私たちの大切な人
「ほんっとにキリがない……!!」
梓は相手の攻撃を紙一重でかわし続けながら、魔法で迎撃しているが一向にその数は減らず、空から地上へと続々と降りてくる。
一つ一つの戦闘能力は高くないのだが、あまりにも数が多すぎる。広範囲の魔法で倒してもいいのだが、そうしてしまえば避難した人たちにまで被害が及びかねない、と考えていたため使うに使えなかった。
そうやって、全力で戦えないまま戦っていればじりじりと押されてしまうことは目に見えていた。明日香は攻撃を受け流しながら、堅実に攻撃を加えていたが。
「っ!?」
倒した残骸から流れ出た液体に足を滑らせる。バランスを崩し、眼前には相手の鋭利なフォルムの腕が迫っていた。
もうだめだ、と思った瞬間時間の流れが遅くなるのを感じた。それが走馬灯というものだとは明日香自身は気づいていなかったが、少なくともこれで終わりなのだろうとは理解できている。
「あ……」
自分の胸を貫くその瞬間、ごく小さな風切り音が聞こえた。その刹那地上に降りていた敵がすべて破壊された。その手口はどれも同じで体の中心部にきれいな穴が開いていた。
「え…?」
明日香は崩れた体勢を立て直すと、マルモ達は驚いた表情を、そしてエルザはようやく来たのかという表情をしていた。
爆風と衝撃波で残骸が吹き飛ぶ。土煙をの中から声が聞こえた。
「困ったときはおかーさんに頼りなさいって言われなかったの?」
そんな少女の声。煙が晴れ、その姿が鮮明になる。
明日香と同じくらいの背丈、翠色の目、漆黒の髪が一本の尾のように風で揺れた。
そして、梓にとってはあの時に聞きいたことのある声。
「あとは任せなさいっ♪」
そういうと、辺りを青い焔が囲うように走る。一瞬で青い焔の円が出来上がると、焔の中から同じ髪の色の少女が現れる。
「アーシェ、行くよ」
青髪の少女はこくりと頷くと、コーラスの歌手のように高く、透き通る声を響かせた。すると、円形の炎が相手の体の自由を奪うようにまとわりつく。
「皆、まとめて壊してあげるね」
刹那、翠の姿が消える。
それと同時に全く同じタイミングで炎の内側にいた生体機械が破壊された。明日香達は何が起こったのか分からず、ただ茫然とそれを見ていた。
ふわりと、いつの間にか空中から降り立つ翠の姿は例えるなら、
「天使…?」
明日香の口からそう言葉が漏れた。
そう、思っても仕方がないくらいに、青色の火の粉が立ち上がる中心に降り立つ少女の姿は幻想的だった。ただ、その直後に落ちてくる大量の相手の残骸さえなければの話だが。
「残りは、あれだけ?」
翠が聞いてくるが、明日香達は口を開く事が出来ない。自分たちの母親であるはずなのに、話しかける事を躊躇ってしまう。
自分たちとは住む次元が違うような、そんな気がした。翠は、口を開く事が出来ない二人を放っておいて、残りの相手の総数を大雑把に判断すると。
「大体八千弱って所かな……まあ、全力を出す必要もない数でもないわね」
あれだけの事をしておいて、いまだに力の一端という事にも驚きだが、順番待ちのように空に浮いている軍勢を全力を出す必要性もなく、倒せると聞いて明日香は。
「なんで…そんなに強くなれるの?」
思わずそう言ってしまっていた。翠は、聞こえていたのか明日香の方に向き直ると。
「強くなれる、ね……私は、望んで強くなった訳じゃないよ。ただ、大切な人を守りたかっただけなんだから」
そう言って、翠は空の軍勢を見て不敵に笑う。
次の瞬間、空に浮いていた軍勢が地面へと引き寄せられていく。魔法を使ったような仕草はなかった。
「さあ、残りもさっさと片付けるわよ」
瞬間、同じように翠の姿が消えたかと思えば刹那、雷撃が相手の中心を射抜く。
