02-20 サブゼロ
焼き入れはティルダとゴローとサナの3人がかりで行うことになる。
「ティルダの合図で、俺が刀を炉から出す。そうしたら『冷やせ』を掛けてくれ」
「うん、わかった」
ティルダは刀の温度を見極める役、サナは冷やす役。そしてゴローは刀を取り出す役だ。
炉から刀を素早く取り出さねばならないので、ゴローが引き受けたのだ。
今刀を熱しているのは魔導炉なので、石炭や薪はいらない。魔力はゴローが供給している。
ティルダは暗くした工房内で、刀の色をじっと見つめていた。
熱した鋼の温度は、暗い赤から明るい黄色に変わっていく。
その色で温度を見極めるのも職人の奥義だ。
刀鍛冶の間でも、熟れた柿の実の色とか、山の端に沈む夕日の色、などと口伝が残っている。
「……今です!」
「よし」
ティルダの合図でゴローは火鋏で挟んだ刀を炉から取り出した。
「『冷やせ』」
すかさずサナが冷却の魔法を発動する。
明るい赤に輝いていた刀は、一瞬で白い霜が付くほどに冷やされた。
それと同時に刀は少し反りかえり、塗ってあった『焼刃土』がぼろぼろと剥がれ落ちた。
「やったな!」
「はいなのです」
「あとは『焼き戻し』だ」
焼き入れをした刀は、このままでは硬いが脆すぎて実用に耐えないため、『焼き戻し』を行う。
これは摂氏180度から200度に一定時間保てばいい。
そこでこの工房では、熱した油の中に一定時間突っ込んでおくという方法を取っている。
油の温度は、ジュージューいう音でわかる……とティルダは言った。
ドワーフの技能は凄いとゴローは感心している。
それで、ゴローはティルダがみていない時に、油に指を浸けてみた。
(うん、ちょっと熱い。……このくらいか)
摂氏200度の油も『ちょっと熱い』で済むあたり、さすが『人造生命』の身体である。
さすがに赤熱した鋼を素手で持つ気にはなれないが。
焼き戻しのために浸ける時間は短くなければいい、くらいにまあまあアバウトなので、2時間と決めて、その間に昼食を食べてしまうことにした。
* * *
「ハチミツ、美味しい」
『木の精』のフロロがミツバチとピクシーを使役してくれているので、毎日ハチミツが50ミルリルずつ溜まっていた。
サナの消費量はそれに合わせて、当面は1日20ミルリルと決めているので、30ミルリルずつ増えていく計算になる。
そして、そのミツバチも増えているので、今年中に生産量は倍になる予定である。
「ああ、パンに塗って食べると美味いな」
「凄く香りがいいのです」
時々はゴローとティルダもお相伴にあずかっていた。
「ふっふーん、喜んでもらえて何よりよ!」
フロロは3人が食べているところに来て鼻高々である。
「もう少ししてピクシーとミツバチが馴染んだら、『百花蜜』じゃなく、ちゃんと花の種類で分類したハチミツにしてあげる」
「それ、楽しみ」
「ああ。花によってどう違うか、味わってみたいな」
花の種類を選ばないものを『百花蜜』。
それに対して、アカシアならアカシア、レンゲソウならレンゲソウ、ミカンならミカン、と、花の種類別に集めたものもある。
今は夏なので、このあたりに咲く花はクローバー(シロツメクサ)が多い。
レンゲソウは春、アカシア、ミカンは初夏。真夏の今は、残念ながら花の種類は減っていく傾向にある。
「トチノキとかサクラとかも美味しいわよ」
蜜が美味しい花はマメ科に多い(レンゲソウ、アカシア、クローバー)が、それ以外の花でももちろん取れる。
ちょっと変わったところでは、コーヒーの花や、ソバの花の蜜。
それに近年人気のマヌカ(フトモモ科。ニュージーランドにしか自生していない低木)であろうか。
その他、ローズマリーやラベンダー、リンゴ、サクラ、菩提樹、栗の木、菜の花などからも蜜が取れる。
こんなにも春が楽しみな夏はなかった、とゴローは苦笑しながら思ったのであった。
* * *
2時間が過ぎたので、油の中から刀が取り出される。
ギトギトしているので、灰をまぶして拭うことで油分は取り除かれた。
「さて」
ゴローはこの刀に、もう一度『冷やせ』を掛けることにした。
それも、全力で。
焼き入れをした鋼には、『残留オーステナイト』という組織が残っており、摂氏0度以下に下げてやることでなくすことができる。
これを『サブゼロ処理』という。0度以下、ということでサブゼロ、というわけだ。
