物達を呼ぶ効果はないため、あとは風が運んでくれるだけで仕事は終了だ。
「今度こそ…終わり、寝る……の」
体力を使った後に更に魔力まで使わせられべちゃっ、と地面に倒れ込むマルモをエルザは膝の上で寝かせて、そっと頭を撫でていた。
「良く頑張りました、るぅちゃん♪」
「殺すって…私がガル君を?」
翠はガルシアに言われた言葉を思わず反芻してしまう。何を馬鹿なことを言っているんだろう、と思ってはいるが、その表情は至って真剣そのものだった。
「ああ。あんたなら、出来るだろう?」
「ちょ、ちょっと待って!!」
明日香は二人の話を聞いているうちに、どうしても口を挟みたくなってしまった。どうして、勝負に負けてしまっただけで死ぬ必要があるのか、内容だって決闘などではなくどちらが人をより多く幸せにできるか、その筈なのに何故なのだろう、そう思ってしまったからだ。
「なんだ?妹の方」
「なんで、その勝負に負けただけで死ぬ必要があるの…?それを、教えて。後、私は明日香って名前があるから!妹の方じゃないからね!合ってるけど!」
どうしてもガルシアの適当な言い方に物申したかったのか、そう言う。最後の部分は単純に、適当な呼ばれ方をして怒っていただけだが。
「死ぬ必要、か。俺は…いや俺と翠は似た者同士だったんだよ。どっちも世界に、真理に否定されて、それでも生きてきた存在…だからこそ、俺たちは分かりあえると思ってた。いや、実際分かりあえていたのかもな……だがな、決定的な所で違った。それが、人をいかにして幸せにするか、だった」
ガルシアがそう話すが、明日香の聞きたい死ぬことに値する理由がどうしても分からなかった。それが手がかりであるという事は分かっても核心には至らない。それには、幸せにする方法の相違が分からなければいけないと思っていた。
明日香がそれを聞こうと口を開こうとしたその時、それに被せるように梓が口を開く。
「で、その方法って何なのよ?一応言っておくけど、私は梓よ、間違えたら感電死させるから」
ずいぶんと最後の一言がおっかないものだったが、ガルシアは気にすることもなく。
「方法、というか俺達の場合は幸せにさせるためのプロセス、といったところか。お前らの母親は『不幸』をとりのぞく方法、つまりはすべての人間の不幸を取り除く、対して俺は全ての人間の『幸せ』つまり、すべての人間を不幸にすることで、相対的に幸せにする」
ガルシアは何気無く言ったその言葉は、とんでもないものだった。二人はそれを聞いたがそのスケールの大きさに圧倒され、いったいどんな方法でやるのか、何て見当もつかなかった。だが、その勝負が不完全である、という事だけは理解できた。何故なら、
「そんな勝負、結果なんて見えないんじゃないの?どれだけお母さん達が頑張ったって人間は勝手に争いごとを起こして、それで勝手に不幸な人間と幸せな人間を作り上げていく……違う?」
梓の言葉に翠は頷く。それを知っていながら翠は勝負を受けていた、それに何の意図があるのかは今の二人には分からなかった。
「そうだね、あずの言うとおりだよ。人って言うのは勝手に幸せ、不幸せを決めてそれをあたかも当然のように押し付け合って、戦争を起こして他人の幸せを奪い取って自分達のものにする。だから、この勝負の勝敗って言うのは『決まらない』が正しい答え………普通ならね」
「普通、なら?」
「うん。私達が違う方法で、人を幸せにしようとしていたからこそ生まれたもう一つの決着の方法。それが今、この状況」
明日香はそう言われてもピンとは来なかったようだが、梓は違ったようではっとした表情になる。だが、本当にそれが答えでいいのか、と言い淀んでいるようにも見え、それを見た翠は言ってみて?と優しく語りかける。
「二人の勝負の、もう一つの決着の方法は、どちらかの心境の変化……?」
その答えに翠は百点♪と嬉しそうに言った。