どれだけ高圧なのかも想像がつかないような雷撃を受け、機械部分は爆発を起こし、生身の部分でさえ黒く焦げていた。桁外れの威力と、詠唱しているそぶりを全く見せないそれはもはや魔法ではなく、別の何かなのではないかと錯覚するレベルにまで、強烈で、翠の力を証明する一撃だった。
残りの相手はもう数えられるほどしか残っておらず、この数なら明日香達でもすれ違い様に撃破も可能だろう。
エルザが手持無沙汰に魔力で遊んでいると、上空から薄紫色の何かが落下してくる。それを薄く広げていた魔力で感覚器のように感知し、落ちてくる場所から僅かに身体をそらす。空から落ちて、いや着地してきたのは。
「お久しぶりですね」
「ほんとにね、リゼ」
翠と常に共にいた吸血鬼の少女、リゼリアだった。鳶色の瞳が、雷撃で焼き焦げたおびただしい数の生体兵器を見て、苦笑する。
「なんか、ずいぶんと張り切ってますね…」
「その理由はあっちを見ればわかるわよ」
エルザが指差した先には、以前あったことのある姉妹の姿があった。それで、納得がいったのかリゼリアはもう一度笑う。今度は苦笑ではなく、嬉しそうにその様子を見ていると、明日香が足を取られ、体勢が崩れる。
残り少ない戦闘兵器が明日香に向かって腕に付けられている銃を撃とうとする瞬間、翠が神速ともいえるほどの速さで背後から相手を貫く。
遠目から見ているとどちらが姉なのだろう、と思ってしまうかもしれない光景だが、ここは戦場、そしてその二人も親子だ。リゼリアとエルザは三人が戦っている姿を見てこちらもまた戦場には似つかわしくない空気を出していた。
「翠さん嬉しそう……」
「でも、自分の子供に人見知りしているのには流石に笑ってもいいわよね?」
そう、エルザの言うとおり、翠が明日香達に話しかけないのは戦いに集中しているからではなく、単純に人見知りをしていた。親子なのにどうなのか、と言われてしまえばそれまでだが、十年単位で会っていなければ個人差はあるがそんなものなのだろうと、思っておこう。
「残りの人たちはちゃんと集まっているの?」
エルザはまだ見ていない数人の姿を思い浮かべながら尋ねる。
「もちろんです。多分、別の場所で自分たちのやれる事をこなしているんだと思いますよ」
「なら、私もやるべき事、ってやつをこなしてこようかしら」
そう言って、派手な音が鳴り響く戦場を飛んで行った。
魔物の波の中心に、アリシアの銀色の髪がたなびいている。
四方八方から襲いかかってくる猛攻を盾でいなしながら一体一体確実に数を減らしていっている。だが、それだけでは魔物の数はさして変わる事はない。
徐々に押され始め、攻撃が掠り始めると上空から火球が、地面からは土の槍がせり上がり、アリシアと戦っている魔物たちから少し離れた場所にいる魔物たちを駆逐していく。
(アリーならこれだけ削れば後は何とかしてくれるでしょ……)
マルモは高台からひょい、と飛び降りると低空を滑空し来ているであろうあの人を探す。
間違いなくいるはずなので、周囲を探せば必ずどこかにいるはずだ。そう確信しているマルモはとにかく虱潰しに探すようだったが、
「誰かを探してるのかしら?」
「ええ───え?」
あまりにも自然な会話だったため、一瞬気づくことが遅れてしまったがその声はマルモの待ち望んでいた声そのものだった。
「マスター?」
「元気してたー?」
随分と気の抜けたその言葉に、マルモは本人だと自然に気づく。二人ともが地面に降り立つと、地中から魔物が襲いかかってくるが、二人は息をするように連携し相手の身体を凍らせて、そこら中にある瓦礫の一つを宙に浮かせ、魔物の身体を砕いた。
二人は数百年とは会っていない筈なのだが、その息の良さは全く衰えていなかった。話す事もままならず、魔物達が波のように襲いかかってくる。
「いける?」
何をとは言わない。それだけで、マルモはなにを始めるのかが理解できたからこれ以上の言葉が必要なかったのだ。
