女子式 茶の湯
戦国時代、茶の湯は武家や公家にとって、必須ともいえる教養だった。上洛時、茶の湯に目を付けた信長は、後に御茶湯御政道という政策を実施する。
簡単に言えば茶の湯を政治的に利用し、家臣たちに許可なく茶湯を開くことを禁じる政策だ。
信長は大きな功績がある者のみ許可を与える事で、茶器を土地と同等に価値あるものに押し上げたのだ。
実際に御茶湯御政道という名が使われたかは不明だが、秀吉の手紙に『茶の湯を初めて許されて感動した』という内容が記載されていた事から、茶の湯が許可制であった事が伺える。
また、謀反を起こした者に茶器を献上させることで許したなど、茶器のブランド化や価値の創出に、信長が力を注いでいた事が察せられる。
しかし、濃姫にとって茶器はただの器だった。彼女にとっては、良い茶器を出されたところで茶が旨くなる訳でもなく、逆に肩がこる息苦しさに辟易していた。
「男衆は唐物の茶器だ何だと五月蠅い。茶の湯など旨い茶と茶菓子があれば良いではないか。堅苦しい手順など下らぬ」
前久の煎茶道に近く、濃姫の茶の湯も自由だった。
茶の湯と言えば茶器や茶道具、茶室、そして主客に至るまで一体感をよしとするが、濃姫の茶の湯は一体感などどこ吹く風だった。
途中で席を立つのも問題なし、お喋りしながら茶菓子をつまんで一時を過ごす。風流などを楽しむのが茶の湯なら、濃姫の茶の湯は茶を飲んで一緒に過ごす時間を楽しむものだった。
濃姫流茶の湯は男子禁制である。理由は単純に『腹を割って会話する』場でもあるからだ。普段ため込んだ不満を、濃姫の茶の湯では堂々と語っても良い。
当然、会話は他人に漏らさない守秘義務がある。これが守れない場合、茶の湯には参加出来ない。本音を語る、されどその場で終わらせるのが大事だ。
一見して無秩序になりがちな濃姫の茶の湯だが、いくつか厳格な決まりごとがあった。先ほどの会話に対する守秘義務もそうだが、もっとも大事なのは茶と茶菓子が旨い事である。
また『茶菓子は茶に合うもの』という決まりもある。
茶菓子は重要だ。旨い茶、そして茶に合う旨い菓子、その二つがあるだけで会話が弾む。逆を言えば、茶と菓子が不味ければ、自然と会話もネガティブなものとなる。
季節感を感じられればなお良いが、それは高望みしすぎであるため、あくまでも季節感を出すのが望ましい、という推奨に留めている。
「今日の茶も、茶菓子も旨い」
「本日は薄めの茶という事で、干菓子をご用意いたしました」
茶菓子として用いられる和菓子には色々とあるが、主に餡を用いた主菓子と、砂糖や粉などを混ぜて固めた、水分少な目の干菓子とに大別される。
両者を見分けるコツは簡単で、菓子の水分量が少ない方が干菓子、多い方が主菓子だ。その関係で濃い目の茶は主菓子、薄めの茶は干菓子が良いとされている。
「落雁で季節を表すとは、中々良き趣じゃ」
濃姫が皿に盛られた和菓子をつまむ。
落雁とは乾燥させた米の粉に水飴、砂糖を混ぜた後、練り型に合わせて着色する。後は型押しして形を整えた後、焙炉や自然乾燥すれば完成だ。
細かい工程はあるが、大まかな流れは単純だ。だが単純だからこそ奥が深く、材料の質や木型の出来、着色の仕方や姿など、職人の技量とセンスが試される。
味も単純に甘いだけではない。名前の通り、優雅で上品な甘みを楽しめるだけの品質が求められる。
「小鳥が椿の枝にとまっている絵か。まっこと美しい。食べるのが勿体なく感じる」
「目で楽しみ、香りを楽しみ、そして味を楽しむ。男どもには出来ぬ娯楽じゃ」
「茶の湯は堅苦しくて困るのじゃ」
「左様。娯楽として楽しめぬものに、何の価値があろうか。殿も肩を抜ける娯楽が必要と思うのじゃが、中々理解はされぬのぅ」
そんな事をぼやきつつ濃姫たちは茶の湯を楽しむ。茶を飲み、菓子をつまみ、談笑する。彼女たちにかかれば、茶の湯も政争の道具ではなく娯楽だ。
「そういえば静子はどうした」
「織田様に呼ばれて、席を外しましたよ」
「妾の楽しみを奪うとは、殿も無粋なことをなさる」
濃姫の茶会には静子も呼ばれていたが、それを知った信長がこれ幸いと静子を呼び出した。
信長に無理難題を押しつけられるか、それとも濃姫にからかわれるか、どちらにしろ静子はろくな目に遭わないが、どちらが良いかは謎である。
「しかし、静子が働いたからこそ、妾たちの娯楽が増えたのじゃ。そう考えれば、今この場におらぬのも、後々に面白きものが生まれると思えば我慢出来るというものよ」
「良きかな、良きかな。他の国ではこうはいかぬ」
「左様。娯楽なき世など我慢ならぬ。時には童心に戻り、遊ぶ事も大事でありましょう」
茶菓子を食べながら彼女たちは談笑する。日々、家を守る彼女たちも時には息抜きが欲しい。それが静子のお陰で、様々な息抜きが出来るようになった。
仕事の合間に適度な息抜きが出来るようになった事で、日々にゆとりが持てるようになり、今ではこうして茶会を楽しむまでに至った。
「そういえば、静子は『らあめん』とやらを作っておったの」
「聞いた事がありますぞ。何でも唐の麺料理とか。どのような味か気になります」
「既に静子の街では、何軒も『らあめん』を出す店が出来ているとか」
「そうじゃ。今度、奴に作らせよう」
本人がいない事をこれ幸いと言わんばかりに、彼女たちは好き放題言い始めた。話が終わる頃、静子がラーメン料理を作る事は、彼女たちの中で確定事項となった。
「へっくしょ!」
同時刻、背筋に寒気を感じた静子は、大きなくしゃみをしていた。




