32.肉盾
アニョウ達三人は、雨が降るジャングルの大木の狭い洞に体を密着させ小休止を取っていた。
互いの素肌が触れ合い、雨で冷えた体をお互いの温もりで温め合う。アニョウの右耳にはティハの温かい息が緩やかにあたる。
そして、反対側の左耳にリトルの熱い深く長い息が強く当たる。
片方は平常時の呼吸、片方は疲労回復を目的とした深呼吸。その二つがアニョウの耳をくすぐる。
そして、両腕は二人の双丘に包まれる。
ティハは大きく柔らかい。リトルは小ぶりでしなやかだった。そして、二人の鼓動が伝わる。
ティハは落ち着いた鼓動を刻み、リトルはやや鼓動が早い。
何かもが対照的な二人であった。
理由は単純だ。ティハは自失状態に近い。羞恥心など湧かない。
リトルは、失敗を犯した恥ずかしさと異性であるアニョウに密着する恥ずかしさの両方から心拍数が上がっていた。
さらに互いの顔は目前だ。
目と目が真っ直ぐに合う。ティハは無表情であるが、アニョウと視線が絡む度、瞳孔が広がる。
表には出してこなかったが、アニョウへ恋心を持っているのであろう。それは瞳孔が広がるという生理現象に繋がっていた。つまり、心は回復しつつあるということだ。ここまで体が反応を起こすということは、時間をかければ、心を閉ざした状態から復帰することも可能だろう。
もっとも生き残らなければ、その時間は与えられない。
リトルは、逆にアニョウの目から視線を外さない。それはアニョウの考えを読み取ろうとしているかの様であった。
互いの意識が共有できなかった。目的が逸れた。では、どうすべきか。互いの考えを話し合うのが効率的で理に適っているのであろう。
しかし、今は政府軍という強大な敵に包囲されている危険な状態だ。声を上げたり、物音を立てることは危険行為以外の何物でもない。
では、アニョウを知るにはどうすれば良いか。その答えがアニョウを見つめるという行為だった。
目は感情表現が豊かだ。驚けば目が開き、恐怖すれば目を閉じる。疑えば目を細め、楽しければ眦が下がる。
例外はあるだろうが、その人間の感情を読み取ることは可能だ。
それをリトルは実践しているのだろう。ただ、少し頬が赤いのは雨に打たれすぎ、風邪の引き始めだろうか。
そんな機微までは、アニョウには分からない。普通の男であれば、鼻の下を伸ばしたり、妄想に取り付かれるのかもしれない。
だが、アニョウの心は平穏だった。小波一つ立たない。雨で視界悪いジャングルに目を凝らし、雨音が響く中、敵の足音や装備の擦れる音が聞こえないか、哨戒を続けていた。
やはり、顔が潰れた時に脳機能に異常をきたしたのだろうか。感情の変化や劣情という物と別離をしたようだ。
「十分後に出発する。」
アニョウは、雨足が強くなりつつあるのにそう言った。
「了解。いつでもどうぞ。先生。」
リトルは頬を赤く染めたまま、アニョウの目を見つめたまま返事をする。
ティハは無反応だ。だが、理解はしている様だ。ほんの少し頷いた様に見えた。
雨足が強くなってから出発するには、理由があった。視界の悪化、物音の軽減。これは逃げる側には都合が良い。
敵の接近に気づきにくいという欠点はあるが、発見されても少人数であるアニョウ達は逃げ切ることができる。
追いかける方は、常にアニョウ達を捕捉し続けなければならないが、逃げるアニョウ達は一度でも視界から消えるだけで、敵から逃亡できる。
この点が大きい。晴れであれば、ジャングルの視界が開け、葉や蔓の揺らめき、落ち葉や泥水を踏む音など追跡するための痕跡を発見されるだろう。
だが、雨足が強くなれば、たくさんの雨水が草木を揺らし、水音が足音をかき消す。敵はアニョウ達を捕捉できない可能性が高まる。
見つからないことが今回の生存術だ。
アニョウ達は、洞から出ると隠し港へ速やかに静かに移動を開始した。
だが、現実は想定通りに進まない。
距離一メートルでの接敵。遭遇戦。
強い雨足が互いの存在を消し合っていた。
大木を通り過ぎた瞬間に政府軍一個分隊と出くわした。敵は突然の出会いに敵味方の識別ができず悩む。
その隙を逃しはしない。アニョウとリトルのAK-47が二人分六十発の弾を超至近距離でばらまく。命中率など考える必要性は無い。
外れる要素など全くない。前衛がすぐに倒れ後衛へと銃弾を浴びせる。この間、ほんの数秒。
一個分隊、六人の敵を屠った。
「弾倉回収。走れ。」
アニョウ達は、敵の弾倉を走りながら掴み、ジャングルの奥へと消える。