『其の一撃は光より迅く』
エルザが詠唱を始める。それに呼応するように交互に次の言葉を唄う。
『其の一撃は理を歪め』
『天を覆い、悪しき者へと降り注ぐ』
『全てを天に還せ、三神の裁き』
二人の唄は膨大な魔力を空へと捧げていた。その結果、二人の上空に出来ていたものは、煌々と輝く魔力の球体だった。
おそらく大した知能を持っていないであろう、二人を囲っていた魔物達でさえ、その球体が危険だと感じたのか後ずさりをして距離をとる。だが、今更距離をとったところで結果は何一つ変わらない。
球体に無数の線が走り、小さな光球へと分裂する。それは、一瞬の間をおいて周辺の魔物達を蹂躙した。それだけではなく、周りの地形は何一つ変わっていない。光球は魔物だけを狙って攻撃していたのだ。
数秒経ち、二人の回りには死骸のみが残っていた。生存している魔物は目視する限りでは存在しない。二人は杖を交差させてかこん、と合わせる。それが、二人なりのハイタッチの形だった。
「どうするの?皆の応援にでも行くの?」
エルザはからかい半分に聞いてくる。マルモは、知っているでしょう?と言わんばかりの大きなため息をついて答えた。
「そんな訳ないでしょ。めんどくさいもの……それに、マスターがいるなら皆も来てるってことでしょ」
予想通りの答えに、エルザは小さな笑い声をあげながら、それに肯定した。
「いつの間にかマルモはいなくなってるし、魔物は地面の中から沸いてくるし……流石に限界も近いですよ…っ!」
アリシアは不規則に襲いかかってくる相手の攻撃を紙一重で躱しながらカウンターの一撃を放って、最小限の力で相手を倒していた。だが、そんな集中力はいつまでも続く訳がない。実際にかすり傷程度の物ではあるが、アリシアは細かい傷をいくつも負っていた。
それにアリシアの槍は中世の騎士が使うような先端が細く、柄の部分に近づくにつれて円状に大きくなっていくタイプの槍だ。長期戦、集団戦を行うにはあまり適さない。
絶体絶命、とはいかずとも確実に不利な状況に陥っている。アリシアは内心、マルモに悪態をつきながら的確に相手の急所を狙って突きを放っている。対集団戦用の技もないわけではないのだが、使うまでに時間がかかり、且つその間は自分の身体は無防備になってしまう。だから、一人での戦いで使うには不可能に近いのだ。
別の事に思考を費やしてしまったせいか、真横に魔物がいる事に気づくのが一瞬遅れる。だが、その一瞬が命取りとなる。自らの口よりも大きな犬歯を持つ魔物がアリシアの足元目がけて噛みつく。
今、槍をこの魔物に突きたてればおそらく倒せるだろうが、引き抜くまでの僅かな時間でまだ大量に残っている魔物が襲いかかってくるだろう。かといって、盾で防ぐ事は攻撃位置が低すぎるため出来ない。その為、残された方法は一つ。
(敢えて、受ける…っ!)
決めた瞬間、足に激痛が奔る。その巨大な牙はアリシアの細い脚を貫通し裏側にまで突きぬけていた。
痛みに怯んだ隙に、と襲いかかってくる輩に痛みを堪えて魔物が噛みついている足で回し蹴りをお見舞いし、同時に噛みついてきた魔物を槍で貫き、振り払う。
だが、地面にその足をつけるだけでもわずかな衝撃が激痛となって体を苛む。
「っ……!?」
その痛みに思わず膝を突いてしまう。無論、魔物たちはそれを絶好の好機と見て襲い掛かる。
「修行不足ですか?動きが鈍くなってますよ」
嵐のような斬戟がアリシアの周りの魔物を一掃した。その剣閃はアリシアが幾度と無く目にしてきたものだ。そして、一度として破ることのできなかった剣閃だった。
「師匠…?」
血の雨が降る向こう側には、黒く艶やかな長い髪が揺れる。
「ふふ…反撃、開始ですよ?」
琥珀色の瞳は静かに、だが確かに怒りの色を帯びていた。