要するに、1度目の焼き入れで硬くなりきらなかった組織を完全に硬くしてやろうというわけだ。
「どうしてゴローさんはそんなこと知っているのです?」
ティルダが不思議そうに言う。
「確かに、出来立ての刃物を雪の中に埋めておくと切れ味が増す、というような秘伝を聞いたことがあるのです」
「あるのか」
ゴローの場合は『謎知識』が教えてくれているのだが、ドワーフにも似たような秘伝があると聞き、素直に感心するゴローであった。
* * *
さて、刀身に歪みもなく、3振りともまずまずの出来であった。
あとは研いでやる必要がある。
これはゴローにもできるので、任せてもらうことにする。
「ゴローさん、本当に何者なのです?」
そう言われても自分で自分がわからないゴローは答えようがなかった。
そしてゴローが研ぎを行っている間に、ティルダは鞘を作っていく。
「曲がった鞘って難しいのです」
などと言いながらも、テキパキと作業をして行くところはさすがだ。
その外観や出来映えについても、事前にゴローが絵を書いて説明してあるので、迷いはなかった。
軟らかく粘りのある木で、『白鞘』と呼ばれるものを、ティルダは夕方までに3振り分作り上げた。
そして同じく、ゴローも3振りの刀を研ぎ上げていたのである。
といっても、『鍛冶押し』と呼ばれる、荒砥で形がはっきりするレベルまで、だ。
鏡面に近い仕上げは専門の研ぎ師が行う。
「できたのです」
「これで刀の出来映えがわかるってものだ」
白鞘に3振りの刀を収めていく。
「どれが王女殿下にふさわしいか、わからないのですが、3振りとも会心の出来なのです」
「ティルダがそう言うなら、きっと大丈夫だ」
その日はそれで終わりとし、風呂で汗を流し、マリーが作ってくれた夕食を食べると、ティルダはすぐに寝てしまった。
「やっぱり疲れていたんだろうな」
精神的、肉体的に疲れていたんだろうと、ゴローは独りごちた。
夜の庭に出て、昨夜同様、ピクシーの乱舞を見る。下草は柔らかく、いいクッションだ。
「やっぱり、ここにいた」
少しするとサナもやってきて、ゴローの隣に腰を下ろす。
「……ゴロー、何考えているの?」
「…………わかるか」
「わかる。ゴローは隠しごとが下手」
「……サナには敵わないな」
「当然。私はお姉さん。お姉さんの方が強い」
で、何を考えていたの、とサナは改めて尋ねた。
「……うん……俺って何者だったのかなあ、と思って」
「それって、『謎知識』がどこから来たか、ということ?」
「まあ、そういうことだな」
「……」
しばらく、2人の間に沈黙が落ちた。
そして、次に口を開いたのはサナ。
「…………あんまり、気にしない方がいい。わかる時は自然にわかるもの」
「そう、かな」
「うん。……第一、それがわかってもどうしようもない。生まれ変わるわけにもいかない」
「それはそうなんだが」
「だったら、いろいろな知識があって便利、とでも思っていればいい」
「……」
再び沈黙が落ちた。
「過去は過去。ゴローはゴロー。私は、今のゴローが好き」
「サナ……」
ピクシーの淡い光りに照らされたサナの横顔ははっとするほど綺麗だった。
「……だってゴローは、甘いものいろいろ作ってくれるから。それって、『謎知識』のおかげ。だから、『謎知識』のあるゴローが、好き」
「…………ああ、そうかい」
ちょっとでもドキッとした自分が馬鹿みたいだったが、それでもなんとなく気持ちが軽くなったような気がするゴローであった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は12月22日(日)14:00の予定です。
20191219 修正
(誤)0度以下、ということサブゼロ、というわけだ。
(正)0度以下、ということでサブゼロ、というわけだ。
20200623 修正
(誤)『鍛治押し』と呼ばれる、荒砥で形がはっきりするレベルまで、だ。
(正)『鍛冶押し』と呼ばれる、荒砥で形がはっきりするレベルまで、だ。
20200916 修正
(旧)
「来年になったら、『百花蜜』じゃなく、ちゃんと花の種類で分類したハチミツにしてあげる」
(新)
「もう少ししてピクシーとミツバチが馴染んだら、『百花蜜』じゃなく、ちゃんと花の種類で分類したハチミツにしてあげる」
20220704 修正
(誤)ミルリル
(正)ミルリル
3箇所修正。




