羊羹の乱
羊羹とは基本的に小豆を主体とした餡を寒天で固めた和菓子を指す。
製法によって呼び名も異なり、煉羊羹に水羊羹、名前通りに寒天で固めずに蒸し固める蒸し羊羹等が存在する。
これらの羊羹は織田領内に於いて甘味の王者と呼ばれる程の人気を博しており、一度でも口にした者の心を掴んで離さない。
今では庶民の口にも入るようになった羊羹だが、元は尾張に於いて織田軍の携行食として開発された経緯があった。
主な材料が小豆と砂糖であるためカロリーが高く少量でも満足感が得られ、また糖度が高いことにより長期間常温で保存できる点が評価されたのだ。
登山に於ける行動食のような位置づけとして用いられ、塩分を添加した塩羊羹なども作られたことにより、軍でも人気を博した。
このように大人気の羊羹だが、材料が餡子であったがための問題が噴出してしまう。
かつて『粒餡・漉し餡の乱』と呼ばれた派閥争いが羊羹に於いても起こる兆しを見せていたのだ。
意外にもこの派閥争いが尾を引いて、自分好みの羊羹を軍に制式採用させようと暗闘するため、静子は羊羹そのものを携行食から除外することとなる。
代わりに採用された小麦粉とバター、砂糖を混ぜて焼き上げたショートブレッドのような焼き菓子は、皆が初めて口にする物であったためそういった争いが起きなかった。
「山のように要望書が届くんだけれど、何処から話が漏れたのかな?」
かつての暗闘騒ぎから数年が経ち、織田軍に於ける食糧事情も随分と改善したことから、静子が再び羊羹を軍用携行食にするべく検討を始めた。
代替採用されたショートブレッドよりも消化吸収が早く、水に濡れても問題なく食せる点が評価され、それを信長に相談したことを皮切りに各武将より要望書が届き始めたのだった。
軍機が絡んでいるだけに信長から漏れたとは思えないが、信長自身も甘党であるため何らかの派閥を構成している可能性すらあった。
「複数種類の詰め合わせ方式にしたのが悪かったかな……」
こんもりと小山の如く積み上がった要望書を呆れ気味に眺めながら静子は独り言ちる。
どうせ派閥が出来てしまうのならと、最初から複数種類の羊羹を詰め合わせにするという手段を講じた。
単一種類のみであれば暗闘で済んだのだが、複数種類を採用し得るとなった途端にアピール合戦へと変貌することになる。
幾つもある候補の中の一つになら自分の好きな味をねじ込みたいと言う思惑が露骨に見えた。
「三種類の羊羹を1セットとして、3パターンの詰め合わせを考えているから最大で9種類の羊羹を採用することになる、9個も枠があれば1つぐらいと考えたのでしょうね」
実際には信長と相談した際に1セットは決定してしまっている。
粒餡と漉し餡それぞれの煉羊羹に、丹波の柴栗を贅沢に用いた栗羊羹という組み合わせを信長が強烈に推薦してきた。
今までの栗羊羹に使用されていた丹波栗は大果であり、これに対して柴栗は随分と小さいのだ。
その代わりに味わいに於いて一線を画すものがあり、甘さ一辺倒の餡の中に香ばしくもほのかに甘い柴栗が織りなす対比を信長は殊の外好んだのだった。
上司特権と言わんばかりに、手間も費用も掛かる柴栗の栗羊羹をねじ込むあたりは流石信長と言わざるを得ない。
こうして残る6枠について、皆が如何に自分の好物をねじ込めるかを競う熾烈なせめぎ合いが生じた。
通常男性はこういった甘味についてそれほど好みを主張しないことが多いのだが、何故か織田家家中に於いては諸将が挙って争う程の事態となる。
いつもは率先して調和を図ってくれるはずの明智光秀が強行に抹茶羊羹を推し、丹羽長秀と森可成の長老衆までもが柚羊羹を推薦した。
こうなれば他の諸将も黙っておられず、滝川一益と佐久間信盛、林秀貞らは甘味が苦手な者でも食べやすい塩羊羹を所望する。
果ては『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』とばかりに梅を練り込んだ梅羊羹や、はちみつ羊羹、誰が希望したのかカレー羊羹なる奇妙奇天烈なものさえ推挙された。
「羊羹として成立するのか怪しいものまであるけれど、皆凄い熱意だって言うのは伝わるね」
現代と異なり、戦国時代に於いて甘味は貴重であった。
何故ならばこの時代に於いて、単に『菓子』と言えば果物を指し、次第に食事以外の間食も菓子と呼ぶようになると、区別するために果物を水菓子と呼ぶようになったという経緯がある。
「これだけ盛り上がってしまうと、今更羊羹はやはり見送るって言えないよね。羊羹を支給したら皆、小腹が空いた時に食べちゃうんだよねえ……」
試験的に現在交戦中である秀吉軍に対して、信長推薦の羊羹詰め合わせを支給してみた。
水分を極力少なくして一年以上の保存に耐えるようにしていると言うのに、三月と経たずに全て消費し尽くされてしまったのだ。
原因について詳しく聞き出したところ、軍議が長引いた折などにも茶請けとして消費されており、それを見た配下達も不寝番の折などに食べるようになってしまった。
こうして何かとそれらしい理由を付けては食べるという暗黙の了解が形成され、非常時でも無いというのに追加支給の要請が届く始末となる。
前線で無ければ違った結果が出るかもしれないと、柴田軍に対しても支給してみたところ、今度は寒さゆえに夜間警備の報酬とばかりに消費されるようになってしまった。
元々行動食としての意味合いがあったため本来の用途に近いのだが、非常時でも何でもない時にホイホイと消費されては堪らない。
ショートブレッドの時は物珍しいことと、モソモソした口当たりで口中の水分を奪っていくことから消費は穏やかだったことを鑑みると、羊羹の採用は早計だったかも知れないと思い始める。
これらの事から試験的支給結果も添えて信長に計画変更を申し出た処、朱印状にて『軍用食に羊羹を採用せよ』と通達が届いてしまった。
この鶴の一声には静子としても従うほかなく、変なところで強権を振るう信長に呆れてしまう。
「どうせなら、越後や陸奥の人たちにも好みを聞いてみるかな?」
寒さの厳しい地方で育った人々の意見も取り入れようと、景勝や兼続及び藤次郎(後の伊達政宗)と小十郎にも意見を求めた。
後に静子はこの時の選択を後悔することになるのだが、神ならぬ彼女にとっては知る由もない。
酒粕を練り込んだ酒羊羹派閥が生まれてしまい、羊羹の乱は更に加熱していくこととなる。