一個分隊だけがこの場にいると考えるのは不自然だ。最低でも一個小隊。つまり、あと3~4個分隊は周囲に居るはずだ。
雨音が吸収できる射撃音に限界はある。どこかの部隊が聞きつけたに違いない。
この場から一秒でも早く離れ、逃げる。少しでも遠くへ。
今の遭遇戦を無傷で切り抜けられたのは奇跡に近い。
政府軍に女性兵士はいない。ゆえに一目で敵味方の識別は容易な筈だった。民間人が大雨のジャングルを出歩くわけがない。即座に射撃し、無害化してから敵か味方か考えれば良かったのだ。
だが、敵は悩んだ。軍人としてはまともな部類の人間だったのだろう。腐った政府軍であれば、間違いなく撃たれていた。
奴らは民間人を殺すことに躊躇いが無い。逆に民間人と分かっていても金銭目的で嬉々として殺害をしていた可能性が高かった。
ほんの少しの敵の性格の違い。それがアニョウ達の命を救った。
アニョウ達には味方は居ない。見かけた人影は全て敵だ。ならば、逃げるか、殺すか、すれば良い。シンプルな行動規範しかない。
ゆえに敵より早く射撃を行い、一個分隊に撃たれる前に壊滅させることができた。
「あっちだ。」
「銃声だ。」
「敵は近いぞ。」
「同士討ちに気を付けろ。」
「各隊、位置を適時報告。」
そんな声がジャングルに響く。
つまり、その音源に敵は居る。その隙間を縫う様にアニョウ達は身をかがめ、ジャングルの泥濘地を走る。足が滑り、転びそうになりながらも走る。捜索網が完成する前に抜け出せねばならぬ。
右に左に曲がりながらアニョウ達は走る。
「そこに誰かいるのか。」
突然の誰何。敵の一個分隊の一人に捕捉されたらしい。アニョウはティハの手を離し、声のする方へと地面スレスレに身をかがめて走る。
リトルはティハを地面に伏せさせ、すぐ横で伏射姿勢をとる。互いに無言。同じ失敗は繰り返さない。アニョウの考えを読む。
アニョウはコンバットナイフを抜き、敵の声がする方へ真っ直ぐに走る。
「おい、どこの部隊だ。部隊名を名乗れ。名乗らなければ撃つぞ。」
この声が決定的なものにした。アニョウは姿が見えない敵への方向と距離を正確に見極めた。
藪を利用し、一気に距離を詰め敵の正面に踊り出す。そして、敵の喉元へナイフを深々と突き刺す。
敵の奥には五人の兵士が残っている。アニョウは、死体となった兵士を抱えたまま、隊長格へと体当たりをする。そして、心臓にAK-47を三発。
残り四人。二人の死体を盾にしたまま、四人へAK-47を掃射する。分隊内に踊りこんだアニョウに面食らい、敵の反応は鈍い。
だが、さすがに無反応ではなかった。即座にAK-47の返礼がくる。だが、こちらは二人分の死体を盾にしている。
人間一人分を貫通するパワーがあるAK-47でも二人分は貫通できない。アニョウが抱える肉塊に無数の銃弾が着弾する。
周囲に血と肉が飛び散る。
アニョウの頭のすぐ横を熱を持って通り過ぎる衝撃波を何発も感じる。
だが、アニョウは怯まない。AK-47を三連射しつつ、敵を一人ずつ屠っていく。肉盾の一人が手榴弾をぶらさげているのを見逃さない。
安全ピンを敵の突起物に器用に引っ掛けて抜き、敵へと転がす。無論、右手のAK-47の射撃は止めない。
敵は銃撃に気を取られ、足元に転がる手榴弾に気づかない。
そして、アニョウの弾倉が空になると同時に手榴弾は破裂した。アニョウは肉盾に隠れる。まともに手榴弾の爆発に巻き込まれる四人の敵兵。
その間に素早く弾倉交換を行うアニョウ。そして、砂埃が舞う中、敵がいた場所へと更に射撃を加える。
肉盾から身は出さない。敵の無力化を確認していない。確実に敵を屠るのが先決だ。アニョウは一弾倉を撃ち切ると素早く弾倉交換を行う。
そして、肉盾の影で息を整える。今まで、無呼吸だった。アニョウとしては、すべての敵を屠った手応えがあった。
しかし、周囲には敵がいることはわかっている。射撃音を聞いて、敵が来るだろう。また走らなければならない。その為にも一度呼吸を整える必要があった。無論、深呼吸をするだけではない。二体の死体から弾倉を回収することを忘れない。そして、代わりのコンバットナイフも死体から調達する。
肉と血と脂に塗れた愛用のナイフよりは、敵のナイフの方がマシだろう。
そして、再びアニョウは走り出す。音を立てず、草や蔓を揺らさず、静かにジャングルを駆ける。
ティハの元へ戻るために。生き残るために。




