時を告げる鐘
静子が運営している学校の校舎には巨大な鐘塔が存在し、始業と昼時及び終業の一日三回特徴的なチャイムを鳴らす。
現代日本人にとっては馴染み深い四音の組み合わせで流れる『キンコンカーンコーン』というメロディである。
外から校舎を眺めた際に見える鐘は一つしかないため、複数の音階を奏でることに疑問を覚える者もいるのだが、隠れて見えないだけで連鐘という紡績機にも似た仕組みで鳴らす小さな鐘が四つ備え付けられている。
実際にメロディを鳴らしているのは建物に隠れた小さな鐘であり、巨大な主鐘はそれぞれの時刻の回数だけ『ゴーン』と鳴っているに過ぎない。
因みにこの学校のチャイムでお馴染みのメロディには原曲が存在し、ウェストミンスター宮殿併設の時計塔の時鐘に由来する。
楽曲名は『ウェストミンスターの鐘』といい、そのルーツについては諸説あるものの千七百九十三年にケンブリッジ大学教会である大聖母マリア教会の為に作曲されたとされている。
つまりは戦国時代から見ると約二百年後に作曲されるはずの楽曲であり、存在するはずのないメロディなのだ。
そんな元ネタなど知らず、学校のチャイムと言えばこの曲だろうと静子が安易に決めてしまった為に奇妙な矛盾が生じていた。
不幸にも静子と同じく学校のチャイムを知る足満とみつおも、学校のチャイムに対して何ら知識を持ち合わせておらず、聞きなれたメロディに異を唱えない。
みつおにとっては静子と同じく、このチャイムが当然の環境で学生時代を過ごしており、足満にとっては終業のチャイムが鳴れば静子を学校まで迎えに行く合図程度の認識でしかなかった。
戦国時代を生きる人々にとって時を告げる鐘の音というのは、寺が鳴らす朝夕の鐘(暁鐘と昏鐘)であり、メロディを奏でるというのは珍しい。
しかし、尾張の領民にとって静子が妙なことを始めるというのはいつものことであり、太陽が見えなくても昼時を教えてくれるものとして重宝がった。
「このチャイムを聞くと、皆が一斉にお昼を取るようになったんだよねえ」
ここ尾張に於いては、ゼンマイ動力の機械式時計が既に実用化されている。
しかし、全ての部品を手仕事で組み上げる関係上どうしても高価になってしまう。
そのため正確な時間を必要とする職業や、ステータスとして懐中時計を買い求められる程の富豪以外は現在時刻を知りようが無かったのだ。
それが学校と共にチャイムが鳴り、また毎時主鐘が時間分の回数鳴らされることにより、付近の民たちも時刻を意識するようになった。
これまでにも時刻を知る方法として、街ごとに設置されている日時計を見ることで大まかな時刻を知ることはできた。
日時計の性質上、日が翳ってしまえば時間を読み取ることもできないし、何時何分などの精度は求めようがない。
静子の学校では午前中に一般教養に該当する授業を三時限、午後からはそれぞれの専門教養に関する授業を三時限の一日計六時限の授業が行われている。
つまりは読み書き算盤の習得が目的であれば午前中だけで授業は終了となり、専門性のある教育を受けようと思えば午後にも授業があるのだ。
そして昼時を告げるチャイムが鳴ると、お弁当を用意していない学生は一斉に街へと繰り出して食事を取る。
これが定着してくると、領民たちも昼飯をチャイムに合わせて取るようになり、昼時の飲食店は戦場のような有様になっていた。
「わたしも牧場までチャイムが聞こえるお陰で、いつも妻や子供たちと一緒にお昼を食べるようにしていますよ」
みつおは、ごく自然体で惚気話をぶち込んでくる。
因みにみつおが働く牧場には事務所に機械式の壁掛け時計が備え付けられており、毎朝と正午にゼンマイを巻くのがみつおの日課である。
動物相手であるため仕事に没頭していると時間を忘れ易く、定時にチャイムが鳴って時間を知らせてくれるのは非常にありがたいと考えていた。
「みつおの妻子自慢は、犬も喰わぬわ」
静子が敢えて口にしなかった台詞をはっきりと告げる足満にみつおは苦笑する。
学校の始業は午前九時に設定されており、一時限が四十五分と休憩時間十五分のセットで運用されている。
昼休憩は正午のチャイムと共に始まり、一時間あるため生徒たちが外食をして戻ってくるだけの余裕があった。
静子としてはもっと学校が普及して、庶民の子供たちが沢山学ぶようになったら学校給食を導入したいと考えている。
今は学生の年齢も身分もマチマチであり、なおかつ学生の総数自体がそこまででも無いため実施できていない。
静子邸に於いても今では昼餉を提供するタイミングを学校のチャイムで計るようになっており、静子と足満、みつおだけが談笑していた広間へと足音が近づいてくる。
「さて、我々もこれを片付けてお昼にしましょうか」
「そうですね、早く片付けないと気の短い長可さんに怒られてしまいます」
「ならば、わしは先に酒の用意をするとしよう」
静子たちが広げていたのは、学校の鐘塔を時計塔へと改造するための設計図であった。
文字盤の直径は五メートルにも達し、相当遠くからでも読み取ることが出来るようになっている。
当然ながら、そのサイズの時計を動かすだけの歯車やゼンマイなどの機構部分も巨大になり、技術街の技術者たちも張り切っているのだ。
この三人が戦国時代へと流れ着いてから、随分と時が経過した。
三人の暮らしぶりは当時から想像できない程に変わってしまったが、それでも時間だけは変わらずに流れ続けている。




