一人になっても
宙に浮く無機質な生体機械は、無慈悲にこう言った。
『滅しなさい』
無機質な声とともに、レーザーが指先から閃く。それは、一瞬で視界の端にある山まで届き、大爆発を起こす。そんなものをまともに受けては、いくら二人といえどもただでは済まないし、それ以外の兵装がないわけがない。何が敗北に繋がるか分からないため、陽菜は大きく距離をとって躱す。
そのまま、距離をとったそれを反動に変えて持っている刺突剣は巨鎚に姿を変え、思い切り水平に振る。それは、クリーンヒットし相手のつけていた仮面を砕く。
────その顔を見て、雪那たちの息が止まる。いや、心臓さえも止まっていたかもしれない。
「……何で…?」
仮面の下にあったその顔は今は亡き美香の顔だった。
「くっはははははっっっっ!!!そうだよ!俺はその顔が見たかったんだ!!」
ガルシアは愉悦に満ちた顔で、二人を見下す。
眼に光の宿っていない美香の形をしたなにかは躊躇なく陽菜に襲いかかる。判断が鈍り、受けることも躱す事も考えられなかった陽菜は、なされるがままに硬く歪な機械の手に吹き飛ばされる。
受け身を取り、衝撃をできるだけ殺すがそれでも全てを殺しきることはできない。それに、その一撃は直接的なダメージを陽菜に与えていた。
「痛っ……」
陽菜の右腕はおかしな方向へと曲がり、折れていることを自らの目で確かめた。激痛をこらえ、腕を元の方向へと戻す。額には脂汗が浮いていたが一瞬声を上げるだけで、深く深呼吸をして息を整える。
「大丈夫!?」
雪那は槍を取り落とし、陽菜に駆け寄る。ガルシアはただにやにやと笑って、空中から二人を見下している。
陽菜は、小さく大丈夫と答えるが、その表情は大丈夫そうには見えず、どう見ても見栄を張っているように見えた。
『滅びなさい』
羽の形状と色が変わりより殺傷力が高いものとなる。ただ、前の一撃と違い今回の一撃は大砲を打ち込む戦車のように、地面に自らの足を柱のようにめり込ませる。
次の瞬間、黒い羽が空間を塗り替えるかのように通り道を黒く染めて降り注ぐ。
「陽菜、能力は!?」
「…多分、無理」
刹那、黒い奔流が二人を飲み込んだ。地面すらも抉るその一撃を受けてしまえば、流石にあの二人とてただでは済まない。
それに、陽菜も雪那も負傷している。そんな体では躱すこともままならないだろうと、ガルシアは踏んでいたのだが、
「おっと…?」
そこに二人の姿はなかった。いくらあれほど荒々しい技とはいえ、血の一滴も落さずにしかも相手の亡骸まで残さず抉り取るなど不可能だ。
そうなると、残る可能性は一つしか存在しない。
「…逃げたか、だが…あんな身体じゃいつまでも逃げられないだろう…?」
「『黒羽流時津風』……」
雪那は陽菜を抱きかかえてガルシアのいる場所から相当な距離離れた森の中へと一気に移動し、そこに身を隠す。
周りに敵の気配がないかどうかを確認するとそっと、陽菜を降ろす。陽菜は既に葉が散り絨毯のようになった地面にすとんと降ろされる。反して、雪那は膝をついて荒い息を吐く。
「お姉ちゃん!大丈夫!?」
「けほっ…だい、じょぶ…だよ」
「全然大丈夫じゃないよ!!今何やったの!?」
「今の、は…槍の毒で、私の身体を強制的に強化したの…ドーピングと同じ、かな…」
そうは言うが、苦しみ方が尋常ではない。やはり薬として使うとはいえ毒は毒ということなのだろう。
「ドーピングでこんなに苦しそうにしてるなんておかしいよ…それに、私と戦ってるときに使ってなかったって事は、隠し玉だったか……反動が大きいから、使えなかったとかそういうことでしょ?」
陽菜の言っていることは大方正解だった。
雪那の使った時津風は瞬間的にだが人間を超えるほどの力を発揮する事ができる技だ。その分、反動が凄まじく身体中が使用後に激痛に苛まれる。
今も、その激痛が体を蝕んでいるが、歯を食いしばって耐えている。それはもちろん、陽菜に心配をかけないためだった。
「そう、だね…でも────」
雪那が口を開いたその時、閃光が二人の横を通り抜ける。直後、爆発が起こり身を隠す木々を灼熱の旋風が一蹴した。
「っ…!のんびり、話してる場合じゃなさそうだよ…」
陽菜は、切羽詰った声で雪那に話す。雪那も気付いてはいたが、すぐそこに気配を感じる。
二人にとって姉の姿を取った怪物を相手にできるのかと思っていたが、陽菜が雪那の耳元で小さく囁く。
「動けないんでしょ?私なら、どうにかできるから…任せて……ゆきねえ」
ばれていたのか、陽菜は雪那をそっと地面に寝かせると、陽菜は相手の前に出る。雪那は知らないが、陽菜の能力はただ性質を逆転させるものではない。
(私の能力は、正しくは『性質を反転』させる事じゃなくて、『共通認識から対象の性質を反転させる』事…だから、生きてる人間以外にはあまり通じないし、どちらかが認識を誤っていれば能力は発動しない。それに、数が多すぎると完璧に発動しないときだってある不完全な技……でも────)
たとえ、生きていようが、死んでいようが本能的にわかることが二つだけある。それは、自らが存在しているという事だ。
(もちろん、そんな事したら…ゆきねえに怒られる、よね……でも、そうしないと勝てないし、何より────)
「ゆきねえが、私を許しても…私が、私を許せないっ…!!」
陽菜は相手の目の前に飛び出る。ガルシアは見物なのか、近くにその気配はなかった。
だが、それが陽菜のチャンスを作り出した。陽菜は武器を拘束用の蛇腹剣に変え、動きを止めようとする。
相手も、それを理解しているようで飛び上がると、先ほどの閃光を散弾のように飛ばす。それは機動力を削ぐためか、致命傷となるような一撃になる軌道のものがないものは反射的に理解できた。
そのため、躊躇せずにそれに突っ込んだ。多少の火傷はしたが拘束するだけなら、それくらいならどうという事はない。美香の身体に肉薄し、蛇腹剣の範囲内に入る、とそう確信した瞬間新たな動きが美香にあった。
十指が開き、銃口の形が見えた。陽菜はそれを視界にとらえた瞬間、反射的に回避行動をとっていた。
案の定、次の瞬間には十の光が閃き、数千もの銃弾が陽菜のいた場所を通り抜ける。それは、陽菜の能力があってしても、おそらくは防げない一撃だっただろう。
生存本能が起こした間一髪の回避行動に救われた陽菜だが、ほっとしている暇など何処にもない。間髪をいれずにもう一度美香に接近する。
(次は外さないっ!)
相手の行動を先読みして、陽菜は右に動くようなフェイントを仕掛ける。それは、機械という決められたパターンをとって動くようになってしまった美香には効果的だったようで、それに見事にかかった。ごく一瞬の隙だが、重心が不安定になり、そこに剣が相手の体に文字通り蛇のように巻きつき、動きを封じる。身体の自由が封じられたにもかかわらず、無理やりに体を動かしていた。
それで身体に負担がかからないわけがない。ぎちぎちと身体の限界を超えた挙動はむろん、その体を傷つける。生きていないなどの理由を抜きにして陽菜には姉の身体がこれ以上無為に傷つくのが許せなかった。
陽菜は美香の身体を包むように抱擁する。
「……もう、苦しまなくても、良いよ────」
刹那、雪那に嫌な感じが走った。痛む体に鞭打ち、その戦闘の中心を見据える。
そこには───
「え……何……よ、これ」
雪那の目に映ったのは、
粒子になって消える美香と同じように光に包まれていた陽菜の姿だった。
状況が全く呑みこめないまま、時間は進む。陽菜は重力のしがらみが無くなったかのように、ゆっくりと地面に落ちてくる。
とにかく、行ってみなければならないと、そう思い雪那は身体を必死で動かす。
「ひ、な…?」
陽菜の身体は驚くほど軽くなっていた。弱弱しく、言葉に反応してその目を陽菜は開き雪那の方をじっと見つめる。
「ゆき、ねぇ…ごめん、ね。これ…が、私の償い、だから」
か細い声で繋げる言葉から、陽菜の気持ちが痛いほど雪那には伝わってきた。
だが、それでも、そうだったとしても、雪那は涙を堪えて陽菜に答える。
「そんなの、どうでもいいの!私は、もう一度陽菜と一緒に過ごせれば、それで良かったのに…っ!」
言葉の節々が自らの心を削っていく。堪えた涙を溢させようとする。
そうやって不意に落ちそうになったものを、拭いとるように陽菜はそっと顔にその手を添えて、
「分かってる…でも、それじゃ、私が…ダメなの。いつか、ゆきねぇを信じて、いなかったことも…忘れて、ダメになっちゃう」
分かって、と目で陽菜は訴える。そんな感情が流れて来ても、例え痛いほど分かっても。これだけは、言っておかなくてはならないと、雪那は思う。
「そんな事は、ないよ…私は、陽菜のどんな事だって、忘れない。それが私にとって辛い事だって………だから、一緒に、いて欲しかったのに……っ!」
自らの言葉に耐えられなくなり、黒い瞳の奥から雫が零れおちる。
陽菜は、それを拭って小さく、祈るように言葉を紡ぐ。
「笑って、それで生きて、帰って…それが最後の、私のお願い…」
陽菜の言葉に、雪那は涙を堪えて、笑おうとする。だが、涙は笑顔を作っても止まってくれない。
それでも、雪那は陽菜に向かって、
「だい、じょうぶだよ。私は、お姉ちゃんだよ?」
陽菜は何も言わずただ微笑むと、光の粒子となって消えていく。
その際に、声だけが空間に残響する。
『ありがとう、バイバイ。ゆきねぇ』
元いた場所から一歩も動かずに、その様子を静観していたガルシアは。
「なんだ、二人消えたか。想像通り過ぎてつまらんな…まあ、そこから先は俺の予想を覆してくれるかも知れん。ここは楽しみに待つとするか」
くはは、と笑うと空中にまるで王座のような巨大な椅子が現れる。
それに腰掛け、不遜な態度でその指を鳴らすと、空間が再度歪み、大量の美香と同じタイプの生体機械が現れた。
「さあ、俺を楽しませてくれ…お前ら親子が何処までできるか、俺が何処までそれについていけるかの勝負だ…!」
手を一度振ると、それは一斉に雪那の元へと向かう。それは、まるで夕暮れ時に巣に帰るために一斉に同じ方向へと飛ぶ鳥のようにも見えた。
空に描かれた銀色の線は足並みを不気味なまでに揃えて飛んでいく。それは芸術的でもありながら見る者を不安にさせるような、そんな統一のされ方だった。
雪那達がいた場所にあの大群の先頭がたどり着くまで五分とかからないだろう。それが、逆転の一手を作り出す時間でもあり、タイムリミットだ。
当の本人は異変に気づけども、それが自分に向かうものだとまでは分からないようで、
「何…この、やな感じ…とにかく、今はこの場を離れないと…!」
口ではそう言っても、身体の方は限界を既に超えていて身体中が少しでも動こうとすると、その瞬間に悲鳴を上げ、身体を動かす事を拒む。
(痛い…けど、ここから離れないと、何か危ない感じがする…それに、陽菜と約束したんだから)
限界を超えた身体を動かすと、軋むなどでは表現しきれないような強烈な痛みが全身を襲う。あまりにも鮮烈なそれに、雪那も思わず呻く。
だが、それでも身体を必死で動かし少しずつその場を離れようとする。何か合図を送れば、直ぐに救援も来るのだろうが、そうする余裕など今の雪那には全くと言っていいほど無かった。痛みと、悲しみと、後悔とが混ざった涙を流しながら雪那はその場を後にする。それは、約束を守って陽菜に顔向けできるように、そして自分自身の為に。




